わたしとグミさん、そしてシュウさんと出会ってからどれくらいの時が経ったのだろう。 どんな人と一緒にいても、ずっと一人きりだったのに。
(姉さん、あたいのこと忘れちゃやだよ)
 胸の奥から響いてくる、くぐもった獣の声。普通は話すなんて出来ないはずの狼はわたしの体を共有しているもう一人の存在だった。
 あ、おおかみもいるから二人だったねと胸の中で思う。おおかみはその返事に納得が行かないながらも、あきらめたように大きなあくびをした。
 わたしはその瞬間におおかみの相手をすることをやめて、手にしたフォークとスプーンを武器にアッシュさんの作ってくれた手料理と向き合う。対戦相手は見 たこともない材料で作られたシチューだった。
「ユアさん、アッシュさんの料理おいしいね」
 片方の口に料理をほうばったまま、グミさんが笑いかけてくれた。わたしは未だに慣れないスプーンをそっとシチューに潜らせて、すくってみる。そのまま、 こぼさないように口に運んで……ゆっくりと味を確かめる。
「はい、すごくおいしいです」
 口の中に広がるうまみとほのかな甘み。そして手料理独特の懐かしさが自然に笑みと先の感想を導き出していた。シチューをすくう途中で、カチリと小さく音 が鳴ってしまったけど、わたしとしては十分上出来な部類だった。だって、今まではすくおうとしたシチューの大半が口に運ぶ途中でぼたぼたと零れ落ちてし まっていたのだから。
「よお、ユア。食ってるか?」
ぽんと肩に手を置かれて振り向くと、そこには片手に何枚もお皿を積み重ねて持ってるシュウさんがいた。スプーンやフォークなんか使わないで、ほとんどお皿 ごと食べてる……。それも、味わってるのかどうかすらわからないほど速く。三人の食べる速さをグミさん基準で考えると……グミさん=1。わたし=0,5。 シュウさん=10くらいの違いだった。
 わたしが驚きつつも小さく首を縦に振ると、シュウさんはいっぱいある皿のひとつをわたしの前のテーブルに置いて、言った。
「グミが食いすぎてユアの分がなくなったんじゃないかと……ぐえっ!」
 シュウさんの後頭部になにかがぶつかって、思いっきりつんのめる。ゲホゲホと蒸せたシュウさんは涙目で後ろをきょろきょろと見渡すけれど、そこに襲撃者 の姿はなかった。犯人はわたしにも予想はつくけれど、シュウさんが悪いのであえて言わずに、くすくすと笑う。
 少し落ち着いたシュウさんは使ってないほうの手で頭をさすりながら言った。ほっぺがちょっと赤い。
「えーっと、まぁ美味いからしっかり食べろよ。この後、頑張らなきゃならないっぽいからな。じゃ、俺はもうちょっと食ってくるから!」
 それを言うが否や、すぐに料理のテーブルの方に移動してしまっていた。まだシチューを食べている途中だったわたしは、さっきよりはペースを上げてお皿の 中身を平らげる。
 そうだ。すっかり忘れてたけど、近いうちに戦いに行くのだ。さっきから、みんな口に出さないようにしていたけど、もしかしたらこれが最後の食事になるの かもしれないのだった。
 敵はこんなに素敵な村を襲った怖ろしい化け物たち。エリニアのすごい魔法使いさんたちも手が出せないでいるほど凶暴で、強いらしい。もちろん、わたし だって頑張って戦うけど、誰も傷ついて欲しくないけど……守りきれないかもしれない。諦めじゃなくて、ひとつの可能性として。命にかえても……そんな言葉 は何にもならないってことは、身をもって知っていた。どんなにすくおうとしても、シチューのようにこぼれていく。
 わたしが不器用だから……?
 修練が足りないから……?
 それともわたしは……人間じゃないから?
 ……化け物だから?
