けぶるように降る、やさしい雨。冷たいシャワーが髪を濡らし、ひんやりとした感触が全 身を包み込んだ。毛先から滴る水滴が涙に見えた。
「……」
 手で目の淵をこする。さっき流した涙も今はもうわからない。足元に溜まった水たまりの中に溶けてしまった。
 せっけんやシャンプーなんて洒落た物はない。これは洗い流すためだけのシャワーなんだから必要ないのだった。仕方なく全身を撫でるように、念入りに洗 う。
 実際汚れ自体はほとんどない。砂ぼこりと、ちょっと血がついているくらい。そんな汚れはシャワーを浴びるだけであっというまに流れ落ちた。でも、わたし が消したいのは手に残る感触。消えるはず無いのに。
 わたしは無駄な抵抗をやめて、薄く錆びの浮いた蛇口を閉める。天井全面から降り注いでいた雨が止まった。そのまま全身びしょ濡れのまま、一人ではいるに しては少し広すぎるシャワールームを出た。
 全身にまとわりつく長髪に、借りてきたタオルをごしごしとこすりつける。感触はがさがさして少し痛い。柔軟材なんて、このタオルには一生縁がないんだろ う。
 身体についた水滴を一通りぬぐってから、生乾きの髪はそのままにして、濡れたタオルを洗濯カゴの中に放り込む。新しい着替えなんてあるはずもなく、少 ない替えの下着すらも荷物の中だった。重たいと言うほどでもないけど、動きにくい鎧は控え室に武器と一緒に置いてきている。
「あれ、いつもの服」
 鎧の下に着ていたいつもの服が見当たらない。元々は食堂の制服をもらってきてしまったものだったけど、慣れ親しんだ私服だった。確か畳んで脱衣カゴの中 に入れたはずなんだけど……。
 もしかすると、ここじゃないどこかに移動されてしまったのかもしれない。
「ゆ、ユア。脱衣カゴと洗濯カゴ間違えたんじゃないか?」
「えっ」
 慌ててさっき湿ったタオルを入れたカゴを見ると、小さなタグに「脱衣カゴ」と書いてあった。じゃあ、服は全部洗濯されちゃったってことになる。なんて単 純なミスだろう、確かに脱衣カゴにしてはちょっと深いかなって思ったけど。いろいろ考え事をしていたのもあって、気づかなかったらしい。
「あー、うっかりしてました。えっと、ありがとう。シュウさん……? え!?」
 なんでここにシュウさんが! 状況を飲み込めぬまま後ろを見ると、目のやり場に困っているシュウさんと二人。そして、わたしはようやく今置かれている状況を理解する。
「きゃあ! な、ななななんでいるんですか! えっち!」
 とは言ったものの、どうしていいかわからずさっきのタオルを掴んで体育すわりの要領で小さくなる。出来るだけ見られないように、タオルを広げようとする ものの気持ちが焦るばかりで、上手く全身を隠すことは出来なかった。その反面、わたしの顔はというとシャワーで冷えたはずの体温を顔だけにすべて集めたか のように火照っていく。顔から火が出るとはこのことだった。
「いや、このことは了解済みのことで別にのぞこうとかそういうやましい気持ちはまぁ、なかったとは言い切れないが、いや、そんなことはどうでもよくて、ユ アだって出る前に扉を二回ノックするっていったし、まさか突然出てきて裸でうろつき出すとは想像もしてなくて、いや少しはそういう願望もあったことは否定 しないけど、要するに……なんか、ありがとう」
 シュウさんは顔だけそらして、目だけわたしの方を見てる。言ってることは支離滅裂だけど、言葉の端々を拾ってようやくさっきした約束を思い出す。確かこ んなやり取りがあった。
 それはつい十分ほど前のこと。
「え、女性用のシャワールームはなくて、共用!?」
「今まで活躍どころか最後まで生き残る女性陣はほとんどいなかったからな。まぁ、半分囚人みたいなものだから、特別そういうのは用意されてないんだぜ。ま さに夢にまで見た光景を死ぬ前に拝めるとはね。それもこんな絶世の美女の」
 ニヤニヤと惜しげもなくセクハラ発言を繰り返すサベージさん。生々しい切り傷は止血されてはいるものの、浅い傷じゃない。どこからそんな余裕が生まれる んだろう。
「後ろ向いてるから、先に入ってくれ。出るときは合図をしてくれ。後ろ向いて待ってる」
「出るときに二回ノックしますね。絶対こっち見ないでくださいよ」
 回想終わり。自分の馬鹿さ加減と恥ずかしさからちょっとだけ涙が出てきた。
「おい、坊主。もう二度と見れないかもしれないから、目に焼き付けとくんだぜ」
「お、俺は別にいいよ! じゃなかった、恥ずかしがってるのにかわいそうだろ!」
 サベージさんはさっきと同じように笑い、名前は知らないけどきっと矢で援護してくれてた少年は両手で顔を覆っていた。シュウさんは……恥ずかしくて顔を 見れない。
「なぁ、サベージさんよ。洗濯した服っていつ戻ってくるんだ?」
「大体体内時計でニ、三時間ってとこかな。少なくとも二回目の試合前までには確実に戻ってくると思うぜ。全部いっぺんに洗っちまったってのは初めて見たけ どな。くっくっく」
