ほの暗い闇を照らす光りゴケやその光に照らされて乱反射を繰り返す透明な鉱物、粘性の ある樹液のようなもの。全て人間が作り出すことのできない大自然の産物であり、どれもこれもが微妙に異なる輝きを放っている。
 一行がエリニアから敵地へと潜入するに際し、選択したのがこの大樹の中を進むルート。外見だけ見ると枝先までぎっしりと詰まっていそうな大木だが、実際 は中身は空洞になっており、お互い共生関係にあるキノコやスルラを内側に宿すことによって、倒れることなく直立することができるのだ。
 しかも、それだけではなく人間にとっての利点もある。大樹は天へ向かってまっすぐと伸びており、中に巣食う足場上のキノコによって、遠回りや危険を冒し てまで樹木を登らずとも、最短距離で目的の高さまで行く昇降機の役目を果たすのだ。もちろん、樹木には外に出られる穴がいくつかあり、目的の高さで出るこ とができる。エリニアに住む者なら当然のごとく知っていることだが、冒険者が初めて訪れる前にそれを知っておくだけで随分と移動時間を短縮できる。
「よいしょ……」
 一段高いキノコの上からユアとシュウの二人がかりでグミを引き上げる。グミが上の足場までよじ登るには、少し身長が足りなかったようだ。両手を掴まれて 上に引き上げられる様は、どう見てもこの場にそぐわない少女にしか見えない。
 まぁ、実際にただの少女であればこんなところは危ないからさっさと帰るよう忠告するなり、エリニアの安全な場所まで送るなりのことをするのだが、意外に も少女……ではなくグミは、それなりの実力者なのだ。
 持てる力は癒しの力、及び守りの呪文などの補助系で、攻撃呪文は無いものの、大変希少な飛び職という特例によってその効果は本来のレベルではありえない ほどの強さを誇る。無論、だからこそ能力を買われ強力なメイジであるアッシュと共に、厳しい任務を与えられたのではあるが……本人は天から与えられた才を あまり自覚していないようだ。
 もっとも、そんな才能なんて無いほうが楽しく平和な人生を送れたのかもしれない。戦うことなく、ただ安全に守ってもらえる存在。グミの場合は幼少時か ら、既に何も無い人生という選択は失くなってしまったようだったが……。
「ふぅ、ありがとう。アッシュさん、ここが一番上なの?」
 息を切らしながら問うグミ。それなりに体力はあるものの、シュウ、ユア、アッシュと本人の4人の中では一番体力が無い。それに対するアッシュは、人差し 指を立てて沈黙のサインを出す。大樹にぽっかりと開いた大穴から外の様子を片目で覗く辺り、もう限りなく敵地に近いという様子がありありと窺えた。
 しばしの沈黙の後、アッシュはどうやら異常なしと判断したのか振り返って口を開く。
「先ほどの奇襲で驚いたが……まだ、私たちがここまで来ていることはばれていないようだ。一応、これより上はあるが奇怪な生き物がいるだけで、今の任務に は関係ない」
 つまるところ、今回の実質的な最上階はここだということらしい。別の視点から見ると、ここから一歩出れば戦場だという意味だとも取れる。
「ここから出てすぐにさっきのゾンビザルが巣食ってるんだな? このまま真正面から突っ込むか?」
 いきなりシュウが無謀なことを口にする。少しは考えてから発言しろと言いたくなるが、考えての発言がこれだったら手のつけようが無い。もとより、我の発 言に従うかどうかすら曖昧ではあるが、さすがにアッシュによって否定された。
「その作戦だと囲まれて袋叩きにされること必至だ。別のルートで行こう」
 正面突破の道が無いとすると、裏道でもあるのだろうか。潜入任務と言っていたぐらいだから、何か策があるに違いない。
「抜け道でもあるんですか……?」
 いかにも自信なさげにユアが聞く。それにアッシュはああと首肯し、木の穴からある一点を見るように指差した。一同ともに、指差された場所……どうやら、 今いるところと同じような穴の空いた木があった。だが、気のせいか向こうの穴のほうがかなり小さいような気がする。