「ユアさん?」
「は、はい!?」
 突然話しかけられたものだから、びっくりしてくわえていたスプーンを思いっきり噛んでしまう。切れてはいないみたいだけど、少し痛い。
「顔色悪いよ……?」
 グミさんはうるんだ瞳でわたしのことを心配そうに見つめていた。まただ、どうしてわたしはこんなにバカなんだろう。こんなに、こんなにわたしのこと思っ てくれているのに。勝手に不安になって、疑心暗鬼になって、何も信じられなくなって……。
「グミさん」
「ん……なに?」
 しっかりしなきゃわたし。心の中で自分に喝を入れる。体だけじゃなくて、心の牢獄にも手を差し伸べてくれた二人を守りたい。わたしの全部で二人を、守る んだ。
 わたしは心の中でそう誓うと、笑みではぐらかして言った。
「なんでもないですー。それより、早くしないとシュウさんが全部食べちゃいますよ?」
「ええっ?」
 グミさんがテーブルのほうを向いたときには、既にシュウが最後のお皿に手をかけようとしていたところだった。お皿の上には小さな耐熱皿に作られたミニグ ラタン。シュウさんに独占される前に走る。
「こらー! シュウー!!」
「やべ……」
 グミさんの剣幕に怖ろしいものを感じたシュウさんは、4つのうちひとつだけグラタンを持って一目散に逃げてしまった。グミさんは残り少なくなってしまっ たけれど、最後に残ったグラタンにスプーンを差し込む。表面のこんがり焼けたチーズとパン粉がさくっと音を立てて割れた。そして、そのまままろやかなホワ イトソース共にそれをを口へと運んだ。
「うんっ、最高」
 熱さも忘れて食べてるグミさんはすごく嬉しそうに笑う。わたしも同じようにグラタンを口にすると、とっても優しい味が口全体を満たしてくれた。どこかで 隠れている、シュウさんもきっとおいしいって食べてるのだと思う。
 最初、二人と一緒に自分がいることは、ひどく場違いな気がしていたけど、今ではここがわたしの居場所なんだと思えるほどになっていた。これが幸せってい うものなんだと改めて知る。そんなつかの間の幸せのなか、背後に灰色の影が現れる。
「満足いただけたかな?」
 今日のご馳走を用意してくれた人物、アッシュさんだった。今はあの大きなフードを被ってはいないので、腰までたらした金糸のような髪がよく見えた。
「ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」
 グミさんが小さくお辞儀する。当然、ほぼ満点に近いおいしさだった料理にわたしたちは大満足だった。アッシュさんは自分の料理が褒められたことを喜ん で、わずかに頬を上気させる。
「ありがとう。ところで、グミ氏。その三角帽はどうしたんだ?」
 小さな変化ではあるけれど、グミさんの可愛らしい身長が少し大きくなったことに気づいたのか、アッシュさんが問いかける。グミさんは両手を重ね合わせ て、もじもじしながら答える。
「ゴールドマンさんの金庫にあったんです。似合ってますか……?」
 そのあまりに可愛い様子に心揺れたのか、ほんの少し間をあけてからアッシュさんが感想を言った。
「あ、ああ……とても似合ってるよ。それに、その帽子にはものすごい魔法がかかっているようだ」
 グミさんはその一言でぱっと顔を輝かせて、にっこり笑う。テーブルクロスのしたから、それをこっそり眺めている影があったけど、言わないでおこう。
 でも、ものすごい魔法……? わたしが手にしたときは、なにも感じなかったけど……アッシュさんにはわかるのだろうか?