 サベージさんが低く笑う。もう、死にたいくらい恥ずかしい。
 シュウさんもどうやら落ち着いたらしく、頭から新しいタオルを被せてくれた。
「とりあえず、服が戻ってくるまではバスタオルでも巻いとくしかないな」
「はい……」
 とことんみじめで、穴があったら入りたかった。そんな今はタオルでところどころを隠しながら、丸まってる状態なので穴があっても入れないし、動けない。
「そいじゃ、いいものも見れたし、こっちもシャワー浴びさせてもらうぜ」
「あ、それじゃ俺も。シュウもいつまでもジロジロ見てねえで行くぞ」
「それもそうだな」
 なぜかサベージさんが気を利かしてくれて、わたし以外の三人がシャワーに行くことになった。この間にバスタオルに着替えて、沸騰寸前だった頭も少しは冷 やせるかも。
 しかし、そんな思惑もつかの間。ふと、バスタオルから顔を出してみると……。ちょうど着替え中の三人の下半身が……そういえば、ここ脱衣所なのよね。冷 静な判断もそこで終わり、ちょうどそこでわたしの頭と顔がいっぺんにグラグラと煮え立ち、床と天井がひっくり返った。
*
 どこから話せばいいのか、とりあえず今ユアはバスタオル一枚で眠ってしまっている。長く話すことでもないので、簡単に説明するが、シャワーをするために 服を脱いでたら、なぜかユアが頭から湯気を出して気絶した。目はマンガもかくやといわんばかりのぐるぐる目で、なにか酷くショッキングなものを見た感じ だった。
 俺たちはどうしようかといろいろ迷ったが、そのままにしとくわけにもいかないので、バスタオルを掛けてそっと寝かせてあげることにした。シャワールーム 内ではもう、サベージのおっさんは怪我人とは思えないセクハラ発言を連発し、それに対してにいちいちキールが反発してうるさかったが、誰も意識のないユア にどうこうという考えはなかったようなので安心した。男三人というのが逆に抑止力になってるらしい。
 俺はそうそうにシャワールームを抜け、自分のタオルで顔をぬぐう。間違ってユアのタオルを拝借したりすることはない。そんなことしたら、次の瞬間に自分 の頭が胴体と離れてしまってるような気がした。いや、ごめん。それは冗談だ。確かに、さっきのフィニッシュは衝撃的だたが、俺ならなんだかんだ許してくれ るはず。にしても、さっきのは天然通り越して狙ってるんじゃないかってくらい可愛かったなぁ。こんなシーンにグミがいたら一瞬で男性陣三人の頭を粉砕する んだろうが……痛ッ!
「おっと、見えなかった。気持ち悪い顔してないで、控え室に運ぶぞ。あの女の人が洗濯しちゃった服もそっちに届くらしい」
 この野郎、わざと足踏みやがった。これはグミ不在に変わる変な責任感の持ち主が現れたな。
「わかったわかった。どうやって運ぶかが問題だな。下手するとユアがおきて暴れだすかも知れん。しかもその拍子にタオルがってことも」
 ……まだ踏んでやがる。いや、むしろ踏みにじってるなこれは。
「何かあると危ないから、おじさんがおんぶしていってやろう」
「いや、むしろ怪我人に変わってこの俺が」
「おまえら死ね! そこに負傷者用の担架があんだろ!」
 ボケ二人に対していいツッコミだ。でも死ねなんて言葉はいけないな。本当に死んじゃったらどう責任取るつもりなんだ。
 まぁ、とにかくキールがうるさいので担架を使うことになった。俺とキールの二人掛かりで持つ担架は思いのほか軽く、さっき一騎当千の活躍を見せた戦士と は思えない。戦士というよりも気のいい近所のお姉さんとか、花屋の店員とかのほうがずっと似合うに違いない。
 サベージのおっさんも今はおとなしくなり、4人そろって部屋を出る。施錠した係の人が病気かと聞いてきたが、眠ってるだけですと答えておいた。実際眠っ てるだけだし、係もそれ以上は何も言わず、さっきの牢獄のような控え室の方を指差す。
 目に入るのはまっすぐな暗い廊下。一応電灯はついているが、いくつか線が切れているのもあり、十分な明るさは保ててない。ときたまスパークして明るくな るのが不気味なくらいだ。
 通路は狭く、縦一列になって歩く。先頭が俺、後ろの担架を支えるのがキール。その後ろをおっさんという形だ。コンクリートで塗り固められた壁を感じなが ら、ぼんやりとサベージが独り言をこぼす。
「次はどんなやつが来るんだろうな」
「なんのことだ?」
 俺は歩きながらサベージの独り言を問う。次はとかなんとか言ってたが、なんのことだろうか。
「補充定員のことだよ」
 サベージが質問に答えるより先に、キールが得意そうに答える。それに、サベージがこう続けた。
「さっきの一個前のバトルで素人が一人ファイヤボアに突き殺された。その後に冴えない戦士一人が赤いスライムに踏み潰された。その代わりがお前たちだよ」
続く
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