――箱庭の中の戦場。
作られた戦ゆえに、その闘いは鎮まることを知らず、尽きることがない。
箱庭の中に勝者はなく、ただ敗者と死に損ないがあるのみ。
血湧き肉躍る闘争の行方を読み、起こり得る無数の結末を予知せし者こそ唯一の勝者である。
神になる権利を獲得するための代償は数多の金か己が心臓なり。
今宵生き残り、ひとときの生を掴み取るのは歴戦の勇者か、狂気の怪物か。
その答えを知る者はコロシアムにて財宝の座を勝ち取ることだろう。
コロシアム―参加者の手引き プロローグより
*
だだっ広いグラウンドを照らす目がくらむような照明、スポットライトをあてられた俺たちに注がれる無数の好奇の眼。周りにはついさっき会ったような、仲
間とは到底呼べそうもない人間が八人。目の前には今にも襲ってきそうなモンスターが十体も。
半ば冗談のような状況だ。俺たちはほとんど何の説明もなされないまま、この場所に立たされて、戦わされている。人間の尊厳なんてモノは知ったこっちゃな
く、ただの賭け馬としてだけ扱われている。いや、その頃の俺たちはまさか自分が賭けの対象になっているだなんて思いもしなかった。
しかし今となっては、ああ、またこの場所に連れて来られたんだなという実感だけがある。二度目、三度目があるとしたら、それこそ飯や睡眠並の生理行動、
習慣になってしまうのかもしれない。寝て、起きて、戦って、飯というような原始みたいな生活だけど。
でも、監獄のような部屋からいきなり殺し合いの場に連れて来られた人間の感想なんて、そうは聞くことはできないだろう。一言でたとえるなら不思議の国の
アリス……じゃなくて小屋の中から出され、屠殺場に連れて行かれる家畜の気分だ。
言うならば俺たちは家畜、モンスターは飼い主の放つ刃物。もし、俺たちがその刃をどうにか出来れば、その時一回きりはどうにかなる。しかし、飼い主は別
の刃物を用意するだけで、根本的な解決にはなっていない。
そう、俺たちがしなければならないのは鎖からの解放、屠殺場からの脱出、そして出来るならば追っ手である飼い主の抹殺。その全てがほぼ不可能に近いが、
それをしなければいつかは確実に五つ星レストランのメインディッシュか肉屋で量り売りされることになる。俺たちの場合はただの残虐ショーで終わり、死体は
魔物の空腹を満たすだけになるだろうが。
けれど、具体的な方法をあげろと言われても、そう簡単には浮かばないだろう。俺たちを縛る鎖は強固で、切るどころか身動きすら取れない状態だというの
に、それ以降の打開策を思いつこうともまるで意味がない。かといって鎖を切らなければ先には進めない。素手で無理ならナイフで、ナイフで無理なら拳銃で。
そうさ、俺たちは諦めない。無能な家畜とは違う。思うままに動かされる賭けチェスの駒とも違う。意思を持ち、知能を備えた人間だからだ。
実際、俺たちは脱出のための作戦を整えている。二度目のコロシアムに連れて来られる前に決起し、策を練った。入場の際には記憶を奪われないように、舌を
噛んだ痛みで抵抗した。そして、今万全を期してこの場に立っている。
うっとおしい実況が叫びながら何か言ってるが、そんなことは気にも留めない。話している内容も耳には入ってきていても、それを頭の中では理解していな
い。元よりする必要などないからだ。
目の前の門は硬く閉じられたまま、魔物の侵入を防いでいる。今回のモンスターは純粋に敵としてだけは見られないから、その点かなり運も必要になってく
る。出てきたモンスターがさっきのドレイクのような力で戦う敵ではなく、暗殺や毒のような使い手だった場合、俺たちだけの力で結界に挑むことになる。そう
なれば、作戦の成功率は格段に下がることだろう。
本当はモンスターの手など借りないというのが一番だと思うが、戦力とみなせる人間が少なすぎる。化け物級のモンスター一体が俺たち十人に相当するとした
ら、確実に攻撃力は半減するというのだから大問題だ。猫の手ならぬ魔物の手を借りてでも、この作戦を成功させたい。
ゲートが開くまでの時間、電光掲示板を眺める。制限時間十分と表示されたデジタル時計と、計二十のライトがそれぞれ思い思いの明るさで光っている。しか
し、前回と違い人間側の照明は明るさに欠け、前回までは燦然と輝いていたサベージのライトも薄明かりくらい程度にしか照っていない。俺とユアの方がまだ明
るいくらいだ。前回の戦いで怪我したという情報が流れたんだろう。
しかし、それ以上に目を引くものがあった。モンスター側、数あるモンスターの中で一際眩しく光を放つライトがあった。それはちょうど前回のドレイクの位
