人工的な光が輝かしく降り注ぐ円形のフィールド。その中央には二つの軍勢。
 一方は人間側、もう一方は魔物側という単純な構図だった。
 魔物は圧倒的な力で人を襲い、人間は魔物から身を守るためにさまざまな力を身につけた。それは古代の魔法であり、磨かれた技術であり、鋼のごとく鍛え上 げられた肉体であり、画期的な武器であったが、本質的にはどれも同じことを目的に作られてきた。
 すなわち、敵を駆逐すること。安全を脅かす種を蹴散らし、無に返すこと。魔物たちが本能的に行うことを、人間が明確な目的意識を持って答えた。
 どちらかが絶えるまで終わることのない戦争。その縮図がここにあった。
*
「制限時間は十分、それ以外ルールは一切なし!存分に殺し、殺されてください! それでは『コロシアム』第一戦開始ーーッ!!」
 実況の男が勝負の開始を告げたと同時に、会場のモンスターに小さな異変があった。戦うに当たって異常に研ぎ澄まされた知覚でようやく拾うことの出来た違 和感だ。周りのほとんどの人はその違いに気づくことなく、会場の熱気に焼き殺されないようにするのが精一杯だっただろう。
 わたしが最初に感じたのは言うならば鍵の外れる『音』だった。実際、目に見える鍵なんてモンスターに付けられるはずがない。外れたのは彼らの本能を何ら かの形で縛る鎖の鍵だった。
 モンスターが現れたと同時に感じたある種の違和感が何だったのか。その答えがそれによって示される。
 そう、襲い掛かってこないモンスターなんてものはこの世界の常識ではありえないはずだった。でも、目の前のモンスターたちは、わたしたちを目にしても無 感動に見ているだけ。まるで風景の一部として捉えているようだった。
 しかし、司会が戦闘開始の合図を告げ、場の空気が変質した瞬間。絶叫とともに見開かれた幾つかの瞳が、わたしたちを初めて知覚したかのように爛々と光っ ていた。
「さてさて、血沸き肉躍るこの戦い。はじめに動いたのは陸の覇者、ドレイクだァーッ!! 大地を揺るがすその巨体で人間たちに迫る!迫るッ!」
 見下ろした司会の実況に続いて歓喜の声。もちろんわたしたちはそれどころではなく、目の前に迫る陸の覇者への対処に追われていた。
「散れッ!」
 仲間の誰かが反射的に叫ぶ。それとどちらが早いか、ドレイクがその質量と硬質の鱗を武器にわたしたちへと体当たりを繰り出してきていた。その一撃に掠る だけでも触れた部分の骨は砕け、錐揉み回転して吹き飛ばされるだろう。
 今までの経験からか、わたしとシュウさんの二人はその声を聞く直前に危険を察知して、左右に跳躍していた。しかし、他の人たちはとっさに行動できず、ワ ンテンポ遅れてドレイクの進行ルートから逃げ出そうとしていた。しかし、その行動を読んだように、左右から一匹ずつ夜狐が駿足を活かして囲い込んでいた。
「うわっ!」
 仲間の一人がステップした瞬間、狐に足を刈り取られ転倒する。他の数名も己の武器で狐に抵抗を試みるが、そのスピードの前に翻弄されるばかりだった。
「おおっと! 俊敏な夜狐の動き! いつの間にか囲まれていたぞォ! 始まって早々、大ピンチだーー!!」
 跳んでいるわたしたちには目もくれず、実況が極めて安全な位置からわたしたちの危機を教える。嫌でも耳に入ってくるそれを出来ることならこちら側に聞こ えないようにしてほしいくらいだった。
「クソッ……ヤバイぞ」
 誰かが誰に言うでもなくつぶやく。体の芯に響く、地鳴りのようなドレイクの突進が近づいてくるのをわかっていながら、その行く手を夜狐に阻まれ、ドレイ クの射程からは逃れられない。夜狐もそれをわかっているようで、そちらから攻撃を仕掛けることはなく、ただわたしたち人間側の逃げ道を封じることだけに専 念していた。
 すべきことはわかってるのに、それをさせてもらえない。強烈なジレンマと迫り来る質量に、焦るばかりだった。
