程よい熱さで鍛えられた筋肉を癒す温泉の中……今や俺の心臓は早鐘のように打ちつけ続 けていている。鼓動は水面に伝わり、俺の居場所をばらしてしまうのではないかと思うほどに高鳴っていた。
緊張してるのか? いや、違う。俺は今、猛烈に興奮している!
 無理もない…この状況だ。この温泉という限られた地域のなかでは、衣類の着用は禁止されている。つまりは俺が今全裸であることもまったくの合法なのだ!  まったく天国……いやいや、誤解はしないで欲しい。誰も全裸の男などみたくはない。俺たちの目的はあくまで別のところにある。
 それはなにか? あまりに愚問過ぎて殴りたくなってくるな。衣類の着用が禁じられてるのは男だけじゃない。女性に関しても例外はないのだ!
「ボコボコボコ(兄貴、行こう。そろそろ息が苦しくなってきた)」
「ブクブクブク(そうだな。順番はどうするか)」
俺とサイン兄は目と目を合わせ、その後まったく同じ方向に向き直る。視線が交わった先にいたのは、話に加わらずに一人逃げようとしているコウだった。
「ブクッ(いや僕は…)」
俺たちはコウの言葉などにはまったく耳を貸さずに、二人でコウの肩を叩く。こういうのにはショック療法がいいんだ。決してこれは実験台とかそういうわけで はなく、単にやつに一番を譲ってあげようという優しさなんだよ。
 俺たちは指先から髪の毛一筋にまで細心の注意を払い、湯船から脱出する。不意に聞こえてくる黄色い声。
「わぁ……ユアさんのすごくキレイ……」
グミが発した溜息交じりの声は、俺の妄想はさらに加速させる。グミ、一体全体なにがキレイなんだ。もうちょっと具体的な説明を踏まえたうえで、ちゃんとし た固有名詞を会話に登場させてだな……。
「ふふ、グミさんのは小さくてかわいいですね」
含みのあるユアの声……ああ、もう……わかっちまったじゃねえか。そうか、小さくてかわいいのか。
うん、見たい……じゃなくて絶対見る。
ちらと俺以外の男二人の動向を見る。今のちょっとした会話は二人の耳にもしっかりと届いていたらしく、サイン兄は口の端を吊り上げ、コウは動揺しながらも うっすらとしたビジョンをより正確なものにしようとしている様子が見られた。
「二人とも、体を洗ってから湯船につかるんだぞ」
む……誰だ。声は女のものだが、喋り方はまるで男みたいだ。偶然居合わせた客だろうか?
はーいと間延びした声が浴室に響く。どうやら他人ではなく、知り合いのようだ。
 サイン兄は小さな声で「好みだ」と呟き、吸盤つきの手袋と最強盗撮用カメラをコウに投げてよこす。行けという合図だ。コウは突然のことに面食らっていた が、落とさないようにしっかりとカメラを掴む姿からは覚悟が見えた。
「アッシュさん、ちょっと触ってもいい……? 大きくてやわらかそう…」
な、グミ! おい、なにやってるんだ! 触ってもいい……?だと!?
「ん、かまわないが……」
かまわないのかよ! クソ……なんで俺は男なんかに生まれてきて……ってそれじゃ意味ないか。
 俺が妄想をめぐらせている間にコウは一歩(一手?)を壁にかけて、わずかに楽園の扉へと手を伸ばしていた。
「……グミさん、くすぐったいから」
さっきのきつい口調とは裏腹に、照れたようなはにかんだ声。もう叫びたい気持ちでいっぱいだった。なんなら今すぐにでもこの壁を粉砕してやるのに!
 今のつややかなセリフにはサイン兄もくらっときたらしく、よだれをたらしては腕でぬぐっている。こんな姿は見たくなかったが、しょうがないと割り切れる ほど強烈な効果だったことは俺もわかった。
 完全に吹っ切れたらしいコウは先ほどよりもペースアップして壁をよじ登っていく。右手には俺たちの希望を抱えて。
「マシュマロみたい……いいなぁ」
グミぃぃぃぃぃいいいいいい!!! それ以上のご無礼はいかに俺といえどもキレるぞ? いや暴走するぞ! も、もういろいろ限界なんだよ!
 そんな中、コウがラストスパートをかけ、もう数十センチ頭を上げればという場所まで行き着く。ああ、何であんなやつにこんなおいしい役を譲ったんだろ う。コウは一度こちらを確認してから、最新式のカメラ……そしてそれと同時にカメラでは到底追いつけない解像度を持つ天然のカメラ……要するに「目」を もって、最高の被写体を追う。行け! そこだ! シャッターを切るんだ。フラッシュを忘れるなよ。
 ペタという間抜けな音がして、コウの頭はあっけなく楽園へと入り込む。
「あ、あの……こ、これは……すごい」
おい、なにがどうすごいんだ!? おら、シャッター切れよ。ボタンを押すだけだろうが!
