誰もがあきらめなければ、いずれ奇跡は起こる。正義は必ず悪に打ち勝ち、平和は戻る。
 ありえない幻想だ。想いの力だけで奇跡を起こせるのであれば、世界は奇跡に満ち溢れている。
 そうなれば、それはもう奇跡とは呼べない。奇跡の価値は薄れ、いつかは奇跡という言葉すら姿を消すだろう。
 けれど、俺は奇跡が姿を消したとしても構わない。
 奇跡とは期待するもの、願うもの、ひいては願望でしかない。俺たちは物理的に不可能なこと、確率的にまず起こりえないことを現実にする。もちろん、一人 でなんか出来っこない。
 だけど、この三人なら超えられる。人々が奇跡と呼び、諦めてしまったものを掴み取ることができる。
 俺は眼前で呻いている龍を見下ろしながら、俺たちのピンチにさっそうと駆けつけた少女を見やる。実際に会わなかったのはわずか数日で、見た目は全くと 言って変わっておらず、成長期だというのにまるで成長は見られない。だが、その中身や潜在能力といったものは驚くほどに成長していた。
 俺のいない間に、何かが彼女を変えたのだろう。それは人かもしれないし、単純に彼女の中での意識の変化なのかもしれない。真相は本人に聞かなければわか らないだろう。しかし、今かけなければならないのは問いではない。
「グミ、途中でへばるんじゃないぞ」
「シュウこそ息上がってるよ」
「一流のアスリートはウォーミングアップを欠かさないんだ。まだ全然疲れてない」
 とは言いつつも、この数分間動き続けた疲労は相当なものだった。身体的なダメージはグミのヒールで消えたものの、筋肉の疲労を消すものではない。空元気 だ。
「二人とも喧嘩してる場合じゃないですよ」
 大振りの刀を振りかざして臨戦態勢のユア。さっきは直接ダメージこそ受けたが、筋肉疲労やタフネスといった体力では俺よりも遥かに優れていた。その細腕 では到底持ち上げることもできなそうな鉄の塊を悠然と構えている様子は優秀な女戦士の彫刻にも勝る。
 かくいうグミはというと、小学校に通ってる方が似合ってそうだ。その拍子に若干気がゆるみ、しかも一瞬にして胸の内を読まれたのかグミに頬をつねられ る。グミがどう解釈したのかはわからないが、正解からはそう遠くない。
「お前たちの無駄口のせいで口頭で作戦を伝えてる時間はなさそうだ。グミ、目的だけを簡潔に」
 冷静に空気を読まず、レフェルが口を開く。双頭の龍が四肢を器用に使い巨体を起こす直前だった。グミは大きく息を吸い込んで、もはや誰もいなくなったス タジアム全体に届くような大声で言った。
「パパとママの敵を討つわ。目的は双頭の龍の殲滅! 骨の一欠片すら残さない!!」
「別に俺たちは直接関係ないんだけどな」
「グミさんの敵は私たち共通の敵でしょ?」
「まぁ、そういうことだ」
 俺の水を差すような一言にグミは口をへの字にするが、絶妙なタイミングでユアがフォローをする。本当のコンビネーションというのは元来こうあるべきだ。 付け焼刃の強さではない、誰にも打ち砕くことのできない本当の強さは人と人を結びつける絆にあるのかもしれない。
「来るぞ。幸運を祈る」
 結局レフェルは運任せなのかと思いながらも、それで構わないと思っていた。神に祈るとかじゃなくてまだよかった。レフェルにとっては運次第で十分に勝機 のある戦いなのだ。それに戦闘が始まってしまえば、レフェルはグミの第二の目、第二の脳になるのだから俺たちの行動までは指示できない。あくまで信頼だけ が頼りだ。
 龍が動く。しかし、どうも最初にあったようなオーラというか気迫というものが希薄になっているような気がした。いや、違う。ついさっきまで俺は逃げるこ とに徹していた。それはチャンスをつかむために必要なことではあったが、一撃必殺の攻撃を回避し続けるということは苦行以外の何物でもなかった。
 けれど、今は攻勢に出ることができる。攻撃は最大の防御であり、ましてこの三人であれば休むことのない連続攻撃をたたみかけることができるだろう。自分 一人で戦わなければならないという不安と確実に勝機のない戦いから解放されたことで、ある種のプレッシャーから解放されたのだ。その違いが今これだけの感 じ方の差として表れている。
 龍の攻撃は単調なもので最初は前回と同じ火炎弾の乱れ打ちだった。攻撃のスピードは衰えていなかったが、一度に発射できる数は限られている。しかも、今 までの守りながらの戦いとは違い、今度は全員が動いて戦えるつわものだ。手薄になった弾幕を掻い潜りながら、致命的な攻撃を加えるのは容易い。
 初めに動いたのはユアだった。俺たち三人の左翼に位置していたユアは、その俊足で大地を蹴るやいなや、瞬時にして敵との距離を縮めていく。自らが囮にな ることで俺とグミへの攻撃を手薄にするのと同時に、「攻撃は最大の防御」をいち早く実践していた。
