その箱はおいしいプレゼント? それとも開けちゃいけないパンドラの箱?
 密閉されていた箱の蓋が、突如として開かれた。それと同時に中にいたモノたちが、光を 求めて外へ外へと歩みだす。その足取りは淡々としていて、自らの置かれた状況を完璧に理解した上で、義務を果たそうとしていた。
 すなわち、戦うこと。さしたる理由も無く、ただ襲い来る敵を得物の錆びにする。喜びも無く、悲しみも無く、隙あらば命を落とす戦いにもかかわらず、微塵 の恐怖も感じていない。生き残るための本能。
 そう、わたしたちはただ、生き残るためだけに。
*
 薄暗く、人の輪郭を捉えるのがやっとだった洞窟みたいな箱部屋とは、桁違いの光が俺たちに向けて照射されていた。それはスポットライトを浴びた役者のよ うでもあり、サーチライトに照らされた指名手配犯にも見える。だが俺は演技の指導を受けたことも無く、自警団に捕まるようなヘマをやらかしたこともないは ずだった。
 背丈や格好もまるでばらばらな俺たちだけを照らし出していたライトは、派手な撥音によって舞台を照らす全照明へと切り替わる。今まで闇に覆い隠されてい た舞台の全容が明らかになる。そこは広い、一周するのに10分近くはかかりそうな円形のスタジアムだった。
「すげえな……」
 俺は足元にしっかりと整備された地面を蹴っ飛ばし、感嘆する。運動するには完璧と呼べるほどの安定感、小石ひとつ無い黄土色の床。初めてこれを見た人間 は総じて驚くだろう。あんな木の中にここまで整備されたグラウンドが広がっているだなんて考えもしないからだ。
 しかし、俺はどうしてこんなところに連れてこられたのか、それがいまいちピンとこない。あの男が言っていた言葉だけが頼りだったが、カーゴレースの人間 版という説明と、鎧の男が言っていた「戦い」とはどうにも矛盾してるように感じる。俺たちが競走するのかとも考えたが、地面にはどこまでも黄土が広がって いるだけで、等間隔で並べられた白線なんてものはどこにもなかった。
 となると、これは総勢十名による生き残り形式の……鬼ごっこか!
 そこまで考えて頭を振る。さすがに鬼ごっこのためにこれほどの設備を用意するなんてばかげている。もしかするとゾンビ鬼かもしれない。ユアが鬼ならまだ しも、抜き身の得物をもった鎧武者が追いかけてくるとなると、本気で逃げるしかない。これは恐ろしい戦いになる。
 俺が冗談のような想像を膨らませていっている中、俺の肩を叩くやわらかい手があった。
「シュウさん、あれ」
 普段とは見紛うくらいの真剣な目だけを使い、ライト、正確にはライトの下のあたりを見るように言っていた。俺が注意深くそこを見ると、目がくらむような フラッシュに隠れて小さななにかがたくさん光っているのが見えた。それを見て俺はかすかに顔をしかめる。
 無数の刺すような視線だった。遠くてよくはわからないものの、大小さまざまな人間が、眼だけを動かして俺たちを凝視している。その眼差しから感じるもの は決して楽しいものではなかった。
 強いて言うなら、蟻の子を散らしてを楽しむ子供のような、好奇の目。無邪気な残虐性と共に、その幾対もの瞳の奥には総じて暗いものが見えた。その正体が 何なのかはわからない、けれども全身の産毛が逆立つような不快感があった。
 それが、透明なガラスの向こうで、さも当然のごとく椅子に腰掛けている。見回してみると、俺たちを中心とした円周には、映画館のような階段状の椅子がそ れぞれ緩やかにカーブし、かなり高いところまで俺たちを囲む形で並んでいた。強烈なライトの逆光で人々の顔は黒く、異様に眼だけが輝いてるみたいだった。
「なんなんだよあれは……!」
 俺は隠すことも無く苛立ちと怒気を振りまいて、見知らぬ誰かを睨み返す。聞こえるかどうかはわからないが、啖呵のひとつも切ってやろうかとした刹那。
「黙れ」
 その一言と共に片刃の長刀が目の前に振りかざされる。触れるだけで切れてしまいそうな殺気に俺は押し黙った。それと同時に感じる後ろからの視線を感じ る。一体俺が何をしたっていうんだ。
 その心情を察したのか、さっきまでいろいろと俺の質問に答えてくれた男が、もう少しだけ俺にここでのルールを教えてくれる。
「今から説明があるんだ。これを聞かずに死んだやつも多い」
