冷たい、凍りつくような殺気。何もかも切り裂く極寒の刃。
 向けられている方向は違えど、それはおおかみの纏う雰囲気と酷似していた。
 牙も、爪も、瞳も、筋肉も、ただ殺すためだけに。それ以外には何の使い道もない。
 でも、それしかないから。
 生き延びるために。生き延びるために。生き延びるために。
 (同じだ)
 私の目とは似ても似つかぬその爬虫類特有の細長い瞳孔。逸らすことの出来ない視線と視線のぶつかり合い。その先に人間をいとも簡単に水晶へと変えている 存在。わたしと同じ温度で、同じ武器で、同じ理由で生きている。
 殺すことでしか自分の有用性を証明できないのなら、はじめからそうするしかなかったんだ。
 身を脅かす存在は消す。生きるために戦う。
 わたしは手にした『牙』を構え、恐竜は剥き出した『牙』を。自分の分身とも思える凶獣と向き合った。
*
「嘘だろ」
 両眼に映る光景が現実のものとは思えなかった。嘘だと言って欲しかった。波打った紋様の刀、大振りのナイフ、中空から降り注ぐ魔法の氷が、ドレイクの四 肢をバラバラにしたと思った。
 360度、避けることなど叶わない高速連携。まるで示し合わせたような連携攻撃はその成果を挙げることなく、いとも簡単に弾かれる。
 刀はまるで鉄の塊でも殴ったような甲高い悲鳴を上げ、ナイフはその血をすすることなく賊の手から滑り落ちていた。しかも、ウィザードの放った氷の刃はと いうとドレイクへと触れた瞬間、コロシアム全体の空気を凍りつかせるような冷気を放出し、あろうことか術を放った本人へと牙をむいたのだった。
「………が、ぐっ」
 俺は全身をズタズタに引き裂かれたウィザードへと駆け寄り、何も言わずに傷口を凝視する。見るからに致命傷とわかるボロ布のようになった魔術師の体から は、ただの一滴も血は流れていなかった。いや、流れることが出来なかったという方が正しいかもしれない。
 ウィザードの傷口からは水晶が生えたかのように鋭い氷が突き出していたのだ。
「クソっ、グミ……ヒールを」
 しかし、俺の呼びかけに返事はない。そうだ、グミは今ここにはいないんだった。
 俺は不意に口から出た言葉に毒づき、とりあえずウィザードの傷口から氷を引き剥がす作業に入った。ドレイクによって増幅された冷気が生き物のようにウィ ザードの全身を犯し、蝕んでいるのが、痙攣を繰り返す体を見てわかった。
「おい! しっかりしろ!」
 意識を失わないように、大声で呼びかけつつ、透き通った刃へと手を伸ばす。けれど、それが指先に触れた瞬間。反射的に手を引っ込めていた。
 手袋の指先が黒い砂となって零れ落ちていた。それがウィザードの命の砂だと揶揄するかのように。結果的に俺の反射神経は正しかったことになる。しかし、 それを素の肉体に何箇所も食らっているこいつはというと……答えは明確だった。
 浅く、短い呼吸の周期。まつ毛まで凍りつかせた状態でウィザードは硬く目を閉じ、何も言うことなく深い深い眠りについた。
 破れた手袋のまま地面を殴りつける。じんわりとした痛みは怒りによる興奮で調和される。許せなかった、なによりあまりにも無力な自分を。こんなんじゃ、 誰かを守ることなんて出来るはずがない。
 死者によるひと時の平穏は耳障りな実況の声で遮られる。
「おーっと、ドレイクがウィザードのコールドビームによって姿を変えた!! なんという圧倒的なパワーでしょう! 今まで一匹として仕留めることの出来なかったウィザードを一撃です!! これによって人間側からの結果が切り替わりました! 皆さん、掲示板のほうをご覧ください!」
 ウィザードの名前が反転し、代わりに「DEAD」と赤い文字が現れる。それとほぼ同時にドレイクの名前が反転し、「アイスドレイク」という名前が並んで いた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
 観客から怒声があがり、魔術師の亡骸へは哀悼の代わりに聞きがたい罵声が送られる。中にはそれすらもせずに、ウィザードの生死をただメモに書き込んでい るだけの者もいた。強力なシールドで物こそ飛んでこないものの、悪意の散りばめられた言葉の数々が代わりに飛んできていた。
 俺は観客を無視し、自分の置かれている状況だけを冷静に判断する。俺同様に後方から支援していた仲間、使えない弓使い、へっぴり腰の戦士達……もしかし たら初心者かもしれない。今にも泣きだしそうな盗賊、物を盗めるとは思えないほど肝が据わってない。
 ふむ、なるほど。氷の飛沫で怪我を負っていたものもいるが、いずれも軽傷だ。しかし、軽傷だろうと重症だろうと使えないことに変わりはない。
 となると残る主力メンバーだけを考えれて作戦を立てればいい。何しろ相手はアイスドレイク一体。こちらは一人は惜しくも欠けたが、人数的には9人もいる のだ。
