視界から消える二つの影。瞳に残る青と白。点々としているどす黒い赤。
 目に飛び込んできた光景は、日常とはかけ離れた異常な場所だったけれど、二人とも生きていた。私に気づいたかどうかはわからないけれど、間違いなく無事 だった。
 そのことを絶対に信じていたというと嘘になる。絶体絶命の状況で連絡も取り合えないのだから、最悪の事態だって十二分にありえたんだ。私一人だけ生き残 るという最悪の悪夢が。
 でも、見つけることが出来た。誰かの口を通してではなく、自分の目で。
 ガラス越しでなければ、声がかれるまで二人の名を呼べたのに。私とついでにレフェルも無事だと伝えられたのに。後悔しようにも、すでに二人の姿は見えな くなってしまってる。
 けれど、先の見えなかったギャンブルにもようやく光が差し込んできていた。私の機転とディーラーのミスで手にした大金。元の所持金とあわせての2,7M 相当のチップがある。あと300k勝つことが出来れば、この陰気な大樹から脱出することが出来る。
 最初の目的とは大きく外れてしまったかもしれない。でも、私にとって何より大切なのは、任務でも使命でもなくて……。
 冷え切った視線を感じ、思考を中断する。人の波が自然に割かれ、その中心に仮面の男が立っていた。薄ら寒い笑顔を浮かべながらも、赤い瞳だけは真っ直ぐ 私のことを見据えている。
「我がカジノきってのメインゲーム『コロシアム』にご興味が?」
「コロシアム?」
 時折見せるクラウンの人とは思えないような声色に戦慄を覚えながらも、なんとか聞き覚えのない単語をそのまま聞き返す。聞いたことはないその言葉に不吉 なものを感じていた。
「コロシアムというのはその円形の建物のことなのですが、中で行われてる競技そのものをさすことも多いです。競技そのものの説明としては、簡単に言わせて いただきますと、人間対魔物の殺し合いをギャンブルにまで昇華させたものです」
 最後のほうは微笑を含みながら言ってのける。コロシアムと殺し合いをかけているのかもしれないけど、悪趣味以外の何物でもなかった。しかも、それを堂々 と”ギャンブル”と。
 私は口を開くこともせず、ただクラウンのことを睨み付ける。しかし、クラウンは微動だにせず、周囲の人全員に聞こえるようコロシアムに関する説明を続け た。
「ルールは簡単なものです。あのコロシアムの中に我々が用意した人間と魔物を各10体ずつ入れて、戦わせるだけです。制限時間は10分。その間に強烈なド ラマあり、人間愛あり、スプラッタありの極限まで圧縮された生物の生き様とでもいいましょうか。それが制限時間終了か片方が敵を全滅させるまで続きます。 あ、全滅というのは全員死亡ということではありませんよ。どういう方法でもいいので気絶させれば結構です。まぁ、大概は命がけの勝負に手加減なんて出来る はずありませんし、死んでしまうのですが」
 自分の説明に自ら突っ込み、それに満足して悦に入る。悪魔のような笑顔だった。
「話が逸れてしまいました。具体的な賭け方について説明しましょう。勝負が始まる前にあらかじめ、買いたい分だけのチケットを購入します。チケットには左 右10個の丸とその下に名前がついています。その中で生き残るあろう人間もしくはモンスターの丸を好きなだけ塗りつぶしておきます。あとはそのチケットを 所持して、入場してください。観覧席に移動の際に、チケットは回収されます。そして戦闘後、もしも予想が的中した方がいれば、その勝負に賭けられた全賭け 金を賞金として差し上げます」
 クラウンは事務的なことを一息に言い終えると、にっこりと微笑み、
「質問はございますか?」と付け加えた。
 騒がしいカジノの中を重苦しい沈黙が満たす。周りでは今もルーレットやスロットが回り、ギャンブルが繰り広げられてるはずなのに、耳が聞こえなくなった と錯覚するほどの静寂があった。
 私以外で今の説明を初めて聞いた人はそんなにいなかったと思う。でも、それ以上にクラウンの動向は不気味で、挙動のひとつひとつが目をそらしたくなるよ うな悪の所業に見えてしまった。それの答えが沈黙、もとい硬直だった。
 クラウンがパンと両手をたたく。魔法が解けたかのように自由を取り戻す私たち。非現実から現実に引き戻されたような違和感。
「長らくお引止めしてしまって申し訳ございません。今まで通り当カジノをお楽しみください。では、グミ様」
 我先にと散開する他の参加者達に取り残され、孤立する私。名前を呼ばれただけなのに、身体全体がびくっと震えてしまう。ゆっくりと近づいてくるクラウン から無意識のうちに一歩後ずさりしていた。何を言われるのだろう。こちらからも何か言って威嚇したいところだけど、舌が渇いて声が出ない。
