Novel

1限目

「これより、ビクトリア学園入学式を始める。起立! 気をつけ!」
壁に等間隔につけられたスピーカーから、教頭先生らしき人の声が聞こえた。
その声にあわせて、全校生徒がいっせいに立ち上がる。

数分もしないうちに隣の女子が、前かがみになる。
式の最中にだ。どこか様子がおかしい。
よく見ると、息が荒い。緊張してるのかな。

それから1分も経たないうちに、その女子の息はますます激しくなった。
「は、は、は、げほっごほっ!」
普段病気などしない俺から見ても、これは明らかにまずい! そう思って声をかけようとしたら、
その女子の体が、何かに引かれたかのように前に傾いた。
「わわっ! だ、大丈夫か!?」
俺はとっさに、その女子を抱きとめた。
彼女は俺の顔を見ると、苦しそうな表情で話しかけてくる。
「は、は、は、げほげほ! だっ…だれ? は、は、は…」
「無理して話さなくていいから!」
周りを見ても、みんな、ただオロオロしているだけだ。
先生が来ようにも、びっしりと整列しているこの状態じゃここまで来るのは一苦労だろう。
俺が行くしかない!

「とにかく保健室だ! 俺が運ぶ! 保健室、保健室はどこだよ!?」
背中におぶろうと思ったが、呼吸が荒く、せきもひどいので、
そのまま、腕で抱きかかえるようにして、体を持ち上げる。
俗に言うお姫様抱っこだろうが、なりふりかまってる時間はない。
「うぉぉぉぉぉ! どいたどいたぁぁ!」
叫びながら人と人とのわずかな隙間に突っ込む。俺の声を聞いてくれたのか、出入り口までに不器用な道ができた。俺はできた道を全力で駆け、保健室まで向 かった。
「あ、ありが…と…」
腕の中の子が、ぼそりと云ったのが聞こえた気がした。






体育館を出て、渡り廊下をわたると、保健室は目の前だった。
俺は戸が壊われるかなと思ったが、おかまいなしに飛び込む。
「先生ぇぇぇぇっ! 大変だぁぁっ!」
「静かにしなさい! ここは保健室よ!」
まずぴしゃりと叱られた。騒がしい俺に動じず意外としっかりした先生だな…。
保健室の先生は、叱りつつも俺の抱きかかえてる女子のことに気がついたのか、すぐに症状を見る。
さすがに経験豊富なのか、すぐに指示を出す。
「これは、過呼吸ね…。今すぐここに座らせて。 たしか、袋がこのあたりに……あったあった」
と、皮でできた薄めの袋をその子の口にあて、心配させないようにやさしく言った。
「大丈夫。落ち着いて。そう、ゆっくり呼吸して」

どのくらいの時間だっただろうか。
数分経った後、彼女の息遣いはだんだんと落ち着いてきた。どうやらもう大丈夫なようだ。
俺は、ため息をついて女子の横に腰掛ける。
「はぁ、良かった……いきなり倒れるからどうなるかと思ったぜ」
先生は、袋を探すときにあさった棚を整理しながら、俺に呼びかけた。
「あなた、もう戻ってもいいわよ。このままおとなしくしていたら大丈夫だから」
「いや、心配だから残ってますよ」
「あらそう? ありがとう。あなた、優しいのね」
「え、いやぁ。あ、あはははは……」
照れ笑いをしていると、そこへ鼻を押さえた生徒が来た。
鼻を抑えている手の間からは、赤いものがのぞいている。
「あら、鼻血? あなた何度目? 多いわねぇ。ちょっとごめんなさいね」
先生は俺たちのそばから離れ、鼻を押さえながら入ってきた生徒のもとへ向かった。

先生が離れると、不意にその子が口を開いた。
「ごめんなさい、私のせいで入学式……」
「いや、別に俺のことはどうでもいいよ。困ってる人の方が大事だろ?
 それにしても、いったい何なんだい? その、過呼吸って? 大丈夫なのか?」
俺の疑問攻めに、その女子は戸惑いつつも答える。
「本当にごめんなさい。私もこんなことになったのは初めてで、よくわからないの」
「そ、そうなんだ。ごめん」
話が途切れてしまった。しばしの沈黙。
気まずい雰囲気の中、彼女と目が合った。けど、その子はすぐに、下を向いてしまった。
一瞬だったけど、桃色の髪の毛と、悲しそうな青い目が、俺の脳裏に焼きついた。
何故こんなに悲しそうな表情をするのだろうか。何かを怖がっているような。一体何が? 
まさか、俺じゃないよな。

