まったくなんて日だ。早朝からグミのとばっちりをもらい、ちょっとよそ見をしている間 に敵襲には遭い、そしてそのせいで先頭から最後尾に移動させられるし、とにかくいいことがない。いつもこんな感じだと言われればそれまでだが、もしかする と今日は厄日なのかもしれないな。気を引き締めていかなければ。
「ん、なんだこれは」
 さっきまでそこに落ちていたゾンビルーパンの残骸の位置に、見慣れぬ物体が落ちていた。なんというか一言では言えない、人形……だろうか。にしては異様 な形をしているが、おそらくコレがこいつの戦利品なんだろう。ここしばらく戦利品を集めるなんてことはしてなかったから、後のことも考えて拾っておくに限 る。
 だが、その戦利品に手を伸ばした瞬間、アッシュに厳しい口調で制止された。
「それに触るな!」
 指先が触れるわずか数ミリ前で、手を止めてアッシュのほうに振り返る。なんだよ、俺ばっかり。これは戦利品じゃないのか?
 俺が軽く抗議でもしてやろうと口を開くが、その前にアッシュが杖で器用にその物体を拾い上げる。そして、それを全員に見えるように掲げた。見た感じは さっきと同じ人形だったが、異様なのはその胸から飛び出した、いや突き刺さっている針のようなものだった。何がしたいのかはわからないが、それを見るとも のすごい嫌悪感を感じる。
「これは呪われた人形……生き物の悪意を凝縮したモノだ。長時間手にしていると心をやられる」
 なんて危険なものを落とすんだ、この腐れ猿は。危うく触るだけじゃなく大量に持って帰るところだったぜ。心の中でアッシュに感謝しつつ、悪意の塊をじっ と見つめる。どうしてこんなものをこの猿は持っているのだろうか?
「あの、どうしてそんなものがあるのですか?」
 さっきの動揺からはもう回復したのか、真剣な目で質問するユア。俺同様に異様な気配を察知しているらしい。グミなんかはそれを見ようとすらしたがらない のだから、とにかくなんかヤバイってのはわかるんだろう。
 アッシュは手首のスナップだけで人形を持ち上げて、厚手の黒い袋の中に落とす。そして顔を伏せて言った。
「もともとのオリジナルはエリニアの長であるハインズ様の悪意から生まれた。目に見えるほどの悪意が魔物に及ぼす影響を探ろうとしたのだが、偶然西の森の 魔女の手に渡り、一晩のうちに複製がばら撒かれた。それは専ら魔女からゾンビルーパンへと渡り、日に日に数を増しているそうだ」
 苦々しげにエリニアの黒歴史を語るアッシュを見て、思わず俺も目を伏せる。まるで不幸の手紙みたいだ。元はひとつの小さな悪意が、目に見える恐怖となっ て数倍、数十倍、数百倍へと瞬く間に増殖していく。しかも、この人形の場合はそれが化け物とセットでやってくるというのだからタチが悪い。
「アッシュさんはそんなものを持ってて大丈夫なの?」
 心配そうに黒い袋を見つめるグミ。その顔には嫌悪と恐怖の入り混じったようなものが見える。それに対してアッシュは、横目で腰の袋を確認しながら言っ た。
「これは邪悪なものをこの世から隔離する袋だ。人形を回収して、処分するためのものだから私に影響はないよ。焼け石に水みたいなものだが、それでもやらな いよりはマシなのだ」
 アッシュはなんとか笑おうとするが、微笑とは到底呼べない口元の歪みができただけだった。その表情からはほぼ無駄だとわかってる故の自嘲がありありと読 み取れた。過去に同じような質問をされたことがあったのかもしれない。
「それって地道に回収する以外にどうにかならないのか?」
 どうにかするのがエリニアの責任だろうと付け加えなかったのは、俺なりにアッシュの心情を察したからだ。アッシュは、うむと一息つき、重い口を開いた。
「ハインズ様が作ったオリジナルを消滅させれば、コピーは全て消えると言われている。だが、そのオリジナルは魔女たちによって隠されてしまい、どこにある のかわからない。しかも魔女たちは手ごわく、そう簡単に手を出せないというのが実情なんだ」
 なるほど、エリニアにも複雑な問題があるようだ。でも、俺たちって今からその西の森に行って、ゾンビルーパンや魔女がいる危険なルートを調査するんだよ な? 本当にこれって危険な任務なんじゃないか……。
「アッシュさん、潜入すると同時にそのオリジナルの人形を手に入れられたら、助かるよね?」
 いつになく真剣なまなざしをするグミに、アッシュはああ、と返事する。これは俺の拒否権とかは関係なく、任務にもうひとつ目的ができたようだ。
 グミはさっきまでの怯えた表情からは想像できないほど、元気に言った。
「本日の任務は、ゾンビルーパンの調査及び殲滅、それに加えて呪われた人形のオリジナルを奪還に決まりました〜!」
