誰かの手によって意図的に現実から切り離された世界。そこはどこまでも暗くて、光が差 すことも、夢を見ることも出来なくて、ただ静寂だけが何かを待つようにして、そこにあった。
「う〜ん……」
 重たいまぶたをこじ開けて、ようやく奪われた意識を取り戻す。ボヤけた視界を晴らすために目をこするけど、いくら見渡しても知らない場所にいるようだっ た。
 ここはどこなんだろう。いつの間にか自分が腰かけていたソファーから立ち上がると、その瞬間に目眩がして元いた位置へともたれかかった。
 私はソファーの柔らかさにもたれかかるようにして、大きなため息をついた。誰もいない、私一人だけ。一応レフェルだけはがっちり掴んでたらしく、何とか 残っていたけれど私以外の二人はどこか別の場所へと隔離されてしまったようだった。なぜ私だけ……でも生きてるだけでも、もしかしたら儲け者なのかもしれ ない。
 でも、ということは二人は……いや、きっと無事に違いない。私が大丈夫なら、元気にやってるはずだ。せめて、ここがどこかわかればいいんだけど、全くわ からない。ひとつだけわかることは、ここが牢屋でも軟禁部屋でもなく、どっちかっていうとVIPルームみたいな感じがした。ソファーやら、絨毯やら、飾っ てある絵画なんかもすごく上等だった。
 しかし、全然わからない。思い出そうとしても、初めて聞く単語がいくつかあって、ほとんど意味がわからなかった。一部はもやがかかったようにぼやけてい るけど、聖女、ツリーオブなんとか、クラウン……意味からしてわからない。何のことを指しているのか……わからないことだらけ。ここまでわからないと記憶 喪失になってしまったような気になる。
「レフェル、レフェル!」
 つい不安になって、レフェルに話かけてみる。見た目は全く変わらないけれど、なんとなく起きてるか起きてないかくらいはわかる。存在感みたいな感じで、 わかる。そして今は起きてる感じがしたから声をかけてみたけど……。
「ここがどこかという質問なら、わからない。だが、来る途中にならいろいろ見たぞ」
 どうやらレフェルもここがどこかは知らないらしい。でも少しでも情報が欲しいところだから、いろいろ聞いてみることにしよう。
「この部屋に来るまではどうだったの?」
「一言で言うと、カジノというところだな。ルーレットやら、スロットやらカードゲームなんかもあった」
 また、完全に知らない単語を羅列されてしまった。わからないから結局聞くしかないんだけど……。
「カジノというのは、そうだな……賭博というか、ギャンブルというか、そうだな。お金を賭けて、ゲームをすることだ。で、勝ったり負けたりするわけだが」
 なんとか話を飲み込もうとするものの、受け付けない単語が多すぎて完全には理解できない。とりあえず、難しい言葉は置いといてゲームをすることだと理解 した。
「それでひとつ言い忘れてたのだが、そこの扉」
「ん、扉?」
 何の変哲も無いドアだけど、それがどうしたんだろう。ドアノブに細かい彫刻とか、魔法とかかけられたりするんだろうか。
「鍵がかかってない」
 レフェルの発言とほぼ同時にちょうど見ていたドアノブがぐるりと回転し、そのままゆっくりと扉が開く。ドアの隙間から黒い革靴の先が覗いていた。
「どうもご機嫌麗しゅう。当カジノのVIPルームお気に召しましたか?」
 聞いたことのある声だった。そう、確かあの大きな扉の前で、甲冑から聞こえてきた声。しかし、現れたのはさっきの恐ろしい鎧ではなく、黒いタキシードを 着た男の人だった。髪はつややかな黒、瞳は血のような紅で、顔の半分を三日月のような口をした仮面で覆っていた。
 その姿を見て最初に抱いた感想はピエロ、でもすぐ後に見せた笑みでそれはサーカスのピエロとは全く違うものという印象を持った。薄く、貼り付けたような 笑顔は背筋が冷たくなるような感じがして、例えるなら死神に睨まれたような。
「わ、私は……ここはどこなの?」
 口が上手く回らずに、聞けたのはそれだけだった。男は笑みを崩さないまま、仰々しく礼をする。
