コウが来てから、いや、あの鎧どもが来てからというものの、この監獄を満たす空気自体 が一気に次の試合への空気に変わっていた。
 元々狭かったこの部屋に一挙に六人の見知らぬ人間が入ってきたのだから、当たり前といえば当たり前だが、かれこれ数分の間でそこまで悪くなかった気分が 底抜けに悪くなった。主な原因はというと、次々と目を覚ましていく人間に片っ端から声をかけたが、誰もいい回答どころかまともに掛け合わずにうっとおしそ うにするだけで、きちんとした会話が出来たのはコウぐらいしかいなかったせいだろう。ついでに付け加えるなら、目覚めたばかりのユアに俺とコウの関係を説 明するのに数分を要したのもその一因かも知れない。
 とにかくわかったのは、落ちてきた人間のほとんどが全く口を開かないということ。それぞれ理由はわからないが、恐怖と不安から喋ることがままならない人 間と自分の素性をあまり話したくない人間の二種類がいるのはすぐわかった。というよりも、怯えてるとすぐにわかる人間が多すぎるのだが。
 十中八九ガタガタ震えているほうが、サベージの言う「堕ちて来た」人間なんだろう。これから自分がどういった目に晒されるかを、一時は安全な場所から賭 け主として見ていた側の人間だ。武器も魔力もない自分たちが、凶暴な魔物の前でどれほどの活躍を出来るか。何秒生き残ることが出来るか。そんなことばかり 考えているに違いない。そして自問自答した結果、あまりに無慈悲な答えに身を震わせているのだ。
 もう片方はわからないが、俺たちを警戒してるのはピリピリとした空気でわかる。恐ろしい甲冑野郎に半殺しにされた後、こんなところに落とされたとあって は他人など信用できるはずもない。俺たちのうちの誰かが甲冑の中身かもしれないんだからな。そう思うと、甲冑の中身が空だと知っていた俺たちはその点だけ は幸運だった。
 まぁ、話したくないなら別にかかわる必要もないだろう。どうせ、試合になったら自分の保身のために闘うなり逃げるなりするだろうし、元々戦力だなんて考 えてない。俺、ユア、サベージ、キール、一応コウの五人だけでなんとかするつもりだ。
 それはそうと六体の甲冑が去った後、別の甲冑によって次の戦闘に使う武器や弾薬、ポーション、固形食糧などが運ばれてきていた。サベージいわく、「いつ ものこと」らしく、次の試合の後にはもうちっとましなメシが来ると言って今来た物資には目もくれずに欠伸をしていた。
 俺が興味本位で見てみると、用意された武器の中には到底人の担げないような大 鎚や使い方のわからない機器のようなものまであった。俺はもしものときのための弾薬と食料だけ引っつかみ、コートのポケットに放り込む。
 四体目の甲冑はなぜか洗濯籠を大事そうに抱えて持ってきた。中にはきちんと折りたたまれたウェイトレスの制服が一式。
「おっ、ユアの服が帰ってきたぞ!」
 俺が一言そう言ってユアに知らせてやると、タオルに包まったままじっと待ってたユアがほっと一息つく。まさかタオルに鎧着るわけには行かないから、安心 したんだろう。タオルのままじゃここまで取りに来るのも大変だろうから、俺が代わりに持っていってやる。すっと籠をユアの元に置いてやると、ぺこりと頭を 下げて薄く頬を赤らめた。
「ありがとうございます。それとその、着替えるので後ろ向いててもらえますか……?」
 俺はわかったと一言言うと、他の皆にもそれとなく見ないようにと伝える。サベージだけは名残惜しそうな顔をしていたが、キールに両目を塞がれて観念した ようだ。
 一同が後ろを向くと、もぞもぞと着替えをする音が聞こえてくる。ユアは後ろを向いているから堂々と着替えるのではなく、急に後ろを向かれても大丈夫なよ うにタオルの中で着替えるつもりのようだ。しかし、やはりお世辞にも大きいとはいえないタオルの中で着替えるのは難しいらしく、いろいろ悩ましい声が聞こ えてくる。本人はそんなつもりはまったくないのだろうが、ただじっと着替え終わるのを待つ俺とかはいろいろ大変だった。なぜかこういう時ってうずうずとし た沈黙があるし、見えない方がいろいろと想像力が働くんだよな。小さな声や衣擦れの音ひとつで後ろを振り向きたい衝動に駆られる自分が実に単純で情けな い。
 見えない分、すべての五感を集中していた耳にユアのはにかんだ声が聞こえてくる。
「あっ、着替え終わりました。待たせてしまってごめんなさい……」
 全員一斉に振り返る。いつもの制服に身を包んだユアは、鎧姿の凛々しさも美しいが、普通の可愛さというのが引き立てられてるみたいで、素体の良さが大き いとはいえなんていうかすごくよかった。
「おい、シュウ。てめえ、こんないい子を泣かすんじゃねえぞ」