「ものすごい魔法って……どんな魔法なんですか?」 
「詳しいことはわからないが、とても強大な魔法みたいだ。なにか危険なところに行かなければならないときや大切なことがあるときはずっと被ってたほうがい い」
 アッシュさんは帽子の側面をなぞるように触れながら、グミさんに説明した。アッシュさん自身にも、帽子の持つ特別な効果というものはわからないらしい。 でも、どこかいとおしげに帽子を撫でる様子はどこか、おかしいような気もした。二、三度帽子を撫でたかと思うと、それで満足したのかこちらへと振り返る。  
「それでは、食事も済んだようだし、後片付けをしようとしよう。それが終わったら、早速今後の作戦について……」
 ここまで言いかけたところで、上機嫌になったグミさんが手を上げて、とあることを提案する。
「アッシュさんはこんなにおいしい料理をご馳走してくれたんだから、片付けは私たち。もとい、まったく遠慮せずに一人で食べて食べて食べまくったやつにや らせます」
 ギクッという擬音が聞こえてきそうなほどに、テーブルクロスの下の緊張感が高まる。グミさんはなんの躊躇もなくテーブルクロスをまくると、その下に隠れ ていた人物を思いっきり蹴り飛ばす。
「痛え! クソッ……いつこの隠れ場所が……」
 もぞもぞと動いて、蹴られたおしりをさすりながらシュウさんが這い出してくる。その格好はひどく不恰好でおもわずくすっと笑ってしまった。
「食べ物の恨みは恐いのよ!」
 グミさんはそう叫ぶと、嫌がるシュウさんを引っ張ってこっちまで引きずってくる。絨毯に顔がすれるたびに、シュウさんが痛がっていたけど、そんなのはお かまいなしだった。アッシュさんは苦笑しながらも、皿洗い任せたぞとシュウの肩にぽんと手を置いた。
「食い意地はってるの忘れて……ぐえ!」
 シュウさんが最後まで言わないうちに、頭の上にグミさんの靴底が落ちる。余計なこと言わなきゃいいのにと思いつつも、その光景に微笑ましいものを感じ た。
 なされるがままに連行されていくシュウさんを見送りながら、わたしはさっきのアッシュさんを思い出す。そして、グミさんの帽子のことも。初めて触れたと きはびっくりして、いろんなことがあって忘れてしまってたけど、あの帽子が放っていた雰囲気は紛れもなく……。
「ユア氏」
 わたしなりの答えを出す前に、アッシュさんに話しかけられて思考を中断する。アッシュさんは返事をする間もなく続けた。
「戦いに身をおくものとして言うが、今度の戦いは大変なものになるだろう。大の大人でさえ逃げ出すかもしれない戦だ」
「はい、わかってます」
 恐らくグミさんはわかってない。シュウさんはわかっていないか、もしかすると楽しんでいるかもしれない。アッシュさんは口にこそ出さないが、これが最後 の晩餐になる覚悟も決めているといった様子だった。
「だが、君たちは二つ返事で請け負ってしまった。信じられないほどのお人よしなのか、それとも怖ろしく大きな器なのかはわからなくなってきたが、ひとつだ け言える事がある」
 一つ一つの言葉が磨かれた剣先のように鋭く、重い。引き返すなら今だと言ってくれているのだ。でも、グミさんたちは間違いなくそれをしないだろう。
「志半ばに死ぬには惜しい。それでも、君たちは手を貸してくれるのか?」
 最終宣告だった。それもギルドの長であるグミさんにではなくわたしに言っているのだった。理由はわからないけど、わたしのことを信頼してくれているのだ ろう。
 わたしはありったけの自信を持って答える。
「ええ。こんなわたしを救い出してくれたのはグミさんたちです。お人よしでも、怪物なんかに負けませんから」
「感服した。グミ氏に問うてもそのような強い答えが返ってくるだろう。恩に着る」
 これで後には引けなくなった。でも後悔なんてしてない。最初から引く気なんてなかったし、今のわたしは一人じゃない。
 たとえこの腕がもがれても、この足が砕けても、大切なものを守り抜こう。居場所を与えてくれた二人を守るためならば、化け物でも構わない。
(……………)
 揺るがない決意と共に、わたしのなかの何かが低く笑ったような気がした。
続く
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