「痛ってえ……ったく、ここはどこなんだ……」
 俺はグミに突き落とされて、したたか打ち付けた腰をさすりながら、辺りを見回す。視界に入り込んでくるのはうっそうとした木々ばかりで、なんの手がかり にもなりゃしない。さっきからうろうろとこの周辺をさまよってはいるが、ただいたずらに足が疲れるだけでまともな収穫はなかった。今となっては、そもそ も、なんであの時俺も一緒に行かなかったんだと後悔している。
 ゴールドマンのところを後にした俺たちは、アッシュの屋敷へと向かうことになったんだが……その、なんというか、その目的地にはまだたどりつけていな い。それもそのはずだ。俺たちは誰一人としてアッシュの家なんて知らないんだからな。
「はぁ……」
 グミが大きなため息をつく。新しく頭に乗った帽子はアンバランスで、にもかかわらずもともとグミの頭の一部だったかのようにそこに座っているから不思議 だった。最初見たときはなんかいやな感じがする帽子だなぐらいにしか思っていなかったが、今改めて見てみるとグミの魅力のある一部分だけを強調しているよ うにも見える。まぁ、簡単に言うと……すごくかわいい。具体的にどうとはいえないが、その場で抱きしめたいくらいかわいかった。その重いため息ですら も……。
「おなかすいた……」
「……」
 腹が減ったからため息ついたのかよ。少しは俺の心境を察してくれたっていいだろうがと腹の中で呟く。さっきだってどうにか自分を抑えて抑えて抑えて、な んとか気の利いたことを言ったつもりだったのに、あんな高いところから突き落とすだなんて。
「はぁ……」
 グミに負けず劣らずの大きため息をつく。なんだかひどく自分が哀れに思えてきた。だって、そうだろ? どんなに頑張っても報われないというか、なんとい うか。体中にできた細かい傷が痛みと共に切なさを感じさせてくれる。グミは俺の一言に腹を立てたのか、ヒールすらかけてくれないのだ。
「シュウさん、何か考え事ですか?」
 感傷に浸っている俺を見て、ユアが気遣ってくれた。表情に出したつもりはなかったのに、いつの間にか顔に出てしまっているようだった。心配そうに俺のこ とを見つめているユアは、眉根を釣り上げて大きな瞳に悲しみをたたえていた。どことなく頬が赤いが、ユアの方こそ何かあったのだろうか。
 俺はグミのことで悩んでるなどとはおくびにも出さず、ただ今直面している問題だけを告げる。
「考え事っていうよりも、あれだ。アッシュの家に行きたくても、場所がわからないんじゃな」
 俺は肩をすくめ、どうしようもないといった様子をアピールする。向こうが言わなかったのだから、誰のせいでもないのはわかっている。だが、それだけに失 望感は大きかった。
「疲れたー……」
 グミはそう言うと、その場にへたりと座り込んでしまう。約束の時間とかは特に決めていなかったが、もう一時間くらいは当てもなくさまよっているから、当 然といえば当然かもしれない。俺もグミにつられるようにして両足を投げ出して、太い木の枝へと腰を下ろす。ユアも俺たちと向かい合うようにして、ゆっくり とその場に正座した。
 しばしの沈黙があった後に、とりあえず俺が口を開く。なんども繰り返した質問だった。
「なぁ、誰もアッシュの屋敷がどこか知らないのか?」
「言ってなかったもん……」
 すねたようにグミがこぼす。聞いたことがないことをいくら思い出そうとしても無駄なことはわかってる。
「お屋敷っていうくらいだから、すぐわかると思ったんですけどね……」
 ユアも続いて言う。そうだ、そこが盲点だったんだ。エリニアは樹上の村だから、狭いし、大きな建物があればすぐにわかると思っていたのだが、それは大き な思い違いだった。確かに横の面積は今までのペリオン、カニングといった街と比べると狭い。しかし、縦に広く、幾重にも重なった階層を全て平地に換算する と、どこにも負けないほどの広大な面積があるのだった。しかも、グミは縦の移動を怖がるし、道を聞こうにも激戦があったせいか、人っ子も妖精っ子もいな い。