 思わず見とれてた俺の頭をサベージがぐしぐしと乱暴に撫でる。サベージは俺とユアの関係を勘違いしてるのかもしれない。でもそれを聞いて頬を染めるユア も可愛かったし、別にわざわざ否定することもないだろうから、適当に笑って答えた。
 とにもかくにも重苦しい空気がユアのおかげで和んだ。甲冑も洗濯籠を置いてからというものの戻ってこないし、ようやく本題に入れる。次の試合までの限ら れた時間にいくつかやっておきたいことがあった。
 とりあえずは新しく来た中で唯一まともに話が出来そうなコウから話を聞いておこう。
「さて、ユアも戻ったことだし。コウにはいくつか聞いておかなきゃならないことがある。お前、どうやってここに来たんだ?」
 コウはいきなり真面目な表情で質問されたのが意外なようだったが、すぐにすました面で答える。
「修行の一環でだ。ギルドでの同期にいい修行場があるらしいと聞いて、ここに来た」
 おいおい、それ明らかに騙されてるんじゃねえか。修行も何も、こんなところにいたらいくら命があっても足りない上に、生きて出られそうもない。どうやら 戦士ギルドの中にも、こいつを疎ましく思ってる人間がいるようだな。このルックスで腕も立つんじゃ、ねたまれても仕方ないか。
 どうやら、コウはここがカジノの一環であることも知らないし、明らかに堕ちて来た人間ではないようだ。俺は胸のうちはまるで話さずにそのまましまって置 き、次の質問に移る。
「途中で灰色のフードを被った魔術師に会わなかったか? もしくはエリニアを通らなかったか?」
 コウは一瞬いぶかしむような目で俺を見てから、しぶしぶ答えた。
「……そんな容姿の魔術師には会ってない。だが、エリニアは経由した。見知らぬ魔術師に何度も似たような質問をされたが、知らないとそのまま答えた」
 ダメ元で聞いたにしては、なかなかいい答えが帰ってきた。けれど、アッシュの身の安全については、いよいよ絶望的になってきた。エリニアでも捜索願いが 出てるということはエリニアに戻っていないということ。だが、だったら俺たちの捜索願いも出てるはずじゃないのか?
 俺が考えをめぐらしていると、明らかに苛立った声でコウから話し出した。
「何のつもりか知らないが、知らないものは知らない。それと、お前とグミさん、そこの女性が指名手配されていたぞ」
「は? 俺たちが何だって?」
 指名手配ってのは殺人や誘拐とかいう重犯罪を犯した者に課せられる不名誉な指名だろ? 確かに俺は前科者だが、明るみには出てないし、グミやユアが犯罪 に手を染めるとは思えない。捜索願いならまだしも、そりゃいくらなんでも冗談だろ。冗談にしては性質が悪すぎるが。
 しかし、コウのポケットから出てきた羊皮紙を見て愕然とする。自分のことを呼ばれたと思ったユアも、思わず口元を覆った。
「殺人、強盗、誘拐、その他諸々の余罪……魔法使い二次転職官を殺害したと書いているが、シュウはまだしもグミさんがこんなことをするとは思えないと思っ て、剥がしてきた。まさか、お前。本当にやったのか?」
 三人の顔写真に懸賞金までかかってやがる。一瞬、気が遠くなるような感覚がしたが、理性でなんとか押し戻す。よそ者がアッシュと秘密の任務に出たまま蒸 発。確かに、これじゃ誘拐殺人の線が出てこないともいえないが、いくらなんでも性急過ぎる。俺自身は一度も面を拝んだことはないが、あの図書館であった人 間に一杯食わされたのだろう。もしくはアッシュを消したい誰かによってスケープゴートにされたのかもしれない。
「そんな、わたしもシュウさんもグミさんも……アッシュさんを殺したりなんてしてないです。これは何かの間違いですよね?」
「……俺たちはどうやらハメられたらしいな」
 呆然とするユア。嘘をつくのは簡単だが、俺自身も動揺していた。嘘で隠そうにもすぐボロが出てしまっていただろう。ふつふつとエリニアに対する怒りがこ み上げてくる。だが、俺たちが今こんなところにいるということは、エリニアのクズどもに対しても誤算だろう。なんとしても生き返って、汚名をそそがなくて はならない。
 ここは冷静に、次の判断だ。いくつかの訃報はあったが、次の勝負に生き残らなければ俺たちに次はない。その前にもうひとつだけは聞いておこう。
「そうか、それじゃ最後にもうひとつだけ聞かせてくれ。グミを……グミを見なかったか?」
 一番聞きたいことだった。初め、ここに落とされたときは自分のことで精一杯だったが、生き残ったことで心に余裕が生まれたのかもしれない。俺たちはコロ シアムへ、ではグミはどこへ行ったのか。生きているのか、それとも……なのか。気になって仕方なかった。
 だが、コウの返事は首を横に振ることだった。
「いや、見ていない。君たちと一緒じゃなかったのか?」
 もっともな質問だ。確かに一緒だった……あの扉の前までは。
「わたしたちは門番の甲冑に敗北して、わたしとシュウさんはここに。グミさんは……」