 ユアの手から小さな拍手が起こる。いや、いいのかそれで? 俺の想像とほぼ同じ答えがグミの口から聞こえてきたわけだが、どうせ俺のまともな反論に耳を 貸すわけはないんだろうな。もう、黙って従うしかないか。
「とりあえず、こんなところで任務再確認なんてしてないで、先に進もうぜ。アッシュ、どこに向かえばいいんだ?」
 少しでももとの流れに戻そうと、これからの話を切り出す。アッシュは俺の隣にある木を指差して言った。
「そこに大きな穴の空いた木があるだろう? そこだ」
 てっきり木のうろだと思っていたそこを覗き込むと、大木の中は広い空洞になっていた。俺は我一番にと、その木の中に滑り込む。真っ暗かと思われた大樹の 中には、コケのようなものや結晶のようなものがあり、どういう原理かはわからないけどほのかに明るかった。また、樹皮の内側にはちょうど俺たちが歩けるほ どのキノコが群生していて、どこまでも上へと上へと歪な階段状に繋がっている。
「シュウ、どいて!」
「っとっとお、うわああああああああ!!!」
 そう、声が聞こえたと思った瞬間には足はキノコの上から数センチ離れていて、ひとフロア下の階層に落下する。自然が織り成す神秘的な光景に俺が呆然とた たずんでいたところに、女が三人ドロップキックを繰り出してきたらしい。あまりの理不尽さに少し悲しくなってきたぞ。
 俺は下にあるキノコがやわらかくて、俺の体重を支えきれる優秀なキノコであることを期待しつつ、最悪の状況も考えて覚悟する。何しろ今日は厄日だ、下が キノコどころかコンクリート、いや剣山かもしれないな。
 だが、俺が想像していた最悪は起こらずに、ものすごく柔らかな足場に着地する。なんだ、こんな最適なクッションにたどり着けるなんて意外と運がいいじゃ ないか。しかし、こめかみの汗をぬぐった直後に今おかれている状態の異常さに気づく。
「あれ……?」
 なんか動いてないか? そう思ったときにはもう遅かった。自然と自分がクッションにしていたものへと視線が移る。どっかで見たことあるな……この弾力性豊かな緑色の生物。
「スルラあああ!?」
 そう、スルラ。どこかの洞窟でみたような密集率でいらっしゃる。って、冷静に分析してる場合じゃない! 俺は今にも俺を取り込もうとしているスライム状 の地獄から、両手両足を酷使して這い出す。味方に蹴飛ばされて、スルラに溶かされましたじゃ冗談にならない。
 必死でどこか他に足場はないか探すものの、全然ない。クソっ、神は我を見放したのか、それとも最初からいないのか。何でもいいから助けてくれと願った瞬 間、俺を地獄に突き落とした悪魔から救いの手が降りてきた。
「シュウーこれにつかまってー!!」
 グミの声と共に降りてきたのは、鉄球つきの鎖、レフェルだった。いろんな意味で心配だったが、わらにもすがる思いで鎖にしがみつく。最初だけぐらっと揺 らいだが、すぐに安定した。どこに固定されてるのかはわからないが、多分ユアが支えてくれてるんだろう。足蹴にするなとレフェルが喚いたが、無視してする すると鎖を登る。蜘蛛の糸みたいな気分だが、とにかくもとの位置まで登りきることができた。
「大丈夫……?」
「ぜぇぜぇ……酷い目に遭った。緑色の地獄が見えたぜ」
 決して誇張表現ではないものの、それでも多少の悪気を感じたらしくグミがしょんぼりしていた。ユアは工事現場のクレーンのようにするすると上がってくる レフェルを気にしながらも、やはり落ちた俺のことを気にしてくれているようだった。
「木の中には魔物が巣食ってることもあるから気をつけろと言おうと思ったんだが、先に入ってしまったのでな……ともかく無事でよかった」
 なんとアッシュも心配してくれてるとは、最初に蹴られなければこうならなかったにも関わらず、ちょっと嬉しいじゃないか。ここは寛容に許すしかない。
「まぁ、俺様は不死身だからな。こんなことでくたばりはしないぜ」
「じゃあ、先を急ごうか」
 小さくガッツボーズをしてピンピンしてるということをアピールしたのもつかの間、さっきとは態度を180度変えて突き放してくるとは恐れ入った。
「シュウ、遅いよー」
「シュウさん、置いてっちゃいますよー」
 一段上のキノコから俺を見下ろした声が聞こえる。しゅんとしているように見えたが、俺の妄想だったのかもしれないな。いい夢見れたよ、ほんと。
 俺は一足飛びで三人の後ろに続く。かなり最悪だが、これは俺が選んだ道なんだ。それに……この先、どうも嫌な感じがする。だが、俺がそのことを口にした からといって、これから起こる非常事態は変わりようがなかった。
続く
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