脇腹から発する燃えるような痛み…突き刺さった槍から感じる冷たさはすでになく、代わり にやってきた錆臭い胃液にかき消されていた。
どうすれば…俺はどうしたらいい? どうしたら生き延びることができる? 死ななくて済むんだ? 考えろ…これはスクールのテストじゃない。ミスった場合 は赤点でも追試でもなく…即、死だ。俺は戦闘以外では数%も使われてないであろう脳をフル回転し、今の惨状を打破するための作戦を考える。
まずは自分の負っているダメージからだ。
 …この槍を抜くとによって大量出血は免れないだろうが、このまま放置して傷口を広げられてはまず助からない。とにかく抜くことが先決だ。
が、しかし、番兵の野郎はまだ生きている。俺が槍を抜くより先か、少し遅れて立ち上がるだろう。
万全の状態ならバズーカであいつをぶん殴るか、ボムで気絶させることもできるかもしれないが、失敗は許されない。しかも俺の体は弱っていて、背中のバズー カを持つことができるかも、ボムを作り出すことができるかですら確かではない。リスクが高すぎる。
 それじゃあ、逃げ出すのはどうだ? 今からでもグミと合流すれば、傷も直してもらえるだろうし、2VS1なら十分勝ち目はある。
…いや無理だ。俺が全力疾走で逃げ、隠れてから数秒もしないうちにやつは来た。しかもあの重い鎧を背負ってだ。仮面ごしに、ヤツの眉間に一発打ち込んだと はいえ、さほど効果はないだろう。追いつかれて殺されるだけだ。
 命乞いはどうだろうか? これなら身柄は拘束されるだろうが、命だけは何とか助かるかもしれない。
…これもダメだ。俺が捕まるって事は炎の羽毛を奪われちまうし、あいつの目は尋常じゃない。金と殺意…それだけが渦巻いている。純粋に弱いものを殺して楽 しもうとしている目だ。
 どうすればいい…どうすれば…
「気に入らないならぶち殺せばいいじゃないか。あのときみたいにサ」
もう一人の俺の声がする。裏の自分は俺が意図的に考えるのを避けた「殺し」の実行を軽々と口にする。
悪夢のような情景が、俺の脳裏にまざまざと再現される。
 俺がまだガキだった頃、金のために一分一秒を惜しんでバイトした。親のいない俺に、毎日の食費を稼いで、スクールに行くにはある程度まとまった金が必要 だった。今でもはっきり覚えている…あれは俺がずたぼろになるまで働いて、やっと月分の給料を貰った帰り道のことだった。
 俺は運悪く…狙われてたのかもしれないが、何人かの夜盗に鉢合わせた。流石カニングといったところか…全員が手に刃物を持って、俺のことを脅していた。
「金を出せ、さもないとお前を殺す」
そんなことを言ってたと思う。ありきたりなセリフだが、まだガキだった俺には十分な脅威であり、あまりの恐怖に歯がカチカチと鳴った。
…今思えばあの時、金を渡しておけばよかったとも思う。だが、俺は金を渡すわけにはいかなかった。
 金がないと食い物に困る、銃弾が買えない、スクールに行けない、ナオやまふゆに会えない。…親父の弔いができない。
それだけが当時の俺の全てだった。なにがなんでも奪われるわけにはいかなかった。
だから俺は、その場から逃げ出すことを選んだ。逃げ足には自信があったし、親父の残した家もそう遠くはなかった。俺は、
「これは俺が血反吐はきながら稼いだ大事な金だ。お前らに渡す気なんてさらさらねえよ!!」
そう捨てゼリフを残して、俺は一目散に逃げた。当然やつらは追って来た…でも俺の脚にはとても追いつけないだろう。そう思っていた。逃げ切れると確信して いた。
でも、それは俺の浅はかな想像でしかなかったわけで……
 夜盗の仲間が2人、俺の進行方向に待ち構えていた。いわゆる待ち伏せである。つまり俺は、夜盗に囲まれちまったというわけだ。
 囲まれてからも俺は逃げようとした…でもすぐに2人がかりで押さえられて、フクロにされた。俺は5〜6人で全身を何度も殴られ、蹴られ、痛みで何度も気 を失いそうになった。何発殴られたか忘れたが、頭から流れてきた血で、視界が赤く染まったていた…やつらは完全に動けなくなった俺を見下しながら、俺の コートの内側から貰ったばかりの金を奪い、仲間内でこう言いあった。
