クラウンの言葉が耳に入り、脳がその意味を理解するよりも早く、私は呪文を唱えていた。マジックシールド、私の十八番であり、誰にも負けない盾を構成する呪文。本来一緒に戦う仲間を守るために存在しているそれは、負の感情が赴くままに鋭利な剣の形に構成され、目障りな笑いを見せるクラウンの眉間に突き立てられていた。
 鮮血。クラウンの眉間から滴り落ちた赤が不可視の剣を伝い、そのまがまがしい実態をあらわにする。感情の爆発とともに打ち出したそれは確実にクラウンの頭蓋を貫通して壁に縫いつけていていてもおかしくはなかったはずだが、血に濡れた魔力の塊は宙空に浮いたまま微動だにしない。
「グミ様、血気が盛ん過ぎます。紳士淑女のティーパーティーで暴力沙汰はご法度ですよ……といっても避けきれなかった私にも問題がありますけれど」
 私の剣はクラウンの指二本だけで受け止められていた。さらに魔力を込めようとしても初速を失った剣はクラウンの指の中から一ミリたりとも動くことを許されない。
 私は剣を潔く諦め、魔力の供給を打ち切る。剣に付着していた血が行き場を失い、ボタボタと床に落ちた。
「クラウン、あんた……許さないわ。よくもまぁ、ぬけぬけと。その口が二度と開かないようにしてやるッ!」
 激昂する私を見てもクラウンは涼しい顔で額の傷をハンカチに吸わせていた。クラウンがさっと血を拭きとると傷そのもので初めから存在していなかったかのように消えている。
「グミさん、落ち着いて! 一体何があったんですか?
 一瞬の攻防に何事か分からず目を見開いていたユアさんが止めに入る。ユアさんは私の生い立ちを詳しく知らない。私に代わってレフェルが事情を説明する。
「グミの両親、同じ村で暮らしていた人々はグミを除いて全員虐殺された。そこのクラウンが作り出したあの龍の手によって」
 簡潔に事実だけを抜粋した言葉だったが、ユアはそれでも十分に私の行動の意味を理解したらしく、手のひらを口元に押し当てる。目の前に親の敵がいる。剣を抜くのにそれ以上の理由はいらない。すべてを理解したユアさんもクラウンを睨みつける。仲間の敵は私の敵だというように。
しかし、これだけ憎しみの視線を向けられながらもクラウンは椅子に腰かけたまま動こうとはしなかった。
「皆様、お怒りはごもっともですが、一度席にお戻りください。まだ、お話の途中です。私を殺すのはわたしの話を最後まで聞いてからでも遅くはないでしょう。第一、私を殺してしまっては事の真相もあなた方の無事も保証できなくなってしまいます。違いますか?」
「くっ、クラウン……っ」
 怒りに打ち震えながらも私は杖を下ろし、席につく。悔しいけどクラウンの言うことにも一理あった。今すぐにでも仇討出来るのに、手が出せない。強烈なジレンマが胸を焼き、じりじりと燻り始める。
 私に続けて、ユアさんも席に着く。視線はクラウンに向けたまま。いつでも攻撃できる緊張感をまとったまま、クラウンの言い訳を待つ。
 クラウンは私たちが話を聞く姿勢を見せたのを見ると、こほんと小さく咳払いして、女中に持ち場に戻っているように指示した。大した余裕だと思う反面、それに見合うだけの実力があるというのもさっきのやり取りから理解していた。
「お話しする時間を与えて下さり、感謝します。先ほどはグミ様の気に障るような発言をしてしまったことを深くお詫びいたします。詳しいことは質問され次第、答えられる範囲で答えます。よろしいでしょうか」
 私はその提案を受け入れ、嘘を吐いたら即座に敵とみなすと言い放つ。嘘を吐いたかどうかを見破るすべはないけれど、釘を刺すという意味だとクラウンも撮ったらしく、大きく一度だけ首を縦に振った。
「思えば十年ほど前に私は最強のモンスターを作り出すという目標の元、双頭のドラゴンを作り出すことに成功しました。これは事実であり、掛け合わせたモンスターなどの製作資料も厳重な管理体勢で保管してあります。作り出したのは全部で三頭ですが、他二頭は既に冒険者の手により殺害されておりますし、目の傷や生態認証により、ユア様の手で葬られたあのドラゴンは間違いなく、グミ様の両親の敵でしょう。ですが、直接手を下したのは私ではありません」