とにかく。この気まずい雰囲気をどうにかしたい。
タイミングよく、鼻血の処理を終えた先生が、こっちに戻ってきた。
「先生! その、か、過呼吸? ってのは何なんだ…じゃなくて、何なんですか?」
俺が様子を伺いながら聞くと、先生は不思議そうな顔をして答えた。
「過呼吸っていうのは、体に酸素が入りすぎて、息が苦しくなる病気よ。
 この子から聞かなかったのかしら?」
「いや、この子も知らなかったみたいで」
彼女は、申し訳なさそうに、さらにうつむいてしまった。
「初めての発作なのね。
 原因はよく判ってないけど、人が多いところにいたり、極度の緊張や興奮でたびたびこういった発作が起きるの。
 自分で原因は判る?」
彼女の体がビクッと跳ねる。急に話題を振られて、びっくりしたようだ。
不安そうな顔をあげ、こわごわと先生の顔を見た。
おびえる様な彼女の表情を見て、先生も困ってしまったようだ。
「あのね、いじめてるわけじゃないから、そんな顔しないで」
「え、あの、すいません、そんなつもりは無いんですが……
 ただ、知らない人に、会うのが怖くて。
 昨日も全然眠れなくて。今日の入学式のとき、突然苦しくなって、それで」

先生は、心配させないよう優しく言った。
「なるほど。大丈夫よ、誰もあなたをとって食いはしないから。
 もし、また過呼吸が出たら、袋を口に当てればそのうち収まるから。
 これからは、いつも袋を持ち歩いていなさい」

そのとき、保健室の戸がガラガラと開いて、一人の人が入ってきた。
背はあまり高くないが、盗賊の格好をしているから一応先生なんだろう。
着ている服は男物っぽいが、顔はどこか女っぽい。
白っぽい色の髪には数本赤い毛が混じっている。
若干たれ気味の黒色の目をしていた。

先生は、手に持ったメモをしばしばと見ながら言った。
「えーっと。1−2の。なんで読むんだ? ツキゴ?」
「ツキモリです」
俺は即座に訂正した。教師のクセに人名読み間違えるなよ。
「ああ、悪い悪い。ツキモリ……」
しばしの沈黙。どうやら読めないらしい。
「あの、ロウキです」
大丈夫かこの先生。若いのに大分ボケが進んでいるぞ。
「そうそう、ツキゴ ロウキ」
だめだこりゃ。

「で、ロウキと、エリキ ルリだな?」
先生の言葉で、ようやくその女子の名前がわかった。
どうやらルリと言うらしい。とにかく一応名前が呼ばれたので返事をしておく。
「多分そうです」
「……はい」
ルリと呼ばれた女子も、聞き取れるか取れないかぐらいの声で、返事をした。
「今、入学式は終わったから、ホームルームが始まるところだ。教室に来い。
 ―ああ、エリはもう少し休んでいてもいいぞ?」
こんな先生でも、一応ルリのことを気遣っているようだ。
保険の先生が病状のことを伝えていた。
「紅天先生。この子は過呼吸のようです。注意してあげてください」
「ああ、判かりました。ロウキ、おいで」
どうやら、担任は紅天と言うらしい。
来いといわれたが、ルリが、非常に心配だったので、先生に残ると言って見た。
「先生、俺も心配だから残ってていいで」
「ダメ」
いいですか、と言い切る前に即答された…。
「ほら、行くぞ」
「はい……」
ちょっとしょんぼりしたが、まぁ仕方ないな。

名残惜しいが、俺らが保健室から出て行こうとすると、
ルリはおもむろに椅子から立ち上がり、ぼそぼそと言った。
「あ、あの、先生」
「ん?」
「わ、私も行きます」
先生は少し考えた後、心配そうに答えた。
「大丈夫なのか? 無理はするなよ」
「あの、ほんとに大丈夫ですから……」
珍しく難しい顔をした後、保健室の戸を開けて言った。
「まあ、本人がいいというのなら、それでいいだろう。
 でも、また具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ?」
まるで子供に言い聞かせるように、ルリに言った。
いや違う。俺ら、まだ子供だった。

教室に行くまでの間、しばらくの沈黙の後が続いた。
と、不意にルリが口を開いた。
「ごめんね、心配かけちゃったみたいで」
とても悲しそうに言った。さっき、保健室で見た表情。
彼女を明るくしようと、笑って答えた。
「あぁ、俺のことなんていいって。それよりも何かあったら、相談しろよな。
 俺のできることなら力になるぜ」
「ん、ありがと…」
彼女は顔を少しあげ、軽い微笑みを俺に見せた。
本当に、口の端が軽くあがるくらい微妙なものだったけど、彼女にとっては精一杯の笑顔だったんだろう。
不慣れなものを一生懸命やった、彼女の健気さが……なんだろう? 言葉に言い表せないような。
頭に、いや、顔に一気に血が上ったのが感じた。ほてった、といったほうがしっくりくる。
一体なんなんだ?

