人はなぜ人を傷つけることを止めないのだろう。私は断言できる、それは人を傷つけても 自分は痛みを感じないからだ。もし、誰かを傷つけて自分も痛いと感じるのならば、この世界は争いは消える。
 誰も傷つかなくて済む世界。誰もが平等な世界。……夢物語でしかないけれど。
 私だって、出来ることなら眼前の敵に一緒に立ち向かいたい。つらい目にあっている仲間を援護したい。でも、その願いは届かない。私と仲間達では置かれて る環境が違うから。
 ならばせめて、シュウやユアさんの痛みを肩代わりしたい。彼らが受ける苦しみだけでも共有できるのなら、私も戦えていることになる気がするから。
 異様な熱気に包まれた観客席の中、無責任な実況の声が響き渡る。すべての観客を煽り立て、盛り上げるためだけに発せられる声は私にとっては苦痛でしかな かった。仲間が傷つく様を己の欲求を満たすためだけの興奮剤みたいに使われるのが我慢ならない。
 だから私は何も出来ない自分の怒りを見えない壁に向けた。私の妄想が作り出した壁ではなく、目には見えないけど確実に存在する私達を隔てる結界。この壁 を叩いた手の痛みを仲間達の痛みに置き換えて。
「グミ、急く気持ちは分かる。だが、あと数分後にはブーストを使わなければならないかもしれない。今は心を落ち着かせることにだけ気を向けてくれ」
 熱く、暴力的な言葉だけが満ちる空気の中、一人だけ冷ややかな氷のような声で話しかけるレフェル。目の前で仲間達が危険な目にあっているのに、どうして こんなに落ち着いていられるのかわからない。場違いなほどに冷静な言葉と何も出来ない苛立ちが重なってレフェルのことを睨みつける。
 冷静でいられるはずなんかないのだ。いつも私がいる位置に私がいない。少し離れた安全な場所で見ているだけなんて、もし二人が重傷を負ったら、誰が二人 の怪我を治せばいいんだろう。そう、さっきだってユアさんとなぜか一緒に戦っているコウ君の機転がなければシュウやその他の人々は大怪我していたことだろ う。あんな強力な一撃、私の防御力じゃ耐え切れるか分からない。
 そんな中、今までずっと抑えていた声をあげて驚いた。やはり敵軍にいられていたふぇありーさんが、なぜかモンスターたちに捕らえられているのが目に入っ た。遠目でよくわからないが、魔物たちが意味もなくふぇありーさんを持ち上げる必要がないのは確かだった。
 こんなとき、レフェルが一番戦況の分かりづらい、人間側の真後ろを私たちのポジションに選択したことを恨む。確かに一緒に戦ってる気分にはなるかもしれ ないけど、何も出来ない分だけ苛立ちだけが募る。言われてもいないのに足手まといと思われてる気がしてならなかった。
 背中だけでは良く分からないけど、ほんの一瞬の出来事でユアさんに異変が起こったのがわかる。ことに戦いにおいてはシュウなんかよりも全然頼りになる歴 戦の勇者、ユアさんが取り乱していた。そして、いつもなら絶対にしないだろう持っている武器を放り投げるという行動に出たのだ。
 気持ちは分かる。でも方法が良くなかった。ユアさんが反射的にやったことは、目の前で大切なものが壊されようとしているときに思わず手を伸ばすあの感覚 と同じなんだと思う。あのシーツを被ったお化けのようなモンスターがふぇありーさんに何かしようとしたに違いない。私がユアさんと同じ立場だったら、まっ たく同じではないにしても似たような行動を取ったと思う。
 もはや無意識に壁に両腕を叩きつけていた。アッシュさんから渡された大降りの剣は鋭く回転したまま、こともあろうにふぇありーさんへと直進している。そ れはレイスというモンスターのせいなのだけど、あのままではふぇありーさんは間違いなく助からない、それだけは確かだった。
 両腕を壁に立てかけたまま、思わず目を閉じる。見てはいけない何かがまぶた一枚の向こうで起こっているという確信があったから。しかし、閉ざされた視界 の中で聞こえてきた二発の銃声、その希望に引かれて目を開けてみると、青の軌跡がレイスの腕を貫いていた。あの、いつもはまるで使えないシュウが土壇場で ファインプレーを見せたらしい。