「自分が作り出したモンスターでしょ!? なに自分が関係ないみたいに言ってるのよ!」
 座ったままタナトスをクラウンの眼前目がけて振りかぶる。首筋をかすめた杖先。この距離なら確実に当てる自信がある。魔力の高鳴りを杖は敏感に感じ取り、今か今かと待ち焦がれているようだった。
 けれど、そこまでしてもクラウンは身動きをするどころか、眉一つ動かさずに話を続け始めた。
「私が龍を作り出したことは否定しようがありません。ですが、あの龍を使ってグミ様の両親を殺めたかたは別にいると申し上げているのです。あの龍が完成した後、さる高貴な方から、あの龍を貸してほしいとの申し出があったのです」
「それは誰だ?」
 杖を突き付けている私の代わりにレフェルがとう。自分の命が危ぶまれていることに気づいていないのか、クラウンは臆せず首を振り、質問に答えることを拒否した。
「その方の正体を教えることはできません。商人として契約を破ることは信頼を失うことと同義ですから」
「なら、あなたの身体に聞くわ。契約と命のどっちが大事か、わかるよね?」
 それでも、クラウンは首を縦に振らない。そして、その目に込められた意志の固さも本物だった。
「確かに私のことを痛めつけて情報を手に入れると言う手段は理に適っています。ですが、何をしても私はその方のことをあなた方に売ることはありません。同時に私が口を割ったとしても、私はあの方に消されてしまうのですから、それを言うことは100%あり得ないのです。言い逃れするつもりはありませんが、銃の生産者や銃その物が訴えられることの無いように、私はあなたに対して何ら罪が無いと思っています。問題となるのはその使用者。そして、それを知っているのは私一人。私を責めるのはお門違いだということを理解していただきたいのです。グミ様、杖をお下ろし下さい」
「……わかったわ」
 観念したつもりは無くとも、クラウンを痛めつけることに意味はない怒りの炎が消えてしまったわけではなかったけど、全てを燃やしつくしては本当の仇が見つかる手がかりも永久になくなってしまう。
 クラウンが紅茶のポットを取り、私とユアさんのカップに新しく紅茶を注ぐ。落ちつけと言う意味だろうか。そんな気にはならなかった。クラウンは口を割らない。でも情報は欲しい。そうするにはおしゃべりなクラウンが何か口を滑らすのを待つほかないというのだから腹立たしい。
「お分かりいただけたようで助かります。お詫びと言ってはなんですが、耳寄りな情報……言うならばヒントを差し上げましょう。あの方の名を口にするなと言われておりますが、ヒントを出すなとは言われておりませんので。問題がなければ答えも出せないというのは私としても面白くありません」
 口を滑らすどころか、クラウン本人から申し出があるとは思わなかったけど、今はそんな当てになりそうもない手がかりでも喉から手が出るほど欲しかった。
「ヒントと言うよりも予言と言った方が正しいかもしれません。あの方は世界を変えるという野望のために着々と準備を進めています。あなた方はヘネシスに向かいなさい。そこで変革の始まりが起こります。それを食い止めることができれば、あのお方は必ず姿を現すでしょう。時間はあまり残されてはいませんが、あなた方の力をもってすればあるいは……」
「ヘネシス。弓使いの守る城塞都市か」
「御存知でしたか」
 レフェルの言葉に大げさに答えるクラウン。ヘネシスという町のことは何も知らないけれど、私の行く道はどうやらそこしかないような気がする。クラウンは時間が無いとも言っているので、少しでも急いで向かった方がいい。
「クラウン、礼は言わないわ。ワープストーンの行く先はヘネシスにしてちょうだい。レフェルとユアさんは……どうする?」
