人間と魔物の絶対的な違いはなんだろうか。誰がどう見たって不気味なモンスターと人間 では見た目からして違う。持っている力も違う。更に言えば食生活や住んでいる場所、習性だって違う。
 でもそれはごくごく下級の魔物の話だ。確かに彼らは異形の姿を持ち、人間を見れば襲い掛かる。そこに特別な知性はほとんど感じられず、本能からの行動に 見える。でも、すべての魔物がそうであるわけではない。
 魔物の中には特別な魔力を持っていたり、人間とは比べ物にならないほどの知能を持っている者もいるらしい。しかも、多少の違いはあれ外見は人間とそう変 わらなかったり、中にはその魔力すらも隠せるような魔物いるという。そこまで来ると魔物と人間の境界線が揺らいでしまう。
 それだけじゃない。魔物にとっては自分が魔物であるという自覚すらないかもしれない。そもそも、それが「魔物」であると勝手に定義したのは人間だし、中 にはどちらかというと魔物というより動物と言ったほうが正しいものも少なくないと思う。見た目が薄気味悪いからとか、強暴だからとかそういう理由で魔物に 区分された魔物だっているだろう。
 魔物の定義は大体こんな感じ。「人間を忌み嫌い、敵意を持って襲い来る異形の生物。霞となって消える」
 定義通り、大抵の魔物は殺されると霞になって消える。それは小説でいう天に昇るといったような表現がもっとも適切で、殺された魔物の死体は塵ひとつ残ら ず消失する。残るのは所持していたメルやそのモンスターを象徴するような戦利品だけだ。
 けれど、中には死体が残る魔物もいる。それは偶然とかそういう意味ではなく、霞になる種族と死体が残る種族があるという意味で、死体が残る種族はという とそれはもう血や臓物、死骸がそのまま残る。処理せずとも他の魔物の胃袋に消えてしまうので、気にする人はさほど多くないけれど、それはどう考えても魔物 ではなくただの動物、もしくは人間のような別の種族だと思う。
 例えば新大陸にいるイエティという白い亜人系の魔物は怪力で人を襲うけれど、倒したときに死体が残る魔物として有名だ。わたしは今まで見たことはないけ ど、イエティ狩りが行われた後はそれはもう無残としか言いようがないらしい。それはそうだ、魔物退治という大義名分の中行われたそれは、彼らにとって虐殺 でしかないんだから。
 だいぶ話がそれちゃったけど、定義の中にも例外はあるってことが説明したかった。そして、その例外にもかなり疑問があるってこと。話すことが出来る魔物 や、話すことは出来なくても人間に害を加えない魔物だっていっぱいいるのに、人はそれを悪と決めつけ粛清しようとする。まるで自分だけが正義であるかのよ うに。
 あまり学があるとはいえないわたしが、どうして魔物についてこんなに詳しいのかというと、それはわたしが自分という存在について知りたかったからだ。人 間の姿、おおかみの姿の二つを有し、心の中には”おおかみ”が住んでる。
 誰がどう考えたって普通の人間とは違う。でも、わたしは魔物じゃない。他の人より頭の回転は遅いかもしれないけど考えることだって出来る。武器を使って 戦うことだって出来る。転職だって出来たし、仲間と旅していたこともある。今だってそうだ。
 それに、わたしは自分から人を傷つけたりしない。人に害をなさない……ハズ。だからわたしはわたし自身が魔物じゃないと自分で結論付けた。わたしは人間 として生き、仲間を傷つける魔物ならば倒すことを選んだ。でも、それが人を傷つけない、心の優しい魔物だとしたら。わたしはどうするのが正解なんだろう。
 このコロシアムには殺気が満ちている。普通の人なら数秒で正気を失うような場に、か弱いフェアリーがいる。それもわたしの敵として。
 フェアリーはれっきとした魔物として分類されてる。微弱な魔力を持ち、好戦的な性格な者も多いからだ。でも、あのフェアリーは幼いながらも人語を理解 し、わたしたちをここまで案内してくれた。それを人類共通の敵である魔物として扱うのが正しいことなのか……否、そんなはずがない。種族の違いなんて関係 ない、ふぇありーさんは仲間なんだ。例え敵の中にいようとも必ず助け出す。この意思に迷いはない!
