「エリニアが襲われている」
 アッシュが発した言葉は想像以上の波紋を我たちに広げた。ユアはおろおろするし、グミはパニック状態になるし、シュウは二日酔いで倒れているしと……な んだいつも通りではないか。
 とにかく、アッシュだけは冷静に事態を把握し、カードへと連絡が届くのを待っていた。
ここは特に我の出番もないだろうから、「エリニア」という町について説明しておこう。
 エリニアはこの大陸の北端に位置する、深い森の中に作られた村である。
 村といってもその規模はそれなりに大きく、大きな木の上に絶妙なバランスで家々が佇んでいる。どうしてこのような設計で自壊せずに立っているのか疑問に なるほどの建物も少なくない。
 だがそれでもエリニアという村が成り立っているのは、ひとえにそこに住んでいる者たちの技術による。いや、技術ではないな。古よりの力、つまり魔法であ る。
 エリニアに住むものの大半は魔法使いか妖精であり、多少なりとも魔法の心得があるものばかりである。魔法使いの一時転職官がいるのもエリニアであるの も、魔法使いが多い理由のひとつといえよう。
 そのエリニアの中でもひときわ目立つのが、巨大な魔法石の力で宙に浮いている大図書館である。大陸一の図書館であることは疑う余地もないが、蔵書の数よ りもその建物が持つ役割のほうが重要視されることが多い。役割といってもかなりの数があるのだが、そのうちのひとつに監視がある。図書館は村がある大樹の 頂点に位置し、南北の森から襲い来る魔物たちの行動を隅々まで見ることができるのだ。
 なお、ただ見張るだけではただの展望台でもいい。しかし、この図書館には多くの精鋭魔術師たちが控えており、魔物たちの強襲を察するや否や、いち早くク レリックやプリーストの魔力を集中し、魔物を近づけないための結界を構成したり、強力なメイジの攻撃呪文で遠方から危険を冒すことなく魔物を退治するとい う画期的なシステムをとっている。もちろん、エリニアに滞在する魔術師は図書館に滞在する限り、村全体を守護する責任を負うが、プライドの高い魔法使いた ちにとってはその責務すらも自家の名を上げるための機会でしかない。
 しかし、それだけのものがありながらも今、村が襲われてるというのはどういうわけだろうか。村が襲われる前にどうにかできるはずのシステムに問題が発生 したのだろうか。あるいは……。
「アッシュさん、その……」
 端正な顔にわずかだが焦りを浮かべるアッシュに語りかけるは、我が持ち主グミである。
「ん? 今は一刻を争うのだが、どうしたんだ」
 アッシュはグミの並々ならぬ様子を察したのだろう。一時的にカードから目を離し、グミのほうに気を向ける。
それに対するグミの質問はというと……。
「あの……エリニアってなんでしたっけ」
 我が頑張って説明したのにもかかわらず、グミの質問は酷く間抜けなものだった。もちろん、それが間抜けだとは本人も自覚していないのだが…。
 さすがのアッシュもこれには驚いたようで、エリニアを知るグミ以外の二人と一緒に体の芯でも倒れてしまったかのように体をがくんと傾ける。
 まさかこのタイミングでグミが冗談を言うとは思わなかったようで、アッシュはこの世界では当たり前のことを当たり前にグミに説明する。
「エリニアは我ら魔法使いたちの本拠地だ。魔法使いの一次転職もエリニアで行うはずだが……」
 いぶかしむのも無理はない。知ってて当然なのだ。ただ、グミはその当然には当てはまらないだけで。グミはそのことに関して、もはやうじうじと悩むことも なく、ただその魔法使いの本拠地とやらが魔物に襲われているということだけに全てを意思を集中する。
 グミがなにか言おうと口を開いたのとほぼ同時にアッシュのカードが鳴った。アッシュが先に送ったメッセージの返事が届いたのだろう。それを見たアッシュ の顔がさっきの焦燥に満ちた顔から、一気に青ざめた表情へと一変する。
「どんなモンスターに襲われているんですか?」
 これはユアの質問。アッシュは自分の内心を悟られまいと、何事もなかったかのように振舞うが、どうやら演技の才能はなかったらしい。
「うむ……今問い合わせてみたのだが、エリニアを襲っているのはゾンビルーパン、そして見たこともない魔物だ」
 二日酔いのシュウを含む、全員の目がアッシュのほうに向けられる。アッシュは話すべきかと一瞬悩んだようだったが、すぐさま決意して全員に願い請う。
