目の前に迫りくる火の熱さは全く感じなかった。代わりに胸の内が爆発するような熱を感 じた。
 新たに生み出された太陽は無限大にサイズを増していく。それは遠くにあればそれほど大きく感じない山に近付いて、初めてその大きさを実感するのに似てい る。今回の場合は向こうから近付いてきてくれているというそれだけのことだ。
 一度呼吸をするたびに目の前の火球は火と呼ぶのがおこがましいかのような、恐怖をたぎらせて近づいてきている。その火勢はフェアリーさんを喰らい、更に 増したようだった。
「………ッア!!」
 何と言ったのか、自分でもよくわからないまま叫び出していた。感情のたがはとっくに外れていた。ついさっきまでで十分痛めつけた腕でレフェルを取り、引 きちぎらんばかりに握りしめる。闘技場の中、みんなが命がけで作ってくれたチャンスを見逃すわけにはいかなかった。
 背後で燻っていた熱気はいつの間にか姿を消していた。ついさっきまで野次を飛ばしていた観客は、安全だと思い込んでいた観客席に放たれた特大の恐怖に当 てられ、幾人かの命知らずを残して逃亡していた。安全なはずのここで死ぬなんて馬鹿げていると言わんばかりの素早さだった。
 かくして観客席の最全席、しかも火球の迫る真ん前の席にいる人間は私一人になった。もしかしたら、あの超ド級が結界を粉砕する可能性を考えれば当然の結 果だったのだろう。ここまでのすべての勝負を観戦していた勝負師ももしかしたらいたかもしれない。だが、私がその勝負師だとしたら、すでにコロシアムない から逃亡してることもありうると思った。双頭の龍、あの憎き魔物はそれだけの規格外なのだ。
 もう既に悲しんでいる暇はなかった。恐怖を憤怒で相殺し、トラウマを復讐の糧に変える。自分はどういう顔をしているのか見てみたくなった。多分、とても 人前には出せない凶悪な表情、例えるなら狂犬、もしくは凶獣の顔だったに違いない。既に太陽は視界全体を埋め尽くし、爆発的な力のぶつかるところを探して いるところだった。
 実際には何の熱さも感じないはずの方がじりじりと焙られたように火照る。本能的に壊れると思った。何が壊れるのかはわからないが、ただ強く曲げられない 意志のようなものを感じていた。目の前の暴虐そのものを具現化した存在が望むことなのかもしれない。ただ何かを壊し、自らも壊れることをだ。フェアリーな んかでは喰い足りない、もっと大きなものを。
 完全に自分の想像だった。目の前で何もかも焼きつくそうとしているだけの炎が考えていることなどわかるはずもない。ただ、私の勝手な想像が忌まわしい過 去とリンクした。傍目から見ると狂人になったかのように叫び出していた。
「死ぬなら……ひとりで死になさいよッ!! 誰も巻き込まずにッ!!」
 何も考えずに、ただ怒りだけで振り上げたレフェルをまっすぐ炎弾を打ち返すかのように振り下ろした。一枚のうすい膜に強力な魔法をかけた結界が、挟み込 むようにして炎弾と鉄球を受けた。その直撃はほんの数ミリの誤差もなく、中心と中心がかち合う。
 火花が散った。今までいくら殴りつけてもびくともしなかった結界が揺らぎ、波のように動くのがはっきり目に見えた。おそらくほぼ100%が双頭の龍の力 だったに違いない。しかし、最後のひと押し。空前絶後の破壊力で押し広げられた結界に対して、その反対側から攻撃するという、本来魔物の攻撃を避けるため の壁としては魔法をかけた本人からしても想定外で、論外の行動だったはずだ。
 結界は動きの鈍いアメーバが猛火に炙られたかのようにざわめき、透明なはずの全体が脈動してる。もしかしたら、この結界は壁と呼ぶよりも生物なのかもし れないと思うほどに不気味に動いていた。 しかし、壁は砕けなかった。ものすごい衝突音もなく、壁全体を水に浮かんだ波紋のようなものが這っているだけ だ。炎弾は猛烈な勢いで壁に喰らいついているが、それも魔力の壁という未知の標的に当てられ、これからの行動に戸惑っている。コンクリートや地面、人体を 破壊するのとは違う。破壊することが出来ないのであれば、自分自身も壊れることが出来ない。
 手ごたえはあった、だが弾かれた。惜しいところまで来ているという実感はあるし、目の前の魔法壁の持つ消滅の力に抗って炎弾がいまだ存在していること、 波紋を生みつづけ苦しんでいる障壁から見ても明らかだ。
