目と目があったその瞬間。全身の血液が凍りついたような感覚にとらわれた。今まで斬り伏せて来たゴーレムの群れ。その全てを足し合わせたとしても叶わないほどの旋律。圧倒的なこの存在によって、一挙に崩れるパワーバランス。
やられる。そう思った瞬間に私がとったのは回避行動。空気の流れなどほとんどない地下通路に吹きぬけた旋風。眼前の空間が歪み、黒い塊が剣先を掠める。触れば切れるはずのブレードは強敵の一撃を受けた拍子に私の手の中から、地下通路の壁まで吹き飛ばされていた。
「レフェル……ッ」
壁に深々と突き刺さった体験を摂りに行っている溶融などない。立ち向かうことが無謀としか思えないかくの違いを見せ付けられている。ほんの一瞬でも判断が遅れていれば、武器を弾き飛ばされるどころか、上半身ごと持っていかれていた。
いったん、距離をとる。足場が破壊されるその直前に広報へ跳躍。狭い通路に今までのゴーレムとは比較対象にもならないほどのスピード。至近距離での戦闘では相手の独壇場になるだろう。
「ユアさん、あれは……?」
真後ろから聞こえて来るグミさんの声。状況を説明している暇はない。
「シールドを解いて!」
グミさんの声に、いつもの破棄が感じられなかったのは、多分さっきの攻防の際にあいつの攻撃がシールドを掠めたからに違いない。直撃すれば一撃でシールドを砕かれ、致命傷になりうる。
シールドが消えた直後、黒いゴーレムの一つ目が香料を増し、私に向けて指すような視線が注がれる。気付いたときにはグミさんをかばうようにして地に伏せていた。鳴り響くアラートを掻き消すような強い光と空気の焼ける匂い。考えた通りのものが私の頭上を高速で飛びぬけていった。
「熱線……!?」
通路の遥か先まで照らす太陽のような射撃。ゴーレムの目から飛び出した光線は撃ち出されたとほぼ同時に直線を焼き払い、通路の奥の壁を粉砕した。
「反則だろ。あんなの」
伏せるわたしたちを守るように立ちはだかったのは、間一髪で熱線を避けたシュウさん。幸いにも前方のすら医務は既に片付けた後だったようだ。弾丸をばら撒きながら黒いゴーレムを威嚇する衆参のおかげで、何とか体勢を立て直す時間が出来た。しかし、大口径の拳銃を何発岩肌に食い込ませようとも大したダメージにはなっていない。
「グミ、あの化け物どうする? やばい気配がプンプンするんだが」
「そんなの聞かれたって知らないわよ」
爆弾を放り投げて時間を稼ぐシュウさん。膝をついていたグミさんも何とか立ち上がってゴーレムと向き合ってはいるけれど、万全とは言い難い状態だった。私ですら避けるので精一杯な攻撃をグミさんがかわせるとは思えない。
「戦っても勝ち目はなさそうです。隙を見て逃げましょう」
多分、現状生き延びるための最良の手段を提示する。一撃が致命傷になる上に生半可な攻撃ではダメージを与えられないのであれば、一度退散して対策を考えるのが懸命だと思った。
ただ、いくつか問題があるとすれば、隙らしい隙が見当たらないところと、レフェルさんを置き去りにしなければならないことだ。
「レフェルはどうするんだよ!?」
ボムによって巻き上げられた粉塵を蹴散らすようにして、力任せに振り回される黒い腕を器用に避けながら、シュウさんが叫ぶ。時折撃ち込む弾丸もその大半は弾かれ、ゴーレムの動きを止めることは出来ない。
「それは……」
自分でもわかっていたことだけど、即答なんて出来なかった。選ぶことなど出来ない究極の質問。迷ってる時間なんてないのに、決断することが出来ない。それほどまでに彼はわたしにとって大きな存在だった。
シュウさんを死線に立たせながらもなかなか答えを出すことの出来ない無力なわたしに変わって、自分では動くことの出来ないレフェルさんが全員に聞こえるような大きな声で叫んだ。
「ユア! 我はいいから一度逃げろ。このままだと全滅しかねない!」
