爆発音は二回。最初は爆竹ほどの小さな爆発、二回目は鼓膜をしたたか打つような大爆発
だ。爆発の衝撃はびりびりと大気を震わせ、両腕に抱いたふぇありーは気を失いながらもその衝撃に身を震わせた。
アサシンは派手な演出や音を嫌う。背後で汚れ役を一挙に引き受けたサベージとアサシンの一騎討ちの中、そんな攻撃をするとしたらサベージでしかありえな
い。
だから、俺たちは振り返らなかった。さっきの爆発で勝負はついたと確信していたわけじゃない。俺たちはただサベージを信じていた。あの人を食ったような
笑い方をするサベージが、裏切り者の暗殺者ごときにやられるような人間じゃないと信じていたんだ。
実際の勝敗は後ろの方で逃げ回っていた非戦闘員にしかわからない。その非戦闘員も凶弾に倒れてごく少ない数になっていた。暗殺者に狙われ、命を落とした
ものもさっき見た一人ではなくなっているかもしれない。しかも、サベージの無事を聞くにしても、生き残った非戦闘員は極度の興奮状態でまともなことは言え
ないだろう。
別に振り返ればいいだけのことだ。俺は今ふぇありーを抱え、前線ほど戦っちゃいない。いわば回避と激励、戦況の把握だけという……いうならば気休め要員
なのだから簡単だ。ちょっと振り返って、いい加減硝煙の晴れただろう後ろを振り返り、サベージの名を大声で呼べばいい。やつが無事なら、またくだらない下
ネタでも交えて返してくることだろう。
だが、俺はそれをしなかった。いや、出来なかったと言った方が正しい。さっきの爆発音が俺にとってはあいつの遺言のように聞こえたからだ。最初の小爆発
はくだらないジョーク、二発目の大爆発はサベージなりの道を示すように、それでいて俺たちに警告しているような言葉だった。
「俺はここでおしめえだが、脱出の夢はお前らに託した。次に来る化け物に注意しろ」
ほとんど想像だが、遠いことは言ってないと思う。文字通りの遺言……だが、泣き言は一切言わない負傷兵。俺がやつの信用を試し、振り返ってしまったら、
やつの覚悟や託したものは一瞬で消えてなくなってしまうだろう。
振り返るわけにはいかない。今も目の前で繰り広げられている戦いに目を背けるわけにもいかない。この両腕に伝わってくる温かさを守り、かけがえのない仲
間を取り戻すために。
*
戦いの最前線。わたしとコウさんが対峙しているレイスというモンスターは、戦士にとって非常に厄介な敵だった。あんな怪力を持っているモンスターは総じ
て非常に巨大な体躯、もしくは極度に洗練された筋肉を持つのが特徴で、力同士のぶつかり合いを得意とする戦士が担当するのが基本なのに、レイスにはそのど
れもが該当しないのだ。
たった今振り下ろした刃をシーツにからめとられそうになり、とっさの判断で剣を引く。あと数瞬遅ければ根元からぽっきり持っていかれていたかもしれな
い。
何度か切ってわかったことだけど、やつが被っている白い布は敵の本体ではない。切り裂いても本体にダメージはないようだし、何よりものすごく滑らかな材
質で鋭い刃ですらもやわらかく受け止めてしまう。だがしかし、レイスの思うままに動くシーツは隙さえあればわたしの首を絞めようとしているし、レイスの剛
腕で振りかざされれば、その切っ先はナイフと化し、側面は棍棒も引けを取らないような武器となる。
いくら切っても死なない夜行を思い出す。思えば彼らもそうだった。この世の理を完全に無視した移動、理解の範疇を超えた攻撃。目の前にいるそれも、夜行
と同じような白っぽい装束に身を包み、虚ろな目を光らせている。
もしかして、このモンスターはアンデッドなのではないだろうか。まだ、わたしの攻撃はクリーンヒットしていないけれど、もしそうだとしたら当たったとこ
ろですぐに回復されてしまうだろう。あの時はグミさんがいてくれたからこそ何とかなった。アンデッドのもっとも苦手とする聖なる力を持っていたから。
でも今はいない。アンノーンが出現し、計画が第二段階に入るまではどうあっても届かない所にいる。きっとグミさんのヒールでも結界を通してコロシアム内
の敵を殲滅させることはまず出来ないはずだ。
コウさんの鋭い突きがからみつくシーツをかわし、レイスの眉間に突き刺さる。完全な急所、普通のモンスターであれば即消滅、強い魔物でもあれだけ深く入