 お世辞にも大きな声とはいえなかったが、今度は周りの視線が男へと集中する。しかし、俺のように武器を向けられることは無かった。そして、視界を二分割 していた刀が鎧の一挙動ですっと鞘に納められる。
 その直後のことだった。ブツっという拡張された音が露骨に会場に響き、続いて拡声器特有の不快なキーンというノイズが鼓膜を振るわせる。俺はすぐさま音 源を撃ち壊したい衝動に狩られるが、どこから音がしてるのかわからないほどスタジアム内に響いていたのでひたすらこらえるしかなかった。
「あーあーマイクのー接触がーわるいんかなー」
 精神拷問のような超音波に中年の男の声のようなものが混ざり始める。これだけの異常な音の中でもこれだけ自己主張する声も珍しかった。男はひとしきり何 かを呟いたあと、パズルがはまるような子気味のいい音がして、ようやく音波が静まる。
「えーっと会場の皆様、大変失礼しました。ゴホン、それでは本日初めての勝負の説明に入らせていただきます!」
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
 沈黙を突き破るような大歓声。男女様々な声が入り混じり、ひとつの大きな絶叫のようなものが俺たちを貫いた。何がなんだかわからないまま、俺は透明なガ ラスの向こうで雄たけびを上げている観客のほうを見る。ガラスを叩きながら、誰かの名前を呼ぶもの。何かメモ用紙のようなものを見つめながら、赤ペンでな にか書き込むもの。黙ってこちらを凝視しているものと色々いたが、そこでその眼に映る物のひとつが漠然とわかった。
 実施すら困難なカーゴレースを開催にまで導く精神、どこまでも強く、とめどない感情。黒く渦巻く欲望……それが観客たちの眼に映るものの正体だった。
「まず最初に、昨日の欠員二名に代わりましてー、ルーキー二人の加わりました! 精悍な少年シュウと容姿端麗な女戦士ユアに盛大な拍手を!!」
 割れんばかりの大喝采がルーキーの二人、つまり俺とユアに送られた。俺は最初どうしていいのかわからなかったが、なんとなく雰囲気に圧されてバズーカを 振り上げアピールする。ユアはどぎまぎしながら、ゴメンナサイとでも言うように、深々とお辞儀することで期待にこたえた。
 その様子を見た観客たちからは、さっきのを軽く超えた拍手を送り、各々が俺たちを応援するような言葉を口走った。野次のようなものも混じっていたが、そ んなのは気にならないほどの高揚感が俺の中で渦巻いてきていた。
「彼らの詳しい情報は掲示板にてご確認ください。彼らの参入が吉と出るか凶と出るか、すべてはこの試合からスタートします!」
 おおおおっと感嘆にも似た声が観客席から流れ落ちる。そして、そのときに観客全員が何かを握り締めていたことに気づく。
「それでは皆さんお待ちかね、本日も選りすぐりの精鋭を用意させていただきました。ゲート、オープンです!!」
 再び大歓声。しかし、俺たちの前にはそれどころではない事態にさらされていた。さび付いた音を響かせながら、今までただの壁だと思っていた場所の一部が 生き物のように、ゆっくりと口を広げ始めいたのだった。そして、その口の中からは、いるだけで苦しくなるような圧倒的な量の気配が染み出して来る。ようや く 見えてきた扉の奥から、同じく当てられたライトを反射した、湖面に映る三日月のような眼が浮かび上がる。
「ギャシャアアアアアアア」
 耳障りな咆哮。同時に、開いている途中だった扉が強引に開かれる。一番最初に目に入ったは一度半殺しに遭った憎きモンスターと酷似した青い恐竜だった。 そう、さまざまな亜種が存在する中、その元となったと言われている生粋のドレイクである。そういうように書いてるのをグミの図鑑で見たことがあった。
 そしてそれに続いてわらわらと飛び出してくる魔物たち。尾を紫に燃やした狐が二匹、敵対心をむき出しにして威嚇している。次についさっき相手をしたゾン ビルーパンが三匹、ドレイクの両隣とその背に一匹ずつ配置についた。更にバサバサと妙にかわいらしい蝙蝠が四匹、中空でダンスを踊っていた。 対地、対 空、空中なんでもござれと行った魔物にしてはかなり戦略の行き届いた布陣である。
 俺が数えた限り総勢10匹のモンスターが全部出終わると、あれだけ無茶にこじ開けた扉が何事も無かったかのように、すんなりと元の壁に戻った。どうやら モンスターはそれで全部らしいということを確認すると、司会進行が大きく声を張り上げた。
