ルーレットの結果は全て掲示板へと記入されていく。その数字は上手く散らされていて、 偏りが無い。まるで、あらかじめ38の数字を出来るだけバラバラに並べてくださいといった指示がされているかのように。同じ数字が連続して出ることも、ほ とんどない。それがたまらなく、不可解だった。
 どんなに気を逸らそうとしても、まとわりついてくる違和感をぬぐいされない。果たして、このカジノにいる人間全員に「このカジノはどこかおかしい」と 言って、まともに話を聞いてくれる人間がどれだけいるだろうか。
 辺りを見渡してみる。豪華な装飾で彩られた店内はどこまでも高級に、優雅に笑う貴婦人や高貴そうな紳士、その中に混じる浮浪者風の男やいかにも常人離れ した体格のもの。その目はどこか普通とは違う。甘いカクテルに酔ったような、熱に浮かされたような焦点の定まらない目。
 ……無理だ。例えこのおかしさに気づいたとしても、誰も訴えないだろう。
 なぜなら、ここのカラクリがわかっとしても誰も損しないからだ。むしろ、自分が勝てる可能性が高まる。それに、ことの異常さを理解したところで、クラウ ンの作り出した世界の中では、勝負に勝つことでしか本当の意味での勝利を得ることは出来ない。
 ならば、勝負に勝ってやろうではないか。やつの支配しつくした世界のルールに則って、正々堂々完膚なきまでに打ちのめす。
「黒と赤。今までそのどちらかに置く様に指示して来たな」
 グミは小さく頷き、我の柄を強く握る。左手には武器の代わりに10のチップを。震えてはいるが、落としたりはしない。
「一枚ずつ、賭ける度にお前は選択してきた。その覚悟は本物だ。あれだけ負けても折れなかった、その強い意思も」
 グミは黙って我の言葉に耳を傾けている。迷いはもう微塵も感じられない。
 ディーラーの指がホイールにかかる。次の勝負が始まる合図だ。グミのチップにも次第に力が入っていく。
「我が言うのは、さっきも言ったとおりだ。具体的な指示ではない。ルーレットの勝負を、実戦に見立てた戦況を教える。それを踏まえた上で、最善の判断を下 すのは……グミ、お前の役目だ」
「わかったわ。戦況を」
 ディーラーによって今までと変わらない速度で回転し始める運命の車輪。コンマ一秒の誤差も無いボールの投下。台のクセ。そして、今までにディーラーが自 ら”選んで”並べてきた数字の性格。
 前回は赤だった。その前も赤、更にその前は黒だ。グミはこの結果を見て、高確率で黒を選ぶだろう。赤が二階連続で来たのなら、次は黒という感じに。
 しかし、しばらく見に回ってわかったことがある。このディーラー、色に関してはそれほど関心を示さないのだ。その関心は主に数字。あらかじめディーラー 本人の意思、もしくはその上に位置する者の指示で法則を決めているのだろう。しかし、何度かに一度、今までの法則を見破られないようにブラフを混ぜてきて いる。ブラフを混ぜる周期はおそらく奇数回、5か7だと思われる。そして、過去のログを見る限り、100回前後でその法則を総変えしている。これは多分、 客に見破られないためだろう。だが、法則に則ってやっているという時点でおかしいし、100回前後という長い周期では目ざとい客なら簡単に気づいてしまう だろう。それに関しては不可解だが、今はどうしようもない。この勝負で圧勝し、クラウン本人の口から聞きだす必要がある。
「現状はグミの組する赤が圧倒的に不利だ。このまま赤で戦い続けるか、黒に寝返るか」
「赤よ。不利なんて関係ないわ」
 赤は不利だと聞きつつも、グミの直感は赤を選んだ。気持ち勝率は4:6でこちらが不利というところか。
 ディーラーはグミのおかしな発言など気に留める様子も無く、これ以上賭けられないと宣言する。ボールはいつもと同じように失速し、参加者たちに結果だけ を伝えた。