 ただ本能だけで人間を襲ってくる魔物たちにしては、信じられないチームプレイ。夜狐は身を危険にさらしながらも、羊を囲い込む猟犬のように人間を一箇所 に集め、そしてその人間の方向に巨体を持つドレイクを突っ込ませる。上から見下ろす観客からはボーリングのピンを倒す鉄球に見えてるのかもしれない。そし て、鉄球が見事にピンを砕くのを心待ちにしているのだ。
 そうさせるわけにはいかない……! けれど、わたしには空中から狐を狙い撃ちにする手段を持ち合わせていなかった。あの包囲網から逃れて、遠距離攻撃の出来る人。わたしは信頼できるその人の 名前を叫んでいた。
「シュウさん、狐を!!」
「任せろっ!!」
 シュウさんはわたしが言うよりも先に空中で体勢を立て直し、二丁拳銃を近くの狐へと向けていた。そして、そのまま躊躇なくその引き金を引く。ほぼ同時期 に発射された対の銃弾は心臓と頭を灼熱の牙で食い破った。
「……コ」
 自らの弱点を同時に攻撃された夜狐は血の泡を吐いて地に伏す。しかし、すぐに体を起こそうと躍起になっていた。あの攻撃を受けても即死しない生命力。あ の森で襲ってきた狐と同じくアンデッドだった。
「なんと!シュウが空中から二撃の銃弾を放ち、夜狐を撃破したーッ!! なんたる命中率。今度のルーキーは凄腕ガンナーだ!!」
 大げさに実況が騒ぎ立て、それに続いて観衆もシュウさんの活躍振りを評価した。中にはシュウさんの名前を大声で叫ぶ人までいた。自分のことではなくシュ ウさんが褒められているのが少しうれしかったものの、今はまだ喜んでいる場合ではない。
「左から逃げられるぞッ!」
 夜狐はまだ息絶えてはいなかったものの、妨害役にとって致命的なダメージを負っていた。その隙に乗じて左舷側にいた人たち数人が、ドレイクの軌道上から 辛うじて身をかわす。ただ、右側にいた人たちは焦りと執拗な妨害から、パニックに陥りかけていた。
 シュウさんは自分の状況を知ってか知らずか、着地する直前に、もう一方の夜狐へと銃口を向ける。
青く光る銃口……シュウさんは、目の前に広がる人間たちのわずかな隙間を、針の穴を通すように射抜くつもりのようだった。集中によって輝きを増す青、しか しその光がふっと途絶えた。
「ぐっ、がはっ!」
「ゾンビルーパンのバナナ攻撃がシュウに決まったー!! たまらず体勢を崩した!!」
 実況の言葉と、客から浴びせられるの嘲笑から、無防備な着地の隙を狙って、今度はゾンビルーパンがシュウさんを狙撃していたらしいことがわかる。得物は いつかのルーパンと同じバナナの皮、けれどもバナナの皮にぶつけられたくらいのことで、シュウさんが怯むとは思えない。遠目からはわからないけど、あの皮 には何か仕掛けがあるようだった。
 シュウさん……。今すぐ駆け寄って無事を確かめたい、そんな気持ちが心の底から湧き上がってくる。しかし、今はそれどころではなかった。わたしは足が地 面についたと同時に、その衝撃をバネにしてもう一匹の夜狐へと飛ぶ。鍛えた足からの瞬発力と、重たい刃での狙いすました一閃。断首刀は苦もなく狐の首を切 り落とし、体の痛みを感じるまもなく、狐を絶命させた。
「なんという早業! ルーキーのユアが一瞬のうちに夜狐の首を胴体から切り離したー!! これで包囲網がとかれたぞ!!」
 実況が何か喚き、割れんばかりの喝采がわたしの聴覚を邪魔する。ドレイクとの衝突は間近に迫ってるというのに、喜んでいる余裕などなかった。
「逃げ……」
 そこまで言ってから気づく。衝突まであと二秒はかかるはずだったのに、途中から加速したのだろう……ドレイクは既に衝突地点まで到達していたのだった。 一番前にいた鎧の人にドレイクの鼻から生えた角が突き出された。
 至近距離で二つの力がぶつかり合い、空気を揺るがすような衝撃がわたしのすぐ近くを叩く。それに続いて、金属同時が噛み合った時の悲鳴のような鋭い音が 耳元で響いた。わたしの想像では、鎧ごと粉々にされるか、たとえ鎧は無事でもその衝撃で中の人がミンチになってしまうかのどちらかだった。
