全行程の99%、もうほんの少しで目標に到達する。ここまでは危ないながらも順調に進 んで来た。  もちろん、だからといって油断してたわけではない。なのに、消去法で最も可能性の高い選択を繰り返して進んで来た道のゴール手前には、いつ も落とし穴が仕掛けられている。
 その穴は避けて通ることが出来ないほどに、地に禍々しい口を広げている。目では識別不可能な程に巧妙にカムフラージュされた罠の底は知れず、落ちては二 度と這い上がることが出来ないようにコケがびっしりと敷き詰められているようだった。
 しかも今回は、落ちたらわたしだけじゃなく、全員の命運が尽きてしまう。なのに、その危機に対処できるのはわたしだけ。二人は今の状況を飲み込むことも 出来ずに、危険かすらもわかってない……わたしが限界まで手を伸ばして崖の淵を掴まないと、全員が飲み込まれてしまうというのに。
 でも、これは喩えの話。実際に存在するのは、穴ではなくて一匹のモンスター。でも、その一匹はわたしたちにとって致命的な一匹で、それだけで全滅の危機 に相当する。千の不死者に囲まれた状態で騒がれたら、一瞬で八つ裂きにされるか生きたまま食べられてしまうか……いずれにしても最悪の結末しか待っていな い。
 だから、敵の背後をとっているわたしがこいつを仕留めなければ。わたしは腰に下げた大剣の柄をしっかりと握り、一刀の元に斬り捨てる………ことはできな かった。
 「お前たち、何者だ」
 小さな外見通りの幼い声で、わたしを除く二人に問いかけていた。その光景を見ただけで体全体がわたしじゃないみたいに動きを止めてしまった。無論、喋っ たのが普通 の女の子だったらわたしだってこんなに驚いたりしない。
 背中に生えた二枚の大きな翅、頭から生えている触角、どちらも普通の人間にはない器官。人間じゃない、でも妖精とはどこか違っていて、例えるなら蝶と蛾 のような微妙な差だけど決定的な差のようなものを感じた。
 けれど、人間でも妖精でもないということは魔物、いわゆるモンスターということになってしまう。でも、普通モンスターは喋ったりしない。ほとんどのモン スターは本能だけで生きていて、人間を見るがいなや襲い掛かってくるのが普通なんだから当然のことだと思う。でも、目の前のモンスターはわたしたちの言葉 を話している。そう、わたしみたいに。
「何者って、俺たちはその……」
 明らかにうろたえて、言葉に詰まるシュウさん。普段ならとっさにでまかせでも言えたかもしれないけれど、わたしとグミさんをここまで運んだときに相当疲 れてしまったようだった。もし、あの蛾のような少女に少しでも勘ぐられるようなことがあったら……。
 刀の柄に汗が滴る。高速で一歩を踏み込んで、一閃……イメージではどんな方法でもあのモンスターを消すことができるのに、決断のときは刻一刻と迫ってい るというのに、わたしの心はGOサインを出せずにいた。
(姉さん、早く!)
 おおかみのせかす声が、胸中でこだまする。でも、わたしの胸の中他の何かで満たされていて、音は聞こえても、その言葉が成す意味を汲み取れずにいた。
 同類かもしれない。そんな考えが頭の中をぐるぐる回って、泡のように浮かんでは消えていく。人間なのに、人間じゃない。魔物なのに魔物じゃない。どちら でもない存在……どちらとも相容れない異端。
 こめかみを脂汗が伝う。今までのつらい思いが胸を締め付け、呼吸を乱す。やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ……。思いばかりが加速して、体は鉛のよう に動かない。もし、わたしと同じような存在だったら……仮定ばかりが繰り返されて、いつまで経っても結論が出せない。助けられるのはわたしだけなのに、助 けてほしいと懇願するわたし。
「もしかして、”参加者”か?」
 蛾の子が使った聞きなれない言葉。参加者ってなんだろう……でも、”侵入者”と勘ぐられなかっただけでも助かったのかもしれない。
「ああ、参加者だ。ただ、初めてこちらに来たもので、案内を探してたところなんだ」
 シュウさんは一瞬の間もあけることなく、即答した。よくもすらすらあることないことを言えるなぁと感心する。しかし、今の発言のどこかに引っかかること があったのか、蛾の子は考え込むように少し顔を伏せる。もしかしたら、”参加者”という言葉も実はブラフで、引っ掛けるための罠だったのかもしれない。
(姉さん、警報を鳴らされるかもしれない。気持ちはわかるけど……なんならあたいが代わるかい!?)