 ユアの刀身が煌めいたのと同時に重く鋭い切っ先が逆袈裟状に片方の首を刈る。完全に落としたと想った剣戟ではあったが、その直線的な軌道は四つ目による 脅威の動体視力によってかわされていた。
 攻撃は最大の防御、しかしそれをかわされたりいなされたりした場合、敵の間合いで多大な隙をさらすことになる。情け容赦のない龍の殺人カウンターが両爪 より為されていた。目をつむる暇もない剛腕による一撃。しかし、その動作は不自然な痙攣を伴って中断される。
「そこは死の間合い。でもそれはわたしの間合いでもあります」
 歌うように紡がれるユアの声に対して、剣は無慈悲に振り下ろされる。あまりに高速で出来事が進展したために目では捉える事が出来なかったが、結果から見 てユアはこの一瞬に三つのことを同時にやっていたと推測できる。
 まず、最初の一撃であるが完全にかわされたというのがまず目の錯覚だったようだ。ユアの剣はその剣速により龍が切られたと認識できない速さで喉笛を引き 裂いていた。それに気付かなかった龍は避け切ったと過信し攻撃に移った訳だが、ユアが先手を打っていた。
 龍にしてみればかすり傷に過ぎないであろう頸への斬撃ではあったが、ユアにとっては斬ることでのダメージは二の次であった。その本当の目的は出血させる こと。そして、傷口からの結晶攻撃を加えることであった。
 ユアのスキル、「クリスタル」は瞬時に龍の血液を結晶化させ、首を走る太い血管とその周りにある神経を切り裂いた。いくら堅固な鱗をまとう龍といえども 内部からの攻撃には弱い。予期せぬ攻撃を受けた龍はダメージよりも、ほんの僅かに意識が逸らされたことによる隙が生じたのが致命的だった。ユアの本当の狙 い、つまりは首の付け根へのグランバースト「断首処刑」は動きを止めた首へと容赦なく食らいつく。
 龍の二つの口から絶叫がほとばしった。しかし、それはユアの攻撃が完全には成功しなかったことを意味する。龍の首は完全には斬り落とされていなかったの だ。ユアは咄嗟に攻撃を中断し、即座に刺さったままの刀を放棄し、一時戦線を離脱する。グランバーストは鱗ごと首を半分まで切り裂いたのだが、強固な脛骨 を両断するまでには至らなかった。
 回避行動をとったユアの残像ごと、一本ごとが鋭い槍のような攻撃力を持つ龍の爪が貫いてくる。それを受け止めたのは前方の強度だけを特化させたグミの盾 だった。不可視なので完全な形状までは把握できないが、ユアの全身をすっぽり覆う程度の盾型だろうと予測できる。
「シュウ、たたみかけて!」
 グミに言われなくてもわかってる。しかし、俺は攻撃しようかどうか迷っていた。別に三対一じゃ卑怯だとかそういう意味ではない。単純にここから遠距離攻 撃に徹したところで俺の火力は知れている。ユアがあれだけ接近して攻撃したにもかかわらず、首一本落とすことができないというのであれば、俺が無意味に銃 弾をばらまくよりも、ユアを攻撃の軸とし、俺は全力でフォローに回った方が効率的だと思ったからだ。
 そうなれば、俺の行動は一つだ。龍の攻撃を誘い、その隙にユアの刀を取り戻す。遠距離から刀に対して銃弾を叩きこむのも攻撃という意味では有効だろう。 ついでに衝撃で刀が抜ければ一石二鳥だ。
 俺は使用した空薬莢を捨てて、ソウルブレッドを込める。実戦でのソウルブレッドはあらゆる面から効率がいい。弾数を気にすることなく、自分の精神力があ るだけ銃弾を作り出せるのはもちろんのこと、薬莢は自動で消滅するためにそれを捨てる隙がない。弾丸の威力は俺に依存するという弱点こそあるが、それは俺 次第でいくらでも強くすることができるともとれる。
 化け物用に使い続けている大口径のリボルバータイプ。本能的に今込めようとしていた弾は人間に対して使っていいような弾ではない。命中させたモノをただ 壊すためだけに作られたそれは、足止めや威嚇、脅しに使うものではなかった。純粋な破壊力、命中した個所を激しく打ち叩き、砕くためのシロモノだ。
 並みの刀なら刀身で受けるようなことをしたら、鋼の断末魔が響き、二度と使いものにならなくなるだろう。だから、この弾は使わない。精神力を調整し、弾 丸の形状を変化させる。先端の丸い、貫通用の弾頭に調整、サイズも縮小し、自分の持っている一番威力の低い銃に合わせる。袖に仕込んである、護身用のオー トマタイプだ。これなら火力としては龍の鱗一枚すら破ることはできないだろうが、刀をトンカチで叩く程度の威力を再現できるはずだ。