「赤3」
「ウソ……や、やったあ!」
 グミの前に一枚増えて積まれるチップ。今までのディーラーは盗っていくだけの強盗のような存在だったが、初めてグミのチップを増やしてくれたのだった。
 グミは最初、何が起こったかわからないような顔をしていたが、自分が今までの10倍賭けの大一番で、見事初勝利を決めたことに気づいて、歓喜の声を上げ る。グミと逆賭けをしていた客たちはチッと舌打ちし、小声でまぐれだなんとかだと騒ぎ立てた。
 まぐれかどうかは自分たちの目を持って知るんだな。我は胸のうちでそう言い、次なるディーラーの手を読む。次はブラフから数えて4投目、100投目の チェンジまではまだかなりある。十中八九、法則通り来るだろう。
「グミ、その二枚をそのまま賭けるぞ」
「えっ、てことは20賭け……? そんなの負けたら、今勝った分も!」
 取られる。そう言いたかったのだろうが、グミが口に出す前に我が割ってはいる。
「大丈夫だ。次も勝てる」
「う、わかったよ」
 グミは一刻も早くしまいたがっていたそれを右手に握り締め、次の勝負に臨むことを承諾してくれた。いつも通りのディーラーの手順、それに加えて袖のボタ ンに軽く触れる。ブラフのときのクセだった。
 我は瞬時に頭の中の計算式を消し去り、次の計算に入る。ここで引き下がることは出来ない。さっきの大勝で流れは確実にグミに傾きつつあった。ブラフに 入ったとしても、あの几帳面なディーラーは確実に数字を散らしてくる。今までの統率の取れた数字を出来るだけ乱さぬように。
 ならば、こちらも別の手で出る必要がある。
「グミ、次は赤と黒以外の場所に賭けるぞ。1st12、2nd12、3rd12という枠が見えるか?」
 既に回転を始め、ディーラーの静止を待つばかりのルーレットは、規則的にからからと回転音を鳴らしていた。グミは慌てて、盤面に目を移し、赤と黒の少し 上に三つ横に並んだ長方形を発見する。それぞれ1〜12,13〜24,25〜36を意味する記号だ。単純に確率は1/3。控除率もあるが、配当は3倍の計 算になる。つまり、今グミが持つ20で勝つことが出来れば、黒と赤で勝ったときの1,5倍、60もの賞金を手に入れることが出来る。
「今度は三択だ。左、正面、右からそれぞれ青デンデン、メイプルキノコ、赤デンデンが襲ってきている。どれから倒すのが先決か」
「メイプルキノコ。先手必勝でこいつさえ仕留めれば、後はどうにでもなるわ」
 グミは小さなチップをそのまま二枚、2ndに置く。それにわずかに遅れてノーモアベットの声。
「黒22」
「よし……!」
 グミの賭けていたチップが三倍になって戻ってくる。60kもの大金がグミの手元に転がり込んだ。負け分を合わせても50近くの勝ちだ。普通のルーレット であれば、これで満足して他のゲームに移ってもいいほどの勝ちと言える。ここだけで運を吐き出してはたまらないからだ。
 しかし、グミに他のゲームは無い。それに賭けの上限がないという異例のルーレットであれば、移る必要も無かった。
 グミは初めて手にした大金代わりのチップを手に、興奮しながら我に話しかけてくる。
「レフェル、あんた……なんかすごいね。こんなに勝っちゃったよ」
「あんたとはなんだ。次はそれに40追加して、100で勝負するぞ」
「100……」
 100k。これだけあれば、ペリオンの高級ホテルに何日泊まれるだろう。新しい装備やなにやらも揃えられるかもしれない。グミは完全に勝負の波に乗って いた。
 五投目。さっきブラフがあったために、今度は法則通り来るらしい。怪しいのは31,32,33,34,35,36の六つだと睨んでいる。そこから先は神 のみぞ知るというやつだ。