置で、名前の欄にはアンノーンと書いてある。「不明」の名が示すモンスターはどんなやつかはまるで想像できない。しかし、あれだけの輝きを見せ付けられて
は、今回の勝負の大本命があのアンノーンであることはどんなバカにだってわかるだろう。燦然と輝くそれから、何故か不気味なほどの力を感じた。
「本日は大波乱の予感! ゲートオープンです!!」
あの変な実況から放送があり、目の前にあった鋼鉄の扉が耳障りな音と共にゆっくりと開いていく。現れたモンスターはそれぞれ誰でも知っているモンスター
から、聞いたことのないモンスターまで不気味なまでに整列して入ってくる。そんな化け物の隊列の先頭、明らかに見覚えのある魔物がいた。
「シュウさん、あの一番前の……」
ドクンと大きく胸が鳴る。目の前にいる敵の中に知っている魔物がいる。この樹の中の地獄に案内してくれた少し風変わりなモンスター、フェアリーの姿がそ
こにあった。他のモンスターがそれこそ兵隊のように並んでいるのに対して、フェアリーだけはおどおどと周りを見まわしているだけで、これから闘いの場に身
を投じるなどといった様子はまるでなく、一人だけ場違いな様を露呈していた。
「間違いない、あのとき俺たちを案内してくれた奴だ」
じっと見つめていると、どうやら向こうもこっちの存在に気付いたようだった。しかし、それに対する反応は俺たちと初めて会ったときのものとは真逆の反
応、怯えだった。そういえば、樹の入り口でなんか言ってたっけ。
ふぇありー呼んでいない俺たちを招き入れたために俺たちと同じ場所に落とされた。俺たちも同じ目に遭っているが、ふぇありーも被害者なのだった。傍目か
ら見ても戦闘能力はおろか、普通に生きていくことさえも怪しいときている。当然、電光掲示板にふぇありーのライトは豆電球一個ほどの明るさもなく、ただ深
い闇がそこにあるだけだった。
「なんでふぇありーさんがあんなところに……あの子も連れて、一緒に脱出しましょう」
ユアの言葉に耳を傾けながらも、俺は無言を貫いていた。頭の中でこれからの行動にふぇありーを加えて考え直してみる。この乱戦のさなか、ふぇありーだけ
を救い出し、かつ大型モンスターの攻撃力を利用した会心の一撃で結界を砕き、逃走する。どう考えても作戦の足枷にしかならない。足枷どころか、下手すると
こちらの命を落としかねない。
「シュウさん……」
ユアも俺の沈痛な面持ちを見て、察してくれているようだった。ふぇありーを助け出すことは不可能、残念だけどふぇありーのことは諦めるしかない……そ
う、顔に書いてあったに違いない。第一、ふぇありーは俺たちが迎え撃つ魔物としてそこに存在しているのだ。殺すはずの敵を見捨てて何が悪い。そんな悪魔の
囁きが頭の中に浮かぶ度に頭を振って悪魔を追い出す。しかし、追い出しても追い出しても悪魔は俺たちの命の価値や作戦の成功率といった、どうしようもない
ものを交渉の材料にして俺を追い詰めていく。
今にも心が折れそうな俺を見て、ユアが優しく、しかし強い語調で胸の内を話してくれた。
「わかりました。シュウさんは作戦の方に集中してください。わたしは、ふぇありーさんのこと諦めたくないです」
ふぇありーを救い出すという明確な意思。かといって作戦を疎かにするつもりもないというのがユアの言葉の中に見て取れた。どうやらユアの中には悪魔はい
ないようだった。しかし、悪魔といえども宿主の存在が脅かされることを心配して囁いているのだ。天使が出てこないのは悔しいけれど悪魔の言っていることが
正しいということなのだと勝手に解釈する。
「わかった。俺は大型のモンスターをスピードでかき回す。ユアはふぇありーのこと頼むぞ」
あえて、作戦のことを釘にさすことはしない。そのことは十分わかってくれているはずだ。
ユアは俺の言葉に大きく頷くとふぇありーのことを人間側の全員に伝え、保護すると自分の意思を伝えた。監獄の中でのおとぼけな様子は微塵も感じさせな
い、その強い意志に最初は眉をひそめていた奴らもしぶしぶ納得してくれた。一番、ユアの行動に反対したのは意外にもサベージだったが、「お前さんにはかな
わない」と最後には折れてくれた。
突然のことでかなり動揺したものの、ユアの機転と明確な意思表示でいい方向に話がまとまった。あとは試合開始のゴングが鳴らされるのを待つだけだ。
けれど、その合間にも俺たちには出来ることがある。目の前にいる敵の把握。つまりはモンスターの実力やその傾向、見た目で分かることだけでなく、仲間内
で知っている中で情報交換するのだ。時間こそないが、それぞれの情報を共有することで、各自の頭の中のある程度の空白は埋まるだろう。