*
 スタートの合図。揺らぐ魔物との境界線。瞬間、急激に加速する身体。
 目前の鎧を纏った豚との距離、わずか十数メートル。瞬時に掻き消える距離に鎧豚は瞬きをする暇もなく、今頃になって開戦の合図に興奮しているような息遣 いだった。この二匹はいつでも殺せるだから、今は無視してほかの事を優先する。
 狙いは初めから決まっている。ふぇありーさんの救出。目の前に編隊を組んでいる魔物たちはその障害でしかない。どう考えたって先頭にふぇありーさん配置 したのは相手の戦略ミスだ。わたしは鞘から抜かれた斬首刀の重量すらも歯牙にかけず、空いた左手でふぇありーさんに手を伸ばす。
「ふぇありーさん!」
 早口で呼びかけるも、ふぇありーさんにはほとんど何が起こったかわからないだろう。この距離ならわたしの腕でも軽がると抱き上げることが出来る。まずは 救出、安全とは言い切れないけどこちら側の非戦闘員のところにいてくれたら、守りやすいはずだ。
 これからやるべきことを頭の中で整理し、今まさに救出せんとしたそのとき。わたしの腕がつかんだのはふぇありーさんの細い身体ではなく、ぬめぬめと光る 爬虫類の足だった。巨大な目は血走り、大きく開いた口から覗く鋭い牙からは血にも似た粘液が滴っている。
「くっ……!」
 わたしはカズアイの足から手を離し、脊髄反射だけで右手の刀を振り上げる。攻守一体となった行動に一つ目は驚異的な脚力で跳躍し、わたしの攻撃を回避し た。そして避け様に赤い粘液の塊を吐き出すが、振り上げていた刀の腹にぶつかりガードする。
 カズアイのやつ、ふぇありーさんを救出すること先読みし、わたしの指先がふぇありーさんに届く直前で割り込んだようだ。陽動だったのかはわからないけ ど、普通の魔物から考えてみれば限りなくありえない行動だったと思う。どうやら、簡単に渡す気はないらしい。
 わたしは刀に付着した粘液を一振りで払いながら、体勢を立て直すために一度距離をとる。まずはふぇありーさんの救出と考えていたけど、敵も一筋縄ではい かないようだ。初めにやらなければならないのは障害の排除に変更、今いるモンスターからは脱出作戦に役立ちそうなほどの脅威は感じない。さっきは不意をつ かれたけど、カズアイ程度の実力であれば簡単に処理できる。それに……わたしは一人じゃない。
「急くなユア! まずは邪魔者をぶっ殺すぞ!」
 声と同時に放たれる銃声。両手の銃から飛び出した弾丸は光の軌跡を残しながら、真っ直ぐにアイアンピグの額へと放たれる。しかし、貫通するかと思われた 弾丸は鉄仮面をほんの少し凹ませただけで、モンスターはほぼ無傷なようだ。
 けれど、シュウさんの狙いは初めから額を射抜くことではない。弾丸が当たった衝撃で、生理的にどうしようもない一瞬の隙を作り出し、前衛であるわたしと コウさんがその隙を突くことを見越しての行動だった。わたしは鎧と鎧のわずかなつなぎ目にを切り分けるかのように、斬首刀を振り下ろす。コウさんの攻撃も ほぼ同時、フェンシングのような華麗な動きで細身の刀を真っ直ぐに突き出す。
 初めから打ち合わせていたかのような完璧なコンビネーション。わたしの刀はやすやすと甲冑を叩き割り、コウさんの刃は軟らかい内部を貫いている。アイア ンピグには確実な死をもたらしたはずだった。しかし、現実に起こったことは想像のそれとはまったく異なり、アイアンピグはどちらも無傷だった。
「こいつら……魔物なのになんでそんな芸当が!」