 まず俺。わき腹にはまだ腐った猿からのダメージが残ってるが、銃の精度には支障がないと思う。
 次にユア。見たところほぼ無傷の駿足、剛力を兼ね備えた戦士。かなり頼りになる。
 サベージ。賊だが、ナイフはどうも効かない様子。スピードでかき回してもらうしかなさそうだ。
 ヨロイ。ユアと同じく主力。力やタフさだけを見ればユアよりも上だろう。もしかして、何か特別な技を持ってたりするかもしれない。
 弓使い。スティジ一匹もしとめられない実力だが、混乱に乗じて一発くらいは仕事をするかもしれない。
 残りは………残念だけど、考えないほうが賢明だった。逃げてくれていたほうが助かる。
 作戦はそうだな、このメンバーなら俺達がサポートしながら、前衛が何とか押し切るってのが理想で、かつ誰でも考えそうな作戦だ。きっと伝えずとも前の三 人はそう実行するだろう。なら伝えなきゃならないのは後衛にだけだ。
「おい、そこの盗賊っぽいやつと戦士っぽいやつ。死にたくなかったら逃げてろ。いいな」
 どうも冒険者というよりも店の店員や事務を任されそうな連中たちは、しきりに首を振って一目散に逃げていった。広いコロシアムだ、なんとか逃げ切れるか もしれない。
「そして、そこの弓使い」
「弓使いじゃねえ、弩使いだ!」
 別に弓だろうと弩だろうとどうでもよかったが、どうもムキになるのでわかったわかったという素振りでなだめる。今はこだわってる場合じゃないだろう。
「とにかくお前は俺と一緒に後方支援だ。間違っても仲間に当てるんじゃないぞ」
「バカにするな!」
 俺はやたらと噛み付いてくるそいつを軽く受け流し、迫り来る恐怖からの震えをどうにか押さえながら、ドレイクの見下ろすような視線を睨み返す。慣れた動 作で光の銃弾を装填し、震える指をどうにか引き金へと固定する。
 が、しかし、そのときひとつおかしなことに気づいた。
 前衛は誰一人として動いていないのだった。あの凶暴なドレイクの至近距離で、攻撃も回避運動もせず、ただ武器を構えているだけだ。しかも巨大な体躯と向 き合っているのは、体のでかいヨロイではなく、細い四肢のユアだった。まるで共通点のない一人と一体が、鏡にでも向き合ったかのように動きを止めている。 おそらく俺が後ろでいろいろ手を回しているうちにもずっとそうしていたのだろう。見ていたわけではないが、なんとなくわかった。
 そして、改めていくつかの事に気づく。さっきまでの煮えたぎるような興奮とは別のこのコロシアムを満たす異常な空気。殺気。それを生み出している二つの 強い意志。
 そう、アイスドレイクははじめから俺達のことなど見ていなかった。ヤツがただ睨んでいたのは、ユア。そして、ユアが大きな瞳に映しているのは他でもない アイスドレイクだった。
 一心同体、湖面に映る月のようにユアはその手の断首刀を、ドレイクは無数の歯牙を、何の予備動作もなく、もともとそうなることになっていたかのように噛 み合わせた。
 微弱に揺れる大気。互いに振りかざした刃は互いを傷つけることなく、初めの位置へと戻される。これが何かの儀式であるかのように、何かを確かめるかのよ うに。ユアが口を開き、紡ぎだされるはいつものおっとりとした優しい声ではなく、冷たい意思の表明。
「わたしは、あなたを殺します。あなたは存在してはいけないものだから」
「グゥルルルゥウウウ……」
 ユアに呼応するかのような重く、冷えた唸り。まったく言語にならないそれは、ユアが言ったそれとまったく同じ意味を示しているように思えた。
 刹那、爆発的な叫びをドレイクが上げ、大きな頭部を振りかぶってユアの半身が食われる。しかし、よく見るとユアは何もなかったかのように鋭い牙に押しつ ぶされた空間のすぐ横に立っていた。突然の凶行にも関わらず、軽いステップで身をかわしたらしい。かわしたと言い切らなかったのは悔しくもその動きがまる で見えなかったからだ。
 ユアは今のような不意打ちに備えてか、一歩距離を置き手にした刀を構える。物語の勇者がそうするように、背後の仲間を気遣いながら眼前の敵を撃ち滅ぼす ために。
「シュウさん、わたしとヨロイさんが食い止めているうちに、サベージさんをよろしくお願いします」
 ぐらっとバランスを崩したサベージが、ヨロイにもたれかかる。よく見ると太ももが赤黒く濡れていた。至近距離で一発もらったらしい。
 ヨロイは自らの重量を感じていないかのように、軽々とサベージを担ぎ、アイスドレイクへ背を向ける。敵に背を向けぬといった古い考えの持ち主ではなく、 きちんと戦況の判断を出来る人物だということが垣間見えた。
「おおっとー! ヨロイはサベージを担いで敗走! しかし、そこにドレイクは容赦なく襲い掛かるゥッ!」