 俺の代わりに答えてくれたユアは、そこで言葉を切る。そこから先は俺自身もわからないことだが、最悪の可能性を口にしたくなかったのだろう。しかし、確 認しようにも連絡を取る術はない。俺たちに出来るのは信じることだけだった。
「クソッ、僕がもっと強ければ……二対一でもあの鎧を倒しきることが出来ていれば!」
 コウは拳を床に叩きつけ、自分の弱さを露呈する。鎧への怒りではなく、自分の弱さに対する怒りだった。そして、その思いは共感できる。俺自身、全く歯が 立たずにグミを守ることが出来なかった。
 ボディーガードとか言っておきながら、ただの一度も守れていない。戦うくらいしか能がないのに、負けてばっかりでどうするんだ。情けなくて情けなくて涙 が出る。
 奥歯を噛み締め、涙を必死で堪える俺を見てユアが肩を叩いた。
「グミさんはきっと大丈夫です。わたしたちが信じないで誰が信じるんですか。それにレフェルさんだってついてます。だから、きっと大丈夫です」
 そうだ、俺が崩れてどうする。コウの負け犬のせいで、俺まで負け犬になるとこだった。
「ああ、そうだな」
 俺は肩に置かれたユアの手に触れ、強い瞳で見つめ返す。グミは大丈夫だ。俺たちが諦めずにじたばた足掻いてれば、きっと会える。いや、絶対会う。そのた めには少しでも、ほんのわずかでも情報が必要だ。
「みんな聞いてくれ。知らなければ無視してくれてもいい。でも、わずかでも知っていることがあったら教えてくれ。グミを……黒い服を着た女の子を見なかっ たか? 手に物騒な鈍器を持って、チビのくせに強気で、すぐ怒る女だ」
 立ち上がり、部屋中に聞こえるような大声で叫ぶ。さっきいくら話しかけても、ろくに口を利いてもくれなかったやつらに何を言っても無駄だと諦めるのは容 易い。でも、諦めたら何も手に入らないままだ。
 部屋中がしんと静まる。サベージとキールは首を振り、他の五名も微動だにしない。さっきと同じ、無関心、もしくは拒絶だった。
 俺がもう一度大声を出そうと思った瞬間、一人の浮浪者風の男がよろよろと立ち上がる。
「その子なら、カジノで見た。手に恐ろしい杖を持ってた。ルーレットで大負けして、泣きそうになってたよ」
 ルーレットで大負けして半ベソだって? そうか、グミのやつ……俺たちとは違ってカジノのほうに連れ込まれたんだな。滅茶苦茶に運が悪いくせにルーレットなんかで勝てるわけないのにな。俺がドー ンと大きな読みをあててやらなきゃ、勝てっこないって。
 ……だけど、生きてた。どんな状況だろうと生きていた。なら、どうにでもなる!
「そりゃ間違いなくグミだ! そうか、生きてたか! ありがとう。ユア、コウ。あいつ生きてるって!」
 俺は大嫌いなはずのコウと手を取り合って喜ぶ。コウのやつは困惑していたが、俺としてはとりあえず知ってる人間なら誰でもよかった。浮浪者みたいなんて 言い方をして悪かった。よく見るとすごくダンディーでワイルドなおじ様だ。もし、俺がここを出られたらメシでもおごってやりたいくらいだ。
 大喜びの俺にサベージのおっさんが嬉しそうな顔で小突いてくる。
「おいおい両手に花だったのかよ。チクショー、おっさんにもどっちかくれ。そこのユアたんでいい」
「わ、わたしはモノじゃないです!」
 寄り添ってくるサベージを慌ててユアが押しのける。いきなり嫌われたサベージもあれだが、ユアたんはないだろ、ユアたんは。
 今度はキールがやってきてこっそり俺に耳打ちした。
「ますます死ねなくなったな。流れ弾に当たっておっちぬんじゃないぞ」
「バッカ、お前は自分の心配だけしてろ。ガキのくせに」
 キールは怒ったようなそぶりを見せたが、感情を隠すのが下手なようで顔は笑ったままだった。なんでこんないいやつらばっかがこんなとこに押し込められち まったんだよ。絶対に全員でここを抜け出してやる。何が何でも、あのコロシアムを廃墟に変えてでも脱出してやる!
「おい! そこでウジウジしてる四人も聞け。ここを出るぞ。何が何でも脱出してやる。そのためには画期的なアイディアが必要だ。全員の知っている情報を寄せ集めて、 ここから抜け出すんだ!」
 まるで根拠のない俺の言葉ではあったが、それでも他の四人も僅かながら心を開き、活路を見出せてきたようだ。この未来の見えない牢獄の中で、俺たちは光 を得るために協力し、助け合う。
 そして何が何でもグミにもう一度会うんだ。そして今度こそは守り抜く。役に立たない情報でも、つなぎ合わせれば屈指の妙策になるだろう。綱渡りのような 戦略でも、十人寄り添えば最強の陣となる。
 先の見えない闇の中で光を見つけた。絶望の底の様なこの部屋の中で、俺たちを閉じ込めた壁を砕くための会議が始まった。
続く
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