あの瞳に我がどう映っていたのかはわからない。だが、どこか我のことを知っているよう だった。
 あの者は我と関係のあるものだろうか。しかし、我は彼女のことを知らない。
 我の記憶はひどく断片的で、ピースが足りないジグソーパズル……いや、ピースよりも明らかに空白のほうが多いのだ。ポーラの手に渡り、そこからグミの手 に渡されてからの記憶は残っている。だが、それ以前の記憶はまるでない。ふとしたきっかけで思い出すことも、夢に見ることもない。
 夢を見ないのは……そもそも、寝る必要などないのだから当然か。我は心を自虐で満たし、不毛な考えに蓋をする。今まで何度となく悩んでも、答えはおろか 記憶の欠片すら拾うことが出来なかったのだからな。無意味な思考はなにもしていないのと変わらないだろう。
 ……だが、何も思い出せなくても、何も知らされることがなくても、こいつらと一緒に旅をしているだけで、なにか重要な……世界の核心に近づいているよう な気がしてならないのだった。
「レフェル、さっきから黙り込んでなに考えてるのよ?」
「別に……」
 説明するようなことじゃないと言うと、グミが怒り出すような気がしたので話をそらす。しかし、グミにはそれが不満だったらしく、菓子を取り上げられた子 供のように目を吊り上げる。
「あんまり私をバカにしたら、ユアさんにいろんなこと吹き込んじゃうよ」
 なんでそこでユアの話が出てくるのかわからないし、馬鹿にもしていない。もう、相手にするのも疲れてきた我はそのまま押し黙ることにした。するとグミは それを我の完全降伏と判断したらしく、満足そうに笑う。なんて性悪だろうか。
我は危うく口に出して言いそうになったそれを、なんとか押し殺しグミの手の中で運ばれるに任せる。
おっと、先ほどの評価は過剰評価だったな。前言撤回、こいつらは世界の核心には近づくどころか、自分がどこに向かって歩いているかもわかっていない。
*
「お、お帰り」
 左手にリボルバーの回転部、右手にところどころ油汚れが目立つ布切れを持ったシュウが、戻ってきたグミたちを上目遣いで見上げる。シュウは今ではほとん ど部品と化した拳銃のパーツを器用に組み上げて、元の機能すべき形に戻す。取り落とした部品などはひとつもなく、いつの間にか取り出したドライバーの扱い 方も神速だった。
「ただいま……」
 グミはその早業には全く気付くことなく、ただ疲れた様子で言葉を返す。エリニアに着いたばかりの輝くような笑顔とは裏腹に、どっと疲れた表情をしてい た。
「……腹でも減ったのか?」
 グミの様子が多少おかしいことに気付いたシュウは、口先は冗談めかしていながらも心配そうにグミの表情を伺う。グミは元気なさげに首を横に振り、小さく ため息をついた。
「あの、多分……慣れない深刻な空気というか、その、そういうので疲れちゃったんだと思います……。シュウさんに会えて、わたしも少しほっとしました」
 なるほど、子供のグミにあの空気は少し重すぎたのだろう。あの黒髪の女は何者なのかわからないが、初対面にも関わらず、物言いが直接的過ぎる気がした。
 そのことに多少なりとも責任を感じたのか、三人と我に対してアッシュが深く頭を下げる。
「二人とも、そしてシュウ殿。こうなることはわかっていたのだが、黙っていてすまない。自分勝手なのは重々承知だ。どうか、エリニアの危機を救うために力 を貸してはいただけぬだろうか。頼む!」
 二人は先ほどと同じように強い瞳で頷く。もとより覚悟は決まっていたようだし、お人よしな二人がここまで頼み込まれて断ることなどまず考えられない。だ が、問題はシュウだった。
モンスター狩りだと思って勇んできてみたら、そこに魔物の姿はなく、妖精に変態扱いされ、挙句の果てにガンナーだという理由だけでのけ者にされたのだ。こ こまで邪険に扱われて気のいいはずがなかった。イヤだと聞き分けのない子供のようにそっぽを向いてしまうかもしれない。
 しかし、シュウの答えは予想していたものとは違っていた。
「なんだかよくわからないが、グミが行くなら俺も行くぜ」
 シュウはコートについた木の欠片やツルの切れ端などを払いながら、立ち上がる。まだ、なにをするか、どこに行くかも聞かされてないのに合意したのではな いだろうか。
 アッシュは頭を下げたまま、もう一度詫びる。いや、少しでも多く詫びなければ、後々立つ瀬がないからかもしれない。それくらい今度に任務は、危険を極め る。そして、一歩間違えば命を失うこともあるのだろう。その様子を見ていていてもたってもいられなくなったシュウがアッシュの肩に手をかける。
「だぁー、わかったから頭を上げてくれよ。ところで俺は一体何をすればいいんだ? 壊れた建物の修理か? 子守か? 宝探しか?」
 思いつく限りのやらなきゃならなそうなことをあげていくシュウ。いや、どう考えても後の二つは必要ないと思うのだが……とにかく言ってることは支離滅裂 で、やはりなにもわからずに行くと言っていたらしいが、それもシュウなりの心遣いだったことは誰の目にもわかることだった。こいつもグミたちと変わらずに お人よしなのだった。
 シュウにだけは全く事情を知らせていなかったことに気付いたアッシュは、うっかり謝ろうとするものの、辛うじて飲み込む。三人のうち三人がもう謝らない でという顔をしているように感じたからだ。