れられれば脳の中の太い血管が何本も切り裂かれ、まともに戦うことはできないどころか、あがいた揚句にそのまま死んでしまうことの方が多い。
慎重に、けれども躊躇なくその手首をひねり、内を滅茶苦茶にしながら細身の剣を抜く。主要部を破壊し尽くされたレイスはそのままコロシアムの土となるだ
ろう。人並以上の戦士なら、まずそう思うに違いない。まだまだ未熟だと思う私でさえそう思えるほどの完璧な攻撃だった。
わたしも受け流しづらい槍ならもう少しまともに戦えたのに。目の前の敵の不死身っぷりに手を焼きながらも、今の武器が刀であることを少し後悔した。しか
し、今はこれしかないのだからわがままは言ってられない。仲間の迷惑にならないように少しでも早く片を付けること、それがわたしの使命だ。
「なん……だと!? うわっ!」
予期せぬコウさんの悲鳴に眼前のレイスとの攻防から一時後退し、声の方を見る。見ると、確実に仕留めたはずのレイスがピンピンとしていた。そして、よく
見るとコウさんの剣にはレイスの体液らしきものは全く付いていない。そんな、絶対攻撃は決まっていたはずなのに。驚いてレイスの額を見る。狭いはずのそこ
にはもっとおぞましく、信じがたい光景が広がっていた。
それはチーズに空いた穴のように、額に剣でえぐった円状の傷がぽっかりと開いていて、後ろ側のシーツが透けていた。無感動な黄色い瞳の中心に白い新しい
目が出来たかのような、グロテスクさに言葉を失う。ありえない、こんなモンスターがありえていいはずがない。そう言いつつもさっき立てた仮設は思いがけず
当たったのであった。
レイスはアンデッドであり、そのアンデッドに有効な攻撃である胴体と頭を切り離すとか、脳を破壊するとかそういう手段が通用しない常識外れの敵であるこ
と。これはもうぬぐいようのない真実。わたしたちには無理だ。そう直感し、なんとかシーツの刃を転がって避けたコウさんの手を掴み、全速力で後退した。
「どうした!?」
走り様にシュウさんの声が聞こえてくる。コウさんもいきなりのことで戸惑っているようだったけれど、今のわたしにできる最も有効な手段は仲間に助けを求
めることだった。わたしは呼吸を整える時間も惜しんで、シュウさんにわたしたち戦士がレイスに圧倒的に不利であることをを伝える。
それを聞いたシュウさんはというと、まずいなと一言だけ言い、無言でわたしたちの遥か後ろを指差した。人指し指の先には人間と魔物を丸の配置と名前だけ
で示した戦況の縮図、そして対立する二勢の中心にデジタルの時計があった。時計は時間を計るというよりも徐々に残された時間が減っていくカウントダウン式
で、かかれていた数字は左から5、1、2だった。
「あと十秒足らずでアンノーンが来る」
ドクンと心臓が跳ね上がると同時に、新たな一秒がカウントされる。気がつけばついさっきまで自分たちがいた空間がまるで異質な空気をはらんでいた。あの
レイスたちがなかなか攻撃してこないのは時間を稼いでいたのだろうか。
削られていく時の中、今までは微塵も感じられなかった胎動のようなものを、魔物側の門から感じる。門越しからでも感じる圧倒的な存在感、そして空気すら
も変質させるほどの殺気。刻一刻と迫る狂喜の時間を待ちわびるかのように、レイスたちは元の位置から離れずこちらの様子をただ伺っていた。
あまりに重苦しい空気の中、こらえきれなくなったのかコウさんがシュウさんに呼びかける。
「絶不調の状態で第二段階に移行か。勝算はあるんだろうな?」
「あるに決まってる」
即答するシュウさん。そのどこから湧いてくるのかわからない自信に少し不安を覚えながら、勇気づけられる。シュウさんがいなかったら、逃げてしまってる
かもしれない。とても一人では立ち向かえる相手ではないということが空気越しに伝わってきていた。
そんな状況を知っているのかいないのか、コウさんが全く信用してないような目でシュウさんを睨む。するとシュウさんは頭をかきながら全く緊張感のない声
で言った。
「……まぁ、1%くらいはあるだろ。多分」
「それは勝算があるとは言わないだろ!」
さっきの自信ありげな態度とはうってかわって情けない仕草と、それに怒り出すキール君を見て、思わずくすっと笑ってしまう。こんな状況なのに不謹慎だと
