勝負において最も重要なものとはなんだろうか。無論、直接的な戦闘のことではなく、あ りとあらゆる勝負におけるルーツのようなものの話だ。
 それは資金源だろうか、頭脳だろうか、技量だろうか、それともやはり天運か。
 結論から先に言おう。有体に言ってしまえば、全部だ。全ての要素、全ての思惑が複雑に絡み合い、勝敗というひとつしかない答えを導き出していく。
 ただ、その中で譲れないひとつの要素があるとしたら。勝つための最善路があるとしたら。
 選ぶしかなかった。この勝負、負けることは同時に死を意味するのだから。いや、死ぬよりもっとひどい目に遭う可能性もある。そして、そうならないための 唯一選ぶべき、実践すべき手段。それは、直感だ。
 そう、計算でも技能でもなく、直感である。限りなく均衡した立場、状況を共有する場合、最終的に決定的な差をつけるのはほんの些細なことなのだ。そし て、これを制する者、勝ちはあっても負けはない。
 中にはイカサマをやってしまえば勝てると思う者も多いのではないのかと思う。だが、イカサマをやった時点でそれは勝負ではない。片方が圧倒的有利を得た 勝負はただの略奪でしかないのだ。
 ついでに言うならば、この短期間にグミへとイカサマを仕込むことは不可能だといえる。ギャンブルに対する知識の不足もさることながら、魔法使いにもかか わらず恐ろしく不器用なのだ。しかも、かといってポーカーフェイスかといえば、感情がそのまま表に出るタイプだという。それがやったこともないイカサマを 極度の緊張状態で行ったとすれば、結果は目に見えている。破滅だ。
 もちろんカジノ側にイカサマなど何らかの不正がないかどうかは、現時点ではどうとも言えない。その様子を見るために、しばらく見に回るということも考え たが、それよりもグミにカジノという特殊な環境下の空気を慣れさせてやるべきだと考えた。なぜならここは、いわば治外法権。合法的に奪い合いが許可された 場所なのだから。
 話を戻そう。そんな中でグミが生き残る術はあるのかという話にだ。
 確率は恐ろしく低い、だがゼロではない。そもそも、勝負なんてものは人間の考え出した数学で全部決まるわけではないのだから。赤、赤、赤と三回連続でき たからといって、次は黒である保障があるだろうか。黒の2が出たすぐ次の回に連続で黒の2が出ない保障はあるだろうか。
 ないのだ。そんな法則など。赤が連続で十回以上出ることもあれば、同じ数字が三回、四回出ることだってある。だからこそ、ギャンブルは多くの人間を熱狂 させてやまないのだ。
「ねえ、レフェル。レフェルってば」
 しばらく盤上の玉が回転するのを黙ってみていたグミだったが、ついに痺れを切らして我の勝負理論を遮る。もしかしたら、まずないとは思うが、グミなりに 何か発見したのかもしれない。
 我は周りで何か大きな音がするのを見計らって、グミだけに聞こえる最小限度の声量で答えた。
「なんだ、手短に頼む」
 グミは真剣極まりない声で、我に囁いた。
「赤か黒ってどうやって賭けるの」
 あまりに初歩的過ぎて、最初何を言ってるのかわからなかったというのが本音である。そうだ、グミには赤か黒に賭けろと言っただけで、どうやればその勝負 に参加することができるのかということを説明していなかった。ルーレット初心者ならぬ、カジノ初心者ではわからなくて当然だった。
 しかし、我はあまり目立たないようにしたい一心から、見ようによっては不親切だが、必要最小限の解決方法をグミに告げる。
「クラウンに聞け」
 その返答にグミは軽く頬を膨らませることで抗議する。そして、すぐ隣に直立不動で立っていたクラウンの方を見て、自信なさげな顔をした。何も言葉にしな くてもこれだけわかりやすい人間も珍しいだろう。クラウンはグミの苦手ランキングの上位にいることは疑いようもなかった。
 しばらくグミはなんとも形容しがたい顔をしていたが、ようやく意を決したようにクラウンへと声をかける。
「どうかしましたか?」
 クラウンはこうなることを見越していたように、グミへとそっと微笑み、グミが何か話すのを待っていた。
「実は、どうやって勝負に参加したらいいかわからなくて……」
 怯えと自信のなさが相まって、思い切り小さな声でボソボソと呟く。しかし、クラウンはそれでもちゃんと聞いていたらしく、右手でルーレットの隣に面した テーブルを示した。
「勝負に参加したいのでしたら、あなたが一番賭けたい場所に、賭けたいだけのチップを置いてくださるだけで大丈夫ですよ。見事的中したときの配当は、全て こちらが行いますし、グミ様は賭けてくださるだけで結構です」