「ふむ……我々が仰せつかった任務は、突然知恵を使い始めた魔物たちの調査および原因の解明だ」
「その中に”狩り”は含まれてるのか?」
任務の内容をちゃんと聞いていたのかも疑わしいが、考える間もなく狩りについての質問を返すシュウ。魔物と聞いて血が疼いたのだろうか。あまりに血気盛ん なのも問題だとは思うが……。
「うむ。すんなりと魔物が自らの領域に踏み込ませてくれるとは思えない。無駄な犠牲を出さないために隠れて行く事になるとは思うが、魔物に感づかれた場合 はやむをえない」
シュウは小さくガッツポーズをして、奥歯をむき出す。なんだか相当飢えているようだ。モンスターを見たら飛び掛っていくんじゃないかと不安になるほどに、 気持ち悪い笑みを浮かべている。
「他に質問はあるか?」
 シュウに質問されたついでにグミ、ユアにも質問を促すアッシュ。そこには控えめに手を上げたユアがいた。
「あの、今すぐ行くんですか……?」
「う〜む……村のことを考えると今すぐにでも向かったほうがいいとは思うが、急いてはことを仕損じるというからな。装備と情報をもう少し整えてからいこ う。敵地に入れば、それ相応の危険もあるだろうからな……」
 あれほど急いていたように見えたアッシュも、ただ仰せのままに特攻を決めるつもりはないようで安心した。ユアも何を考えていたのかは知らないが、ほっと 胸をなでおろしたようだ。旅館になにか忘れ物でもしたのだろうか。
「他に何かあるか?」
 今度はグミの手が挙がる。アッシュはグミの名を呼び、質問を促す。
「さっきあの魔法使いのひと……レイラさんがゴールドマンって人に会えって言ってたんだけど、アッシュさんは知ってます?」
 グミはカバンの中に手を突っ込みながら、もじもじとしている。どうやら、ずっとレイラに言い当てられたことについて考えていたようだ。アッシュは当然と 言い、これからの行動についても説明を加えながら、そのゴールドマンについての話をする。
「ゴールドマンははしごを下って、もう少し地表に近い場所で商いをしている商人だ。仕事は主に倉庫業をやっていて、どういう了見かはわからないがそいつに 預けたものは安心といわれていて、今までに盗難や紛失したことなどはないらしい。……そうだな、グミ氏たちは一度ゴールドマンのところに行ってから、私の 屋敷へと来るといい。美味い茶でもいれておこう」
 ゴールドマンというのは倉庫番だったのか。グミが持っているカードとゴールドマンとやらがどういう関係にあるか、少しずつわかってきた。
「うん、わかった」
 グミは敬語を忘れて、カバンから取り出した一枚のカードを取り出し、すぐにでもゴールドマンに会いたいといった気持ちを身体全体から漂わせている。グミ も感覚的に理解したのだろう。あの優しかった義理の父が自分に渡してくれたもの。きっと素敵なものに違いない……と。
「それでは屋敷のほうで待つ。ユア氏、シュウ。任せたぞ」
 「おう」と言ったシュウに対し、ユアはにこやかに手を振ることで返事する。任された人物は、先ほどから少し危なっかしいグミしかいない。当の本人はそん なこと既に耳に入っていないようだ。
 アッシュと別れた後、いくつかの場所に設置された梯子、といってもツルと木材を編んで作られた粗末なものであるが、さっそくそれに足をかける。そして、 一段も下らないうちに足を滑らせた。
「きゃあっ!」
 小さな悲鳴が上がり、真っ逆さまにグミが落下……する前にシュウがグミの右手、ユアが左手を掴んで支える。グミは重力に引かれるまま硬い地面か太い枝に 叩きつけられることを想像したのか、両目をぎゅっとつぶったまま自分で這い上がろうとはしなかった。それどころか小刻みに震えている。
「グミ、お前……高所恐怖症だったのか」 
 グミはシュウに言われてようやく目を開ける。
「違う、ちがうけど、あんなに高かったら誰だって怖いよ!」
「グミさん、高いところ苦手なんですね……」
 追い討ちをかけるようにユアも一言かける。以前は飛行船に乗ったこともあったが、あの時は冒険の緊張と期待でそのことに気付かなかったのかもしれない な。もしくはあまりに高すぎて実感がわかなかったかどちらかだろう。
「ユアさんまで! 私、平気だよこんなの」
 グミはぴょんぴょんと飛び跳ねて大丈夫だということをアピールするが、顔はこわばったままだ。それを見たシュウはにやりと笑い、グミの顔を遥か下の地表 へと向けさせる。
「ふわ……」
一瞬にしてグミの気が遠くなる。苦手というか、もうほぼ致命的なもののように見えた。
「高所恐怖症だな」
「ええ……」
 グミを任された二人はまだ頭をくらくらさせているグミを見て、揺らぐことない事実を再確認する。シュウのやっていることはろくでもないが、少し微笑まし いと感じたのは我だけではないはずだ。
 かくして、グミの苦手なものリストに「高所」という単語が増えたわけであるが、当のグミはきっと認めないだろう。これからどうやって下に行くのかは別と して……。
続く
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