まぶたの裏から見る景色はひどく明るくて、目を開けたら見えなくなってしまいそうだっ た。私は目を開けずに感覚だけで腕を動かし、目をふさぐ。まばゆい光は腕の影に隠れ、安穏な闇が私の視界を満たした。
 どれくらい時間が経ったんだろう。記憶がぼやけている……私は、私の名前はなんだっけ。
「グミさん、グミさん……まだ眠いですか……?」
私の名前を呼ぶ声がする。グミ……それが私の名前だった。呼んでいるのは誰だろう……ひやりとした感触が額に触れる。ユアさんの手だ。
「う〜ん…」
私は未だ暗闇の世界の中で横たわっている。そこが静かで暗くて心地いいから。しかし、どこまでも広がるかのように思われた闇も突然終わりを告げる。何もか もを塗りつぶす黒に、黄色く輝く双眸……そして以上に長い舌が飛び出した。
「わぁああ!?」
私はまさに飛び起きるといった形で上半身を起こす。自分がどこにいるか、そしてどんな状況にいるのかといったことよりも、ついさっき目の前によみがえった 光景を思い出して歯がカチカチと鳴った。冷たい汗がこめかみから流れ落ち、ようやく先のことがすべて夢だったことを悟る。
「グミさん、大丈夫ですか!?」
目をまん丸にして驚くユアさん。ずっと私のすぐそばで見守ってくれていたらしい。私は夢に見たことを話そうとするが、思うように口が動かずに変な音だけが 出てくる。ユアさんは私のことを見て、何も言わずに抱きしめてくれた。
「怖い夢でも見たんですね……」
私はユアさんの腕の中でもう一度目をつむる。やわらかくて、やさしい匂いがして……怖い夢も震えもどこかへ飛んでいってしまった。心底安心した私は何も考 えず、そのままユアさんの胸に寄りかかる。ずっと前に失われたお母さんの感じがした。なにも考えないでずっとこうしていたいくらい気持ちよかった。
そんな中、ピシャといい音がしてふすまが開く。現れたのは灰色のローブ姿から浴衣に着替えたアッシュさんだった。浴衣は旅館が用意してくれたものらしく、 淡いピンクに旅館のマークのようなものがついていた。もう隠さずにさらけ出された金髪の中では淡い光が踊っている。
「おっと、取り込み中だったか?」
すっかり落ち着いた私はユアさんから離れてアッシュさんの姿を見る。もう少しこのままでいたかったけど、さすがにそのままでいるのは子供みたいで恥ずかし かった。
「いえ、グミさんが少し怯えてたので……あがってください」
アッシュさんは少しためらった素振りを見せたけど、靴を脱いであがってくる。そういえばいつの間にか私も靴を脱がされていた。アッシュさんはユアさんとは 反対側に座り、口を開く。
「ふむ、確かに大変なことが多かったからな……」
ユアさんも小さく頷く。
「はい。でも、もう終わったんです」
終わった……ってどういう意味だろう。あの不気味なモンスター…温泉に詰まった夜行を退治して、夜行がいっぱい出てきて……そこから思い出せない。そこだ けが霞がかかったようにぼやけていて、気がついたらここに寝ていたという感じ。
「あの、夜行は……どうなったんですか?」
起きてから初めて発した私の言葉に、二人とも少し動揺したみただったけど。慌てて繕って答えてくれる。
「夜行は……私達がどうにかしたよ。グミさんは危ないところだったが、なんとか助け出した」
「あの…そう、アッシュさんが言った通りです」
普段からあまり勘の鋭くない私にでもわかる嘘だった。私が危なかったって言うのは本当だと思うけど……。本当のことを言ってくれないのは私のことを案じて るからなのだと思うのでそれ以上は聞かないことにした。なんだか背中のほうから声がする。
「確かグミは夜行に驚いて気絶したんじゃなかったか。だがそんな暗い話よりも、もっと他にやることがあるだろう?」
いちいち引っかかる話し方をするのは喋る鈍器レフェルだった。アッシュさんはレフェルに励まされたように話を切り替える。
「そうだ! 二人にこれをもってきたんだ」
アッシュさんは手を後ろに回し、大きな旅館の袋を取り出す。おもむろにアッシュさんが取り出したものは大人用の浴衣と子供用の浴衣、そして白いバスタオル だった。この二つを見て連想するものはひとつしかない。
「温泉!」
思わず口に出してしまうほど魅惑の言葉、そう…温泉! せっかく旅行にきたのに、温泉に入れないなんて我慢できなかったから、それだけのためだけにわざわ ざ温泉の源泉にまでモンスター退治にいったのに忘れてたなんて……。ユアさんも今思い出したようで、大喜びで浴衣を手に取る。
「すごくきれいな服ですね。でもこれ…どうやって着るんですか?」
私も手にとって見るものの、全然着方がわからない。名前だけは知っていたけど、おじさんの家に浴衣はなかったし、子供が少なかったからお祭りなんてものも なかった。
「旅館の人に着付けしてもらおう。グミさんは一人で着られるか?」
「浴衣……着たことないです」
もう正直に打ち明けるしかない。ここで見栄を張ったって、せっかくのかわいい浴衣が着られないのはもったいないから!
