帰還書のワープは一瞬にして終了し、体のパーツ一つ一つが微細な情報粒子に置き換えら れてしまったような感覚はすぐに消えてしまう。移動先は魔法使いの郷、エリニア。以前は魔法をかじったものなら一度は訪れるといわれる魔法の聖地だった。
 しかし、今は違う。どの街にも存在しないような完璧な防衛制度が何者かによって侵され、怖ろしいモンスターたちの侵略を許してしまった。やつらの手によ れば、いかなる街も略奪と血によって作り変えられてしまう。魔物とはそういうものだから。
 いわば戦地に赴く前のわずかな間、俺が考えていたのは負傷者の救出でも、倒壊した建物の修繕でもなんでもなく……一方的な殺戮だった。不謹慎だとは思う が、踊る心をなだめる事などできなかった。
 餓えていたんだ。あのときからずっと。圧倒的な勝利、征服感、肉の弾ける感触。自慰でも構わない、壊してしまいたかった。でも、兄貴分はそれをわかって いて、それをさせなかった。あのときから一度も、ただの一度もだ。
 目の前で奪われたのに。ただ、やつの飢えた心を満たすためだけに。それも一度じゃない、二度もだ。撃ち殺してやりたかった。あの狂った虫と、それを目の 前にしながら震えることしかできなかった己自身を。
 実際何かを壊すチャンスはいくらでもあった。ここに来る途中のチンピラどもだって、その気になれば蜂の巣に変える事だって出来たんだ。でも、俺はそれを しなかった。兄貴に命令されたから? 違う。これ以上の人死には俺の心が耐え切れなかったんだ。
 チンピラにはなんの感情もない。そこで飢え死にしようが、鉄砲玉にされようが一滴の涙も出ない。関係ないからだ。でも、チンピラには少し大きすぎた夢を 砕くのが自分だとしたら。人差し指一本で肉塊に変えてしまったら。……俺の弱さが俺を護っていたんだ。
 俺がこれから先、人を殺めるとすればそれは二人だけ。一人は決まっている、もう一人は口に出したくない。する必要もないんだ。そして今は、平和を脅かす 魔物どもを正義の名の下に虐殺しなくてはならない。先のことは後で考えようと、そこで思考をやめた。ワープによる意識の移動に、わずかに遅れてきた身体が 慣れるまで、そう時間はかからなかった。
*
 「うおおおおおおっ!!!」
 俺は先行しすぎた意識が、身体という操縦席に乗り込んだ瞬間に闘いの雄たけびを上げる。俺よりもわずかに遅れて武器を構える仲間たち。グミの構えは全く なっちゃいなかったが、それでも大きな瞳には闘いの火が灯っていた。しかし、早撃ちの要領で、ろくに狙いも定めずに構えた拳銃から戦いの狼煙が上がること はなかった。
「……な、なによこの変態ガンナー!!」
 幼女のように完成しきっていない声が辺りに響き渡り、何の悪気もない俺がまたも変態呼ばわりされる。俺の天才的勘が察知した気配は予想通り人間のもので はなかったが、そこにいたのは異形の化け物ではなかった。
 尖った耳、陶磁器のような碧眼、透き通った羽はどんな職人にも作ることが出来ないほどに薄い。グミよりも低い背格好だけを見ればただの子供かとも思った が、羽やひらひらとしたドレスを抜いても人とは違う雰囲気を持っていた。
 強気ながらも今にも泣きそうなその生物に戦う気をそがれ、俺はやむなく拳銃を袖のホルスターへと戻す。その生物を無視して辺りを見渡してみるものの、近 くにモンスターのいる気配はなかった。それと同時に目に入ってくる景色も、わずかに建物が壊れ、あちこちに気味の悪い人形が転がっている意外は今までのエ リニアとそれほど差はなかった。
 俺が拍子抜けしたのを見たグミとユアは少し遅れて、構えた得物を下ろす。アッシュは小さなそいつを見ると、目を輝かせてすぐそばに駆け寄る。
「ロウェン! 無事だったか!」
ロウェンと呼ばれたそいつは、アッシュに抱きすくめられたまま照れくさそうに答える。
「もう、ずっと怖くて隠れてたんだから……」
 アッシュに出会えたことで緊張の糸が切れたのか、ロウェンは宝石のような涙を瞳に浮かべながらアッシュのローブにぐしぐしと顔を押し付ける。整った顔が 台 無しではあったが、それに余って美しい様子だった。あぁ、あんな風にグミと再会できたらどれだけよかったやら……。
 俺はどうしてそうならなかった原因を考えることもなく二人の再会に見入っていた。俺以外の二人の感想も俺と同じものだったらしく、ユアは自分のことのよ うに幸せそうに微笑み、グミはなにを想像したのか頬を染めて、うつむく。そんな仕草ひとつひとつも抱きしめたくなるほど可愛いから反則だと思う。
 しばらくの間、アッシュとロウェンは再会の喜びを分かち合った後、当事者であるロウェンからの話を俺たちに説明してくれた。なぜロウェンが直接俺たちに 説明してくれなかったのかは、この後のアッシュの説明でわかるはずだ。