 だとすれば原因は何だ。煮えた頭で考えるにも頭が回らない。答えがわからなくて、ただただ意味もなく壁にレフェルを押し当てる。タイミングはあってたは ずだ。なら、なにが。なにが。
「グミ! お前ひとりの力じゃ無理だ!」
 レフェルの顔に当たる部分は壁に押し当てられていて見えないが、この競技場には私しかいない。消去法でレフェルの声だとわかった。レフェルはなおも続け る。
「我を、我の力を使え!! 我がお前の頭脳となり、我がお前の武器となる!」
 我を忘れていた。下らない冗談ではなく、私自信が理性を失っていた。故郷を、友人を、両親を焼いた炎を見て何も考えられなくなっていたみたいだ。少し頭 が冷えた。オーバーヒートしてた頭がゆっくりと回転を取り戻し、私の頭の中にいくつかの選択肢を浮かべる。レフェルの力を借りる。スマッシュ、スパイク、 スパイラル、そして私自身の術ブースト、シールド、それにまだ未知数の術もある。レフェルが教えてないってだけで、他にもまだあるかもしれない。
 ついえたはずの希望が命を取り戻した。可能性はある、しかし時間は残り少なかった。炎弾が燃え尽きればおそらく結界は自己修復を始める。そうなれば、私 の攻撃なんてそれこそ焼け石に水だ。早く早く攻めなきゃ行けない。
 私のあせりを知ってるかのように、レフェルが私のとるべき行動を指示する。それは冷静にかつ大胆に。私の持てる力や能力、魔法をすべて考慮した上での最 善の策をフルスピードで伝えていく。
「ブーストは必要ない。スマッシュだ!」
 以前はよほどの窮地でしか使用しない、戦いにおける切り札として考えていた諸刃の剣をためらいなく振るう。今は窮地じゃなく、必殺の一撃を決められる好 機! 振り下ろす瞬間までに急激に質量と体積を増したそれは炎弾のサイズをはるかに凌駕し、自重にと元の勢いからさらに加速され、波打ち苦しんでいる壁へ と容赦のない一撃を加える。
 金属を殴っているようだったさっきまでの打撃とは違う、意志を持った何かを殴るような感覚があった。硬いけど弾力があるような感触が腕に残る。しかし、 それ でも壁は壊れない。軋むような揺れを感じたが、それはむしろ自分の腕にかかった負荷によるものだった。みしっという嫌な音がぞわっと背骨まで伝わり、震え を奥歯を噛みしめることで無理やり止める。ほんの少しでも油断すれば腕を脱臼するような衝撃だった。
「前方集中、形態変化『コーン』」
「!?」
 振り下ろす瞬間に鉄球に引かれほんの少し浮き上がった体はすでに着地しており、大きくなった鉄球は結界にくっつくようにして張り付いていた。その不思議 な光景の中、聞いたことのない単語が流暢に紡がれ、あっという間にレフェルの膨れ上がった本体が形を変え始める。そこに現れた光景は、芸術的で一般人には 到底理解できないオブジェのようなものだった。透明な壁から円錐状の何かが生えているような、しかも結界は透明なのであるから完成された黒い円錐が浮いて いるようにしか見えない。
 狂ったアートだと思った。しかし、レフェルがそれを作ったということに意味がないとは思えなかった。直後鎖が渦を巻くようにレフェルの柄に模られた口か ら這い出して来る。ジャラジャラと生物じみた動きで伸びた鎖は、円錐の後ろにある平らな部分から一本だけ申し訳程度に生えていた鉄球とのつなぎ目から絡み ついていく。それは無秩序なようで正確な手順で鎖に鎖が編みこまれていく。最初は心もとなかった一本の鎖は、太く強度を増して何物も逃すことのないほどの 強靭な鎖となった。
「なんなの、これ?」
 一見してそれはなんだかわからなかった。オブジェに太く長い尻尾が出来た。悪趣味な蛇のような形だった。鎖はなおも動き回っており、耳障りな音を立てな がらレフェルの柄に計算されつくされた奇妙さで絡みつき、ついにはつかんでいた私の手ごとがっちり固定していた。形的には私の手から鎖が生えたような形に なっている。
「これは【槍】だ。しかし、並の人間には持ち上げることすらできない。柄の部分が鎖で出来ているために安定していない」
 当たり前のことを淡々と述べるレフェル。蛇のような外見に自分よりも大きなその筺体。本体の鉄球は巨大化し、それだけで私は振り下ろすことはできても持 ち上げることはできない。そもそも槍っていうのはこんな風にできていないじゃないと思っていたが、それを口にする前にレフェルが口を開いた。
「コーンの密度を先端に集中させた。今の状態なら壁を貫けるだろう。だが、これで完成ではない。最後の仕上げはお前しかできない」
