アッシュさんに連れられて歩くこと五分ほど。私は自分の存在がちっぽけに感じるほど、 うっそうと茂る森に視線を漂わせていた。私の生まれた村もかなりの田舎だったと思うけれど、ここまでたくさんの樹木はない。しかもその一つ一つが不思議な 生え方をしていて、ひとつはくねくねと蛇のように、もうひとつはゼンマイのように渦巻いてたりとどれひとつとして同じものはないのだった。
 そしてなによりも一番驚かされたのは、この村自体が大きな木の上にあること。あまりのスケールの大きさに最初は地面の上かと思ってしまったくらいだっ た。さっき頑丈な枝の上から下を見下ろしたときに、驚いてシュウに抱きついてしまったのはないしょにしとかないと。
 しばらくして、ずっと遠くに見えていた目的地が、目の前にどーんと現れる。看板には金字で厳かに「エリニア大図書館」と書かれている。どういう原理かは わからないけど、宙に浮いた図書館は幻想的とか綺麗だなんて言葉が陳腐に聞こえるくらいに美しかった。
思わず見とれてしまってる私の肩に、誰かの手がぽんと置かれる。振り向くと初めて会ったときと同じようにフードを深く被ったアッシュさんがいた。
「それでは中に入るぞ。そこで悪いが……」
 途中で言葉を切るアッシュさん。フード越しに見た先には、移動直後くらいから元気のない男の子の顔があった。つららのように尖った頭をした少年は、面倒 くさそうに言葉を返す。
「銃の整備でもしておくよ。ゴタゴタしてて、やる時間がなかったからな」
「すまない。グミ氏、ユア氏、行こう」
 アッシュさんはシュウに軽く頭を下げて、大きな戸に手をかける。私の二倍以上はある大きな扉だったけれど、金属のすれる音なんかは全く聞こえずに、なめ らかな動作で開いていった。
 扉の向こうからは、紙とインクのにおいがふわっと香ってくる。あまり読書はしなかったけど、シゲじいの書斎はいつもこんなにおいがしていたことを思い出 した。
「シュウ、迷子にならないでね」
私が心配してる様子などはつゆも見せずにシュウにちょっとの間だけ別れを告げると、シュウははいはいと二つ返事に後ろ手でバイバイした。確かにまたすぐ会 えるだろうけど、そんな言い方しなくたっていいのに……私は少しむっとしながらも、同時に不安をおぼえる。あのときは温泉に入りたいって思いと、怖いとい うことで必死だったからわからなかったんだろうか。一週間も離れていて平気だったのに、また会えた時から一緒にいないとすごく不安になるのだった。
認めたくないけど、やっぱり私は……ううん、きっと勘違いか、ええと勘違いに決まってる。
心で思っていることとは違い、広間に通されている間もずっとそのことが頭の片隅から離れなかった。
その証拠にユアさんに声をかけられたときは、なんて聞かれたのかわからなくて慌ててしまったくらいだ。頭の中で正直な想いとそれを認めたくない思いが交錯 し続けている。
「…し、グミ氏?」
「え……あっ、うん」
またやっちゃった。今度はユアさんじゃなくてアッシュさんだけど……。とにかく、考え事をしているうちに面会する部屋の前まで来てたみたいだった。さすが に人に会うというのに上の空って言うのはまずいだろうから、今はシュウのことを頭の隅に追いやることにした。
 アッシュさんはようやくフードをはずして髪を整え、緊張した様子でドアを二回ノックする。
「このファルシア、恐れ多くも頼もしい友人を連れ、今ここに参上しました」
いつもと様子が違う……端麗な顔はいつもと変わらないけど、内心ではすごく緊張しているみたいだった。乾いた木の音が足元に転がって、どうぞという落ち着 いた女性の声が聞こえてくる。この声の主がアッシュさんのいう高名な魔法使いさんなんだろう。
大きな深呼吸をしたアッシュさんは、口を真一文字に閉じてドアを奥に押し開く。ドアの隙間からまず見えたのは古ぼけているけどどことなく高級そうな調度品 と、大きな本棚。続いて絵本で王様が腰掛けているような椅子に、ちょこんと座っている人が目に入ってきた。
つややかな黒のドレスに身を包んだその人は、嬉しそうな笑みを浮かべながら立ち上がって手招きする。
「ようこそエリニア図書館へ。どうぞ、遠慮なさらずこちらへどうぞ」
「あ……はい」
圧倒的な雰囲気にのまれ、それしか言えなかったけど、私は言われるままにその人の前までとことこと歩いていく。あと1メートルほどの距離まで近づいたとこ ろで、どこか優雅さを感じるアルトが私たちへ向けて響いた。
「ファルシア、今回は余暇の途中に呼び戻してしまって申し訳ありません。…こちらがグミさんとユアさんですね?」
「はっ。緊急のことと知り、手前勝手ながらも協力をお願いした次第です」
近くに寄ってみると、さっきのが雰囲気にのまれたのではなく、もっと別のことで気をとられていたのだということに気づく。腰まで伸ばしている髪も、濁りの ないその瞳も……私と同じ真っ黒だったのだ。とても同じ色とは思えないほどの違いで、例えるなら黒水晶とコンクリートみたいな感じだったけれど。
ユアさんも同じ感想だったのか、ユアさんに勝るとも劣らない美貌をもつその人と私の間で視線を行ったり来たりさせている。
「紹介が遅れました。私はハインズ様の代理でこのエリニアを司らせてもらっているレイラといいます」
レイラさんはそう言うと、私に手を伸ばしてきた。多分、握手しようってことだろう。