思いつつも、おかしくてたまらなかった。
急に笑い出したわたしを見て、三つ巴の口げんかの真っ最中だった三人は不思議そうにわたしを見る。そして急にくだらないことに怒ってることが馬鹿らしく
なったらしく、それぞれがそっぽを向いた。
「1%もありゃ俺様にとっては十分すぎるんだよ」
「そんなギャンブル人生に僕まで巻き込む気か」
「いつまで口ゲンカしてんだよ。ほら、来るぞ」
願いがかなうならこの談笑の中に、いつまでもいることができたらいいのに。でも、そんなささやかな願いはきっと叶わない。だから、わたしは武器をとり、
わたしに優しくしてくれたみんなを守る。そのためにどんな力を使うこともいとわない。
デジタル時計の表示が変わるにつれて、コロシアム全体が禍々しさを増幅させているように感じていた。カウントダウンはもはや秒読み段階。全員が来る怪物
に備えて身構えていた。
実況の人の声ももはやクライマックスかと思われるほどの裏返り方で、ほとんど何と言っているのか理解できない。けれども、たとえそれを聞きとれたとして
も何の意味もないのだから、別段問題はなかった。問題があるとすれば、それを聞いたグミさんとレフェルさんがわたしたちを心配するんじゃないかってことだ
け。
時計の表示が規定の時間まで残り一秒だということを告げる。重く、強固な鉄製の扉が耳障りな金属音と共に異例の二回目の開放に向かっていた。ついに、真
の化け物が現れる。アイスドレイクのときに感じた戦慄とはまるで異なる気配。かすかに開いた扉に吸い込まれてしまいそうな、しかしその扉の中身に一瞬でも
触れてしまえば存在そのものを消し去られるような恐怖。
まさに魔物、魔が作り出してしまった圧倒的でどうしようもない存在。扉の内側へと固定された視線、震えが止まらない四肢。握りしめた剣柄からは汗が零れ
落ちた。
寸分の違いもなく変わる時計の表示。終わりの時間が来る。残る生涯分の呼吸を一度に吸うつもりで深く呼吸し、息は吐き出さずに備える。いつしかわずかな
遅れもなくカウントしていた時間がついに最後の時を刻む……まさにその瞬間、それは起こった。
両開きだった黒鉄の扉の片方がペンキでも塗りたくったかのように一瞬で赤く染まり、溶解した。そして、次の瞬間には無事だったもうひとつの扉が横一文字
に斬り裂かれ、紙のように吹き飛ばされた。
あり得ない力で歪められた扉が観客席の方の結界にぶつかり、自重と強烈な衝撃で結界をしたたか打った後、ガラクタと化した鉄の塊が地面に突き刺さる。
半分溶けかかった扉が機械の力で強引に引き開けられ、その全長が現れる前に暗闇の中が一瞬明るくなり、今まで見たどんな色よりも鮮明に焼きつく赤が膨ら
む。
その攻撃が放たれようとした瞬間、わずかだけどこれから戦う魔物の姿が見えた。それはドレイクと少し似ているが、まったく異なる生物。その爪、牙、
鱗……どれを取っても最上級の価値を誇る、伝説上の存在。
赤球が急激に収束し、レイスの砲台とは比べ物にならない速度で吐き出される。しかし、その狙いは本来の敵ではなく目の前にいた二体のレイスに対して放た
れていた。後ろを向いてその化け物にこうべを垂れていた二体の哀れなアンデッドは最後の瞬間に何を思ったのだろう。
無限の生から解き放たれる至福の瞬間かそれとも君主の気まぐれによる絶望か。わたしたちを苦しめ続けた二体のレイスが一瞬で真っ黒な影としてコロシアム
の土へと焼きつけられた。剣さえものともしないシーツは跡形もなく灰になり、その本体は瞬時に蒸発した。
気まぐれな暴君による戯れ、扉の内から出てきた魔物にとっては目の前のレイスなど、憂さ晴らしにちょうどいい的でしかなかったのだろう。王に仲間など必
要ないとでも言いたいのだろうか。それとも、その化け物にとっては今の攻撃でさえくしゃみ程度のものでしかなかったのかもしれない。
レイスという遊び道具がいなくなって、魔物陣には運よく逃げ延びていたアイアンピグだけがちょろちょろと逃げ回っていた……が、一瞬で巨大な足に踏み潰
され、地面に落ちたトマトのような最期を遂げた。
そんな光景を見て、初めて口を開いたのは勝算があると言っていたあの人だった。
「アンノーンなんて言わずに、最初からこう言えっつうんだよ。生ける災害、双頭のドラゴン……化け物め」
続く