 お前にしかできない。そんな風に言われても自分はこれを持ち上げることすらできないではないか。それをいったいどうしろというんだろう。
「こんなの、どうすればいいかわかんないよ!」
 思いのまま口にすると円錐の方から唸るような声が聞こえてきた。あの形態を維持するのにはかなりの体力を必要とするのかもしれない。心なしか手元の柄に あるレフェルの表情も曇っていた。にもかかわらず、いつもの調子でゆっくりと今一番必要な指示を送ってくれた。
「目の前の障壁を見てみろ。お前はこれと同じ盾を作り出すことができる。この盾はスマッシュの一撃にもびくともしない。ならば……グミ。お前が、お前の得 意とする盾でこの最強の槍を覆えば良い。バラバラな穂先と柄を盾で固定するんだ!」
 固定する。最初に頭に浮かんだのは接着剤のたぐいだった。しかし、レフェルが説明したのは、目に見えない盾で周りを包み込むようにレフェル自身をコー ティングしろということだった。もとはぐにゃぐにゃなそれを硬質な筒状のものでしっかりくるめば、それは真っすぐになる。筒の先端を穂先に合わせて調節、 すっぽ抜けないように支える形状の盾を作る。
 そう、とどのつまりレフェルが言ったのは自分を使って槍を作り出せということだった。自分の作り出した魔力の盾を自分の思い通りの形に変える。それ自体 やったことがないし、出来るかもわからない。しかし、問題はそれだけじゃなかった。レフェルの答えだけでは根本的な解決になっていなかった。
「レフェル、その槍を作り出せたとしても、私の力じゃ持ち上げられないよ」
 そう、仮に槍状の何かが出来たとしても、これだけの質量を持ち上げて突撃することなど出来るはずがなかった。文字通り不可能だ。
 しかし、レフェルの声に迷いはなかった。それどころかそれは私のことを信頼し、必ず出来ると信じてのものだった。
「お前の腕力では無理なことくらい初めから知っている。ユアにだって無理なくらいだ。だが、グミ。お前の本質は何だ。腕力ではないだろう? お前は作り出した槍を腕力で突くわけではない。魔力で固定化した盾を動かすことは出来るだろう?」
「盾を……動かす」
 混乱しそうになる。しかし、今までほとんど数え切れないほどの強力な攻撃を盾で受けてきたことを思い出す。盾の強度、それはまさしく魔力のたまものだ。 ならば、その強力な魔力で支えた盾を動かす力もまた強力なものではないのだろうか。幼かった頃の修行で、師匠だったシゲじいのエネルギーボルトを跳ね返し たことを思い出す。力で持つことはできない、だが魔力でなら持てる……そんな気がした。
「やってみる……」
 自信はなかった。ただ、試してみるしかなかった。目の前で燻り続けている炎弾も既に半分を切り、残された時間が長くないことも知る。
 集中だ。集中するしかなかった。今まで相手との壁を作るようにしか使ってこなかったマジックシールド。両手やレフェルを前に突き出し盾を念じる。円形の 壁が私の周りを覆う。そのイメージを固定するためにレフェルへと送っていく。締め付けることなく完全に密着するように、鎖の隙間やほんの少しの凹みや傷、 そのすべてをカバーするようにコーティングしていく。
 本体の鉄球につながった部分が、急に電気でも流れたかのように立ち上がり、徐々に穂先の背面である平な部分に垂直になる。そして、そこから電気が伝わる かのように滑らかになっていた鎖が真っ直ぐに伸びていく。半ばまで覆ったところで一度深呼吸した。そのわずかな振動が穂先まで伝わってしまっていた。
「あっ」
 気づいた時にはものすごいスピードで穂先状になった鉄が落ちる。引っかかるようにして危ないバランスを支えていた壁から離れ、バランスが崩れたのだ。囲 んでいた盾ごと巨大化した鉄が落ちる。咄嗟に魔力を送り込んでいた両手に力がこもる。
「えっ!?」
 自分では絶対に持ち上げることなど出来ないと思っていた槍が自分の手の内に収まり、わずかに浮いていた。無意識のままそれを支えることに成功していた。 私は大きく息をのみ、全身の魔力を槍を覆う盾に送り込んでいく。作業はあっという間に完了した。私の手には身の丈より大きい槍が握られ、持主の意志のまま に動かせる。一度固定化した盾を魔力のコントロール、つまり自分の意思で移動させることは自分の手足のように簡単に出来た。
「さすがはグミだ。盾の新しい可能性を見出した。あとは言わなくてもわかるな」