「レフェル……さんッ!」
自分のものとは思えないほどの悲痛な叫び。レフェルさんを犠牲にして逃亡すれば、ほんの僅かな間、生き延びることが出来るかもしれない。シュウさんやグミさんを助けることも出来る。でも……。
眼前でシュウさんがゴーレムの腕に銃弾をぶつけることで僅かに攻撃の軌道を逸らし、何とか攻撃を裁き続ける。しかし、続けざまに繰り出される豪腕は疲れることを知らず、次第に劣勢が明らかになる。
時間はあまりない。ごめんなさい。そんな言葉が口からでかかったときに、わたしの肩にそっと手が置かれた。
「あんな生意気な鈍器の言うことなんて無視すればいいのよ。迷うくらいなら選ばなきゃいいの。ねえ、シュウ?」
「答えるまでも、ないぜ!」
グミさんがそういった直後、衆参の狙撃中が黒いゴーレムの目玉を射抜いた。視力を奪われ、ほんの僅かではあるが隙が生まれた。今しかない。そう思った瞬間には身体が動いていた。
「逃げます。レフェルさんと一緒に!」
横っ飛びでレフェルさんの突き刺さった壁に近づき、剣の塚を握る。手を離していたことで免れていた体力の消費が再開される。大したことじゃない。レフェルさんを失うことが比べたら。
壁にかけた足に力を入れ、一気に剣を抜く。答申全体が突き刺さっていたとは思えないほどすんなり抜けるが、不運にもそのときゴーレムの禍々しい瞳が輝いていた。
「ユアっ!」
レフェルさんから聞こえて来る悲痛な叫び。空気からありったけの熱を奪い、わたし目がけて猛烈な熱線が飛来していた。今の大勢では避けることも、受けることも出来ない。
「……ッ!」
目を白く焼く熱線に目を閉じる。レフェルさんの言うとおり逃げていれば、こんなことにはならなかっただろうに。後悔の念が浮かんだ刹那、背後でグミさんの魔法が展開されていた。
「二人の再会に……水差すんじゃない!」
わたしの目と鼻の先でゴーレムの熱線とグミさんのたてが火花を散らしている。そこに颯爽と現れ、光線と放ち続けるゴーレムの目玉に青い弾丸を撃ち込むシュウさんの姿が目に映る。盾を溶かしつくすことに全精力を注いでいたゴーレムの頭が自らの主力に耐え切れず爆発する。
「ユア! 今だっ!」
自分自身の大出力で自爆したゴーレムは元々黒い全身をさらに焦がし、フリーズしている。千載一遇のチャンス。わたしは地面をける力をそのまま剣先に乗せ、一思いに剣を振り抜く。
確かな手ごたえと重さを増し続ける刃の加速。熱線の射出口である頭と怪力の図体を一刀の元、切り離す。頭を失ったゴーレムはシュウさんが与えたダメージの積み重ねが今になって効果を発揮したのか、間接の部分から自壊していった。
「やった……!」
「ユア、油断するのはまだ早いぞ」
喜んだ矢先の警告。黒いゴーレムの出現で隠れていたゴーレムの大群が我先にと押し寄せてきていた。勝利の感動を味わう暇もなく、重なりすぎたブレードをいったん解除し、後退する。
「本当にキリがないな」
爆弾を放り投げて砂煙を起こす衆参。わたしもシュウさんも今の戦いでかなり消耗していた。レフェルさんも取り戻したことだし、これ以上ゴーレムの相手をしていると身が持たない上にまたあの黒いのが現れないとも限らない。
「相手にせずに、先に進みましょう。グミさん、大丈夫ですか?」
先ほど、ゴーレムの光線を真っ向から受けたグミさんに声をかけるも返事はない。慌てて駆け寄ってみると、杖を硬く握り締めたまま気を失っていた。その眠りを妨げるように断続的に響き渡る地鳴り。わたしは元のメイス状に戻したレフェルさんごとグミさんの身体を持ち上げて言った。
「グミさん、ありがとう。今度はわたしがグミさんの盾になるね」
駄目押しのボムを放るシュウさんにも声をかけ、スライムを一掃した通路へと駆け出す。前方、薄明かりで照らされた通路の照らされた通路の先に、ゴーレムの光線で破壊されたらしい門扉が見えてきた。