 しかし、もちろんその隙を逃すドレイクではない。牙の殺傷力はないが、それ以上に柔軟に動く尾を十分すぎる勢いでヨロイへと叩きつける。しかし、骨を軽 々と粉砕するであろう一撃を受けても、ヨロイはびくともしなかった。いや、厳密に言うとヨロイに攻撃は届かなかったのだ。
「あなたの相手はわたしです」
 分厚い刀身が尻尾の先端を地面に縫いとめていた。ユアは一番装甲の薄い尻尾の先端だけを狙い、攻撃を止めたのだ。尾全体の中で最も速く動く一点だけを正 確に。
 あまりの早業に見とれていた俺にガシャン、ガシャンというブリキの兵隊のような足音が近づいてくる。そして、見た目にそぐわない繊細さでそっとサベージ を俺の足元に寝かせた。
「致命傷ではないが、止血と避難を頼む」
「わ、わかった」
 俺は騒ぎ立てる観衆と糞実況を完全に頭の中から追い出し、コートから出来るだけ清潔な布を取り出して、傷口の上部を圧迫する。その痛みにサベージは若干 顔をしかめたが、それだけだった。
「俺としたことが情けねえ。ウィザードのカタキもとれなかった」
 サベージの口からわずかに弱音が零れ出る。俺はこいつらのことをよく知らないが、きっとそれなりに長い付き合いだったのだろう。その死に目も拝むことが 出来なかったとなると、悔しいに違いなかった。
 俺は思わず目頭が熱くなりそうになるのを必死でこらえ、言った。
「仇は俺とユアで取ってやる。俺たちゃ、復讐者だ」
 精一杯かっこつけて言ったセリフをサベージは笑って、横たわったまま俺の肩を叩く。
「復讐者が泣いてんじゃねえよ。頼むぜ、ルーキー」
「ああ、任せとけ」
 こんなときでも皮肉なジョークを忘れないサベージに感謝しつつ、サベージを守るかのように俺は俺の武器を構える。本当は避難させるべきだったが、足に傷 を負ったサベージが安全なところなど、このコロシアムにはどこにもない。ならば、俺達の後ろが一番安全だと思ったからだ。
 俺は隣で矢をつがえている弩湯使いに、声をかける。
「お前、ヤツを倒せると思うか?」
「お前じゃなくてキールだ! 99%無理だと思う。でも、負ける気はない」
「そうか、キール。俺はシュウだ。シュウ様でもいい」
「バカ言ってる暇あったら撃てよ! バカガンナー!」
 ガンナーじゃなくて罠使いだとは言わずに、俺も黙って敵の隙をうかがう。それにしても最近、初対面のはずなのに俺の評価かなり低くする人間が多い気がす る。
「アローブロー!!」
 いきなりかなりの大声が俺の鼓膜を震わせ、その直後にキールのボウガンから青い気を纏った矢が撃ち出される。俺の彗星と似てはいたが、矢が纏うオーラが 矢を倍近く巨大化させ攻撃力を高めていた。
 このキールとか言うガキ、口は悪いが弓使いであることに変わりはないようだった。正確に放たれた矢は空気抵抗やら、ドレイクの動きやら、なんやらも計算 され尽くした角度で、アイスドレイクの右目へと飛び込んでいく。さっき刀が次々と弾かれていく様子を見て、目玉を狙ったらしい。
「よっしゃ、右目ゲット!」
 鋭い矢はやわらかい眼球を……と思いきや、バリンとガラスでも割ったような音が聞こえて、矢の後部が地面に落ちる。ドレイクの目からパラパラと落ちる涙 ではない物体。落ちたのは目玉ではなく氷の破片だった。この瞬時に眼球を氷で保護したのか!?
 信じられない防御方法だったが、キールの一撃は俺達を意識させてしまうには十分だった。ドレイクはコロシアム内の酸素を吸い尽くすほどに吸気し、俺達の ことを凝視している。どこかで見たことのある攻撃法……そうだ、レッドドレイクの火球!!
 しかし、気づいたときはもう遅い。あの攻撃は見てから避けるなどまず不可能な速度で飛んでくるのだ。しかも、こっちには手負いのサベージがいる。逃げ道 はなかった。
 俺は脳をフルに回転させて、生き残る方法を考え出そうとしたが、幾分時間がなさ過ぎた。結果、思いついたのは一か八かのギャンブルで、バズーカに榴弾を こめることだけだった。撃ってくる弾丸を弾き落とすのと同じくらい不可能な選択。でもそれしか思いつけなかった自分の頭にケチをつけている時間もなかっ た。
 瞬時に空気が凍り、亜音速の氷弾が俺へと放たれんとしたその瞬間。ヨロイの豪腕がドレイクの顎を強打した。強烈なジャンピングアッパーに脳を揺らされた ドレイクは、思わず出来かけの氷を吐き出し、むせ返る。危機一髪だったが、ヨロイの機転で助かったようだ。
 ヨロイは凍りついた手甲の氷を払い、くぐもった声で言った。
「お前の相手はこっちだといっておろう」
 ドレイクは血混じりのよだれをたらしながら、口端を吊り上げて笑った。
続く
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