 決断を強いるおおかみの声。もし、わたしがおおかみに体を譲り渡せば、一秒もしない間にあの魔物は絶命するだろう。どう見ても戦闘向きの体つきではない し、身体的にも、背後を取っていることからしてもわたしのほうが一方的に有利だ。
 でも、わたしはおおかみに返事をしなかった。一言肯定することは、全て認めるということ。わたしたちの中での無言、または無視は全否定を意味するのだっ た。
 でも、代わらなかった理由もたいしたものじゃない。賭けてみたかった。いや、何もしなくても済むように逃げたかっただけだ。もしかしたら、シュウさんの 思惑通りにいってるのかも知れないという希望的観測にすがって。
 短い静寂があって、蛾の子の口が開く。返答しだいでは、わたしがどうにかしなければならない。
「えっと……道案内はふぇありーの役目だ。待たせてごめんなさい」
 心底申し訳なさそうに、うなだれる蛾の子。フェアリーとはあの子の名前なのだろうか。自分の役目を果たせなかったことで、しゅんとしてしまったふぇあ りーをグミさんが慰める。
「ふぇありーちゃんは悪くないよ。それより、私たちを案内してくれるかな?」
「うん、それがふぇありーの仕事だから。でも……」
 いやに物分りのいいフェアリーは怒られなかったことに驚きつつも、きちんと仕事をこなす。でも、わたしたちを問題なく案内してくれるのかと思えば、で もって……帰り道を忘れたのだろうか。
 フェアリーの触覚がくるんと二本ともわたしのほうを向く。
「後ろの物騒なのもお前たちの仲間か?」
「……!」
 そんな、完全に気配も消していたはずなのに。さっきの動揺で察知されたのだろうか、それとも特別な能力か何かで……いや、そんなことは関係ない。ばれて いようがばれていなかろうが、結果は同じだったんだから。
「あ、ああ。彼女も俺たちの仲間だよ。一緒に案内してくれ」
 シュウさんはわたしに軽く会釈し、手を振る。フェアリーは多少怪しんだようだったけど、グミさんたちの様子を見て信じてくれたようだった。
「わかった。ふぇありーの後ろをついて来てくれ」
 パタパタと翅を閉じたり、開いたりしながら暗い廊下の奥へと進んでゆく。人工的に整備された道らしく、大きな根は形を変えられたり、削られたりして転ば ないよう配慮されていた。外観こそおぞましかったけれど、中は意外と普通なのかもしれない。
 ぞろぞろと歩きながら、誰も口を開こうとはしない。わたしもさっきのことについて、いろいろ思い悩んでいた。ボロが出ると困るから、今は余計なことを言 うべきではないというのはわかる。でも、それ以上にフェアリーのことが気になった。あなたは魔物なの、それとも人間なのと聞きたい。聞いてどうこうするわ けでもないけど、確かめたいという気持ちがあった。
 だけど、その答えを聞いたら……わたしにも同じ質問が返されるかもしれない。そう思うと余計に口が重くなった。自分が何なのかなんて、わたしだってわか らないんだから。
 さっきのフェアリーの表情だってそうだ。わたしがどちらでもないというということだけで差別され、叱られ、攻撃されることに対する怯え。生まれついた不 幸に対して、運が悪かったとあきらめるしかない状況。 聞きたいけど、聞いてはいけないことだった。
 数分歩いた頃。いくつかの階段を上り、フェアリーの背を追っていくと、いつしか壁に小さな燭台が備え付けられていて、暗かった廊下の全貌が明らかになっ ていた。
 大樹の中とは思えないほどの、立派な装飾を施された壁。もとは大樹の内壁だったものを加工したものだと思う。そして、足元に敷かれた上等そうな布。赤 く、血のように鮮やかなそれは真っ直ぐ奥へ奥へと伸びていた。
 誰もが何も口にしないまま、ただ黙々と歩く。普段はおしゃべりな二人も、どこか異常なこの道にだんまりを決め込んでいるようだ。何しろ敵の牙城の中を見 知らぬ道案内についていってるのだから、不安で仕方ないに決まっていた。
「もうすぐ検問があるから、招待状を準備しておいて」
 なぜかすっかり慣れてしまったフェアリーは、ちょっとだけ立ち止まってわたしたちに知らせてくれる。でも、わたしを含む三人はその言葉にぎょっとしてし まった。
 だって、招待状なんて持ってないのだ。侵入者であるわたしたちはもとから招待されたわけじゃないし、どちらかというと招かれざる客なのだから。
 同じことを考えていたらしいシュウさんは、頭をかきながらフェアリーに言った。
「ああ、フェアリー。そのことなんだが、もし…もしもの話なんだが、その……招待状を忘れたなんてことになったらどうなるんだ?」