「明らかに宝のにおいというよりもさっきのゴーレムが強大な敵に出会ってしまうかもしれない不安の方が大きい気がする」
「グミさんが早く目を覚ますと良いんですけど……あっ」
頭上から降ってきた砂埃に気を摂られた直後、階段を踏み外したような感じがした。そして直ぐに訪れる、自分の周りだけ重力が増やしたような感覚。さっきの戦いで足場が脆くなっていた。
「ユア!?」
二人分の体重を支えきれずに、ユアが音を立てて崩れ落ちる。どこかに掴まろうにも両手を塞がっていた。底なし沼に引き込まれるように、岩の裂け目に落下していく身体。シュウさんの姿が急速に遠ざかっていく。
「グミさんっ……!」
落下の衝撃に備え、グミさんを強く抱きかかえる。地の底まで落下するような感覚は思ったよりもずっと早く終わった。途中枝のように張り巡らされた細いケーブルのようなものに何度も引っかかったことで、クッション代わりになり、思ったよりもずっと軽傷で地の底に着く。
「おーい。ユアー怪我はないかー」
遥か頭上から聞こえて来るシュウさんの声。どうやらシュウさんはまだ上にいるらしい。返事をしようと上の階層に向かって声を上げようとしたときに、上の世界とは全く異なる世界が目に入ってきて、思わず言葉を失う。
「ここは……」
さっきまでいた通路とは全く異なる光景が目の前に広がっていた。人工的な光で照らされたそこは、青々とした草が生い茂り、川のせせらぎまで聞こえて来る。巨大な植木鉢のようなものから生えている木。地下とは思えないような開けた空間。箱庭のような世界がそこにあった。
「これは一体全体どうなってるんだ?」
わたしに続けて驚きの声を上げるレフェルさん。まるで別世界に来てしまったような気分だった。返事のないわたしたちを心配してか、スキルを器用に使い、するするとシュウさんが降りてくる。
「何で地下にこんなもんがあるんだよ。外と変わらねえじゃないか」
「ええ。なんなんでしょう」
動物がいないことを覗いて、完璧なまでの自然が広がっている。わたしはグミさんの顔を拭うために持っていた布を川の水に浸し、念のために一口飲んでみる。どこにでもある普通の水だ。少し安心して、グミさんの顔を丁寧に拭き、額に布を置く。ひんやりとした感触が気持ちよかったのか、辛そうにしていたグミさんの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「すっごい綺麗なところだけど、なんか変ね。人間の理想郷みたいで嫌な感じがする」
元魔物らしい感想を漏らしたのはグミさんの手に握られたままのタナトス。確かに物語の中にしか存在しないような綺麗過ぎる世界な気もする。それでも上の危険地帯と比べれば安全で、休むのには最適な場所に思えた。
「なんか拍子抜けするな。健康と安全こそが宝ってか。あ、あんなところにリンゴの木がある」
大の字になって寝転がっていたシュウさんが赤い果実を発見して、飛び起きる。目的を見失ったわけではなかったけど、特にすることもなかったのでわたしもそれに付いて行く事にした。
一足早くリンゴの気に到着したシュウさんは起用に機に上り、もてるだけのリンゴを片手に持って降りてくる。そしてその中の一つをわたしに差し出し、おもむろにリンゴを口に運ぶ。シャリっというみずみずしい音をさせながら、皮ごと頬張った。
「存外に上手いな。何でこんなところにリンゴが生っているのかはわからんが」
ためしにわたしも一口リンゴを齧ってみると、程よい酸味と甘い果汁が口内に染み渡る。普通の、おいしいリンゴだ。
「うーん……」
甘い匂いに誘われてか、グミさんが腕の中でゆっくりと動き出す。わたしがそっと柔らかい草の上にグミさんを寝かせると、深い眠りから覚めたときのように眠そうに目をこすった。
「グミさん、大丈夫ですか?」