「大分数は減ったものの今も魔物の侵攻は続いているらしい。今までも、ゾンビルーパンの侵攻は数えられないほどあったが、今回は一味違うそうだ……。そこ で、あくまで個人的な願いなのだが……私と一緒に来てはくれないだろうか」
 苦虫を噛み潰したような表情で、アッシュは全員に向けて告げる。アッシュは自分ひとりがエリニアに戻ったところで、焼け石に水だということを理解したう えで全員に頼み込んでいるのだ。
グミの魔力の底知れなさは確認済み。ユアの力、そしてまだ見ぬシュウという少年の力……どんな力でも生まれた村を救うための助けになってほしいと願ってい た。
 グミはアッシュの考えていることを察し、両手でアッシュの手を掴みながら言った。
「私でよかったらいくらでも助けになるよ。怖くて、役に立たないかもしれないけど……」
さっきまで吐きそうだとか弱音を吐いていたシュウも、何事もなかったかのように立ち上がる。
「グミもいろいろ世話になったようだし、大暴れしてやるか」
その様子を見たグミは、嬉しそうに顔を輝かせる。二人の賛成が得られた直後に、ユアがにっこりと微笑んだ。
「私も行きます。二人と一緒なら……どんな困難だって越えられる気がしますから」
どうやら、この三人は自分の保身など考えず、戦地に赴くようだ。我が含まれていないのは少し悲しいことだが、グミとセットで数えられているんだろう。所詮 武器だからな。
アッシュは三人の協力を得られることに感謝し、それぞれにひとつずつ図面のようなものを手渡す。
紙に描かれているのは、上空から見た大陸の拡大図だろうか。アッシュはその紙を初めて見るグミとユアに説明する。
「これはエリニアの帰還書というものだ。この図面を持ち、その書に対応する町の名前を念じれば、瞬時にそこに移動することができる。ちなみにこれはエリニ ア専用だが」
アッシュ自身もその帰還書とやらを取り出し、移動に備える。先ほども言っていたが、時は一刻を争うとのことだ。この移動がわずかでも遅れれば、それだけ被 害は拡大することだろう。
だが、グミはその場で珍しく気の利いたことを口にする。
「あ! コウくんやサインさんの助けも借りられないかしら?」
そうだ。全然誰も口にしないから忘れていたが、コウやサインの力も借りられるとあれば、かなりの戦果を期待できる。しかし、シュウが淡い期待を打ち消す。
「サインは急ぎの用があるとかでコウと一緒にカニングに戻った。コウはこの後ペリオンのギルドへと戻るそうだ」
グミはがっくりと肩を落とし、うなだれる。アッシュの期待にこたえられなかったことが堪えたようだ。どっちにしても他力本願ではあるが、それでも残念なこ とは残念である。
アッシュはグミの様子を見て、わずかだが明るく言葉をかける。
「気持ちだけでもありがたい。どっちにしても、私が今持ち合わせていた帰還書はこれで全部だったから、そんなに気に病まないでくれ」
「う、うん……」
グミはそう答えるものの、やはりそんなに簡単には割り切れないようだ。しかし、もはやこの場にいない人間のことを頼っても仕方ない。グミだって、新たな力 を得たばかりなのだ。それを試す最高の機会だろう。敵がアンデッドであるゾンビルーパンと謎の敵だということを含めて。
「それでは、移動しても良いか? 着いたら、すぐに戦闘かもしれない」
恐らく最後の確認になるだろう。アッシュは鋭い視線で全員に語りかける。戦地に行ってから、やっぱりやめるという風にはいかないのだ。帰るなら今だぞと告 げているようにも見える。
だがしかし、三人は直立不動のままその場から一歩たりとも動かなかった。誰一人として口を開いたわけではないけれど、既に気持ちは戦場にいるようだ。
アッシュは心からの感謝をこめて、一人呟く。
「ありがとう……この礼は……」
それをしっかりと聞いていたグミが口元だけ笑みを浮かべ、アッシュに言った。
「お礼なんかいいよ。早く行かなきゃでしょ?」
「ああ」
アッシュもそれに応え、笑う。泣いている暇などないのだ。
全員の気持ちがひとつになった瞬間。四人と我の姿は一瞬にして空に混じり、瞬く間にエリニアへと飛んだ。
続く
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