「任せて」
 私は槍の先を今にも燃えつきそうな炎弾の中心に向ける。初めは突撃することばかりを考えていたが、レフェルの目論見とは違った。レフェルの言いたかった ことはきっとこうだ。「これはランスではない、ジャベリンだ」と。レフェルが望んでいたのはここまで応用の効く盾をここで終えることなく、最大限最後まで 利用しつくすこと。レフェルのいう盾の新しい可能性のことだった。
 ただ、気に入らないのはレフェルのネーミングセンスだった。ジャベリンだなんていかにも威力がなさそうだ。ここはわたしが新しい名前を考えてやらなきゃ いけない。
 考えながら槍を崩さないように盾の形を少しずつ変えていく槍から私の腕、下半身をすべて覆うように固定していく。見えない分、なにをどうしているのかよ くわからないかもしれない。色でもつけたいくらいだったけど、そこまで時間的余裕があるわけでもなかった。
 かくして完成したのは、見事な砲台だった。しかし、火薬は必要ない。どちらかというとこれは砲台というよりもカタパルトに近いものだった。槍先を覆う魔 力の盾の前後にはじき出す力と固定化する力を同等にかける。そして、固定化を一瞬にして解く。すると鉄でできたレフェルの本体は爆発的な威力で飛んでいく ことになる。いわばデコピンの原理だった。
「レフェル、行くよ」
「いつでも来い」
 完全に息の合った応答だった。レフェルが何と言おうとこれは投げ槍なんてしょぼいものじゃない。これは目の前の砦を打ち砕くための砲だ!
「レフェルキャノン!!」
 固定化した先端の魔法を解く。リフレクターの要領で鉄の槍が炎弾めがけて飛んでいく。打ち砕け。壁ごと、怒りごと。
 反動をなんとかシールドをクッションにすることで耐える。目にもとまらぬ速さで打ち出されたレフェルの本体がガシャンと大きな音をたてて壁にぶち当た る。ほとんど燃えカスになっていた炎弾の中心へと正確に食い込む。容易に盾を砕いて飛んでってしまうかと思ったレフェルの本体だったけど、そんなことはな く、鎖のせいもあって壁にちょうど食い込む形で止まっていた。
「れふぇ……る?」
 返事はない。その代り、ピシピシと氷のはじけるような音がした。透明な結界に目に見える白い亀裂が無数に出来上がった。その亀裂を舐めつくすように炎が 侵食し、ついには結界の中にまで侵入してきた。炎は燃え尽き、結界には穴が空いた。そう思ったのもつかの間、ガラスの悲鳴のような音と共に結界の媒介にさ れてたらしいガラス片が舞い落ちてくる。
「やったな。休んでる暇はないぞ。ユアを助けにいく」
「シュウもね」
 見事結界を粉砕したのを祝う間もなく、レフェルが最も優先すべきことを口にする。固定化もスマッシュも形態変化も解けたレフェルは床に転がっていたが、 つながってた鎖を引っ張ってこちらに手繰り寄せる。情けない格好で引っ張られたのが嫌だったのか黙っていたが、そのまま鉄球にキスをした。
「な、なにを」
 鉄球のくせに、メイスのくせに生意気に照れてる。ほんのお詫びのつもりだけど、喉の奥まで出かかってたありがとうを飲み込み、代わりに一言お願いした。
「ここ、高いから下まで降りるの大変なの。翼になって」
 気のせいか少し赤くなってるレフェルは、少し考えるようにしていたけど沈黙が耐えきれなくなったのか結局口を開く。
「……形態変化を教えたのは失敗だったな。本体は一つしかないから片翼しかつくれんぞ?」
「いいわ。もう一つは鎖で作るから」
 レフェルがやれやれとばかりに体を薄っぺらな翼に変える。黒い翼は鳥というよりも蝙蝠に似ていて、どちらかというとレフェルの柄のような悪魔じみたもの だった。私はそれに対抗して鎖を魔力できれいに編んで、天使のような翼を作り、両翼を肩から全身に固定する。そしてこんな便利な使い方があるならもう少し 早く知っていればよかったのになと心底思った。
 固定化した翼を少し羽ばたかせてみると、風が起きた。鎖で作った方の出来も上々のようだ。
「言っておくが天使のように羽ばたけるなんて思うな。悪魔のように滑空するんだ」
「うるさい。ユアさんにさっきのこと言うよ」
 私の気分に水を差してきたレフェルを軽く窘めてやる。それ以降形態変化は我が疲れるから使うなとかなんとか言ってきたが全部無視して、闘技場へと飛び出 した。
続く
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