 俺は大きな枝でひび割れたように見える空を見上げる。天気はあまりよくなく、太陽も見えなかったが、いつもは木々の隙間からこぼれる木漏れ日が気持ちい いんだろうなんとかを想像する。あからさまな現実逃避だったが、気分転換も必要な気がしたのだった。
「あ!」
 突然、グミが大声を上げる。なにか思い出したような声だったが、聞いたこともないことを思い出すはずがない。 
「レフェル……がわかるわけないか」
 案の定、現状打破することができるはずもなく、自分の思いつきにがっくりとうなだれるグミ。一瞬で期待されなくなったレフェルもかわいそうだが……い や、待てよ。レフェルも良く考えればその場にいたじゃないか。的確な位置はわからなくても、なにか役に立つ情報を拾っているかもしれない。
 わらにもすがる思いで、俺はレフェルに話を聞いてみることにする。
「レフェル、お前何か聞いてないか? 具体的でなくてもいい、ちょっとした情報でもいいんだ」
 わずかな間があって、グミの手の中にあるメイスのなかから古臭い口調が聞こえてくる。
「……困ったときの我頼みは関心せんな。そうだな、アッシュの屋敷についてはわからないが、上の図書館まで戻ればわかると思うぞ」
 グミは遥か上を見て、ぶるっと身を震わせる。ここ何階層か上下したわかったことだが、下を向かなければ大丈夫という問題ではないらしい。あの、落ちたら アウトという感じがもう生理的にだめそうだ。だが、レフェルもなにもしらないとなると戻るという選択肢しか残っていないも確かだった。
 俺は立ち上がって、震えるグミのそばまで歩き、言った。
「グミ。俺がおんぶしてやる」
 頼れる……かどうかは微妙だが、俺は背中を見せてグミの前にしゃがむ。グミくらいなら、背負って上ったところで体力的にはたいした問題はないはずだ。た だ、グミが嫌がらなければだが。
 グミはなにも言わずに俺の背中を見ている。迷ってるのだろうか……? 俺の背中に触れたのは、弱温かい手でも、怒声でもなく……弱々しい泣き声だった。
「ユアさん、シュウ……ごめん。私、私、足引っ張ってばかりで……」
「シュウさん! レフェルさん!」
 おっとりと休んでいたかのように見えたユアがいつの間にか、グミのとなりで眉を吊り上げていた。普段のふんわりとした雰囲気とは正反対の険しい表情をし ている。俺は名前を呼ばれただけなのに、首筋にナイフを押し当てられたような冷たさで身をこわばらせる。しかし、その瞬間に凍てついた氷は溶けてどこまで も温かい温度がグミを包み込む。
「ユアさん……私、私……ひっく……」
 途切れ途切れに紡ぐ言葉もほとんど声にはならない。ユアに後ろから優しく抱きかかえられたグミは、堰を切ったようにあふれ出す涙をぬぐおうともせず、す すり泣いている。
 どうやら、知らぬうちに追い詰めてしまったらしい。アッシュの家がわからないことも、高所恐怖症なこともグミ自身ではどうしようもできないことなのに。 無神経な言葉や態度がグミを傷つけてしまったんだ。ユアが怒ったのもそのことだったに違いない。
 俺はグミのほうに向き直り、そっとグミのことを見つめる。グミはまだ泣いていたが、さっきよりは随分落ち着いたようだった。俺は小さく頭を下げて、言っ た。
「ごめん。でも、そんな気にするなよ。ほら、俺はお前の……」
 途中まで言いかけて、とめる。涙で濡れた目で俺を見ているグミは、そのなんていうか……目は赤かったし、鼻は出ていたけど、純粋に守りたいと思うには十 分だった。でも、俺がそれ以上言ってもいいのだろうか? その不安がそれ以上の言葉を許さなかった。
 しかし、グミは泣き腫らした目で俺をじっと見ていた。
「私の……なに?」
「な、なんでもない。それより、ほら……連れて行ってやるから、背中乗れよ」
 グミはなにも言わず、俺の背中に捕まる。俺はそれをしっかりと支える。温かさが背中越しに伝わってきた。言えるわけないだろ……ユアだって、レフェル だって聞いてるんだ。
 この温もりを手に入れたいだなんて、言えるはずがなかった。
続く
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