 俺は迫る火球を余裕を持ってかわし、龍の首元で鈍く光る大刀をポイント、躊躇う間もなく連続して射撃する。崩れた態勢で全弾命中とまではいかないが、七 割方は刀身を叩いた。龍は更に絶叫し、首元を掻くようにして刀を無理やり抜き払った。と、同時にどす黒い血が吹き出し、血で染まった首から体にかけて赤黒 く染まる。何度も集中して攻撃を加えられた左首は最早グラグラで火炎弾を吐けば、その瞬間自分の首が吹き飛んでしまいそうなほどだった。
 あれほど歯が立たなかった双頭の龍がこれほどまでに容易く、首の一つを失おうとしているだなんて。あまりにも上手くいきすぎていた。そして、何よりあれ だけのダメージを受けながら悠然と立っている双頭の龍が不気味だった。
 額から冷汗が伝う。攻めているのはこちらなのに、向こうの戦略に乗せられているような違和感。奴が何を考えているのかわからない。不安だけが加速してい き、その捌け口は根拠のない自信の実現、つまりは連続攻撃となる。
「うおお、彗星! 彗星!彗星!……」
 奴の首の付け根を狙って反対側から彗星を連続して打ち出す。貫くための銃撃ではなく、削り切るための射撃。避ける気がないかのように、龍は銃撃を受け る。鱗が剥ぎ取られ、少しずつ少しずつ皮膚を削っていた。
 一方ユア、グミともに奇妙な焦りに憑かれたように攻撃を繰り出していた。いつしか、龍の攻撃が止まっていることにも気付かずに、ただただ攻撃を繰り返 す。何か見えないものに支配されたような感覚。ユアの刀が左脛骨を割り、遠距離から放たれたグミの打撃が左の後頭部を強打する。
 成功し続ける攻撃に酔っていたのかもしれない。敵の左首は木こりの斧で何度も叩きつけられた後のようになっていた。前方と後方からの同時攻撃によりひび の入った骨だけで支えられた左首は、その重量に耐えきれず、ついに前方へと倒れる。ついさっきまでのわざとらしいまでの絶叫はない。ただ、ミシミシと骨の 軋む音だけがこだまし、それ相応の重量が落下する音だけが聞こえた。
「やった……のか?」
 奇妙な静寂の中、俺の口から出たのはあからさまな懐疑。急激におかしなことが起こりすぎている気がした。手ごたえがなさすぎる。これじゃあ、まるで自ら 望んで倒され……。
「なっ」
 地面に落ちて動かなくなった左頭部が何者かによって、滅茶苦茶に踏みつぶされた。そう、他でもない龍の足によって。龍の足爪の隙間から潰れた眼球と脳ら しき物体がグチャグチャに混じり合ってこぼれてくる。こんなことをして一体何の意味があるんだと思ったが、その答えは言葉ではなく、超絶的な威力の裏拳に よって知らされることとなった。
 完全な不意打ち、受け身すらも取ることが許されなかった俺は為す術もなく、体をくの字に折る。アバラが数本イカれた。踏み込み、予備動作。そのすべてが 全く視界に映らなかった。激しく揺さぶられた脳はカクテルのようにシェイクされていた。その時に思い浮かんだのは片方の頭を失った双頭の龍は何と呼べばい いのだろうというどうでもいいことだった。二つの頭がないのであれば双頭と呼ぶにはふさわしくないよな。単頭の龍……は普通のドラゴンだ。それじゃあ、あ れは一体何なんだ。
 柔らかい感触が背中に当たり、スピードが落ちる。俺は空中でエアバックのようなものに受け止められたらしい。おそらく、グミのシールドの応用でクッショ ンを作ったのだろうが、それすらもわからないほどダメージが酷かった。骨がバキバキに折れ、内臓に突き刺さっていた。これはヒールで治るんだろうかなどと 考えるが、激痛と失血であっという間に意識が遠のいていく。
「シュウ!」
 何秒か遅れてグミたちの声が聞こえてくる。衝撃で感覚が壊れたのかもしれない。遠隔ヒールが飛んできて、少しではあるが傷が癒されていく。しかし、瞬時 に癒すことができるような桁のダメージではなかった。生きてるのが不思議なくらいだった。
 喋ろうとして、胃から何かがこみ上げてくる。胃酸だか血反吐やらがこみ上げてきた。しかし、伝えねばならない。
「逃げ……ろ、お前じゃ敵わない」
 滅茶苦茶に体が壊されてわかった一つの事実。やつは、体のリミッターを自ら壊したんだ。おそらく自分の制御、知能を有していた左頭部。推測するに人間で いう左脳を自ら壊した。そして本能に身を委ね、本当の化け物になった。
 ヒールで傷が治るにつれ痛覚を緩和していたアドレナリンが消えていく。神経を侵すような、無数の剣で刺されるような極限の痛み。今の奴は痛みも感じず、 制限もない。ただ滅びゆくだけの龍。
「それで滅亡の龍、か……伝説になるだけはあるぜ……」
 痛み無視して立ち上がる。回復のスピードが衰弱に間に合わないのは目に見えていた。どうせ俺の身も滅ぶのなら、せめてあの二人の命だけは助けてみせる。 血で染まった唾を吐き、中指を立てて龍を挑発した。
続く
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