 クラウンはそれだけ説明すると、元の氷の微笑に戻り、グミのことをじっと眺めているだけだった。クラウンの返答は賭けたい場所に賭けたいだけと、一見わ かりやすい説明のようにも思えるが、抽象的でグミが求めてる答えとは程遠かった。むしろ、適当な説明をして困惑するグミの反応を楽しんでいるだけにも見え る。
 嘘をつく気もないようだが、こちらから有利に勝負できるように配慮したりする気はないようだ。しかし、このままでは結局勝負に移ることはできなかった。 我は見るに見かねて、次なる質問の内容をグミに伝える。
「ベットの上限を聞け」
 意味をわかってるのかいないのか、グミは小さく頷き、クラウンに問うた。
「ベットの上限はいくら?」
「当カジノに上限といったものはございません。ただ、ひとつの数字にチップが一億枚乗るかという限界の話でしたら、わかりかねますがね」
 最後に冗談めいたことを言って周囲の笑いを誘ったが、笑ってすませないような一言があった。上限なし、それが何を意味するのか理解していれば、そんなこ とはありえないと一笑に付すことだろう。
 相手があの仮面の男でなければ。
 ルーレットで青天井ということは、さっきやつが言ったとおり、一億賭けることも出来るということである。もちろん、それで見事的中させれば一億の数倍の 額がそのまま手に入り、ハズレもしくは0、00が当たった場合はその瞬間破産ということである。そんな型破りな賭け幅に耐えられる精神を持つ人間などそう はいないだろう。
「ですが、大抵の人はどれだけ賭けても10のチップを五枚程度が平均でしょうか。それ以上になると、人生を運命の車輪に託した人のほうが多くなりますね。 うち半分以上が残念な結果に終わりますが、そういう運命だったのでしょう」
 運命、そう言い切る男に疑問がわいた。我はグミに精一杯疑う素振りをするように指示し、この勝負における平等性を揺るがす問題について聞かせた。
「イカサマ、してないでしょうね」
 しているなんて言う筈はないが、それでもわざわざそれを言うことで、相手の手の内を探ることは出来ると考えた結果の質問だった。しかし、クラウンの答え は意外かつ、絶対の自信を持ったものだった。
「ついさっき席を開けたときのことなのですが、ポーカーでディーラーとグルになって共闘をしていたお客様がいらしたのです。そこで私共はそのディーラー共 々その場で捕らえ、見せしめに八つ裂きにしてやりました。神聖な勝負の場を汚した罪は血を持って償っていただきます。全てのイカサマ行為と思しき行動は、 当カジノ最新の設備で監視させていただいておりますので、ご安心ください。イカサマをしては、それは既に勝負ではなくビジネスなのです」
 クラウンは一息でついさっき行ったらしい成敗の様子を告げる。丁寧な言葉遣いではあるが、見せしめに八つ裂きとは穏やかではなかった。どこか異常性はあ るものの意外にも我と勝負に対する姿勢が一緒なのは好感を持てた。
 だが、クラウンはまだ満足していないとばかりに、イカサマに対する抗弁を続ける。
「第一、カジノというものは胴元が儲かるようなシステムになっておりますので、あえて不正や誤魔化しをする必要はないのです。ですがそれでも絶えないクズ のような人間に対しては、それこそ当然の処置だと思います。こちらルーレットでも同じこと。そこのディーラー、バーフィーといいますが以前は凄腕スピナー として地方のカジノで相当やんちゃしていたところを私が拾ったのですが、私に仕えてこの二年間、その気になれば数字まで狙える実力を持つにもかかわらず、 気まぐれや利己のために勝負することを放棄して、運命に干渉することをしなくなりました」
 バーフィーと呼ばれたディーラーの表情が心なしか硬くなる。クラウンの勝負に対する並々ならぬ情熱とは逆に、冷たい氷の刃を首筋に当てられているような 表情だった。しかし、それでもその場から逃げ出さないだけ、ディーラーとしての誇りがある、もしくはなにか弱みを握られているのだろう。
「ですが、それでも信用いただけないと言うのでしたら、グミ様自身がボールを投げてくださっても結構ですよ?」
「え、私が?」
 心底驚いた表情でグミが自分のことを指差す。まさか自分がと思うのは当然のことだ。グミにクラウンの言う運命に干渉する技術はないし、それではイカサマ のしようがなかった。つまり、完璧なイカサマの放棄である。
「ええ、その通りです。もちろん他のお客様でも、私自身が放っても構いません。そのことで皆様の信頼を得られるのでしたら安いものです。それグミ様 と……」
