シュウの新しいスキルで邪悪の権化のような大樹にたどり着くことが出来たけど、それも 私にとっては果てしなく募る不安の延長でしかなかった。
 歩けば歩くほど深くなる闇に体の中から冷やされるような恐怖を感じる。さっきは暖かな体温に包まれて、思いがけずほっとしちゃったのも相まって、一人 だったら踞って泣き出してしまうほどに弱さを、薄い膜で辛うじて覆い隠していた。
 今は進む度にそのつど体積を増していく黒い獣に睨まれながらも、一人置いていかれないように必死に足を動かしている。
 足元をほのかに照らす灯火はゆらゆらとまるで生きているかのように暗闇を浮かび上がらせ、いつの間にか敷かれた紅いカーペットは巨大な生き物の舌を連想 させた。
 不安と焦りから泣き言を言いそうになる口を、身を呈してまで助けてくれたアッシュさんを思い出して無理矢理に閉じる。
 泣いたって、喚いたってどうにもならないことを知ってるから、二人とも前を向いていられるんだ。私もしっかりしなきゃ。
 だけど、私の決心は案内役のふぇありーさんの一言で簡単に覆されることになる。話を要約するとこうだ。
「許可証か招待状を持ってない人のほとんどが侵入者として殺される」
 私よりずっと低い背と、回らない口からは想像出来ないような残酷な現実。侵入者に下される罰だと言われても、納得なんか出来ない。だって侵入者って、つ まりは私たちのことだから。
 10人中、9人が死ぬと言われて、その中に希望を見い出すことが出来る人なんてそうはいないはず。かくいう私も一人だったら絶望してたと思う。
 でも私は絶望の淵に足を滑らせる前に、光を見つけることが出来た。不敵に笑う鳶色の瞳に。
「そういうことになった。がんばろう」
何がそういうことよ。考えもなしに敵の本拠地に乗り込んで。まるで予想通りだったみたいに振る舞って。
 自分勝手で、でもどこまでも視線は真っ直ぐで、諦めることなんて知らなくて……。その気になれば私なんてどこまでも遠くに行けるはずなのに、私のそばに いてくれて……。
 こんなの、諦められるはずない。目の前に恐ろしい悪夢が待ち構えていても、黒金の鎧が私を狙っていても、シュウがくれた輝きは負けなかった。
 私は震える手で、そっとふぇありーさんの頭を撫でる。ここまで案内してくれてありがとう。今度は私たちが道を開く番よと。
*
 強烈な振り下ろし。肩から腕を完全に切り離せる角度で放たれた斬撃は、瞬時に攻撃を読んだわたしに受け流される。受けた斬首刀はガチリと苦鳴をあげただ けで踏みとどまるものの、そのまま受けていてはわたしの腕が先に駄目になってしまいそうだ。
 しかし、わたしも防戦一方ではなく隙を見て攻撃を叩き込む。受け流した攻撃をかわすと同時に側面に回りこみ、横なぎの一閃。鉄をも切り裂かんとするその 凶刃も、黒い鉄の塊に吸い込まれるようにして押さえられてしまう。こちらの攻撃は回避できる速度でもタイミングでもないはずなのに、体中に目があるみたい だ。
「くっ……」
 重い金属を何度も何度も叩きつけた疲労で腕が悲鳴を上げている。わたしの唯一の対抗手段、ナイトメアはまだ欠けてはいないものの、このままこんな攻撃を 続けていてはいつか根元から折れてしまうだろう。
 わたしは相手の一撃必殺の間合いに入らないように、バックステップで距離を置く。このまま近接で剣を合わせても、向こうが無尽蔵な体力と、恐らくあの手 にした剣のような武器と同じくらい頑丈な鎧を前にしては、わたしの方が不利だった。わたしも一応鎧をまとっているものの、あの豪腕の前では紙と大して変わ らないだろう。
 何か打開策を考えないと勝機はない。考えてる隙にも愚鈍な外見には似合わない踏み込みの速さで、一瞬で間合いをつめられる。鍔迫り合いなんてものが通じ るような相手ではないだけに、一瞬の油断が命取りになる。
 ならば、敵の攻撃が届かない距離から……そう思って、戦いながらも時々横目でシュウさんとグミさんの様子を見る。シュウさんは光の弾丸を撒きながら攻勢 に、グミさんはそれを援護する形で後衛を務めているようだった。しかし、同じく決定打に欠ける銃撃と、相手の固さに苦戦しているようだった。
(姉さん、上だ!)