「おーい、いちゃついてないで早く来い!」
前のほうにいる先生から催促の声が聞こえた。
「い、行こうぜ?」
言ったのはいいが、焦って声が上ずり、とても情けない声になってしまった。
「うん、いこっ」
彼女は、何故かうれしそうに言った。





教室

大体一クラス40人ほどみたいで、6列机が並んでいて、俺の席は窓側から二番目の列だった。で、後ろの席にはルリがちょこんと座っていた
倶竹先生が、黒板に白のチョークで結構達筆な字で「倶竹 紅天」と書いて話を始めた。
「あー、私がこのクラスを担当する、倶竹っていう奴だ。
 苗字はあんま好きじゃないから、紅天とでも紅とでも呼んでくれ。
 呼び捨てにしても怒…るだろうからだめだな。
 まぁ、そのかわりといっちゃなんだが、私もみんなのことを名前で呼ぶ」
紅天って名前だったのか。てっきり苗字かと思った。
しかしまぁ、こうやって見ると一人前の教師に見えるけど、
さっきの保健室のやりとりを見てると、かなりボケ入ってるなこの先生。

「で、皆はこのビクトリア学園に入ったわけだ。そもそも、この学園は、
 旅に対する基礎知識や基礎技術を学び、
 どんな状況でも対応できるような冒険者になることを目的としている。
 そのためには、君たちにはしっかりと授業を受けてもらわなきゃいかん。
 で、あるからして……」
学校の心得などをだらだらと話し始めた。紅天先生はどうやら、長話が好きらしい。
あんまり面白くない。
正直、楽しくないことは俺は嫌いだ。ということで、後ろに座っているルリに
椅子を支えに、体をひねり話しかけてみた。

「あのさ、名前って、襟木 ルリだよね? ルリって呼ばしてもらうぜ?」
「う、うん……」
と、それだけ言うと、うつむいて黙り込んでしまった。
気になったので、軽くルリの顔を覗き込みながら、問いかける。
「ん?どうしたんだ?」
だが、それ以上何もしゃべらず、ルリは自分の椅子を少しだけ後ろに引く。
もしかして、俺、避けられてる?

そのとき、俺の後頭部をものすごい衝撃が襲う。
一瞬、目玉が飛び出ると思った。
ぐるり、と振り向くと、後頭部にあたった何かが、俺の視界に移りこんだ。
そこには砕け散った白チョークが2本分転がっていた。
「ロウキ! なにしてるんだ!」
「あだだだだ……。な、何をするんですか!? 痛いじゃないすか!」
後頭部を擦りながら、先生に抗議するが
どっと、教室に笑いが起こった。
先生はニタリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ラッキーセブンLv1だから死にはしない。安心しろ」
「そういう問題じゃないでしょう!? いってぇなぁ……」
俺は気づかなかったが、ルリも静かに笑っていた。

先生はものすごく嬉しそうに、俺含むクラスの全員に警告と忠告をした。
「いいか? 授業中に寝たり、私語をしたりすることが無いよう!
 頭に、特注手が汚れない羽チョークが飛ぶからな!」
「と、特注なのか……」
「あぁ、硬さ加減がぴったりでな。
 それはいいとして、この学校の目標はなんだ? 月護」
何も聞いていなかった俺に、かなり難度の高い質問を投げつけてくる先生。
とりあえず、時間を稼ごうと思い、何か適当に言おうとする。
「え? いや、えっと……あの、あれですよ、先生!」
「あれじゃわからんぞ」
先生の、冷たい一言によって、俺のもくろみは一瞬にして、塵と化してしまった。
「え、えっと……よ、世の中に名前を知らしめることかな、って……
 は、はは。そんなわけ無いですよね」
スコココーン!
気持ちいい音を響かせ、俺の額に軽く5本ほどのチョークがクリティカルヒットする。
俺は、そのまま自分の座席にノックアウトされてしまった。
そんな俺を見て、またクラス中に、笑いが起こった。
ふと、後ろを見ると、ルリが口を押さえて笑っていた。
何故か、うれしい気持ちになったが、先生にまたチョークを貰いそうだったので、すぐに前を向く。
笑ってくれててよかった。
先生はあきれて、ため息ついて俺を見てから、ルリに視線をずらす。

「アホたれ。―仕方ない。襟木。答えてみろ」
「あ、はい。えっと、旅に対する……」

ルリは周りの視線に気がついたのか、声が段々と小さくなっていった。
人の前に立つことに慣れていないのだろうか?
そういえば、保健室で知らない人に会うのが怖いと言っていたことを思い出す。
だが、先生は、ルリに耳を近づけるような動作をした。
「すまん、聞こえん。もう一度言って欲しいんだが」
「……はい。旅に対する基礎知識や基礎技術を学び
 どんな状況でも対応できるような冒険者になることです」
静かだが、はっきりと正しい答えを言う。
その様子を見て周りがどよめいた。先生も、満足そうにうなずいていた。
「うむ。正解だ」
「へぇ、すっげぇな〜。よく覚えてんな、ルリは」
ルリは答えを言ったあと、静かにうつむいていた。
俺の席から遠く離れた、クラスの一番後ろの廊下側の席に座っている男が、
何かを狙うような目でルリを見ていたような気がした
そのとき、ホームルームが終わったことを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「キーン、コーン、カーン、コーン」
先生が、時計を見てから、教卓に手をついてから言った。
「時間だな。これにて今日のホームルームは終わりだ。起立! 礼!
 よし、じゃぁお前ら明日からしっかりと学校にこいよ。
 あー、言い忘れたが、明日は実力テストだからな。まぁ春休みのうちに勉強していたと思うけどな」
……テスト!?
続く
昼休み