(グミ、グミ……)
 誰かが私の名前を呼んでいる。小さくてよく聞こえないけど、どこか懐かしくて包み込むような声。誰だろう、とにかく行かなきゃ。
「私はここにいるよ」
 私は遠くの誰かに聞こえるように、大きな声で答える。でも、誰からも返事は来なかった。その代わりに強烈なまぶしさで瞳を閉じる。
「………ん」
 どこからか差す日が頬をなでていた。どうやら、夢を見ていたみたい。でも、肝心の内容はもともとなかったかのように覚えていなかった。
 さっきの夢……なんだったんだろう。私はもう一度目を閉じてシーツにくるまる。あったかくて、気持ちよくて、シーツの中で猫のように丸くなった。こんな に気持ちよく眠っているのは何日ぶりだろう。旅館で泊まったときも、シュウのせいでしっかり眠ったって感じがしなかったし、その前なんて寒い小屋で野宿同 然だったっけ。
 もしかしたら、今日も野宿かも知れないし、これからもこんなふかふかのベッドで寝るなんてできないかも。今のうちにゆっくり眠っておこう……それに、こ んな時間から起きてたらいつもの楽しみがなくなっちゃう。
 え、楽しみってなんだって? それはね、レフェルには絶対内緒なんだけど……毎朝なかなか起きないとあいつが必ず起こしてくれるから。いつもはてんでだ らしないくせに朝だけは絶対早起きで私のことを起こしに来るんだ。最初は特に気にしてなかったけど、最近は……あれ、そういえば何か忘れてるような。昨日 の夜、なにかすごく大事なことを約束していたような。う〜ん……なんだっけ。さっきから思い出せないことばっかりだ。
 私は思い出せないもどかしさから、全身をわずかに身じろぎする。そのとき、指先に何かが触れた。細長くて、少し温もりがある。でも、それって……え、そ んなはずは……これは、これって。
 まだ信じきれない私はもう少し手を伸ばしてみる。私が触れたもの以外にも、何本かそれのようなものがあった。間違いない、これは誰かの手だ。そこまで確 信して、はっと大事なことを思い出す。昨日の約束のこと。なんだかいつもと違うシュウと勝負して、私はシュウとベッドに寝ることに……えっ!
 私は何気なく絡ませていた指先を、熱い物にでも触れたかのように手を離す。手を離したのに、さっきよりももっと身体が全体が熱くなってきていた。シーツ の中からじゃよく見えないけど、間違いなく誰かいる。ウソ、じゃあ私……シュウと同じベッドで一晩過ごしたってこと?
 頭の中が真っ白になって、反対に顔は真っ赤に染まっていく。考えをまとめようとしても、身体のどこかがそれを拒んでいた。どこも、なにもおかしなことは されてないみたいだけど、本当にシュウなのかな。
 少しだけ顔を出して、もうひとつの枕のほうをちらりと見る。相手もシーツを被っていてわからないけど、とにかく誰かいるのは確かだった。私はシーツから 顔を出し、そっとシュウ(?)のもとへ近寄る。まだ寝てるみたいだから、こっそりと顔だけ見て確かめよう。
 手を伸ばし、シーツを掴む。それと同時に心臓の音も大きくなる。別にシュウのことなんてどうでもいいはずなのに、全身がこわばって震えてる。もしシュウ だったら、シュウだったら……どうしよう。恥ずかしいような、胸が苦しくなるような、でもちょっとだけうれしいような思いがあふれ出しそうだった。
 もう、シュウは後でお仕置きするとして、とにかく覚悟を決めるしかない。私は目をぎゅっと閉じて一思いにシーツを剥ぎ取った。
「う〜ん……」
 シーツを奪われたその人は、寒そうに身体を丸める。女の人……ユアさんの声だ。目を開けるとそれは間違いなくユアさんで、ちょっと寝癖はあるもののシュ ウのような変な髪形でもないし、悪い寝相でもなかった。
 私はほっと胸をなでおろし、手にしたシーツを再度優しくユアさんにかけてあげる。驚かせてごめんなさいと胸の中で言う。どこか残念な気がしたのは、気の せいだと思うことにした。シュウめ……でも、一体どこに言ったんだろ。その瞬間破砕音が聞こえてドアが荒々しく開く。
「おらああ! お前らさっさと起きろおお!!」
「ひゃあっ!」
 あまりにも不意打ちだったから、心臓がきゅっと締め付けられる感じがして小さく飛び上がる。私もびっくりしたけど ユアさんは寝起きでそれ以上だったら しくがばっと起き上がり、私はユアさんにのっかる形になってしまった。
 それを見たシュウは、見てはいけないものを見てしまったという様子で顔を伏せていった。
「いや、ごめん……先、顔洗ってくるわ」
 私は何も言わず、そこにあった枕とレフェルを投げつけた。
*