「それではー! 皆さん、頭上の予想ボードをご覧ください!!」
 観客は全員糸で動かされた人形のように上を向き、それに見入る。俺もそれに続いてそちらへと目をやると、さっきまではなにも映し出されていなかったスク リーンに、画面を中心から縦に二分割する太い線と、白い枠。その内側にある一定の法則で並べられたらしい白線の丸が表示された。
 左右の枠にそれぞれ3×3と右端の中心にひとつはみだした、計10個の円が並び、小さな電子音の後に円の台のような形で文字が浮かび上がっる。左枠の一 番後ろの二つの円にはそれぞれ俺とユアの名前が書かれているのが見えた。同枠の他の円にも何人かの名前らしいものが表示されていてが、一部カタカナで到底 人の名前とは思えないものが書き並んでいた。一番中心の太線に近いほうから、「ヨロイ」、「サベージ」、「ウィザード」……といった感じだ。人の名前とい うよりも、渾名のようだった。
 一方右枠にはこちらと正反対の円列がありそれぞれモンスターの名前がドレイク、ゾンビルーパン、ヨギツネ、スティジと並んでいた。表から察するに、ほぼ 間違いなくこれは人間対モンスターの対戦表だった。
 そこに興奮した司会の声が一部裏返って耳に入ってくる。
「さぁ、本日の倍率をご覧ください!」
 司会がそう言うと電光掲示板に表示されていた円のいくつかがぱっと発光する。光の明るさにはそれぞれ違いがあり、まばゆく輝いているもの、光の弱いも の、まったく輝いていないものがある。さっきあげた数人はサンサンと輝いており、仲間の数人はその中間、そして俺とユアはというと見事な真っ黒だった。一 方、敵はというとドレイクが一番明るく、他は薄明るいといった感じだった。
 これが何を意味するのかは、司会の言葉ですぐにわかることになる。
「本日の平均値は板状のものとなりました。おっと、やはり三強、それに続く数人は人気が高いですね。あの三人の前ではドレイクといえども輝きが劣って見え ます。それと、あららら……ルーキーさんたちはあまり期待されていないようです。私だけは応援してますから頑張ってくださいね!」
 ライトの明るさは勝つと予想されればその分だけ明るく照らされる仕組みだった。つまり、光っていないということは、負けるだろうと予想されているに違い ない。
 にしても俺とユアが真っ黒とはいい度胸をしてる。目に物見せてやる。
「あの、シュウさん。あの丸とか四角とか、その……どういう意味なんでしょう?」
 意気込みも新たに銃弾をすぐに撃ち出せるようにしていた真っ最中にユアから間抜けな質問が飛び出す。なるほど、こういったゲーム要素はユアには難しかっ たのかもしれない。しかし、困惑が顔に出てたのかユアは恥ずかしそうにうつむいてしまった。
 俺は慌てて自分の予想をユアに言付ける。するとユアはさっきの泣き出しそうな目ではなく、何かを覚悟したような目で俺を見つめていた。
「ということは私たちはここで死ぬと予想されてるんですね?」
「え……」
 あまりに突然のことで忘れそうだった。この勝負、勝てば生、敗者は死あるのみだということを。ユアは俺の説明から真っ先にそれを理解したようだった。油 断してた自分が恐ろしく恥ずかしくなってくる。そして、何よりも死を身近に感じた。
「わたし、絶対死にませんから。シュウさんも危なくなったら守ります」
「いや、危なくならないからいい」
 俺はユアの宣言に余裕を持って答える。もちろん余裕なんて無い、ただのプライドの問題だった。俺が守ってやるといえないのは、ひとえにユアの強さを知っ ているからだから格好がつかなかった。
 俺たち人間チームはそれぞれの武器を取り、身構える。どういう訳か、人間を目にしても貞一から動かなかった正面のドレイクが、爬虫類特有の細長い瞳孔 で、無感情に俺たちを見据えていた。そして、食うためでもなく、遊ぶためでもなく、ただ生きたいからという理由で俺たちを殺そうとしている。
 異様な硬直状態の中、司会の一言が爆発寸前の会場に最初の火種を放る。
「制限時間は十分、それ以外ルールは一切なし!存分に殺し、殺されてください! それでは『コロシアム』第一戦開始ーーッ!!」
 会場全体が爆発的な熱気と興奮に包まれ、命を懸けた戦いの最初の一戦が始まった。
続く
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