俺はいつまでたってもシャッターを切らないコウへと身振り手振りでボタンを押せと合図するが、コウは美の女神に見せられたかのように凍り付いていた。俺は 最新式のカメラだってシャッターを切らなきゃただの箱でしかないことを改めて認識し、あんなやつに任せた自分を激しく悔やむ。
「こ、コウ君……?  キャーッ!!」
グミの悲鳴。俺たちの作戦は完全にばれた。
「天罰を……ライトニングボルト!」
身動きの取れないコウの頭上に、青白く光る球体が現れ……容赦のない詠唱によって、炸裂する!
「ギャアアアアアア!」
風呂で濡れた体に強烈な電撃がかけめぐり、コウの意識を一瞬にして闇に葬る。法則性もなく動きまわる電気の鞭は吸盤のゴムすらも焼き、そのままコウを堅い タイルへと突き落とす。
「危ないっ!」
俺は持ち前の反射神経を生かし、落下するコウの元へとダッシュで駆け寄る。滑るタイルに足をとられるのも無視して、足を少しでも速く前へと突き出す。
 落ちていくコウ。走る俺。ここで飛ばなきゃいつ飛ぶんだ!!?
「うおおおおおおっ」
タイルへの衝突まで一瞬……俺は迷うことなくダイビングを敢行し、見事カメラをキャッチすることに成功した! 無論、コウは成すすべもなく床に叩きつけら れ、全身から湯気を上げたまま立ち上がることはなかった。見開かれた目に何が映ったかはわからない……でも、その表情は今までのどんなときよりも幸せそう だった。コウ……お前の犠牲は無駄にしないぜ!
「今の声、シュウよ! あの変態……コウ君まで汚染して……」
汚染とは侵害だな。今俺たちがやってることの神聖さを女たちは理解できない。いや、理解しようとさえしない。だが、バレちまったことはしょうがない。開き 直った俺は、壁越しでもしかと聞こえるように、大声で宣言する。
「ふっふっふ……久しぶりだな。我が名はシュウ……その名を持って、ここに覗きをすることを誓うぜ! どんな抵抗にも屈するつもりはない、潔く一糸まとわ ぬその裸体をイテッ」
壁の上を越えてきた洗い桶のひとつが俺の頭部を直撃する。もう完全にトサカにきた。
「えっちばかど変態出刃亀露出狂!」
甘いなグミ……もうほめ言葉にしか聞こえないんだ。俺はひとっとびで壁にしがみつき、トカゲのごとくするすると壁を登る。飛来する洗い桶やらシャンプーや ら軽石やらを華麗に避けながら、一歩一歩前進していく! ガンナー志望のフットワークをなめてもらっちゃ困るね。こんな弾幕を避けられないとでも……ガツ ンと頭に鈍い衝撃を受け、床へと落下する。地面につくまでにやけに時間がかかった気がした。
「っててて……」
頭に当たった何かと、背中に受けた衝撃に身をよじりながら悪態をつく。もうちょいだったのに……。
そのとき手がなにかに触れる。ゴツゴツとしたなにか……おそらくさっき頭にぶつかってきたものだろう。なんで風呂場にこんなものが……俺は無意識にそれを 持ち上げ、目の前に持っていく。
「相変わらず情けない顔だな……」
な、喋った!? ってこの展開はひとつしかない。グミの武器で、お目付け役のレフェルだ!
「なんでお前が飛んで来るんだよ! あと一歩だったのに!」
厳かな口調で話す鈍器は俺の剣幕にまったくひるむことなく、平気で返してくる。
「我を投げたグミに言え。我自身では身動きひとつ取れないのだからな」
確かにそうだが、そんなことで俺の怒りが消えるはずもなく、竜の瞳を力いっぱいにらみつける。
は……待て。この野郎はどこから飛んできやがったんだ!?