 シュウはやけに高いテンションで口笛を吹きながら先頭を、グミは肩を怒らせながらその後ろを、ユアはグミの隣を心配そうに、アッシュは神妙な面持ちでし んがりを守っていた。話し手が代わったのに深いわけはない、ただグミの機嫌が悪くなっただけだ。
 朝起きて一番最初に見たのは、頭部から血を流すシュウだった。どうやら我が傷つけたらしいが、どうせ今回もシュウが悪いのだろう。グミもしぶしぶヒール したことだし、誤解も解けたようだから特に問題はない。
 一同は手早く支度を済ませ、アッシュの用意したパンと携帯食料を持ち、朝の新鮮な空気の中出発した。一見するとピクニックにでも行くような感じがした が、何気なく手や腰に携えた武器が彼らの行く先が山や湖などではないことを示していた。武器は今さっと見渡しただけで、シュウのバズーカ、強力な魔力を秘 めた杖、見慣れない大振りの剣、そして我があった。
 武器だけではない、それをあやつる人間のうちに秘められた戦闘力や魔力は、武器以上の強靭さを持っている。これはまさに臨戦態勢といえよう。
 一行はエリニア郊外(グミのドアで移動した)よりまっすぐ歩いていたが、先頭のシュウがおもむろに立ち止まる。それに乗じて、後ろ三人の身体もこわば る。うっとおしいシュウの口笛もいつの間にか止まり、どこか重苦しい空気が漂ってきた。しかし、シュウはなにも言わずただ立ち止まっている。
 緊張に耐え切れなくなったグミが最初に口を開いた。
「シュウ、敵…なの?」
 返答次第ではすぐさま戦闘になる……そんなピリピリした空気の中、シュウはゆっくりと向き直り、頭をかいた。
「………なぁ、俺らどこ向かってんの?」
 こいつには学習能力がないことを忘れてた。グミは今にも叫びだしそうなほど怒っていたが、それでびくびくしていた自分を隠すためか、呆れたようにつぶや いた。
「随分楽しそうだから、なんかおかしいとおもった…バカ」
「なんだよ、俺だってただ適当に歩いてたわけじゃないぜ? この自慢のヘアースタイルが感じる邪気をだな」
 シュウのどう見ても言い訳にしか見えない弁明に、グミは怒りのボルテージを急上昇させていった。しかし、今にも噴火しそうなグミの後ろでユアとアッシュ はそれぞれの武器を構えていた。その表情は紛れもない戦いの目である。
「シュウ氏、伏せろ」
「へ?」
 何を言ってるのかわからないといった様子のシュウは、とっさに気づいたユアはシュウを無理やり押し倒して、伏せさせる。その瞬間、シュウのアンテナの数 センチ上を魔法の爪が引き裂いていた。グミに攻撃魔法は使えないから、まずアッシュの魔法だろう。青い魔力の残滓を撒き散らした空間には、人間よりも少し 小さな風体の魔物がいたらしいが、あまりの威力に全身を大きな四つの塊に裂かれて絶命していた。
 その技を一瞬で成したアッシュは、他に脅威がないのを知ると構えてた杖と共に魔力の集中を解く。全身の産毛が逆立つような強烈な威圧感は瞬時に掻き消え た。突然の出来事に呆然としていたシュウとグミは今更になって自分たちが置かれていた状況を悟る。アッシュとユアの対応がもう数瞬遅れていたら……シュウ の首は今頃あの鋭い爪や牙の餌食になっていたのかもしれない。冷や汗がすぅーっとこめかみから流れ落ちる。
「シュウ氏があまりにもまっすぐ正規のルートを進んでいくから、知っているとばかり思っていたが、まさか勘だけで進んでいたとはな………なにはともあれ無 事でよかった。だが、今度からはこういう油断が……ん?」
 アッシュがとあることに気づいて、途中で言葉を切る。見ると、さっきの戦闘の余波でユアがシュウに覆いかぶさったままだった。それに気づいたユアは顔を 真っ赤にしながらなにかを言ってるが、ろれつが回ってないためにほとんど何を言っているかわからない。意訳するに、これは違うんです。魔物がいたから仕方 なく、みたいな感じだろう。我を握る両手にものすごい力がこもる。
「いやぁ、事故とはいえ積極的だぜ……」
 自分の命が危険にさらされていたというのに、数秒後にはこうなっているのだからこの男は。しかし、シュウにとっての嬉しいハプニングは、鼻の下を伸ばし ていたシュウを見ていたグミにとっては万死にも値することだった。もちろん、ユアは関係なくシュウのみにである。
「このバカ! さっさと起きなさい!!」
 押さえの効かない嫉妬という激情は強烈な蹴りとなって、シュウの下あごに突き刺さった。シュウはもんどりうって、近くの木にぶつかって形だけ立ち上が る。普段はお世辞にもいいとはいえないグミの暴力も、今回だけは我の気持ちを代弁してくれたということで目をつぶろう。
続く
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