「お疲れでしょう。少し休憩されますか?」
「う、うん……つかれた」
 思いがけない優しい言葉に戸惑いながらも、ほっと胸をなでおろす。てっきり次の勝負の話かと思ったけど、違うみたいだ。今の心理状態なら、まず間違いな く勝負する前に惨敗してたと思う。
「それでは先ほどの部屋までご案内します。お飲み物は温かいものと冷たいものどっちにしましょう?」
 気づけば舌だけじゃなくて、喉までカラカラになっていた。冷たいお水で喉を潤したいという欲求に駆られる。
 しかし、私が冷たいほうをお願いする前に、腕の中のレフェルが口を開いた。
「質問がある」
 既に移動する準備を始めていたクラウンが一瞬動きを止める。そして、小さく咳払いしてから、レフェルのほうを向いて言った。
「これはレフェル様。なんでしょうか?」
「コロシアムについてだが、賭け金はいくらなんだ?」
 そういえば、言ってなかったっけ。ずっと黙ってるから、私と一緒にクラウンに圧倒されていたのかと思ったけど、何も頭に入らない私の代わりに、コロシア ムの説明についてずっと耳を傾けてくれていたらしい。
「賭け額は一律でチケット一枚につき1Mとなっております。一人で何枚買ってもかまいません。勝てば全額戻ってくるのですから、全財産で何枚ものチケット を買う方もいらっしゃいます」
「い、いちえむ!?」
 これは私の声。一回の勝負で1Mってことは、そのチケットを何枚も買うって人は数十Mの資金を持ってこの10分に賭けているということになる。それだけ のお金があれば、どんな暮らしが出来るのか想像もつかない。
「わかった。ありがとう。ついでにその受付というのはどこにあるんだ?」
 レフェルは私の驚きを完全に無視して、更なる質問をする。クラウンはまったく、動じることなくすぐさま用意された答えに配慮を付け加えた完璧な形で答え ていた。
「上から吊り下げてある案内板に沿っていけばすぐですが、わからないようでしたら休憩の後にご案内しますよ」
 いやな予感がする。今度はクラウンじゃなくて、腕の中のこいつから。
「ちょっと、勝手に話進めないでよ! レフェル、あんたもしかしてコロシアムのチケット買うっていうんじゃないでしょうね!?」
 この二人に知恵比べしても勝てる気がしないので、直接的に聞いてみる。でも、それに対する答えは私以上に単純なものだった。
「買う。そして勝つ」
 もしかしたら、レフェルにもシュウの馬鹿がうつったのかもしれない。後300kあれば全員無事で助かるって言うのに、わざわざ1Mも賭けて大きな勝負を しようとするなんて馬鹿げてる。
「レフェル、あんたも頭おかしくなっちゃったの? こんなの割に合わな……」
「シュウと一緒にするな。それに自暴自棄になったわけではない。勝算はある」
 私はレフェルの迷いのない返事に押し黙る。勝算があるって言われたって、数学が苦手な私にだってこのコロシアムという勝負がいかに分が悪くて、勝率が低 いかくらいはわかる。でも、レフェルがいうからにはもしかするとという思いが口を閉ざしていた。
 それを聞いていたクラウンもレフェルと同じような感じで言った
「レフェル様の言うとおり、どんな勝負にでも突破口はありますよ。過去にもデータとにらめっこして、確率論で勝負して見事勝利した方もいます。記憶によれ ば、そのときの賞金は100Mを超えていたと」
 今度は100M。1Mという大金を10分に費やすということだけでもびっくりなのに、わずか10分でその100倍の賞金を手にする人間がいるというのだ から、いろいろと信じられなかった。そして、同時にそれだけの賞金額を聞いて、挑戦する人の気持ちもよくわかった。
「まったくの運だけで当てたり、判りやすい勝負が続いたりして複数の的中者がいたこともありましたが、そのときは的中者ごとに公平に分配することになって ます。しかし、ここ最近はデータにないイレギュラーや人員の入れ替わりの激しさなどが重なり、100Mほど賞金がプールされてますね。詳細な賞金は次回の 参加者にもよるでしょうが、120Mは下らないでしょう」
 目の前にちらつく、大金の匂い。それに釣られて、多くの人が更なる資金を注ぎ込むのだろう。誰にでも公平に与えられるチャンス。手を伸ばせば届くかもし れない距離に、それがある。
 それは私も例外じゃない。でも、そこまでその賞金を手にしたいとは思わなかった。その前に、どうにか手が届く300kを手にして、安定を手に入れたいと いう気持ちが大きかった。