アッシュさんはそれを見越していたようで、
「ふむ、ならば私が手伝おう」
と言ってくれた。私はやったと小さくガッツポーズし、すぐにシュウのバカがうつったと手を引っ込める。
そういえばシュウはどこに行ったんだろう……今頃修行して少しは強くなっているんだろうか。旅館でゆっくりしてカニングに戻ったら、この間の夜のこと問い 詰めないと。会っていろいろ話したいこともあるんだ。
……シュウのことを思い出して、なぜか少し元気が出た。アッシュさんは、袋の中からさらに何かを取り出して私たちに渡してくれる。
「まぁ、浴衣を着るにも、まずは温泉に入らなくてはな」
私の手に乗せられたのは、白くて清潔なタオルと小さな容器に入ったボディーソープとシャンプーだった。通称お風呂セットを手にして、自分が昨日、一昨日と まともにシャワーも浴びてなかったことに気づく。いつもの戦闘服は汗とか水蒸気とかで湿っていたし、すごく気持ち悪かった。
「アッシュさん、いろいろありがとう! それじゃ、さっそく温泉に行こ!」
「あの、その前に……」
私の声の後に控えめなユアさんの声が聞こえてくる。ユアさんは自分の着てる服を指差して言った。
「これ、いつも鎧の中に着てた服なんですけど……私、これ以外に服持ってないんです。旅館の中では用意してくれた服を着ればいいと思うんですけど……」
アッシュさんはそれに対して、口元をわずかに緩めて言った。
「心配ない。旅館にいる間は浴衣を着て、その間に洗濯してもらおう。私のローブもそうしてもらっている。そこのカゴに入れておけば、勝手にそうしてくれる はずだ」
アッシュさんは入り口のふすま近くを指差す。確かに中くらいのかごがあった。
「着るものがないから、ずっと狼の姿でいようかと思っちゃいました。これなら安心ですね」
うん、でも狼のままでも旅館に泊めてもらえるのかな……。私もお風呂から上がったら洗濯をお願いすることにして、かばんの中から下着を取り出す。たいてい のものは旅館が用意してくれてるみたいだけど、これくらいは自分のを使わないとね。
下着を用意し終えた、私は言った。
「ようし、今度こそ……温泉よ! みんな、準備はいい?」
「OKだ」
「ばっちりです」
二人ともゆっくり腰を上げ、私と三人で小さな三角を作る。手にしているのは温泉セットと浴衣、バスタオル。準備は万全だった。
「それじゃ、出発!」
私たち三人はにこやかに温泉へ向けて行進を始める。先頭はこの旅館に詳しい(?)アッシュさん、それに続くのは私、そして最後尾にユアさんだった。
このまま一列になって温泉まで行進するのではなく、おしゃべりしながら楽しくいきたいと思った矢先に、なんとユアさんが真っ先に隊列を崩す。
「わ、忘れ物です」
ユアさんは私とアッシュさんにそういい残したあと、駆け足でもとの部屋まで戻っていってしまった。でもいったいなにを忘れたんだろう。下着もタオルも浴衣 も全部持ったのに…。
私が考えをめぐらせている間にユアさんがすぐに戻ってくる。手にしているのはなんだかわからないけど、結構大きなものだった。ここからじゃよく見えないけ ど、ユアさんの手の中から渋い声が聞こえてきて、なにを持ってきたのかがわかる。
「お、おい……何の真似だ」
ユアさんが息を荒くしながら、答える。
「はぁはぁ…レフェルさん、忘れていったらかわいそうです」
「あ……」
あっけにとられた私は思わず口を開いたまま、レフェルを見つめる。所々汚れたレフェルは確かに洗ったほうがいいと思うけど……レフェルって確か男じゃな かったっけ?
「その喋る武器も温泉に入りたいのか?」
アッシュさんはレフェルに向かって言う。もはや喋るということに対して疑問を持つことはなくなったらしい。レフェルは相当戸惑いながら言った。
「我は温泉に入る必要などないのだが……」
だけど、それにユアさんが反論する。
「いいえ、レフェルさんも温泉に入るべきです。見た目は違ってもレフェルさんだって人なんですから!」
「そうなの……?」
私も小さな疑問を投げかけてみるけど、ユアさんは本気らしい。アッシュさんは元から気にしていないようで、きれいに洗ってから湯に入れてくれとだけ言って いた。となると最後の砦は私だけになる。
「レフェルって男だよね……?」
「武器に性別などあるのか……?」
………。そういえばレフェルのことってほとんど全てがなぞだったから、男か女かもわからないんだ。
喋り方だって師匠のがうつったのかも知れないし、もしかしたら女であることもなくはないかもしれない。う〜ん……考えるよりも早くお風呂に入りたい。私の 決断は思ったよりもずっと早かった。
「面倒だからレフェルも持ってこう。脱衣室においていくのもありだし、最悪温泉に沈めとけばいいから」
「………好きにしてくれ」
*
「こちらA班。ターゲットは温泉へと移動を開始した。至急そちらへと先回りをするべし」
「こちらB班。先回り了解」
「………サインさん、シュウと二人してなにやってるんですか」
僕は呆れた表情を隠すこともなく、力なく二人に呼びかける。二人は柱の陰に隠れながら糸電話で会話をしているのだった。
「C班、今は作戦行動中だ。私語は慎みたまえ。だが、あえてなにをしているのか答えるならば……B班、答えてやれ」
「あえて言おう。俺たちは……のぞき大作戦の下準備をしている!」
「おー! B班、よくいった。双眼鏡は持ったか?」
「当たり前であります。他にも七つ道具は用意してありますであります」
「さすがよのぉ、越後屋」
「お代官様こそ」
………ギルドのみんな、僕はいったいなにをやっているのでしょうか。
続く
第14章4 ぐみ7に戻る