 私は恐る恐る手を伸ばして、レイラさんの手とあわせる。するとレイラさんは私のてのひらよりもひとまわり大きい手で優しく握ってくれた。その後で、ユア さんとも握手を交わす。
アッシュさんと会ったときもかっこいいなと思ったけど……この人は私なんか一生届かないほどにすごかった。
 私たちと握手を交わした後、レイラさんは小さくため息をついて視線を床へ落とす。
「ここに来てもらったのはほかでもありません。先ほど連絡した通り、つい数時間前までここエリニアは邪悪な魔物に襲われていました。ハインズ様が心を病ん でしまってからというもの、頻繁に魔物たちが襲ってくるようになったのです」
心底つらそうに語るレイラさんを見てると、こちらまで悲しくなってきてしまう。私以外の二人も、どこかうつむいた表情で話しの続きが語られるのを待ってい た。
「代わりを請け負った私は、夜間の見張りを以前の倍に増やし、厳戒態勢で魔物たちの襲来に備えていました。ですが、今日になって初めて……知能を持たない はずの魔物たちが、おとりを使って攻めてきたのです」
「くっ……私が、私さえしっかりしていれば」
アッシュさん……いや、ファルシアさんが悔しそうに歯噛みする。それにしてもモンスターが急に知能を持つなんて、どういうことなんだろう……。
「いえ、あなたのせいではありません。事実、不意はつかれたもののゾンビルーパンたちは村に踏み込ませなかったのです。ですが、ルーパンたちには非協力的 だったメロディたちが続いて押し寄せてきたのです……」
「なっ……そんな馬鹿な」
私にはよくわからないけど、アッシュさんの口がふさがらない様子から見ても、ただならない気配だけはわかった。
「どうにか撃退したのはよかったのですが、今回の襲撃で何人か負傷者が出てしまいました……。クレリックやプリーストによって傷の手当は済んだのですが、 メロディの呪術によって魔法を封じられてしまったものが数名出てしまいました。相手にも相当深手を負わせたつもりですが、今のエリニアでは次の襲撃に耐え られないかもしれません」
予想以上に事態は深刻なようだった。この綺麗な村がモンスターたちによって危機に晒されているだけじゃなくて、優秀な魔法使いたちの何人かも魔法が使えな い状態になってるだなんて……。
魔法を封じられた魔法使いはなに使いになるんだろう。どんな風に装備を整えても、今まで通りの戦い方は出来ないだろうけど……。
「そこで、ファルシア……そして優秀なお二方ともにお願いがあります。どうか、急に魔物たちが攻撃方法を変えたのか突き止めてきてほしいのです。非常に危 険な任務で、割に合う報酬を出すことは出来ないかもしれませんが……私の個人的なお願いとして、行ってきてくださらないでしょうか?」
今にも土下座でもしそうな空気で頼み込むレイラさん。私はどんな人だってこんな風に頭を下げられたりしたら、きっと断れないだろうと思った。アッシュさん もユアさんも私と意見は一緒のようだった。多分、シュウも助けてくれる……はず。
「どうか頭を上げてください。私は指令などなくとも、いつでも往くつもりです」
「あの、わたしでよかったら、その……力になります」
ちょっとだけ遅れて、私も二人と同じように言う。
「役に立たないかもしれないけど、私も……」
シュウと一緒に行きます。とまでは言わずに、強い瞳でレイラさんを見つめる。
レイラさんは私たちの行動に心を打たれたようで、両目に涙を浮かべながら口を開く。
「本来ならば私も往かねばならないところを……感謝します。その間、私と残った魔法を使えるものでこの村を守ります。ええ、何が起ころうと絶対に!」
レイラさんは決して大きくない右手を強く握り締める。本気で私たちを信じ、それまで村を守りきる覚悟を決めたようだった。そして、自動的に私たちの覚悟も 決まる。
決意を胸にアッシュさんは杖を握り締めて、背を向ける。
「それでは、私どもは一刻も早く敵地へ向かいます。今は少しでも時間が惜しいですから」
「はい、お気をつけて……」
とっさに私だけ置いて行かれるような気がして、ユアさんの手を掴む。ひんやりと気持ちのいい手を握ったところで、レイラさんから声がかかった。
「あの、グミさん……そのメイス」
メイス? そういえばずっとレフェルを後ろ手で持ってたっけ。レフェルがどうかしたのかな。
私が振り返って、不思議そうな目をするとレイラさんは慌てて首を振った。
「いえ、その……勘違いかもしれませんが、そのメイス。どちらで手に入れられたのですか?」
「その、村を出るときに剣の師匠から……」
レイラさんは一瞬だけ顔を伏せ、顔を上げたかと思うとまた小さくため息をついて言った。
「誰からかはわからないのですが、カードのようなものを受け取りませんでしたか?」
「あ……」
思わずカバンに手を入れて、中を探ってみる。おじさんからもらったカード、ずっと忘れてた!
ゴソゴソとカバンをかき回しているうちに、固くて薄いカードのようなものが指先に当たる。
その様子を見ていたレイラさんはにっこりと微笑んで言った。
「あったようですね……。調査に行く前に、ゴールドマンという人に会ってみてください。あなたたちに精霊の加護がありますことを」
続く
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