「弱いくせに、抵抗してんじゃねえよ。この金は強い俺たちが使わせてもらうぜ」
「おい! いくら入ってんだよ」
「150kもあんじゃねえか! このガキ相当頑張ったみたいだな…俺たちのためにありがとよ」
「じゃあ早速酒でも飲み行こうぜ。その後はパーっと…」
そこから先はよく覚えてない。俺は足首のベルトにくくり付けていた大口径を抜いて、リーダー格のヤツの肩をを撃った。そいつは血を流して、逆上し俺に向 かってナイフを突き出してきた。そして俺は…ヤツの眉間めがけて…。視界だけでなく、俺の両手も、体も、顔も真っ赤に染まった。
夜盗のリーダーは顔の原型がなくなり、ピクリとも動かなかった。
「生きるために他者を殺すのは仕方のないことさ。現に相手だって俺を殺そうとしてるじゃないか!」
俺の中で何かが吹っ切れた。極限の状態で、いともあっさりと俺の精神は誘惑に負けた。
殺るしかない。俺の右手は、あの時と同じ銃、左手は脇腹に突き刺さったままの槍へと伸びていた。
*
わたしは何も喋らない。うつむいたまま、機械越しに話される主人の声を聞いていた。
「契約では、お前は俺に逆らってはならないことになっている。その見返りとして、衣食住とお前の正体を周りの全員に隠してやっている。わかるか?」
わからない。わたしはそんなことを約束した覚えなんてないし、服はボロボロ、ご飯は日によってあったりなかったり、住んでいるところは窓ひとつしかない牢 獄のような屋根裏……どう考えても対等じゃない。これは契約じゃなくて「支配」だと思う。
「いいか? よく聞け。お前は俺に逆らった…これは許されないことだ」
わたしは何も逆らったりしてないと思う。むしろ約束を破ったのはご主人様の方だ。死ぬような思いをして炎の羽毛を持ってきたのに……。
「本来ならこの時点で、戦士ギルドに密告してやってもいいくらいだが…俺は寛大だ」
寛大ってどういう意味? ずるがしこいって意味だったかしら。
「今回のことは目をつむってやってもいい。面目上、お前は俺の養子ということになっているからな」
………。
「だがいくつか条件がある」
……ひとつは簡単に想像がついた。
「炎の羽毛を俺に引き渡すこと。お前が俺の元で命ある限り働き続けること。そして……」
「面目上、お前をたぶらかそうとしたあの2人を消すこと」
…・!!! わたしの心を何とか抑えていた鎖が、一瞬にして断ち切られた。
「そ…それはどういうことですか!!!? これはわたしのことで、グミさんやシュウ君には関係ない話でしょう!!」
わたしは、主人に組みかかろうとするが、エージェント3人がかりで押さえられる。主人はひどく脂汗をかきながら、
「あの2人は、お前について知りすぎた。要するに邪魔になんだよ! お前は俺の元で永久に金を稼いでいてくれればいい。適当に飯をやって適当に脅していれ ば、金を持ってくるペットだ。その大事なペットをあんなガキ2人ごときに……」
主人はその後も悪口雑言をぶちまけていたが、私の耳には何も届かなかった。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
ただ、本能的にあいつをずたずたに切裂いて、内臓を引きずり出したい。簡単には殺さずに何度も自分のしてきたこと、言ったことを後悔させたい。それだけし か考えられなくなった。
(姉さん…あたい、もう限界だよ。)
何も聞こえない、何も感じない、何も考えられない。単純に殺意だけが体を動かしていた。
(ねぇ…・わたしも、もう限界みたい。どうなってもいい…グミさんたちを馬鹿にしたあいつを絶対に許さない。)
(意見が一致したね。それはまぁいつものことだけど……じゃあ要するに)
(殺せばいいんだね?)(生まれてきたことを後悔させてやる)
続く