まずはモンスターの名前だ。前から順にツノキノコA、カズアイ、ツノキノコB、レイスA、ストーンボール、レイスB、アイアンピグA、フェアリー、アイ
アンピグBと電光掲示板に表示されている。フェアリーは省くとして、他のモンスターはA、Bと分けられているだけで種類自体はそこまで多くなかった。
この中で俺が見たことある、聞いたことがあるのはツノキノコ、アイアンピグの二種類。
アイアンピグは見た目通り、あの甲冑みたいな服を着たピグだ。どこで仕入れたのかは知らないが、純良な鋼の鎧は銃弾など簡単にはじき返し、物理攻撃を寄
せ付けない。しかも、その硬い体はそのまま武器にもなる強力な敵だ。しかも、俺が前に見たことがあるアイアンピグとは違い、顔にまで鉄仮面のようなものを
つけている。これじゃ、俺の銃弾で額を射抜くなんてことは出来ない。
ツノキノコは暗い洞窟や湿地によくいる化けキノコだ。その傘はメイプルキノコを代表とするキノコ類と比べて、硬質。また名前の通り無数のツノが生えてお
り、先端は非常に鋭く簡単な鎧なら簡単に貫いてしまうだろう。しかし、傘以外の部分はただのキノコみたいなもんだから、近寄らなければ恐るに足らない。こ
の布陣の中では弱い部類に入るだろう。
カズアイは多分名前からして、あのゴーヤみたいな身体に不気味な一つ目と異常に長い舌を持つ生物のことだと想像できる。見た感じ手足はそこまで太くない
が、口元から除いた牙は鋭く、色からして毒でも持ってそうだ。
ストーンボールは見るからにあの石の塊だろう。明らかに人工的に作られた球体はどういう原理か宙に浮いており、球の中心にある目にも似た機器が不気味に
光っている。見た目はそこまで大きくなく、強そうでもないが何かを隠しているかもしれない。
レイス……こいつは、なんだろう。なんとも言いがたいというか、正体がまるで分からない。唯一分かるのはふわふわと浮いているシーツとその中に浮かぶ二
つの眼光。見た目から力強さなどは全く感じないが、正体不明の何かを持っている気がする。
とまぁ、ちょっと見ただけでもある程度のことは分かる。しかし、情報交換してみたはいいが、わかったのはカズアイに毒はないということと、各自の予想く
らいだった。だが、そこでユアが自信なさげに口を開く。
「あの、わたしの数え間違いかもしれないんですけど……魔物が一匹足りないです」
「え?」
どういうことだ?
目の前にいるモンスターをそれぞれ指差して数え上げていく。1、2…………8、9本当だ。全部で十匹いるはずなのに九匹。ユアの言うとおり一匹足りない
じゃないか。
目の前にいるモンスターと名前をそれぞれ照合させていく。するとすぐにどのモンスターがいないのかわかった。
「アンノーン……」
仲間の誰かがそっと呟く。アンノーンだけがこの場に姿を現していない。いや、それとも目には見えない存在なのだろうか。わからないが、とにかく見えない
というのは確かだ。
名前も姿も分からないアンノーン。誰もがその実像を掴みかねている中で、実況からのアナウンスがかかる。
「それでは試合開始前に、ひとつだけご注意がありますー。前情報でも知っていらっしゃる通り、本日はアンノーンが参戦します。久しぶりに現れたリセッ
ター、アンノーンの正体はこの私すらも知らされておりません。ただ、わかっているのは出現時刻が開始からきっかり五分経った頃だということだけです。滅多
に見れない試合になると思いますので、トイレなど行きたい方はお早めにどうぞー」
間抜けなアナウンスだったがいくつか重要なことが聞いて取れた。久しぶりのリセッター、開始からきっかり五分後。
直感する。このアンノーンとかいう魔物はアイスドレイクとは比べ物にもならない本物の怪物だと。今はまだ見えないあの扉の奥から化け物が目を光らせてい
る。そう考えるとかつてないほどの戦慄が全身を駆け抜けた。そして、それと同時にかすかな希望を拾い上げるのも忘れない。
「みんな、多分そのアンノーンってやつはとんでもない化け物だ。それもさっきのアイスドレイクなんてめじゃないほどの。でも逆に考えるとこれはチャンス
だ。その化け物のパワーを利用して、こっから脱出できるというチャンスだ!」
恐怖から来る身震いを武者震いだと自分に言い聞かせ、全員にその気持ちを打ち明ける。俺一人の声は皆の総意となり、全員が目を合わせて大きく頷く。
「それでは開始時間となりました。制限時間は十分、それ以外ルールは一切なし! 血の雨が降る箱庭の中、生き残るのは一体どいつだ!?
『コロシアム』本日第ニ戦開始ーーッ!!」
続く