 アッシュはロウェンの小さな声に耳をそばだて、消えてしまいそうな言葉一つ一つを正確に拾いあげていく。時折うんうんと頷くところを見ると、内容は理解 できているようだ。ロウェンの囁きが終わると、アッシュによる通訳(?)が俺たちへ向けて始まった。
「まず、先にロウェンについて説明しなければならないな。ロウェンは見ての通り、私たち人間とも魔物とも違う種族、妖精だ。彼女らは一部の例外を除いて人 間のことをあまり好きではないために、私が彼女らの代わりに話させてもらう」
妖精か。言われてみればぴったりな表現だといえる。人間を好きじゃない理由は後で追々聞くとして、とにかく今の状況の説明が聞きたかった。
「なぁ、エリニアが襲われてるって聞いて飛んできたが、どこにも魔物の姿が見えないぞ?」
「怪我をしてる人も見当たらないよ」
後で付け加えてきたのはグミ。もともと戦闘タイプではないので、救急要員として来たつもりらしい。
アッシュは俺たちのもっともな意見を聞いた上で、ロウェンから聞いた情報をうまくまとめ上げて説明してくれる。
「ふむ。どうやら私たちの加勢がなくとも、エリニアにいた精鋭たちのおかげでなんとか難は免れたようだ……わざわざ来てもらったのにすまない」
「あ、いや……俺はそんなつもりじゃ」
アッシュは小さく頭を下げて、詫びる。俺は別に謝って欲しかった訳じゃないからと両手を前に突き出してアピールするが、それでもアッシュは申し訳なさそう に話を続けた。
「いや、強引に来てもらったのだから、こちらの責任だ。いろいろと報告などが終わってからになるが、家に招待しよう。どうにか戦禍は免れたらしいからな」
「アッシュさんの家、きっと大きいんでしょうね」
ユアがうらやましそうにこぼす。アッシュって金持ちだったのか? そういえば、俺がアッシュについて知っていることはかなりの魔法の名手であることと女 だってことだけだな。ほとんどなにも考えずについてきてしまったが、いつかグミたちを助けてくれたお礼も言わなきゃならないし、見たところ悪いやつじゃな いが素性についても、もう少し情報がほしいところだ。
「シュウ、アッシュさんの家に行くけど暴れないでね」
何で俺が暴れるって仮定が生まれるのかは全然わかんないだが……。俺はグミの注意をハイハイと軽く流し、横目でロウェンの顔を見る。しかし、妖精は俺と目 をあわせようともしなかった。本気で人間を嫌っているらしい。いや、アッシュも人間だから、この場合は知らない人間が嫌いって言ったほうがいいのかななど と、俺がどうでもいい考えをめぐらせている間に、アッシュが思い出したようにさらに口を開いた。
「そうだ、グミさん。私は先にやることがあるのだが、その用事のためにある高名な魔法使いに会うことになっている」
「高名な魔法使い?」
グミは要所だけをオウム返しで聞き返し、目を丸くする。アッシュはそれに満足そうに言葉を付け加えた。
「今現存している中で最大の魔法使いと呼ばれる方だ。君たちを旅すがら出会った友人として紹介したいのだが……」
アッシュは話の後半にごらせ、言葉を切る。ああ、もしかして俺を紹介したくないのだろうか。確かに友人というほどは付き合ってないと思うが、別に紹介する だけなら構わないじゃないか。
「俺のことなら気にしないでくれ。ただのボディーガードだから、グミに危害を加えない限りは何もしないよ」
しかし、アッシュは俺がせっかく譲歩したにも関わらず、苦々しげに言葉を続ける。
「その方は弓使いやガンナーのといった遠距離攻撃の出来る武器を使う者たちをあまりこころよく思ってないのだ……理由はよく知らないのだが、とどのつま り……」
 機嫌を損ねたくないから席をはずしてほしい、と俺の頭の中で勝手に言葉を補う。だが、おおかた間違っちゃいないだろう。遠距離攻撃を専売特許だと思って いた魔法使いたちが、俺たちのような遠距離職を逆恨みするってのももしかしたらあるのかもしれない。俺は無駄な争いを避けるために、物分りのよう返事をす ることにした。
「わかった。なら、俺は外で待ってるよ。グミ、用事が済んだら連絡してくれな」
「うん」
グミはそう一言だけ残し、アッシュの袖にしがみつくようにしてついていく。その様子を見て、なにかいやな感情が芽生えそうになったがなんとか押し殺して、 俺もアッシュの後ろを歩いていった。向かう先はどうやら大図書館らしい。俺が入ることはかなわないその不思議な建造物を目指して、俺たちは歩いていった。 この先、グミに起こることなど露知らず……。
続く
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