 シュウさんは聞きにくいことを容赦なく聞く。フェアリーはうーんとほんの少し考えるそぶりをする。そして、突然おかしそうにからから笑っていった。
「ツンツン頭のお兄ちゃん、何言ってるのさ。招待状か許可証を持ってないヤツは、人間だろうが魔物だろうがここには入れないの! 何も持ってないのに入ろうとしたら、みーんな怖いモンスターに食べられちゃうんだから」
 フェアリーは全身で怖いモンスターとやらを真似てわたしたちを脅かそうとする。フェアリーにとってはシュウの悪い冗談に対する仕返しのつもりだったのか もしれないけど、わたしたちにとっては死の宣告と同意だった。
「いやあ、あははは……そりゃそうだよな。あはははは、招待状なしに来るなんてバカなんていないよな」
 自分たちのことをバカ扱いしてまで、ごまかそうとするシュウさん。どうやら……というか、やっぱりわたしたちは袋小路から抜け出していないようだった。 むしろ、自分たちで状況を悪くしたとも言える。かくなるすべは、いわゆる作戦なし作戦……強行突破しかない。
 わたしがその意思をシュウさんにアイコンタクトで送ろうとすると、その前にフェアリーが口を開いた。
「ううん、それがね。たまにいるんだよ。よく知らないんだけど、結構強い人間とかだと、許可証なしで入ってきちゃうやつらが。ほとんどは番をしてるモンス ターに狩られちゃうんだけどね」
 恐ろしいことをずけずけというフェアリー。だけど、それはやはり魔物側についてるからいえる悪いジョークのようなものなのかもしれない。
「その入ってきちゃった人とかはどうなるの?」
 入ってきちゃった人の一人であるグミさんが問う。フェアリーはえへんと威張りながら、得意そうに教えてくれた。
「この奥に黒い甲冑の衛兵が二人いるんだけど、その人と戦うの。ほんとに偶然入れた雑魚だったら、瞬殺。実力で入ってきた人なら、半分くらいは一分くらい 頑張るけど、殺されちゃう。もう半分は黒い甲冑が殺さずに、別の扉から奥へ送られるの。あと、これは内緒なんだけど……その奥に送られた人のことを、中の 連中は”死にたがり”って呼んでるのを聞いたことがあるよ」
 死にたがり。その言葉を聞いたシュウさんがびくっと肩を震わせる。死にたがりがどういう意味なのかはわからないけど、話の要点をまとめるとこうだ。
 検問に衛兵が二人。侵入者のほとんどを抹殺、一部だけを許可証なしで奥に入れてくれる。もちろん殺されずに済んだらの話だけど。そして、中に入れた人の ことを死にたがりと呼ぶ。
 惜しげもなく情報を流してくれたフェアリーに感謝しつつも、大丈夫なんだろうかと不安になる。わたしたちが参加者だと信じ込んでるからかもしれないけ ど、もしその情報がフェアリーから出たことを知られたら、フェアリーの命が危ないのではないだろうか。
「ああ、いろいろ教えてくれてありがとうな。で、グミ、ユア。まぁ、成り行きでそういうことになった。がんばろう」
 最後の一言が実に投げやりだったけど、シュウさんはこんなことであきらめたりするはずがない。そういうことというのを意訳するとこうだ。
「死にたがりになってでも生き残る」
 あきらめたらそこで終わりなんだ。光を掴むまで、あきらめない。黒の甲冑に殺されたりなんてしない。どうあがいたって生き延びてみせる。
「ついたよ。ほら、あそこが検問」
 フェアリーは小さな指先を目の前にある大きな扉を指す。黒く重厚な扉はいかなる武器でも壊せそうになく、不落の関門のように立ちふさがっていた。そし て、その闇に溶けるようにして立ち尽くす二体の甲冑。どこかで見たゲームの駒のように、手にした剣を胸元に掲げ、扉を守っていた。
 甲冑の内側から低く金属をこすり合わせたような声が聞こえてくる。
「汝、証ヲ示セ。サモナクバ命ヲ置イテイケ」
 逆らいようのない命令。そして、わたしたちに与えられた選択肢は、事実上一つ。命を置いていくこと……つまりは死だ。
 グミさんが、何の不信感も抱いていないフェアリーの両肩に手を置いて言った。
「ふぇありーさん、ここまで連れてきてくれてありがとう。でも、私たち実は……招待されてないの」
「えっ……」
 その言葉が合図になって、わたしたち三人はそれぞれ武器を取る。
「あいにくだが俺たちは許可証も、死ぬ気もないぜ。通さないなら、力ずくで通る。それだけだ」
 進入してきたにもかかわらず、正面を切っての宣戦布告。啖呵を切ったシュウさんに対して、甲冑はなんの感情もなく、ただ伝言のように錆びた喉を鳴らし た。
「ソレガ答エカ。ナラバ我ラモ全力デ参ル」
続く
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