うっすらと目を開けて辺りを見回すグミさん。その風景の変わりっぷりに気付いて目をパッチリと開け、身体を起こす。
「あれ、ゴーレムは? 私、死んだの?」
「ご主人様、死んでません」
グミさんは的確に突っ込むタナトスを無視して、何も言わずシュウさんの腕からリンゴを一つ手に取る。
「ん、おいしい。天国じゃないって事は、ここ遺跡の中なんだよね? 変なの」
リンゴを齧りながら言う。二つ目のリンゴに手をつけながら、シュウさんが答えた。
「変ついでにあれ見てみろよ。あのちょっとでかい木の所。なんか家みたいなものがあるぞ」
シュウさんが指差した方向には、確かに四角い家のようなものが見えた。窓はなく、簡素なつくりのドアがあるだけの家と言うよりは倉庫に近い代物だ。
「意外にも宝物庫かも知れないぜ。行ってみよう」
そういうとシュウさんは我先に歩き出す。また罠かも知れないと思ったけど、他に手がかりもないので黙って付いて行く。
少し歩くと倉庫の前にたどり着いた。シュウさんがドアの取っ手を引っ張ると、すんなり開く。四角い家の中には外と同じような照明が設けられており、部屋の隅々までよく見えた。ぱっと見ただけでも宝物らしいものは何もなくて、変わりに青や緑の薬瓶がたくさんと、よくわからない機械のようなものが低く唸りを上げているだけだった。
「宝物庫じゃなかったか。研究所みたいなところだな」
適当に感想を述べ、すぐさま辺りを物色し始めるシュウさん。グミさんが止めようとするも、シュウさんは構わず目に付いたものを手当たり次第に手にしていく。
「シュウさん、これも何かの罠かも……」
シュウさんが床にあった機会に触ろうとしたしたところで、さすがに力尽くで止めようとしたのだけれど、シュウさんが急に立ったので思わずバランスを崩し、前のめりに倒れこんでしまった。思わず手をついたのは機械の上。それもいかにもそれらしいスイッチに手を触れていた。
「あっ」
またアラート音がしてゴーレムの大群が押し寄せてくる光景が思い起こされる。しかし、アラーと恩はいつまで経っても鳴らず、代わりに鳴ったのは機械の四隅から噴き出した蒸気のような音だった。
「ど、どうしよう」
シュルシュルと白い蒸気を噴き出しながら動き出す機械に慌てふためく私。機械を止めようともう一度ボタンを押してみるも、止まるどころか機械はどんどん動き出していた。何度もボタンを押しているうちに完全に蓋が開いて、中にいた何かと目が合った。
「ユア、危険だ。離れろ」
レフェルさんの警告も耳に入らず、動くことも出来ない。黙々と煙る部屋の中、仲間の誰とも違う赤い瞳に魅入られたように目が離せなくなってしまっていた。さっき倒したゴーレムのものとよく似ている。金縛りにあってしまったみたいな感覚で、指一本動かせない。
いつまでも噴き出しているかのように思われた蒸気はいつしか止まり、箱の中にいた何かがゆっくりと動き始め……唐突に口を開いた。
「ん〜……もう、仕事の時間?」
緑色の髪の毛をくしゃくしゃと掻き毟りながら、起き上がる謎の生き物。”彼”はゴーレムの身体に刻まれた紋章のような柄の服を着ていて、その外見はグミさんよりも小さく、幼い子どものようだった。
焦点の定まっていなかった瞳がゆっくりと動き、わたしの存在に気付いて、何かとても恐ろしいものを見たかのようにカタカタと震えだす。そして、うっすらと目の淵に涙をためて、いきなり私に飛び掛ってきた。
「そ、創造主様ぁー!」
急に抱きつかれ、訳がわからなくなっているわたしに少年は嬉しそうに頬をごしごしと摺り寄せる。突然の言葉に絶句しているわたしだったけれど、どうやら彼に敵意はないようだった。
「あなたは誰?」
戸惑い気味のわたしの問いかけに彼は心底誇らしく胸を張り、答えて言った。
「僕に名前はまだありません。しいて言うなら創造主様に作られた汎用人型アーティファクトプロトタイプです。えっへん」
続く