 絶体絶命だと思ってたふぇありーさんが、シュウの射撃によって生じたわずかなずれによって奇跡的にほとんど無傷で地面に転がる。ほんの一瞬だけレフェル の予言したことが頭をよぎったけど、現実にならなかったことを深くシュウに感謝する。
 ふぇありーさんが無事だった、そのつかの間安堵の中ぽんと肩に手を置かれる。シュウにされるようなちょっと雑な置き方ではなく、そっといたわる様な…… でもそれ以上に気味の悪い感触に、今の戦況はさておき振り返ると、そこには見慣れてしまったある一人の男の姿があった。
「楽しんでいらっしゃられますか? 貴女様のお仲間ですが、想像以上の兵ですね」
「クラウン……お前の出る幕じゃない」
 いつもの慇懃無礼な態度更に上乗せされたような不快感に、レフェルが険のある言葉で私の代わりに代弁する。クラウンの表情に張り付いたような笑みはな く、私よりも大分上の方から冷ややかに見下ろしていた。
 クラウンはレフェルのなど最初から存在しなかったかのように無視し、自分が作った悪魔の脚本の一部を聞いてもいない私に向けて話しだした。
「私のシナリオでは既に何人かの死体は転がり、下等な虫はそれこそ虫けらのような死骸になっているはずだったんですがね。あの前衛二人にはさすがの魔物た ちも分が悪い……む」
 最低最悪なシナリオのネタバレを少ししたところで、クラウンがわずかに言葉を濁す。振り返った先の戦場にユアさんの姿はなく、少し数の減った魔物たちと シュウたちが銃撃などの弾幕を張っている様子だけだった。
 クラウンの目には何が映ったのか分からない。しかしクラウンにさっきのような紳士ぶった態度はなく、いつの間にか事務的な仕事に取り組むときの真剣な空 気を纏っていた。おもむろに胸元から黒い無線機を取り出し、うるさい観客席の中でも良く聞こえるようマイク端子部を隠すようにして一言言った。
「頃合いです。あなたのお仲間に注意してくださいね」
 頃合い、なんのことだろう。クラウンは短く通信を終え、無線機を内ポケットへと戻す。誰に何を伝えたのかはほとんどなにもわからなかったけど、私の勘で は間違いなく私たちにとってよくないことだろうということを察していた。
 じっと見ている私に、クラウンは大げさに驚いた振りをしてわざとらしく話の続きをはじめた。
「おっと、失礼しました。ふと思ったのですが、頃合いって言葉は殺し合いと似てますよね。まぁ、それこそこのコロシアムの醍醐味というものですが。……ふ ふ、実況ではありませんがコロシアムの方をご覧ください」
 不吉な言葉にすぐさまコロシアムを覗き込むと、本来ありえないはずの事態が目の前で繰り広げられていた。魔物VS人間を売りにしているコロシアムの中 で、いつの間にか救出されたふぇありーさんが知らないおじさんに守られていて、しかもそれを仲間であるはずの盗賊風の男が銀色に光る何かで攻撃していると いう、観客ですら理解できないような光景だった。
 しかも誤爆という感じではなく、明確な意思を持った攻撃だった。それはすなわち純粋な殺意。味方である人間を殺すために攻撃をしている人間がいる。
「刺客か。一人だけ狙われていない人間がいるからおかしいとは思ったが……下種が」
 想定外の事態にざわめく会場の中、吐き捨てるようにレフェルが言う。それを見たクラウンはさもそれがほめ言葉であるかのように鼻で笑い、その名の通り道 化のようにおどけながら、歌うように言った。
「出会って数時間の人間が仲間であるはずがないでしょう? 嫌ですねえ、醜いですねえ、人間という生物は自らの利益のために、いとも簡単に手のひらを返します。いやはや、コロシアムは人生の縮図と例えた人がいまし たっけ。まさにその通りですね。実はこれ内緒なんですが、あそこで裏切った男、名前はえーと忘れてしまいましたが彼はですね、賭け主の一人なんですよ。 ギャンブル狂で殺人狂のアサシン……それが彼なんです」