 わたしは剣の重さの加わった高速の振り下ろしをすんでのところで回避する。直撃していたら肩どころか体の半分を持っていかれていたに違いない。しかし、 とんでもない失態かと思いきや、向こうもしとめたと思い油断していたのか、大樹の内壁に深々と突き刺さった得物を抜こうと躍起になっていた。
「今だっ!」
 回避に利用したジャンプの衝撃を利用して、足をばねのようにしならせる。そして、横っ飛びのまま返すようにして鋭い回転斬りを甲冑の手甲に抉り込むよう に放った。剣を抜こうとする力と、わたしの回転を加えた斬撃、二つが合わされば多少の効果はあるはず。
「………」
 キンという澄んだ音にほんの少し遅れて、言葉の変わりに重い沈黙を吐き出す甲冑。手応えのあったわたしの一撃は見事手首へと決まり、敵の両手首をばっさ りと切断していた。体から離れた手の形をした鉄が、地面へと転がり音を立てる。しかし、異常なのは……手を切り落としたというのに全く血が出ていないとい うことだった。
「ギギ……」
 錆びてしまった車輪を無理やり回すような音がして、甲冑が首の部分をこちらに向ける。手の部分を失った甲冑は、存在しない手でもはや切れ味も何もない鉄 塊を抜こうとしていた。私は間抜けに同じ行動を繰り返す甲冑の首を間接から剥ぎ取るようにして滑らかに剣先を通した。カランという音と共に首が落下した。
「なんなんだこれは!」
 わたしと同じものを見たシュウさんが驚愕の声を上げる。シュウさんのスキルが敵の膝を貫通したにもかかわらず、そこからは血が流れるどころか、気にする こともなく襲い掛かっていたのだ。
 捨て身の奇襲に対応し切れなかったシュウさんはとっさに身をよじって攻撃を避けようとするけども間に合わない。しかし、敵の必殺の一撃は見えないなにか に弾かれる。
「私だって、役立たずじゃないんだからッ!」
 グミさんの体がぐらっと傾くのが見える。しかし、重い攻撃をシールドで受け止めながらも歯を食いしばって倒れない。それどころか魔力を更に送り込むこと によって弾き返してみせた。
「……グギ」
 鈍い音がして、始終無表情だった鉄仮面がひしゃげた。反射された武器が反動で吹き飛ばされ、自らに直撃したのだった。
「うおおおおおっ!!」
 攻撃された直後というのに、グミさんが作り出した隙を見逃さず、腕に装着したバズーカを叩きつけるシュウさん。そして、衝突したと同時に引き金を絞る。
「砕けろ」
 金属音と重なり合って響く爆音。内壁に叩きつけられた甲冑へと容赦なく放たれる二弾目、三弾目。連続する爆音で痺れた鼓膜が慣れてくる頃には、火薬の匂 いと白い煙が部屋を満たしていた。
「勝っちゃった……の?」
 突然の戦闘に逃げる間もなく固まっていたフェアリーが一人呟く。今まで何度、何人を案内したかわからないけれど、挑戦者が勝利したのは始めて見たといっ た様子だった。
「手ごわかったけど、俺様の敵じゃなかったな」
「私のおかげでしょ!」
 バズーカの連射で相当負担のかかったであろう右腕をぐるぐると回しながら偉そうにいうシュウさん。その直後にグミさんは絶好のタイミングで突込みを入れ る。先ほどまでの息が詰まるほどの緊張感は、ボムの爆発とともに粉々に吹き飛んでいた。
 普段の楽しい空気が戻って、わたしの緊張の糸も切れる。全員息は切れているようだけど、手傷を負った様子はなかった。案内してくれていたフェアリーさん も戦闘に巻き込まれなかったようだ。
「よかった、みなさん無事で……」
 未だもうもうと立ち込める硝煙で視界はあまり役に立たなかったけど、影を見ておおよそ全員がどこにいるか把握できた。全員の声を聞いて安心した私はほっ と胸をなでおろす。まだ不鮮明な視界のまま、シュウさんが大声を頼りにわたしたちの姿を探していた。
「さて、衛兵も倒したことだし、あとはこの扉をなんとかするだけだな。グミ、ユア生きてるか?正気か?転んで泣きべそかいてないか?」
 シュウさんのおかしな質問に思わず声を出して笑ってしまう。数多の侵入者を打ち破った門番を突破したことで慢心があったからかもしれない。すべて終わっ た……その思い込みが命取りだとは夢にも思わなかった。
 一瞬、気のせいともとれるほどの影がわたしとシュウさんの背後へと忍び寄っていた。
「……っ」
 ほとんど聞き取れないほどの声があがり、誰かが地面へとどさっと転がる。続けてもうひとり、今度はさっきより小さな音で倒れる。頭の中にめぐった考え が、外界のすべての音を遮断して急速に早くなる鼓動の音だけをわたしに聞かせていた。そんな中、敵でも味方でもないはずのフェアリーさんの声だけが耳では なく、心に直接響いてきた。
「……っ! 逃げてっ!!」
 その声が聞こえた刹那、わたしは無意識に体勢を低くして攻撃を避ける。絶妙な角度で打たれた手刀は髪を数本散らすだけに終わった。そして、偶然そのとき に仮面の奥から、先ほどの金属音とは違う声が聞こえてきた。
「チッ、出来損ないが余計なことを……! ナイツ、聖女は確保、他は闘技場に送れ。出来損ないは処分して構わない」
 出来損ない……? 闘技場? 聖女?
