「そろそろ時間だ」
 10人のうち、ほとんど何の反応もしなかった鎧武者のような男が、のっそりと立ち上がる。時間、何のことだ?
「不思議そうな顔してるな。あいつは時計なんだよ」
 おしゃべりな男が聞いてもいないのに答えてくれる。まったく答えにはなっていないものの、彼は時計なのだそうだ。意味がわからない。
 しかし、武者鎧の揺れる音が目覚まし時計だったかのように、他の黙っていた連中もぞろぞろと状態を起こし、立ち上がった。
「何が始まるんでしょう?」
 ユアも心配そうにあたりの様子を伺っている。その直後に、何もない壁のような場所が開いた。暗い部屋に朝日のような強烈な光が差し込んでくる。
「今日最初の戦いだ。出る」
 訳がわからぬまま俺たちは部屋を追い出され、人工的に作られた「戦場」へと飛び出した。
*
 あの部屋に入ってから、違和感があった。別に、部屋自体がおかしかったわけではない。
 我自身がおかしかった。体の奥からなにかが溢れ出してくるような、漠然としていてそれでいて不快ではない感情。具体的な理由もなく、ただ何かを欲しがっ ていた。誰かの手を借りなければ自分で動くことも出来やしないというのに。
 そして、あの仮面の男が現れて、その感情の正体を知る。
「これを」
 冷え切った笑みの元、グミに手渡されたチップ。そしてそれに伴う既視感。わずかな違いこそあれ、どこの賭場でも原型はほとんど変わらない。
 そう、これは金だ。重みのある金属を使った貨幣や、偽造できないよう精巧に印刷された紙幣とは違うが、重みも何もない玩具みたいなこのチップは間違いな く金だ。それも、それの取引は勝負によってでしか行われない。現実の金と違って、命の重みがあるのだ。
 しかし、どうして我はそんなことを知っているのだろうか。ない手でトランプを握ることは出来ない。チップを賭けるなどもっての他だ。ただ、我の中の何か がそれを知っていた。そして欲していた。冷静に、時には燃えるようなギャンブルを。
 チップの価値をグミがどこまで理解したかはわからない。だが、そんなことは問題ではない。問題なのは……勝つことだ。
 啖呵はすでに切られた。あのクラウンとかいう男は高笑いの後、他のボーイに頼んでゼフに渡された金を言われたとおりチップに変えてきた。1Mはそれぞれ 100のチップと50のチップに分けて、元手の200に1000が足される。1,2M、これが我らのすべてだった。
 チップの交換が終わったクラウンは、早速勝負を選ぶよう切り出した。
「ゲームの選択は重要ですからね。今、当カジノにどれほどのゲームがあるかは私もわからないくらいです。何かお好きなゲームはありますか?」
「ええっと……何にがいいかな」 
 何がと言われても、リストに載っている中でグミが知っているゲームがいくつあるだろうか。ゲームを始めたところでルールの確認に子一時間かかりそうだ。 出来るだけ簡単で、勝てるゲームを選ばせるべきだ。
「グミ、グミ」
 細心の注意を払ってグミの名を呼ぶ。このカジノは騒々しく、話し声も多いため、小声であればクラウンにそれと気づかれることもないだろう。第一鈍器が喋 ること自体がありえないことなのだから。
 グミは我の意図をわかってくれているようで、いつものように軽々しく呼ぶなとかうるさいだとは言わずに、こちらへと目だけを向けて指示を仰ぐ。
 リストは既に見えている。息さえ合えばイカサマが出来そうなゲームもなくはないが、頭の上に鈍器を乗っけたり、対戦相手の後ろに我を置いたりすることは どう考えても不自然だ。人によっては不自然云々の前に頭がどうかしてるかと思う人だっているだろう。そして頭のおかしい人間と勝負したいとは思わない。
「カード勝負や戦略系では分が悪い。ルーレットで勝負だ」
「ルーレット?」
 思わず聞き返してしまうグミ。しかし、それをクラウンはゲームの決定だと勘違いしたらしい。
「それならすぐにでも準備できます。どうぞこちらのテーブルへ」
 偶然にもすぐ近くにあったテーブルへと案内され、グミは言われるままにテーブル付近の一席を当てられた。見ると、ゲームは既に始まっており、有名な円状 の器が回転しながら白い球を転がしている最中だった。
 グミ以外に卓を囲む人間はディーラーを除いて3人。頭髪をガチガチに決めた若者と妖艶な美女、そして薄汚れたスーツを着崩して目を血ばらせた男。それぞ れが盤上のボールの行方を目で追っていた。
 小汚い男が穴が開きそうなほど強烈な視線を白球に送る中、グミはなにが面白いんだろうといった風にぼーっと球が走り回る様を眺めている。
「ルーレットではお客様同士のチップが混ざり合わないよう、一人一人別に用意したルーレット用のチップを使っていただいてます。グミ様はどの色にいたしま すか?」
「えっと、それじゃあ黒」
 さっきの縁起を担いだのか、グミは黒のチップを選んだ。クラウンはかしこまりましたと返事し、そのまま黒いチップを取りにその場を後にする。別にばれる ことはないと思うが、絶対の安心の元にグミへと細かいルーレットのルールを説明するなら今がベストだった。
「グミ、ルーレットについて簡単に説明する。しっかり聞いてくれ」
 グミは我の声にいち早く気づき、耳を傾ける。しかし、顔つきは明らかに不安で押しつぶされそうだった。
「うん、でも私……難しいのは覚えられないと思うよ」
 声からもいつもの覇気というか、暴虐振りは感じられない。まぁ、無理もない。知らない物だらけの世界にいきなり放り込まれ、知らないゲームをしなくては ならないのだ。不安でないはずがない。