「先ほどは失礼しました。ここはカジノ【ツリーオブデザイア】。この世界最大の娯楽を提供していると自負しております。多少わかりにくい場所にはあります がね」
 最後の一言だけは苦笑して言う。さっきレフェルにカジノの意味を確認しておいてよかった。じゃなきゃ、同じ質問をここでしなきゃいけなかったんだから。
「シュウとユアさんはどこ? なんで私だけここに連れ去られたの? あなたは誰?」
 私は今にもくじけそうになる勇気を振り絞って、今まで聞きたかったことを口にする。何より心配なのは二人の身の安全、そしてその目的だった。
 男はいつの間にか取り出していたトランプのようなものを取り出して、いじっていた。そしてパラパラと手と手の間で宙を舞わせた後、ゆっくりと答えていっ た。
「予想はしてましたが、すごい質問攻めですね。聖女などと呼ばれるからは、もっと御淑やかで気品ある方かと思いましたが、むしろ好印象です。若い者はこう 賑やかでなければ……」
「質問に答えてよ!」
 全然、質問に答えてくれない男に多少いらだちつつも、更に追求する。しかし、男は手にしたトランプを一枚だけ取って言った。
「これは手厳しい。それではこうしましょう。私とひと勝負しませんか? もし、あなたが勝てば、あなたの質問に答えます。負けたときはそうですね、私にキスを……というのはどうです?」
 勝負……? 私は横目でレフェルを見るけど、レフェルは貝のように口をつぐんだままだった。喋れることを隠すつもりなのかもしれない。
 でも……キスなんて、なんでそんな条件を。半分しか見えない顔を見て、あまりの整った顔に頬を赤らめてしまう。私が動揺している様子を見て、男の人は目 を細めるのだから余計に赤くなった。
「その、勝負って……どんな勝負なんですか?」
 なぜか敬語になってしまう。いきなり人を気絶させて拉致した人なんかに敬語を使うわけなんてないのに。
「あはは、失礼しました。ちょっと乙女にキスだなんて賭けの代償が大きすぎましたかね。勝負はえっと、このカードが赤か黒かってことでどうでしょう? 赤はハートとダイヤ、黒はスペードとクラブです。わかりますね?」
 つまり、二分の一の確率ってことね。簡単でかつ、公平な勝負みたいだ。聞いたら教えてくれると思ったのに、こんな勝負を切り出すなんて……大丈夫、勝て ばいいんだから。負けたときのことは、考えないようにしよう。
 男はカードを一枚だけ見せて、微笑む。まずは勝負を受けることにイエスかノーかを問うているようだ。
「私の名前だけは先にお答えしましょう。こちらのカジノではクラウンと名乗っております。どうです、勝負を受けてくださいますか?」
「いいわ、勝負よ!」
 クラウンと名乗った男は私の強気な態度ににっこりと微笑む。そして、手にしたカードの束をよーくシャッフルして小さなテーブルの上に置いて、一番上から 一枚取った。
「赤か、黒か……勝負です」
 私はじっとカードの裏を見つめて、考える。どう考えたって、裏からカードの絵柄は読めないし、どちらにしても確率は二分の一だ。悩むだけ無駄だってわ かってはいるけど、それでも考えてしまう。
 赤か黒……私の好きな色はどっちだろう。どちらもあまり好きじゃないかも知れない。赤、どうして最初に血が連想されるんだろう。あの人の目もそうだっ た。どうしてそんな……薔薇とかリンゴとかもっと綺麗だったりおいしいものもあるのに、血ばっかり。
「く、黒。黒にする」
 黒もいい思い出があるわけじゃないし、服の色も黒であまり好きではないけど、赤よりはいい気がした。そんなのカードの絵柄とは何の関係も無いんだけど。
「黒。本当に黒でよろしいんですね?」
「え? う、うん。黒だと……思います」
 そう言われて、すぐに動揺してしまう。きっと私のことを試しているだけだ。ここで赤なんて選んじゃだめなんだ。きっと、揺さぶりをかけているだけ。自分 の勘を信じなきゃ。
 クラウンはさっきとは違う、何かを睨むような鋭い目つきで、わざとらしくゆっくりとカードをこちらに見せた。カードの絵柄は……スペードのエース。黒、 つまり私の勝ちだ!