 一人で行くことになるかもしれない。なにしろこれは私の復讐であって、ユアさんやレフェル、シュウは関係ないのだ。きっと危険なことになる。それでもついていくかどうかはそれぞれの意思だった。
 ユアさんはためらいなく言った。
「どこまでも一緒に行きます。シュウさんもきっと来ます」
「みんな、ありがと。少しだけ、私のわがままに付き合って」
「はい」
 満面の笑顔が私のお願いに対する答えだった。嬉しくて私まで笑顔になる。
 そういえば、シュウは試射しに行ったまま帰ってきてないんだった。でも、心配はないだろう。すぐにでも呼びもどして出発しなきゃ。クラウンにシュウを呼んできてと頼む前に、その当人が出発ムードに水を差した。
「出発される前に、一つ申し忘れて居たことが。ヘネシスは今、厳戒体勢でして、直接市内にお送りすることは出来ないのです。いえ、たとえ出来たとしても、すぐに逮捕、運がよくて拘留。悪ければその場で曲者として処刑されるかも知れません。それと、商談の方がまだまとまっておりません」
 ヘネシスに入れないのは困ったことだけど、商談なんてもうどうでもいいのに。細かいものまで頼んでたら、そのぶん時間を食ってしまう。でもクラウンとしてはこの商談も仕事であり、オーナーとしての義務なのだろう。ヘネシスの近くまで送ってもらえさえすれば、いろいろな方法で潜りこめると思った。たとえば、事件が起こることを伝えるとか。だから、今はすぐにでも商談を進めて、終わらせることが大事だ。
「このカジノで一番高いものは何?」
「はい。当カジノの目玉とも言われる幸運のクリスタルですね。自然に発掘されたということ自体が奇跡で、持つ物に幸運をもたらすとされています」
 クラウンがカタログのページをめくり、ほぼ最後の方のページにそれはあった。ピンクに輝く宝石というか彫刻のようなそれは、確かに神がかって美しい。
「それ、頂くわ。次に高いのは?」
クラウンがページをめくると魔法のように見せたい商品のページが現れる。人気の商品なのか、もしかしたら、クラウンのことだ。すべての商品がどのページにあるのか覚えているのかもしれない。
「はい。古代の財宝が眠るとされる遺跡の地図とそのキーとなる宝石です」
 ページにプリントされたイラストを見る限りただの古ぼけた羊皮紙とくすんだ石ころに見える。注意書きに危険。並の冒険者は近寄らないこととも書かれていた。よくわからないけれど、時間がないことと直感だけで言う。
「それももらうわ。今いくらなの?」
 考えなしに選んできたけど、予算のことを忘れていた。クラウンは計算機も出さずに口頭で暗算していく。
「シュウ様の特注銃が50M。その他、後で注文されたカスタムパーツおよび特殊弾、射撃場の使用代が計10M。ユア様の薬が2Mと特注拘束具が15M。二人の治療費と生存許可書の発行代、脱出用のワープストーンが合わせて5M。グミ様の杖が80M。幸運のクリスタルが100M。宝の地図とキーが50Mの、しめて307Mでございます。残り10Mですがいかがなさいますか?」
 すべてがM単位という現実離れした世界。でも、いくらなんでも宝石一つで100Mは高過ぎる。それだけあれば一生生活には困らないどころか、遊んで暮しても十分に余るはずだ。キャンセルしようと思い、クラウンに取り消しの旨を伝えると、クラウンは両手をあげてぶんぶんと首を振った。
「キャンセルされるなどとんでもない。数多の冒険者が欲しがるそのクリスタルがあれば100Mなどはした金です。実際売りに出せばその10倍ほどでも買い手がつくことでしょう。それに、そのクリスタルは他にもいくつか存在するらしく、すべて集めるとなにかよいことがあるとの噂です。どうか、考え直して下さい」
 そこまで言われると急に踏ん切りがつかなくなってしまうのが、私の悪い癖だった。クラウンはそれを見こしていたのか、執拗にそれを勧め、最後には現品を私に手渡してきた。ピンク色に輝くそれは人の手では決して作り出せないような神秘的な輝きと共に完成されたシンメトリーを併せ持った美の結晶とも呼べる品だった。