「あそこから入れるのね?」
「私たちがこつこつ作り上げた抜け道だ。ただ、敵の魔女たちが作った結界と、ここが敵地であることが災いして、人一人がようやく通れる程度のトンネルしか 作れなかった。ここを4人で抜けている間に攻撃されたらお終いだ」
 良いニュースと悪いニュースは同時にやってくるものだ。成功すれば幸運だが、もし待ち伏せに会えば終了。正面突破という線でいかないのならば、今のとこ ろこのルートを通らないわけにはいかないのが問題だが。
 案の定、数分の間ではあるが危険な選択をしなければならないということで、シュウ以外の三人はうーんと考え込んでしまった。そこに今がチャンスとばかり に、さっきのアレな発言で隅に追いやられていたシュウが顔を突っ込んでくる。
「要点をまとめると、あそこを通りきりさえすれば安全なんだろ? だったら一人が突入、残りが敵襲に備える。敵襲があれば防衛、退避。敵襲が無ければ突入の繰り返しでいいじゃないか」
 さっきよりはいくらかマシなことを言ったが、それでもやっぱり肝心なところはわかってないようだ。グミが怒りと呆れが入り混じった表情で真っ向から対立 した。
「仮に途中まで上手くいったとして、最後の人はどうするのよ! バカーっ!」
 顔を真っ赤にしながら怒るグミに若干押されたが、それでも負けじとシュウも切り返す。
「ば、バカとはなんだよ! だからっていつまでもここでうんうん唸ってるわけにも行かないだろう? どうせ、安全に向こうにいけたとしても危険なのに変わりはないんだぜ?」
 シュウの言ったことは確かに的を射ていた。このまま待っていたって状況は変わらない。行かないということは、あきらめて帰るということだからな。
 ただ口喧嘩を見ているだけだったアッシュが、何かを決心したかのようにわずかに間を空けて口を開く。
「確かにシュウ氏のいうことは一理あるな。わかった、私が最後でかまわない。君たち三人が一人ずつ順番に行ってくれ」
「えっ、でもそんなことしたらアッシュさんが……」
 心配そうな顔でアッシュのことを見つめるユア。最悪の事態を考えてるのだろう。すなわち、10数匹の魔物に囲まれるアッシュの姿を。しかし、アッシュは 首を振って、言った。
「さっきの魔法を見ただろう。私なら魔物の一匹や十匹食い止めて見せるさ。それに……危険はもとより覚悟の上だ」
 一瞬にして空気が重くなる。覚悟というのは死ぬこともいとわないという意味だと、誰もが理解していた。だが、アッシュは自分を引き換えにしてでも作戦を 成功させたいと思っているのだろう。
 誰もが言い出せない空気の中、シュウがアッシュとユアの肩にポンと手をのせる。
「つり橋は走って渡れっていうだろ。誰から行く?」
「………」
 なんだその聞いたことも無いことわざはとは誰も突っ込まずに、押し黙る。しかし、そのまま黙ってるわけにもいかないので、アッシュが重い口を開いた。
「体の小さい人から行くのが妥当だ。グミ氏、ユア氏、シュウ氏の順番で走ってあの穴に飛び込んでくれ。君たちの場合、カードがあるだろう? 向こうの安置にたどり着けたら、連絡を入れて次の人だ」
 それぞれがギルドライセンスを取り出して、ちゃんと持っているかを確認する。全員の手に白いカードは無事収まっているようだ。我の持ち主グミは、多少緊 張しながらも自分が先頭だということを意識して残る三人に顔を向けた。
「先で待ってるからね。いってきます」
 全員が黙って頷く。それを見たグミは仲間たちに背を向けると、姿勢を低くして、全速力で抜け穴へと駆け出した。グミの胸元でしっかり支えられている我の 景色もめまぐるしく変わっていく。薄暗かった樹の中から木漏れ日の差し込み、新鮮な酸素で満たされた森へと高速で切り替わっていく。穴までの距離は10数 メートル。木の根や落ちた枝などで足場は多少悪かったものの、二秒ほどで目的地までたどり着いた。
「ようし…」