 口元を押さえて必死に笑いをこらえるクラウン。不気味だとかそういう次元をはるかに超えて、嫌悪だけが私の胸に湧き上がってきていた。今すぐ手にしたレ フェルでこいつの横面を殴りたい、そんな衝動が湧き上がると同時に、今すぐこの場所を離れて逃げたいという気持ちも現れていた。こんな人間の最も汚い部分 を見て、心から楽しそうに笑っている。けしかけたのは自分自身のくせに。
「念のためにと私から依頼したんですが、喜んで受けてくれましたよ。人を殺せる、金も手に入ると至れり尽くせりだってね。全くお金や快楽なんて命を失えば 何にもならないのに不思議です」
「グミ、無視しろ。あと一分で開始五分だ」
 怒りに我を忘れそうになってる私を寸前でレフェルが制止する。言われたとおりクラウンが何を言おうと無視することにした。そして、今は来るべき時に備え て、戦いの行く末を見守ることに専念する。でも、もしもクラウンが私たちのしようとしていることを阻止するためにここにいるのだとしたら、どうすればいい のだろう。
「そろそろアンノーンの出る時間ですね。しかし、いつまでもこうやってお客様達と観戦しているわけには行きません。他に雑用がありますので、これで失礼さ せていただきます」
 クラウンは私が予想していたのとは全く逆のことを言って、名残惜しそうにこの場を去っていった。私たちとしては喜ぶべきことなのかもしれないけど、さす がに緊張の糸が切れてしまった。私はちゃんとクラウンがいなくなるのを確認してから、間を持たせるために何かレフェルに話しかけようとして、踏みとどま る。
「二人、死んだ」
 レフェルが事実だけを包み隠さずに告げる。そうだった、クラウンのせいでじっくり見てる暇はなかったけど、裏切り者が現れてから数分経過していた。覗き 込んだ戦場の中ではレフェルの言っていたように新しく入った人間側の一人が首元から血を流して倒れている。そんなに出血量は多くないように見えるけど、気 絶してるだけじゃないのだろうか。もう一人は硬そうな鎧に大穴が空いている上に、ありえない角度で身体が曲がったまま壁に叩きつけられて倒れていた。
「一人はアサシンの針のような武器で攻撃された。あの細さじゃ殺傷力ではなく毒が仕込んであると見て間違いないな。もう一人はレイス砲の直撃を食らった。 身体に大穴が空いても不思議じゃなかったが、防御力だけは戦士だったようだ」
 レフェルの生々しい説明を耳が拒否する。私があの場にいれば癒せたのかもしれないのに。毒だって治癒できたかもしれないのに。実際は出来なかったことを 後悔することしか出来ない。
 シュウやユアさんは倒れた仲間に駆け寄る暇もなく交戦している。目の前のモンスターとアサシンと挟み撃ちに遭い、戦況は一気にモンスター側に傾いてきて しまったようだった。しかも、人間側のチームは裏切り者を攻撃していいものか迷っているようだった。攻撃したにしてもあのアサシンを相手に生半可な攻撃で 気絶させるなんてことは出来そうにない。
 とんでもないジレンマの中、モンスター達に有利な持久戦になってきてしまっていた。人数的には8:6と勝っているけど、この後出てくるアンノーンのこと も考えると人間側が徹底的に不利だった。しかも人間側の一人は裏切り者で実質的なことも考えると分が悪すぎる。どうにかして今の状況を打開しないと、人間 チームは全滅してしまうだろう。
「レフェル、あんなときはどうしたら一番いいんだろう」
 見ているだけでは不安になって、レフェルに答えを求める。それに対してレフェルは簡潔に答えた。
「何より先に裏切り者を殺すことだ。誰かが手を染める必要がある……アンノーンが出る前に」
続く
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