「次は6目賭けでいく。確率は更に下がって1/6だが、勝てば一挙に600kだ。賭け方は……」
「1,4,7と数字と先ほどの三倍賭けの区切りのラインに置いてください。1〜6に賭けられるのでしたら、1と4の目の左端の境界です。ちょうどたてと横 のラインがクロスしてるところです」
 割って入ったクラウンが片方だけ見える口でニコリと笑った。我のことを知りつつ容認し、成すがままにしている。初めから何を考えているのか見当もつかな かったが、この大勝を見ても以前と同じ態度で接してくる。もし、この勝負で600ものチップを手に入れたとしても、この態度は変わらないだろうか。
 ついさっきの豹変。まったく笑っていなかった口元が思い出され、思考にノイズが混ざる。惑わされてはいけないと頭の中ではわかっていても、実際にそれを どうにかすることは難しかった。
 このままではまずい。賭け額を下げるべきかと思案する。今ここで負けてしまっては、流れに乗るどころか、欲の海で溺れてしまうことだろう。やはりここ は……。
「レフェル、私なら平気。指示をお願い」
 大丈夫じゃないのは我なのだが、グミは我の指示を待っていた。仕方ない……一度やるといったことを投げ出すようでは、あのバカにだって笑われてしまうだ ろう。
「わかった。目の前にいるのは憎き敵だ。初撃を決めるなら、頭、顔、首、胸、腹部、股間……」
「どれも急所じゃないの。なら、顔面よ。鼻っ柱をへし折ってやらないと気がすまない!」
 グミは一瞬クラウンを睨み、顔面……数字で言うと7〜12の六つに当たることを賭けた。クラウンは一瞬だけ肩をすくめたが、次の瞬間にはグミが100も のチップを賭けた一点を凝視していた。
 また、ディーラーがボタンに触る。おかしい、やはりクラウンが何か指示してるのだろうか。しかし、賭けてしまったものは仕方ない。後はディーラーのルー レット捌き次第だ。
 いつにも増して、白球の動きが重く、緩慢に感じられた。それだけの額があの小さなボールの動きにかかっている。徐々にスピードを落としながら、緩やかな 円周を回っていく白球。グミが出て欲しい数字の11、9を通り過ぎ、最後の7で余力をわずかに残していた。
「黒20」
 100と書かれたチップがディーラーの元に吸い込まれていく。それとほぼ同時に力なくうつむくグミ。このタイミングにこの額。失うものが大きかった。や はり、賭け額を減らしたほうがよかったか。
「残念でしたね。少し、休憩なさいますか?」
 後ろからかけられたのは、クラウンの優しい声。声に裏があるようには感じられないが、それでも苛立ちは募った。あえて増やしてから奪い、気力を奪う作戦 か……なんにせよ、こいつが何かしてるに違いないと思いたかった。次こそは、絶対に。
 休憩の必要は無いと断言しようとする前に口を開いたのは、意外にもグミだった。
「あと一回だけ勝負させて。これで」
 グミが手にしていたのは10のチップを五枚。赤か黒にかけて、せめてこれで今回の負け分を取り戻そうという腹か。
「わかりました。ではごゆっくり」
 片方だけの笑顔で微笑むクラウン。負けるとわかっているような口ぶりだった。更なる賭けで負けを取り戻そうとする愚かさを笑っているようにも見える。そ う、負けに囚われているものが勝利を手にすることなど無いのだ。
 今度もボタンをいじってから、ボールを投げる。どういう手段かはわからないが、未知の手段でクラウンから指示を受けているに違いなかった。つまりグミは 完全にマークされている。赤か黒という高確率の当選すらもさせないような完璧な出目をコントロールしてくるはずだ。
 ならば、我もその裏をかくような指示を出さなければならない。苦心の二択を。
「グミ、黒服のシュウと赤い血に濡れたユア……どちらかしか助からないとしたら」