 そう、目の前にぶらさがってる120Mは、あくまで勝ったらという仮定の下にある賞金。レフェルもクラウンも勝ったときの話しかしない。負けたら1Mの お金を失って、一人分の許可証を失うというのに、間違ってもそのことは口にしない。レフェルもいつになく真面目だったけど、お金の毒にやられてしまった結 果が今のあれなのではないだろうか。
 止めなきゃ。ここはなんとしても、とりあえず考え直させないと後戻りできなくなる気がする。
「あの、休憩……したい。喉渇いちゃった」
 うまい言い訳が思いつかず、休憩を理由にする。クラウンは私の気持ちを察してくれたのか、黙って休憩室へ案内してくれた。そしてそのまま、飲み物を取っ てくると言って席を空ける。残されたのはひとつの椅子に私とレフェル。少しでいいからレフェルと話をする時間が欲しかった。
「グミ。さっきの話についてだが」
「あ、うん」
 まさか、あのレフェルから先に話しかけてくるとは思わなかった。いつも無口でむっつりしてるくせに。
 でも、ここは退いちゃダメだ。どうにかして、止めないと。
「あの、レフェル。ダメだよそんなの! さっきはまぐれで勝てたけど、負けたら終わりなんだよ。それに勝算があるっていったって……」
「勝算があるって言ったのは、1%くらい勝てるとかそういう意味ではないぞ。ルール次第ではかなりの高確率で的中させる自信があるという意味だ」
 レフェルは本当に勝つ気でいるらしい。でも、高確率で的中させるなんてどうやってだろう。
「どうやって?」
「まず、我らには圧倒的に有利な要素が二つある。わかるか?」
 有利な要素? コロシアムの意味すらわからなかった私にそんなものあるんだろうか。さっきの試合が終わったところを見て、唯一知っていたのは……。
「あ! 私とレフェルはシュウとユアさんのことを知ってる!」
「正解。二人の本当の強さを知っているというだけで圧倒的に有利だ。そして、もうひとつ。我らの持っている情報を二人に伝えることが出来れば、出来レース が出来る」
「できれーすって何よ?」
 レース生地かなにかかなと勝手に想像する。でも、数秒でコロシアムとはまったく関連性がないということに気づき、レフェルの話を聞くことに専念する。
「イカサマ。やらせ。八百長。亀○。要するに、初めから参加者と結託してレースの結果を決めるということだ」
 なるほど、しかも参加者は懐柔しなくても元々仲間の二人。レフェルが言いたいことも、段々とわかってきた。でも、なにか引っかかる。
「それってズルじゃないの?」
 最初から結果がわかってるゲームなら、その結果を知らないで賭けた人はかなりの確率で大損してしまう。それも最低1Mという大金を。
 しかし、レフェルはズルという言葉に対しても臆せず言った。
「ズルやイカサマというものはルールに反して行うから違法なんだ。だが、ルールに反してないイカサマならそれは合法になる。例え、次回からルールが改正さ れようとも、どうせ我らに二度目はない。それと、参加者同士の金が動くゲームで、勝負に負けた人間のことを考えていては勝てないぞ」
 う、読まれてる。確かにルーレットみたいなゲームじゃなくて、個人間のゲームでは絶対誰かが負けなきゃいけないんだ。でも、納得できない部分は納得でき ない。
「具体的な方法はクラウンが詳しいルールブックを持ってきてから話そう。少なからず我の予想と食い違うところもあるだろうし、もしかすると、盗聴器や監視 カメラがないとも言い切れないからな」
「え、カメラ?」
 今までちっとも考えなかったけど、よくよく考えてみればここは相手の懐みたいなものなんだから、カメラどころか飲み物に毒が入ってないとも言い切れな い。
 そういえばレフェルの存在も早いうちに見破られていたみたいだし。気を引き締めなくては。
「現時点でカメラがあったとしても、まだ我らをどうこうする事は出来ないだろうが、ルールに対策を立てられても困る。ただ、これだけは言っておく。出来 レースの件も含めて、コロシアムのルールには付け込む隙がある。そしてそれが勝利へつながる道となる」
「う、うん」
 いつになく饒舌なレフェルに驚きながらも、あれだけ決心しといてまったくレフェルを止められないどころか、言いくるめられている自分にがっかりする。本 当にこれでいいんだろうか。
 煮え切らない決意の中、閉じられていたドアがクラウンによって開けられる。右手に乗った銀のトレイには毒が入りようのないボトルのミネラルウォーターとコッ プ、そしてこれから私たちのもうひとつの武器となるルールブックがそこにあった。
続く
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