 意気込みを新たにすると、息が切れていることも忘れて、人一人入れるくらいのトンネルへと頭から這うようにしてもぐりこんでいく。グミはもともとかなり 小柄なので、問題なく通り抜けられそうだった。ドレスの裾や手に木屑をくっつけながらもためらうことなく前進し、ニガテな暗闇も抜けて光を手にした。   おそらく、ここがアッシュのいった安地なのだろう。確かに木々や生い茂る草の影に隠れて息を潜めれば、簡単には見つかりそうもない。グミは何事も無く、通 り過ぎることができたようだ。
「ユアさん、どうぞ」
 ほっと胸をなでおろすのもつかの間、グミはポケットからカードを取り出して残る三人へと連絡する。次はユアだが、あの穴を問題なくくぐれるといいのだ が。
 だが、心配する暇も無く、銀のようにしなやかな髪と雪のように白い顔がぴょこんと飛び出してきた。あまりのすばやさにグミがびっくりしてしりもちをつ く。
「あっ、グミさん」
「わぁ!?」
 連絡してからまだ数秒しか経ってないのに、一瞬で追いつかれれば誰だって驚くだろう。ユアはグミの手を取って起こし、忘れないようにシュウへと連絡す る。
「シュウさん、きてくださいです」
「おう」
 すぐさまカードを使って返事が返ってくる。なんだ、シュウの言うとおり臆せず進んでしまえば問題なかったんだな。シュウが使いたがったが間違っていたこ とわざの代わりに使うとするなら、案ずるより産むが安しというやつだろう。
 しかし、何事も安心だと思っていた矢先に事件が起きるのは世の常らしい。カードとトンネルの向こうから同時にシュウの悪態が聞こえてきた。
「くそっ、やつら狙ってやがった!! アッシュー!!」
 シュウは自らの頭髪を青い矢じりのようにトンネルをくぐってくる。トンネルの向こうから聞こえてくる炸裂音や不思議な言語は呪文を詠唱しているというこ となのだろう。そして聞こえてくる、悲鳴とも笑いともとれる無数の猿の鳴き声。それに混じって、アッシュからのメッセージが聞こえてきた。
「少し時間がかかりそうだッ! 先に行っていてくれ、無理するんじゃないぞ!」
 想像していた数よりも敵の数が多かったのだろう。シュウは背中でそのメッセージを受けながらも、転がるようにして安全地へとたどり着く。そのとき、シュ ウが蓋となって見えなかった、トンネルの向こうが覗いた。おびただしい数の猿と大魔法で応戦するアッシュの姿、今からでも遅くない。戻ってアッシュの援護 をと誰もが思った。
「アッシュさんを助けに……」
 そう口にしたグミの口をシュウが手で塞いで小さく言った。
「そんなことしたら、アッシュの覚悟が無駄になる。それに……このトンネルはもうもたない」
「……!!」
 グミの声にならない悲鳴と共に頑丈に見えた木の穴がミシミシと音を立てて塞がっていくのが見えた。こんなところにわざわざ抜け道を作らせておいたのも、 森の魔女たちがエリニアを一網打尽にするための罠だったのだ。
 もはや視認することのできなくなったアッシュの身を案じて、グミが今にも泣きそうな顔で元はトンネルがあった場所を素手で何度も殴りつける。しかし、そ んな攻撃が効くはずも無い。
「グミさん、少し離れててください」
 グミは不安からの涙を隠すように、うつむいたまま身をシュウのほうへと寄せる。ユアはいつの間にか手にしていた大剣を振りかざすと、力任せに樹へと叩き 付けた。
「せええいっ!」
 分厚い刀身は裂音と共に木に食い込んだが、最初に削れた場所から再生していた。物理攻撃ではどうしようもない呪文がかけられているらしい。ユアにもその ことは一太刀でわかったらしく、がっくりと肩を落として剣を鞘へと戻す。
 確かにシュウのいうつり橋は走れば渡ることができた。だが、途中で橋は落ちてアッシュだけが向こう岸に取り残されてしまっていたのだった。
続く
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