 だが、そんなことは承知でやらなければならない。我には自由に動かせる体はないのだからな。もちろん策がないわけではない。あらゆるゲームがある中で、 経験のないグミが勝つ可能性があるゲームを選んだのだからな。
「大丈夫。お前がやるのはただの二択だ。ディーラーが賭けるように指示したら、グミは赤か黒、そのどっちかに賭ければいい」
「それだけでいいの?」
 あまりの簡単さに身構えていたグミは驚き、聞き返してくる。まるでさっきクラウンがやってみせたカードゲームのようだ。無論、ルーレットは赤か黒を選ぶ だけのゲームではない。しかし、確率は二分の一、色のない0と00もあるので、いくらか控除はあるのだがそれでも赤か黒か当てるだけでチップが二倍に増え る。つまりは完全に運任せということになるわけだが、にわか仕込みの戦略よりは幾分かましだった。
「ああ、いい。む」
 そのとき、さっきまでカラカラと小気味のいい音を立てながらぐるぐると回り続けていた白は、段々と疲れ果てたかのように失速し、やがて盤上に記された数 字へと落ちる。出た数字は黒の11……かと思われたが、最後の余力で赤の7へと落ちた。すぐさまディーラーが出た数字をコールし、外れたチップを無慈悲に 回収していく。
「クソッ!」
 目の血走った男はボードを叩き、舌打ちする。相当大金を張っていたのか、額には脂汗を浮かべ全身で悔しさを表現していた。もしかするとここに来てから一 度も勝ててないのかもしれない。
 しかし、ディーラーはそんなことをお構いなしに、お決まりの文句を口にする。
「プレイス、ユアベッド」
 次の勝負の始まりである賭けてくださいという意味合いの言葉だった。若い男と女はそれぞれのチップを取り出して、好きなところに賭ける。男が賭けたのは 赤。女が書けたのは数字の3、一枚賭けだった。汚れたスーツの男は、汗をぬぐいながら自分のチップがすでにないのを見ると、ルーレット用のチップに換えて くれとグミが持ってるのと同じようなケースを取り出していた。しかし、すぐにその表情が青ざめたものに変わる。
「おいくらのチップに交換なさるので?」
 男は見えない苦痛のようなもので顔を歪め、手を震えさせながら、ケースに残された最後の一枚。手鏡のようなそれをつかみ、顔を映していた。そして、両目 をきつく閉じ、ボーイへと手渡す。それを受け取ったボーイは無言のまま高級な陶器を扱うようにそれを受け取り、何かカードのようなものを手渡しているよう に見えた。
 男はカードを顔の前で、落とさないよう両手の指先でしっかりと支え、食い入るように見つめていた。グミも一枚のカードを手に死刑宣告でもされたかのよう な男の表情を不思議そうに眺めている。
 ディーラーは機械のように無表情で親指を軸にルーレットを回転させる。男はおもむろに黒へとそのカードを置き、ディーラーの目を見た瞬間、なぜか小さな 悲鳴を上げてカードを赤の方へと移した。
「なんなんだろ、あれ」
「フフ、あれはですね。このゲームが終わったらわかりますよ。チップのほう、お待たせしました」
 いつの間にか戻ってきていたクラウンが、グミの耳元で笑みを浮かべていた。仮面と対を成すような残酷な笑顔があの男の異常なまでの焦りについてなにかを 示唆しているような気がする。
「ノーモアベッド」
 ディーラーがそれ以上賭ける事が出来ないことを宣言する。それと同時に賭けられたチップは変更不可能になった。盤上をカラカラと回る象牙の玉を、祈るよ うに、拝むように手を合わせて見入る男。
 数字ごとの小さな枠に擦られて、少しずつスピードを緩め、落ちる。運命の決めた数字をディーラーは高らかに宣言した。
「黒13!」
 先と同じく全員がハズレ。ディーラーがT字型の器具でチップをすべて回収していく。それには無論、男が賭けたカードも入っていた。
 それを見た男はあまり大きくない目を限界まで押し広げ、その様子を見ていたが、やがて狂ったように叫びだす。それは呻きのような、死ぬ間際の断末魔のよ うだった。
「うう、うわああああ! いやだあああああああ、グホッ」
 絶叫が嗚咽と吐き気に変わる。負けたのは初めてではないはずだ。ついさっきの勝負とは何が違ったというのだろうか。そういえば賭けた物、脳裏に銀の器が きらめいていた。グミにも与えられたその一枚。
「チップを失ったその男を連れて行きなさい」
 クラウンがそう一言告げると、何人かの黒服がやってきて直ちに男を羽交い絞めにする。そのまま後頭部に一発、わめいていた男は一瞬にして沈黙する。周り の人間もその騒ぎに気づいてはいたが、見慣れた光景とでも言うようにすぐに目をそらした。これが何を意味するのか、その疑問はすぐに解決する。
「あの方はたった一枚しかない命のチップを失ったのです。それはすなわち死を意味するのですよ」
 命のチップ? あの鏡がか。なるほど、そう考えればあの男の異常な恐慌ぶりも合点がいく。文字通り命がけだったのだ。鏡に映る自分を賭けた……そう考えるとわかりやすい かもしれない。
「いくらなの……?」
 その光景に目を奪われていたグミが、それだけを口にする。主語も動詞もないそれだが、おおまかな意味は理解できた。おそらく同じように意味を察したクラ ウンが囁く。
「1Mです。そう、ちょうど許可証と同額なのはちょっとした皮肉とでもいいましょうか」
 くすくすと笑うクラウン。先ほどの男は元からいなかったかのように、姿を消していた。今頃は既に絶命させられてるかもしれない。その結末を知ってるであ ろうクラウンは心底嬉しそうに宣言する。
「さて、準備は整いました。ゲームを始めましょう」
続く
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