「やったあ!」
「いやはや、負けてしまいました」
 私の喜びっぷりとは裏腹に、クラウンはしてやられたと頭に手を当てている。クラウンはカードを束に戻して、小さな拍手を送ってくれた。
「さて、それでは言われたとおりに質問に答えなければなりませんね。シュウとユアさんというのはあなたのお連れの方々でしょうか? 彼らはお呼びではなかったので別のところに送らせていただきました。ですが、残念ながら会うことは出来ません。連絡を取ることも出来ません」
「どうしてよ! なんで会わせてくれないの!?」
 私は感情的になって、今にも掴みかかりそうになる。しかし、クラウンのまとっている雰囲気がそうはさせてくれなかった。端正な顔立ちなのに、その雰囲気 からは触れるだけで切れそうなカミソリに見えた。
「彼らはあなたとは違う世界にいます。ですから、こちらで区別させていただいたのです」
 丁寧な言葉振りとは対称的な、信じられない言葉の数々。今にも燃え出しそうなほどに怒りが沸き起こってくる。
「勝手に決めないでよ! 二人とも私の大切な仲間なんだから!!」
「また機会があれば会えるでしょう。それともうひとつの質問でしたね。現在の目的はあなたにも私どもの用意したゲームを楽しんでいただくことです。これ を」
 クラウンは全くの無表情で小さなケースを渡す。中に入っていたのはいくつかのお金……、いやよく見ると全く違う絵柄で、それぞれ1,5,10,100, そして何も書いてない大きな硬貨があった。
 私はクラウンを睨みつけながら、黙ってそのケースを受け取る。クラウンは全く笑ってない顔でおどけていった。
「おお怖い。そんなに睨み付けないでください。ですが、ひとつだけ方法があります。ずばり勝負に勝つことです」
 最後の一言だけを語意を強めて言う。そして、口端だけで笑った。
「また勝負……?」
「ここはカジノですから。事情は追って説明しましょう。それでは早速案内しましょうか、それともお食事に……む?」
 クラウンは突然言葉を切り、耳につけた小さなマイクのようなものに小さく指示を送っていた。そこで、おほんと咳払いすると申し訳なさそうに言った。
「申し訳ありません、少し野暮用が出来てしまって少しの間、退席しなければならないようです。その間退屈させないよう、他の者を呼びますのでここでお待ち ください。ああ、それと……ここから逃げ出したりしないでくださいね」
「待っ……」
 そういい残すと私の呼びかけは無視して、クラウンは小さく手を振り部屋を去っていった。
「なんなのよ……」
 私もそれに小さくごちり、歯噛みした。扉はさっきと同じように開けたまま、でも出たらどうなるかというのは考えなくても予想できた。
 クラウンが出て行ったのを見届けると、レフェルがようやく口を開く。
「さっきの勝負。あのクラウンとか言う男、すんででカードをすり替えた。あいつ……相当の曲者だぞ」
 すりかえる…? なんでそんなことを、勝っていたのなら変える必要なんて……。
「あっ!」
 反射的に気づく。そう、私はあの男によって……。
「意図的に勝たされたってことだ。気をつけろ、カードに最初から細工されていたのかもしれない」
 背筋が凍った。私も二人もこの先どうなるんだろうか。
続く
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