 コウさんが苦し紛れに叫ぶ。若干引きながら刺突を繰り出しているが、アイアンピグを完全に捉えきることが出来ずに、突き出すたびにむなしく金属音が響く だけだった。わたしもそれは同じこと。一撃で決めるつもりだった斬撃は硬い鎧に阻まれ、コロシアムの地面を削るだけに終わった。確かに継ぎ目を狙ったはず なのに、わたしの攻撃はいとも簡単に防がれてしまった。いや、防がれたのではない。アイアンピグは攻撃がヒットした瞬間、もしくはその直前にわずかに身体 をずらし、攻撃を受け流したのだ。コウさんもそのことに戸惑い、あんなことを言ったんだと思う。
 しかし、鎧に対しては銃も矢も相性が悪い。なら、やはり前衛の戦士が相手をしなければならない。顔面まで覆うフルアーマーに対しても、何かひとつくらい は弱点があるはずだ。しかし、斬撃も刺突も通じないというなら、どうすればいいんだろう。
「二人とも、危ない!」
 目の前から放たれた大声に思考を中断する。声の主は人間側の者ではなく、ふぇありーさんだった。敵であるわたしたちの身を案じて叫んでくれたふぇありー さんのことを信じ、わたしはアイコンタクトでコウさんに退くように言い、地面を蹴って人間側まで一時的に退避する。
 わたしたちが下がった直後、大きなシーツをかぶった正体不明の魔物……二体のレイスがシーツに隠れた小さな腕からは信じられないような力でツノキノコを 放り投げてきていた。ツノキノコの一番頑丈で鋭い傘が、猛スピードで飛んでくるドリルのように回転している。当たるどころか掠っただけで致命傷になりかね ない。
「パワーストライク!」
 コウさんとわたしの声が重なる。戦士が初めに覚える技で最も威力の高い技を選択し、目前に迫る二つのドリルにそれぞれ全力の一撃を叩き込む。わたしたち の攻撃力と猛烈な加速度に耐え切れなかったツノキノコの傘は真っ二つに裂け、余力で軟らかい肉体までも真っ二つに両断された。
 割られた二体のキノコは地面に落ちる前に霞に代わり、象徴である傘だけが会場の後ろの方へと飛んでいった。鋭い傘の破片は観客席とコロシアムを分断する バリアーへと衝突し、地面へと落下する。結界には傷ひとつ付いていないけど、傘の残骸は原形を留めておらず、文字通り粉砕していた。
「みんな、大丈夫か!?」
「ユアはさすがだぜ! コウもパワーだけはあんじゃねーか」
 わたしに代わってコウさんが叫び、それにシュウさんが口笛を吹きながら答える。幸い負傷者はいないみたいだった。でももし、わたしたちが戻ってきていな かったらシュウさんやキールくんに対処できたかどうかは分からない。ふぇありーさんの一言がなかったと思うとぞっとする。
 ともかく、開始一分でこの攻防だ。こちらはツノキノコを倒しただけ有利になったけど、その分頑丈なアイアンピグ、気の回るカズアイ、怪力のレイスの存在 が明らかになった。カズアイは頑張れば倒せると思うけど、他二種はわからない。まだ動きを見せていないあの球体も気になる。でも具体的な対処法は分からな い。
 自分でも戦況を図りかねている中、急に別人のように通った声が聞こえてきた。
「まずはうっとおしいゴーヤみたいな奴を俺たちで仕留める。前衛はアイアンピグの攻略を頼む。レイスは後回しだ」
 怪我を負ったサベージさんは混乱した戦況を一発で見切り、わたしたちに指示を送る参謀役として頑張ってくれてるらしかった。カズアイはアイアンピグと 違って、それほど防御力も高くない。銃弾や矢でも十分倒せるレベルだ。わたしたちは後ろから援護を受けながら、アイアンピグの弱点を見つける。強敵のレイ スは後で相手をする。
