「姉さんをぶった右手はもう使えないね。次は姉さんを蹴ったその右足を貰おうかな」
淡々と、そして冷酷におおかみは告げる。むせ返る血の臭い…こうなっては誰も、誰も止めることは出来ない。わたしの中のおおかみは、この血だるまになった 主人が息絶えるまではきっと攻撃をやめないだろう。
主人はその右腕を失ったショックで、やめろとか許してくれとかうるさいことは言わなくなった。何度か気を失おうとしたけど、おおかみがそれを許さない。主 人が白目をむく度に、無造作に皮膚を切り裂くのだ。おおかみと主人との一方的な会話は続く。
「よくも、よくも姉さんを酷い目に合わせてくれたね。右足は、ひざの関節から貰うよ」
主人は何も答えない。いや、答えられない。主人を支配しているのは絶対的な脅威、そして死の恐怖だ。
おおかみはいま、自分の右足をどうにかしようとしているがまた何かを言えば、すぐさま心臓に牙をつきたてられるかもしれない。手や足は失ってもすぐに死ぬ ことはないが、急所に何かをされれば一瞬で殺されてしまう…だけど、このままではどっちにしても死んでしまう……そういったことを考えているのかな。それ とも痛みで何も考えられなくなったのかな。
「グググ…」
おおかみが気絶しそうになった、主人を更なる痛みで目覚めさせる。主人の服は全身が真っ赤に染まりきってしまった。右腕があったところからは絶えることな く赤い液体が流れ出している。
おおかみは、ゆっくりと右ひざに手を乗せる。あまりに鋭い爪は、ほんの少し触れただけで主人の皮膚を切り裂き赤い筋を作った。
「じゃあゆっくり斬るから、せいぜい苦しんでよね。まだ死んじゃダメだよ」
おおかみがそう言ってのけたすぐ後だった。
「ユアさん!」
聞き覚えのある高い声。まだ出会ってからニ、三日しか経っていないけどもうすでに忘れることなく耳に染み付いている。間違いなくグミさんの声だ。
おおかみは、作業を中断してグミさんのほうを振り返る。後足は動けないように主人を押さえ込んだままだけど。
「グミちゃん、血の臭いがするけど平気だった?」
おおかみは、心から心配そうに言う。今さっきまでやっていた残虐行為は気にもかけていないみたいだ。
「うん、私は何とか大丈夫。シュウはちょっと危なかったけど……それより、ユアさん…じゃなくて今はおおかみさん、どうしてそんなことを…」
「どうしてって…そりゃあこいつが姉さんをいじめたからさ。だから姉さんの代わりに…いや姉さんと一緒に復讐してるんだよ」
グミさんは硬い表情のまま、
「ユアさんがこの主人とか言う人に酷い目に合わされたのは知ってる…だけど、このままじゃきっと死んじゃうよ。なにも殺すことないでしょ?」
と言った。わたしは、何か言おうとしたけど…おおかみが口を開く。
「グミさんは、姉さんがどういう目に合わされたか知ってる? 姉さんは弱みを握られて…まぁそれはあたいがいるせいなんだけど、牢獄みたいな屋根裏に押し 込まれて、毎朝早くから狩りに行けと命令されて、狩って来たものは全て持っていかれるんだ。ご飯は一日に一回あったりなかったり…殴る蹴るなんてしょっ ちゅうだし、。他にもまだまだたくさん! それでもグミさんはこいつのことを生かせって言うのかい?」
おおかみは早口にそうまくし立てた。おおかみはわたしの中でずっと見ていたのだ。グミさんはおおかみの告白を聞いて、目を見開いて口元を両手で覆った。お おかみは更にいう。
「姉さんはずっと我慢してたけど、あたいがもし同じ目に遭わされてたら一週間…いや一日でぶちきれるね。だってあれは完全に奴隷なんだ。逆らうことは決し てなく、お金もかからない、働きは優秀…全くご主人様にとっちゃいい金づるだったって訳さ」
「表向きの面だってそうさ。こいつは街一番の大商人とか時期村長候補とか言われてるけど、実際は違うんだ。何も知らない初心者からいいものを安く買い叩い て、吊り上げた値段で売る。何も分からないやつを利用して、自分の持ち株を増やしたり…汚い金を賄賂に回したり、そうそう…さっきみたく邪魔なやつはどん どんアサシンや番兵に金を握らせて"処分"したよ。これでもこいつには生きる価値があると思う? 断言するけどこいつが生きる価値なんてものは一切ない し、お金を払って買い取ってもらうことも出来やしない。まずくて食うことも出来やしないんだ」