 しかし、グミは首を振った。やはりこの選択は酷過ぎたか。では、これに代わる二択を……。
「レフェル。私、わかったの。その二択は間違ってる。どちらかを選ぶかじゃなくて、どうしたら二人とも助けられるのかが大事なの」
「なっ……グミ、それは」
 そう言い終えたグミは、人差し指と親指の間に挟んだ5枚のチップを全て、0のマスに置いた。親の総取りとなる、0の一目賭け。確率はわずか1/38。配 当はなんと36倍だった。
 そんなあまりに厳しい勝負は露知らず、ルーレットは回転する。あまりの無謀な挑戦に我は言葉を失っていたが、驚いていたのは我だけではなかった。
 からからと乾いた音がこだまし、白球が運命のポケットへと落ちる。
 しばしの沈黙。集まった視線は、白球の導き出した答え。ディーラーが慌ててコールした。
「0」
 グミの目の前に50の36倍、つまり1,8M分のチップがどっさりと置かれた。本来、親の総取りとなるはずのゼロ。しかし、グミはその低確率に賭けるこ とによって勝利を得たのだった。
 先ほどはたったの10k勝っただけで大騒ぎだったグミが、落ち着いた様子で我に言う。
「あのね、さっき私が50のチップを持ったとき、あのディーラーから変な感じがしたの。赤も黒も取らせてやるかって感じの。だから、レフェルの言葉をブラ フにして、0と00の二択で勝負したわけ。どう? 一泡吹かせてやったわよ」
 変な感じとは何かわからないが、グミの理論は完全にディーラーの裏をかいていた。思わぬ収入と、目の前に積み上げられたチップの山を見て、笑ってしま う。
「完璧だな。将来有望なギャンブラーになれるぞ」
「イカサマはしないって言ってたけど、こんなイカサマだったら大歓迎よ」
 それを聞いたクラウンは盛大に笑い、しかし横目でディーラーの顔を見た。口元だけを動かして、何かを言っているようにも見えるが、周りのうるささもあっ てよくわからない。しかし、この騒々しさの中でもしっかりとディーラーはクラウンの言いたい事を理解しているようで、顔面蒼白になっていた。 
 しかし、それにしても凄まじいほどの快勝だった。損害と差し引いても1,7Mもの浮きだ。現在の資金全てを足し合わせれば2,8M。3人分の許可書には あと200k届かない。けれど、今の流れならば200など安いものだ。運がよければ、元の1Mも取り戻し、それ以上に資本を増やして帰れる可能性だってあ る。
 そのときだった。多くの客たちが、様々な声を上げながら我先にと大きな窓に齧り付くように集まっているのだ。それはまるで、電灯に群がる蟲のように。
「すげえぞ、あのルーキー。綺麗なだけでなく、あんなに強いだなんて……」
「こんなことなら観客席で眺めてるべきだったな」
「あの青髪も手負いとは思えないような冷静な判断で援護射撃してたらしいぞ」
 断片だけ切り取ってみると、それが誰のことだかよくわかった。強い美女、青髪、射撃。
「シュウとユアさんだ!」
 グミは乱暴にチップをケースに押し込み、人の波を泳いで巨大なガラス窓へと向かっていく。小柄な体格だけあって、こういうときは便利だった。雑踏の中を 潜り抜け、ようやくガラスの向こうを覗き込み、絶句する。
「シュウ、ユアさん………なによ、あれ」
 二人の後姿が、薄暗いトンネルの中に消えた後、広いスタジアム風の土の上に残されていたのは、無残な死体の数々だった。血溜まりに沈む鎧の男、氷漬けに なった魔法使い風の男。原形をとどめていない男女数名……いずれも、身体のどこかが損壊していて、とても生きているようには見えなかった。
「我がカジノきってのメインゲーム『コロシアム』にご興味が?」
「!」
 慌てて振り返ると、人の波を割ってクラウンが立っていた。薄く貼り付けた不気味な笑顔と共に。
続く
第18章 ぐみ9に戻る