 襲い来る烈風の中、その最悪の二択から目を背けようとしたわたしだったけれど、結果はどちらでもなかった。
「…………」
 すぐ近く、ドレイクと鎧武者とが組み合うような形で立っていた。ほぼ密着した二つの力、ドレイクの鼻角と鎧武者の細身の刀はどちらも折れることなく、そ の形を保っていた。
 わたしは目の前で起こった奇跡に目を見開いて見入る。なんと、あれだけの衝撃の最前線にいたにもかかわらず、鎧の人は死ぬどころかドレイクを抑えきった のだった。とても人間技とは思えない。
「直前に抑えたか。魔物にしては、やる」
 ほんの少しの間続いた平穏が、鎧武者の言葉で再び戦争の空気へと舞い戻る。それと同時に興奮した司会が歓声を上げていた。
「アンビリバーボー!! ななな、なーんとヨロイがドレイクの直撃を受け止めたー!!! 今回も魅せてくれるのかーッ!」
 一挙に会場が沸騰したかのように沸く。巻き起こるヨロイコール。間違いなくこの武者さんのことを呼んでいるのがすぐにわかった。会場の雰囲気に押され、 自分も応援したい気分になるけれど、シュウさんのことが気がかりだった。
「ヨロイがいつも通りの活躍を見せ、続いてサベージとウィザードが動く!! 一気に攻勢に移ったーッ!!」
 わたしは戦闘中とはわかりつつも、人の群れの中でシュウさんが苦しんでるかと思うといてもたってもいられず、走る。瞬間、ヨロイさんの周りにいた二人の 気配が遠くなり、実況が何か言っているようだったけど、そんなことはすべて体が無視していた。
「大丈夫ですか!」
 わたしはわき腹を押さえうずくまっているシュウさんへと駆け寄り、叫ぶ。近くで見るとよくわかる、シュウさんはどう見てもバナナの皮が当たってこうなっ たとは思えないほどの深い傷を負っていた。
 シュウさんはゲホゲホと咳をし、ふらふらと立ち上がる。そして、わたしに血のついたバナナの皮を手渡して、言った。
「その皮の中、見てみろ。油断したぜ」
 わたしは血で濡れたそれを注意深く覗き込んで見る。中にあったのは黄色い果実ではなく、ずっしりとした質量を持った滑らかな銀色の玉だった。
「でけえベアリングだ。ここまでくるとほとんど砲弾に近いな。……バナナぐらいで外すつもりはなかったから、あえて食らったんだが、こんなモンを仕込んで るとは夢にも思わなかった」
 シュウさんはそれだけ言うと、地面に血の混じったつばを吐いて、あれだけの攻撃を食らっても手放さなかった拳銃から残弾を捨てる。精神力で構成されたそ れは、地面に落ちたと同時にぱっと輝いて消えてしまった。シュウさんはそれを確認することもなく、指から音もなく銃弾を生み出して、素早くリロードした。
「シュウさん、その傷じゃ……」
「あぁ。くやしいが、今回はサポートに回る。ユア、俺の代わりに大暴れしてきてくれ」
 シュウさんの温かい手がわたしの肩にぽんと乗せられる。シュウさんは自分の体のことをよくわかっているらしく、無理はしないといってくれた。
「はい」
 うれしさをかみ締めながら、大きくうなずく。まずはあの猿を全滅させよう。そう、心に誓い、改めて敵の姿を見据える。
 目に入ってきたのは高速で動く影と、いくつもの氷の柱が地面から生えている様子だった。ゾンビルーパンの一匹は体の半分を氷付けにされ、もう半分を細切 れにされていた。残り二匹も傷を負いながら、必死にベアリング入りのバナナを投擲している。モンスターチームの全滅は時間の問題のようだった。
「早く行かないと狩りそびれちまうぞ。ほら、俺のことはいいからさ」
「いってきます」
 シュウさんに後押しされて駆け出す。さっき、シュウさんに撃たれた狐は誰かの手によって始末されていた。わたしはそれを飛び越えながら、ドレイクと斬り 合っているヨロイさんを尻目にゾンビルーパンへと更に加速する。