 何のことを言っているのか全然わからない。でも、知らない言葉の中でひとつだけ引っかかるものがあった。
「出来損ない」
 これが何を指しているのかはすぐにピンときた。余計なこと……つまり、わたしの危機を知らせてくれたフェアリーさんのこと。そして、もしかしたら……わ たし自身のこと。
 頭の中のどこかでスイッチが入る。処分なんてさせない、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、守ってみせる。
「フェアリーさん、こっちに」
「わ、わかった」
 わたしはまだ薄く煙った空間の中で、なんとかフェアリーさんを呼び寄せることに成功する。この距離なら何とか守りきれるかも。そう思った刹那、わたしを 襲った甲冑とは別にもう一体、シュウさんを襲ったほうも迫っていた。
 煙の揺れで攻撃の軌跡が見える。でも、背後からの攻撃までは察知できない。わたしは迷うことなく後方を無視し、前方の敵に向き直る。理由は……武器を 持ってるかいないかだけだった。あれほどの怪力、この鎧でどこまで耐えられるかはわからないけれど、あの鉄塊を食らうよりは幾分かましだった。
「ぜいっ……!」
 相手の剣戟に合わせる感じで、手にした斬首刀を勘を頼りに叩きつける。ぎりぎりと押し迫る甲冑の力に負けないよう両手で握るものの、それでも押し返すほ どの力は出せなかった。そして、ワンテンポ遅れる形で背中のちょうど心臓の位置にまっすぐ叩きつけられる鉄のこぶし。皆に聞こえるほどの大きな音で鼓動が 弾け、口の端から朱が滲んだ。
「くっ……」
 息が出来ないほどの痛みと、押す力に負けて、倒れるようにしてなんとか一撃目を耐える。鎧越しでもこの衝撃、生身で食らえばあばらの何本かは枝でも折る かのようにへし折れてしまう。
 もう一発…耐えられるだろうか。朦朧とする意識の中で考える。揺らぐ視界の中、わたしへのとどめの一撃の代わりに、戦う意思もないフェアリーさんへ、た くさんの血を吸って赤黒く染まった鉄が迫っていた。
「いやっ、お姉ちゃ……」
 コマ送りのようにゆっくりと流れていく景色。弓なりの弧を描いて叩きおろされる鉄塊。目をつぶって助けを求めるフェアリーさん。
「……させな」
 最後の気力を振り絞って挟撃とフェアリーさんの間に飛び込む。目に映るどうしようもない暴力。わたしは現実から目を塞ぎ、舌を噛み切らないように口を閉 じた。そしてただ、抵抗もせずに襲い来る衝撃に備える。それがわたしにできた限界だった。
「マジック……シールド」
 途切れながらも明確な意思を持った声がわずかに聞こえ、ガラスが割れるような音が耳に響く。
「グミさん…無事で……」
「ヒール……!」
 意識が途切れる直前に癒しの呪文が唱えられ、痛みが消えていく。しかし、体の限界はとっくに超えていたらしく、心地よく体を撫でる緑風に包まれて、眠る ように気を失った。
*
「どうも、皆さん私どもの邪魔をするのがお好きなようで。私の騎士がここまで壊されてしまうとは、正直驚きました。それでは聖女、改めて申し上げます。よ うこそ、我らがツリーオブデザイアへ」
 甲冑の中から聞こえてくる間延びした男の声。漆黒の甲冑から響く言葉はすべてが癇に障り、苛立ちを募らせる。
「あなたは……?」
 グミは地面に這い蹲りながら、なんとかそれだけを口にする。それに対して男は大げさに詫びた。
「おっと、申し訳ございません。初めに自分の名前を言うのが人間の礼儀でしたね。私はこの木の管理者でクラウンと名乗っております。何とぞお見知りおき を」
 クラウンと名乗った者は甲冑の姿のまま、不器用に礼をする。そして、次の瞬間には我とグミを両手で抱えるようにして持ち上げた。
「甲冑のままで失礼します。さてさて、それでは招待しましょう。それまでは眠っていてくださいね」
 その言葉を聴いた瞬間にグミの瞳が色を失い、深い眠りに落ちる。硬く閉じられた扉が開く音は、低い魔物のうめきにも聞こえ、その口の中は目に見えない何 かが激しく渦巻いていた。
続く
第17章 ぐみ8に戻る