 そこで唐突にクラウンは言葉を切り、グミと……なんと我にも聞こえるように囁いた。
「そちらのマジックアイテムかなにかでしょうか、レフェル卿。カードにおける覗き見や妨害などを行わなければ、それはイカサマにあたりませんので堂々と しゃべってもらって構いませんよ。多くの人は不思議に思うかもしれませんが、まさかあなたのようなメイスが喋るとは思いもしないでしょうし、信じもしない でしょうから」
 男はわざと見えているほうの目で、我にウインクする。我に表情があれば、さぞ間抜けな顔をさらしていたことだろう。
 何もかもこの男には見透かされていたのだった。それが想像し難い存在だとしても、このクラウンにとっては取るに足りないことらしい。
「では、グミ様。勝負を始めましょうか」
 にっこりと微笑み、ディーラーへと指示を送る。ディーラーはそれを見ると慌てて、ルーレットを回転させた。グミは一挙に与えられた情報を整理しきれず に、我に次の一手を仰いだ。
「う、うん……それで、レフェル。どうやって賭けるの?」
 次の一手ではなく、最初の一手だったと訂正をしておこう。我はとりあえず1と書かれた一番金額の小さなチップを一枚、グミに取るように指示する。1k チップ、最小とは言えども安価なレストランなどならそれなりにいい昼食を取ることが出来る金額だった。
 グミは言われる前にそのチップを強く握り締めていた。これから始まる、長い勝負の第一投。緊張しないわけがなかった。
 我はクラウンにバレたことで、正体を隠す必要もなくなり、堂々とグミに指示する。
「それをテーブルに描かれた赤か黒の菱形のどちらかに置くんだ。あまり気負いすることはない、ただ直感で置くんだ」
「わかった」
 グミはチップを人差し指と親指でぎこちなくつまみ、おもむろに赤へと置く。理由は特に問わないが、きっと赤に何かを感じたのだろう。
「ノーモアベッド」
 ディーラーがテーブルを撫でるような動作をし、それ以上賭けられないことを伝える。ここから先は人間が触れることの出来ない神の領域だった。
 グミを含め、他の参加者二名とクラウン、そして我の目の計、十の瞳は黒と赤の盤上を走る白に釘付けになる。
 白球は運命に逆らうようにルーレットとは逆側に走っていたが、徐々にスピードを緩め、運命に流されていく。失速した先にある運命、それは……。
「黒の20」
 ディーラーはそう宣言すると、透明な水晶をテーブルに記された20の数字へ置いた。と同時に先ほど一度リセットされたらしい電光掲示板に、黒の20と表 示される。
 それを見たグミはがっくりと肩を落とした。赤に置いてあったグミのチップは、他の外れたチップと同様専用の器具で即座に回収され、運よく四目賭けに引っ かかった婦人へにのみ元のチップの九倍のチップが配当された。
「残念でしたね……でも、まだ勝負は始まったばかりです」
 クラウンは独り言のようにグミに語りかけ、励ます。それだけで実際は大したことのない負けなのに、グミは何百も賭けた勝負で大敗したように感じたらし かった。
「グミ、落ち込んでる暇はない。二人を助けるのではなかったのか?」
 今にも終わってしまいそうなグミに我がはっぱをかける。高い理想、そして成し遂げなければならない最終目的を。その一言でグミはその瞳に光を取り戻し た。
「レフェル。私、勝つためにどうすればいいの」
「そのままあと九回、1ずつ好きなほうに賭けるんだ」
「わかった」
 グミはディーラーがルーレットを回転させるよりも早く、さっきは賭けなかった黒へとチップを置く。他の参加者もそれにわずかに遅れて、それぞれ思い思い のところへと賭けた。
 ディーラーはそれを一瞥すると、親指を盤に押し当て、ぐっと右回りに回転させる。そして、すぐさまボールを運命と逆らう方向へ投げ入れた。慣れた動作と ともに、ノーモアベッドが宣言される。そして、ボールがポケットに収まると、その数字をすぐさま宣言した。
 十戦が終わるまで賭け続けた後、我は掲示板を確認した。新しい数字が上にどんどん上から表示され、過去の結果は下へと流れていく形である。ここ十回の履 歴はというと、赤3、黒22、黒13、赤27、黒2、0、黒28、黒4、赤1、黒28だった。次にグミの表情を確認する。
「私、もしかして生まれつき運ないかも……」
 今にも泣き出しそうに、目のふちに涙を溜めている。グミの勝率は現在のところ全敗であった。
続く
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