グミさんはあまりの正論に、黙り込んでしまう。その手に杖のように使われているレフェルさんも、何も言うつもりはないようだった。重たい沈黙が降りる。
「じゃあちょっと名残惜しいけど、こいつの処刑もそろそろ終わりにするよ。首をスパッとやるから…見たくなかったら目をつぶっていて。一瞬で終わるから痛 みもそんなにないと思うよ」
「ちょ…ちょっと待った!」
ずっと息を潜めてこっちを見ていたシュウさんが飛び出してくる。アンテナが壁からはみ出してたからバレバレだったんだけど…。おおかみも当然ずっと気づい てたみたいで、冷静に答える。
「やっと出てきたかい。それで一体何を待つんだい。まぁそんなには待たないけど」
「あれだ…その、お前がそいつを憎い気持ちはよくわかるんだが…殺すのはやめてくれないか?」
「シュウもグミさんと同じことを言うね。どうしてだい? こいつが死んだって誰も悲しまないし、むしろ詐欺られたひとたちが喜ぶと思うよ。ああ、それと姉 さんも」
おおかみの言うとおり、わたしも嬉しい。だってこいつさえいなければ、グミさんたちと一緒に自由に羽ばたけるんだもの。
「いや、正直な話、俺はそいつがどうなろうと構わないんだ。だけどさ…お前が手をかける必要もないだろ? こいつはほっといたって恨みを買って勝手に暗殺 とかされるさ。お前の手を汚す必要はないよ」
確かにそうかもしれない。だけどおおかみはもう…。
「別にあたいの手は汚れても構わないよ。姉さんに言われればあたいがこいつの暗殺者にだってなるさ」
もう…止まらない。血の味を覚えてしまったから…こいつの穢らわしい血に毒されてしまったから。
シュウさんは、最後の決め言葉もすんなりとかわされ、半ば諦めかけた表情を見せる。だけど、最後にこう言った。
「そうか…じゃあキレイごととかそういうのは抜きで行こう。さっきも言ったが、こいつが死のうと関係ない。なんなら俺がこいつの眉間をぶち抜いてやりたい くらいだが……グミがダメなんだ。さっき、俺が殺されかけた番兵に止めを刺そうと思ったんだけど、グミはそれをさせないで逆に番兵のやつにもヒールをかけ たんだ。『このままだと死んじゃう。誰も死んで欲しくない』ってな。なぁグミ」
そういい終えると、シュウは座り込んだグミさんの肩に手をかけた。グミさんは肩を震わせたまま小さく呟いた。
「誰も…・誰も私の前で死んで欲しくない。それがいい人でも悪い人でも…。その人が生きる価値なんてどうでもいいの…改心するかなんてどう でもいいの。ただ誰か…人が死ぬのはどうしてもダメなの。だから…この人にヒールをかけさせて」
おおかみが動揺するのがわかる。そしてわたしも動揺している。
(姉さん、あたいどうすればいいのかわからなくなってきたよ。別にこいつを殺すのは悪いことだとは思わないし、憎いんだ。でも、グミさんがどんなやつでも 殺すのはダメだって言うんだ。どうしたらいいかな…。)
(わたしもよくわからない。でも…・主人を殺したいって気持ちは何処かに消えちゃった。)
(あたいは……あたいも本当は、もうこの血を舐めたくない。気分が悪くなる。でも殺したいって気持ちは収まらないんだ。)
(それじゃ……何かいい方法はないかな。おおかみ、もう普段の私に戻れる?)
(私の気が収まるまでは…気が高ぶって元に戻れないかも。やっぱりこいつを…)
(そうだ、いい考えがある。こうグミさんに聞いてみて?)
(なんて?)
(「人殺しのあたいでも仲間にしてくれる?」って)
(答えはわかってるじゃん…でも、名案だね。)
「ねぇ、人殺しのあたいでも仲間にしてもらえるかな?」
何故かシュウさんがぴくりと反応して、慌てて答える。
「いや、その、それはPTの長であるグミに聞いてくれ」
「いやグミさんに聞いてたんだけど…。グミさん、どうかな?」
「…・絶対ダメ」
続く
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