 もしかしたら、既に勝負が終わってしまってるかもしれないのではないかと思っていたが、新たに目に映った光景は別のものだった。さっきいろいろ話してく れた男の人、たぶんサベージさんが頭を抱えていた。頭痛かと思ったけど、よく見ると耳を塞いでいるみたいだ。
 サベージさんは片手だけを耳から話、空を向かって指差す。
「姉ちゃん、蝙蝠に気をつけな! 俺たちとは相性が悪すぎだ。一度退くから、ここは任すぜ」
 見上げるとそこには四匹の蝙蝠が体の半分ほどもある大きな口をあけながら、羽ばたいていた。目には見えないけれど、鼓膜を刺激する何かを出してるらし い。ずっとサベージさんに向けられていた大きな目がふいにわたしのほうへと向けられる。
 その瞬間、小柄な体型のサベージさんは見たこともない移動術で音も立てずに、こちらへとダッシュしてくる。途中で耳を押さえていた両手を離し、大振りの ナイフを握っていた。きっとこの人はシーフなんだろう。
「……超音波、吸血。僕には、向かない」
 シュンという風のような音と共に、わたしの右隣にウィザードさんが現れる。確か、アッシュさんがやっていたテレポートという魔法だろう。この人もあのス ティジとかいう蝙蝠とは相性が悪いらしく、ヨロイさんの加勢に回るようだった。
 三強と呼ばれたうちの二人が退避し、わたし一人が取り残される。少し不安ではあったけれど、そのときはまだなんとかする自信があった。しかし、その耳の 中に針を突き刺されたような痛みを感じて、思わずサベージさんのように耳を覆う。突き刺すような痛みと、それに続く頭の中をかき回されるような感じが一度 に襲ってきた。
「くっ…」
 わたしは今にも折れそうになる足をなんとか支え、耳以外の五感で情報を集める。周り、肌に感じる殺気。ゾンビルーパン二匹がバナナでわたしを狙ってい た。
 視覚。ざわめく観衆。実況が何か言っているようだけど、とても聞き取れるような状況ではなかった。 さらに視点を変え、超音波の発信源へと目を向ける。 とても斬撃が届きそうもない中空を不規則に飛びながら、超音波を放つスティジ4匹。今、最善の行動をしなければやられる。そう思った刹那、スティジの一匹 が銃声と共に落ちた。仲間がやられたことで規律が乱れ、わたしを集中攻撃していたスティジの超音波が一瞬止まる。
 その瞬間をわたしは見逃さなかった。元より手の届かないスティジは無視して、手近にいたゾンビルーパンへの距離を瞬時に縮める。ゾンビルーパンはわたし を迎え撃とうとしてバナナを構えたけれど、脳からの指令が指先に伝わる前に、わたしがゾンビルーパンを真っ二つに叩き割っていた。鼻をつく血臭と脳漿が飛 び散り、それが地面に撒き散らされる前にもう一度跳び、最後のゾンビルーパンへと肉薄していた。
 スティジは素早く動く標的は狙えないらしく、ばらばらに飛び回っては、乾いた銃声と共に落ちていった。他にも何発か矢のようなものが撃ちこまれていた様 だったけど、こちらは一発も当たらずにすんでのところを避けられてしまっていた。
「シュウさんのっ、かたき!」
 わたしは身構えるまもなくただ防御体勢をとっていたゾンビルーパンを、腕ごと袈裟切りにする。相手は金切り声を上げて、痙攣したまま動かなくなった。そ の直後、鋭い銃声と空気をすべるひゅーっという音が聞こえて、内臓の零れたゾンビルーパンに羽のちぎれたスティジが二匹重なった。
 後ろからシュウさんの声が聞こえてくる。
「おーい! 俺はまだ死んでないぞー」
「え? あっ……」
 なんとなくノリで仇とか言ってしまっていた。ちょっとだけ恥ずかしかったけど、弁解はせずに的確な援護射撃をしてくれたシュウさんに感謝する。次の標的 は……残るあのドレイクだけだったはず。
 そう思って振り向いた瞬間、わたしは二つの意味で寒気を覚えた。ひとつはそのまま雪や氷の寒さ。もう一つは、氷漬けにされた人間と、白く冷たい殺気を放 つ見知らぬドレイクの姿だった。
続く
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