「おい、レフェル! お前グミに投げられたって言ったよな!? ということはお前……あの楽園にいたのか!!?」
レフェルは何度かつっかかりながらも、ありのままの真実を伝える。
「……ああ。洗うとかなんとかで……女湯にな」
「うおおおおおおおおおおおおおおっ、この野郎……なんて羨ましいんだッ!」
思わず口に出すほどの衝撃が全身を貫いた。もう、俺……メイスに生まれ変わりたい。
俺はレフェルの首をつかんで何度も振りながら執拗に質問を繰り返す。
「レフェル、お前……てことは見たのか!? 俺たちをひきつけてやまないあの曲線を!? ユアのも? 何か知らないけど居合わせた巨乳も? ついでにグミ も!?」
レフェルはできるだけ自分の威厳を損なわないように答える。
「……まぁ、一応な」
「どうだった!? どうだったんだよ!? なんか映像にして出したりする機能ないのか!?」
「あ、あぁ……我にはなんとも……。ユアは綺麗で……いや、なんでもない。そんな機能は願い下げだ……」
「くぁーっ!!」
俺は己のバカさとレフェルの使えなさに憤慨しつつも、次の作戦を練る。向こうだってそうやすやすとは行かせてくれるはずがないのだからな。だがしかし、ど うすればいい……カメラはなんとか救出したが、同じ手法を使えば間違いなくコウの二の舞になる。だが、それ以外に方法は……。
「……シュウ、悪いな。俺は俺のやり方でやる」
「ん……?」
サイン兄が俺になにかを言った直後、サイン兄の体が湯気と同化したかのように掻き消える。ナオの使ったスキルの元となったスキル……ダークサイトを使った らしい。
「これで女たちの攻撃は俺には通用しない……攻撃はできないが、俺の目的は見ることだからな」
「う、裏切り者ぉおおおおおおおおおお!!」
俺の叫びもむなしく、サイン兄は片足の力だけで易々と壁の上部に手をかける。不可視で触ることもできない体……カメラを持つこともできないが、それでもサ イン兄はその眼に焼き付けるのだろう。そして、それを見ることができるのはサイン兄だけだ。こんなことなら俺もシーフ志望にしておくんだった!
「……うおっ」
サイン兄が驚きの声を上げる。そ、そんなにすごいのか…? くそっ、俺の体もどうにかして見えなくできれば!
「まさに楽園……」
「そこ、なにかいます!」
鋭く響いたユアの声。的確に位置を示したそれは、ダークサイトで動きの緩慢になったサイン兄を針の穴を通すような正確さで射抜く。そして、次の瞬間には悪 夢の詠唱が待っていた。
「冷気の精霊よ……愚かな男を滅せよ。コールドビーム」
詠唱とともに瞬時に浴室が冷やされ、白い湯気が水滴になって落ちる。ここからではよく見えないが、おそらくサイン兄は今頃……。
「シュウの師匠……何も穿いてない……」
「あ、あの……男の人の裸って、初めて見ました…」
「グミさん、ユアさん。そんな汚いモノを見る必要はない……今は仮死状態だが、男湯のほうへ放り投げよう」
 うわぁ……聞いてるだけで哀れだ。全裸のまま氷付けにされたうえに、そんな汚いモノだなんて……。
「あ、あの……どこを持って投げたらいいんでしょう……?」
ユアのどぎまぎした声が聞こえてくる。というか、投げるのか!? それ、下手したら死ぬんじゃないのか!?
「胴体と足を持ってだ。股間には決して触れるな」
「はぃ……そーれ!」
ユアの掛け声が聞こえた直後に、見るも哀れなサイン兄が壁を越えてこちらへと飛んでくる。偶然にも俺のほうではなく湯船のほうに投げられたことが幸運だっ た。ザッバーンと大きな水しぶきを上げて、氷付けのサイン兄が浮いてくる。戦死者二人目……ついにこちらの隊員は俺一人になってしまった。
 壁の向こうから俺をあざける声が聞こえてくる。
「シュウもこんな目に遭いたくなかったら、そこでおとなしくしてなさい! 少しでもこっちを覗こうとしたらただじゃ済まさないんだから!」
 な、俺に無条件降伏を勧めているのか!? 俺はそばに落ちている死体に目を遣る。どちらとも見るも無残な裸体をさらしてこそいるが、共に目的を達し終え た満足感が顔に出ている。しかし、俺だけがまだ何一つとして見ていない。ここで命を大事に降伏するか、それとも命を捨てて戦死するか。
 ……迷うはずもない!
「上等だあああああ!」
俺はレフェルの頭を掴んで思いっきり女湯へと放り投げる。いきなりの反撃に怯える女たちの声……正真正銘最後のチャンスだった。
「ぬおぉぉおおおおおお」
俺は洗い場に置いてあった桶のひとつを踏み台にし、踏み割れるほどの力でそれを思いっきり蹴る。人間大砲のごとく飛び出した俺の体は軽々と禁断の壁を越 え……ついに魅惑の花園へと!
「変態ぃ……くるなっ!」
最初に目に映ったのは顔を真っ赤に染めたグミで……次に映ったのはどんなボクサーのストレートよりも速い、三人の鉄拳だった。
「……ぴ、ピンク」
俺はそれを遺言に顔面を粉砕するほどのコブシを三人からお見舞いされ、衝天する。ああ、さらば、楽園。さらば、女体。ああ、ユアを見たかったな。でも、グ ミは可愛かったな。これで……思い残すことはもう、なにひとつ無い。
「み……見たの? 許さないんだからーっ」
俺の耳に届いたのはそれが最後で、俺は……見事に……名誉の……戦死を遂げた。
続く
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