 わたしたちはサベージさんに細かい指示を貰いながら、次の行動に移る。質問する前にその心を読み取り、指示を出す。攻撃に参加しないという苦渋の決断の 中、サベージさんが決めた役回りは広い戦場を見通し、もっとも有効な戦術を選択する……歴戦の盗賊にしかできない最高の役回りだった。
 にもかかわらずアイアンピグと指示を受けたコウさんが真っ先に弱音を吐く。
「ユアさん、奴らは寸前で攻撃を受け流す驚異的な勘がある。あれでは僕らの攻撃はまるで」
「泣き言言わないでください! ほら、来ますよ!」
 今度はとばかりにアイアンピグががしゃがしゃと鎧を鳴らしながら、こちらへと走ってきていた。あんな重そうな鎧を着ているにしてはなかなか素早く、一瞬 で間合いを詰められる。向こうに武器はない、よって体当たりこそが唯一にして最強の攻撃だった。
 地面を蹴って突っ込んでくる様子はまるで大砲の弾のようなスピードだ。わたしは上体を逸らしてそれを回避し、コウさんも転がるようにして殺人タックルを 避ける。シュウさんやキールが放つけん制の攻撃も頑強な鎧の前では豆鉄砲だ。
 初撃を回避された二匹は既に体勢を立て直したわたしたちを見て不利を悟り、わたしたちと同じように一時退却する。恐らくは次の体当たりのための助走の役 目もあるのだろう。わたしたちは振り返ることもせずに退却する二匹を追うことはせず、あの鎧をどうにかするための考えをめぐらせる。しかし、有効な攻撃方 法よりも先に恐るべき事態が自分に迫っていることを直感する。
「大砲……砲台!?」
 さっきの体当たりを見て砲丸みたいだと思ったことから、悪夢のような連想が導き出された。さっきのツノキノコの一撃はなんとか凌ぎ切ったけど、あの鋼鉄 の弾丸をレイスに投げられたとしたら。わたしたちには避けることしか出来ない。非戦闘員や怪我人を狙われたら、一瞬で肉塊になる!
 アイアンピグを逃がすわけには行かなくなった。コウさんも同じことに気づいたらしく、髪についた砂を払うこともせずガシャガシャとうるさい鎧の背を追 う。力尽くでも捕まえてレイスに渡さないようにしなければならない。
 お互い、後一歩で手が届くところまでは行った。しかし、その行動を妨害する魔物がいた。足元に向けて放たれた熱線は地面を焼き、そのわずかな間に二匹に 逃げられてしまう。コウさんの方には銃弾の雨を掻い潜っていたカズアイが邪魔に入ったようだった。
 絶体絶命を覚悟した瞬間、ふと二匹のレイスの間ある何かが目に入る。褐色のボロ切れのような何か。二対のそれは翅だった。体中傷だらけになったフェア リーさんは意識がなく、レイスはそれぞれ一枚ずつふぇありーさんの翅を掴み、力任せに引きちぎろうとしていた。
 裏切り者への応酬。耐え難い苦痛の後の死。そんな無残な姿に変わり果てたふぇありーさんを見たとき、全身の血液が逆流するような感覚を覚えた。戦いの興 奮とか恐怖とかじゃない。赤く滾るような純粋な怒りだけがそこにあった。
(姉さん、あたいもあいつらは許せないよ。八つ裂きにしたい)
 胸のうちで同感よと答える。でも、おおかみに任せるつもりはなかった。わたしはわたし自身の力で魔物と呼ぶにふさわしいあいつらを壊す。気づいたときに は力任せに斬首刀を投擲していた。間に合え、間に合えと気持ちばかりが焦り、その気持ちが暴走した結果だった。
 シーツをかぶった化け物は、黄色に腐った光を三日月上に歪め、飛んできた剣の軌道上に、手にした獲物を掲げる。それがこいつのふさわしい最後だとでも言 うかのように、ただただ笑っていた。
続く
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