 ごくりと生唾を飲み込む。これが100M。間近で見るとその怪しげな魔力に吸い込まれそうだ。どうしよう、すごく欲しくなってきた。けど、100Mと考えるとポンと出せるようなお金じゃない。でも、きっと今手に入れなければ、二度と手に入らないに違いなかった。
「どうしよう」
「グミ、無駄金は人を惑わす。そのクリスタルに救われることもあるかもしれない。その地図と一緒に持って行こう」
 結局はレフェルの一言が決め手となって、交換することになった。ユアさんはお金には興味がないらしく、幸運のクリスタルを眺めたり、ついさっき届いた指輪をはめたり、薬の臭いをかいでみたりしていた。少し遅れて古ぼけた地図が届く。私が勉強した大陸の形とは少し異なっており、大陸の下の辺りに大きな赤いバツ印が付いていた。
 クラウンは残りの10Mを私の通帳に送金したらしく、領収書を私に手渡す。これで、すべてのチップの交換が終わった。クラウンはカタログをぱたんと閉じると、にっこりと営業スマイルを作り、言った。
「お買い上げありがとうございます。今後ともあなた方に神のご加護がありますことを心から祈っております。ワープストーンの行き先はヘネシスの近郊の道中に設定しておきました。またのご利用をお待ちしております」
「次、会ったら殺すから」
 クラウンは笑顔を崩さないまま、「良いツンデレで」と訳の分らないこと言って部屋を後にした。それと入れ替わりでシュウが戻ってくる。
「ヤバイ。ドラグノフがヤバイ。俺とドラグノフでケミストリー起ってる。これなら1キロ先の針の穴でも撃ち抜けるかも知れねえ」
 興奮しきったシュウを私たちは冷ややかに無視し、シュウの分のパワーストーンを黙って手渡す。これからの目的をシュウに伝えるのは正直面倒だったけど、どんな場所だとしてもあいつはきっとついて来てくれると信じて、4つのワープストーンを一か所に集めて念じた。
「いざ、ヘネシスへ!」
*
 ワープストーンを使った瞬間、私たちが移動しているというよりも周りの景色が突然吹き飛んだかのようにめまぐるしく変化し始めていた。ものの数秒もたたず、気がついた時には客間でもエリニアの森の中でもなく、拓けた街道へと移動していた。もちろんあの憎らしいクラウンの姿もない。生か死かというようなギャンブルとはほど遠い平和が凄く身近に感じられた。
「みんなー。ちゃんといる?」
 点呼をするよりも、皆の元気な声が聞こえて来る。ユアさんもレフェルもシュウも無事ワープできたようだ。クラウンも腹が立つけど、仕事に関しては真面目なようだ。ただ、シュウだけは何故か着地を失敗したらしく、何かにつまずいて転んでいた。
「いてて、なんだこの立札は……普通、もっと広い所に送るだろ、常識的に考えて」
 シュウは文句を言いながらも、持て余した怒りを立札にぶつける。立札は蹴られた表紙にぐるぐると回転し、しばらくして止まったときには矢印が道じゃない場所を指していた。
「シュウさん、その立札に何か書いてありますよ」
「ん、そうか。気づかなかった」
 シュウはそれだけ言うと、今度は立札に描かれていたことを読み上げる。
「片方が『ヘネシス』。もう片方がバツマークに『危険! 凶暴なモンスターが多数出没。立ち入るべからず!』だな」
「それ、どっちがヘネシスでどっちが立入禁止区域なの?」
 私の問いかけにシュウは答えず、頭を抱えた。この四人の中に土地勘のある仲間はいないし、地図もない。立札だけが私たちの頼りであり、唯一の道標だった事は言うまでもない。
「うーん、わからんが二分の一でヘネシスだ。何となく俺の勘だとこっちだな」
「このバカっ! 何やってんのよ。事態は一刻を争うかもしれないのよ!
 シュウは何のことだと殴られた頭をさすり、倒れたまま私のことを上目遣いで見る。これ以上ないくらい情けない姿で、ついさっき一瞬でもシュウとずっと一緒にいられたらなんて考えたことを激しく後悔した。
続く
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