石壁も道もオレンジに染まる町、ショーワ。その話を聞いた者の大半は、美しい景色を見 てみたいなどとしきりにそこに行きたがるが……実際は違う。
ああ、確かに夕日に照った町はオレンジ色に染まっている。しかし、その美しい景色の中には、普通じゃない髪型をした怖い兄さんや物騒なモノを持った兄さん や、まぁ要するに怖いお兄さんがいっぱいいる。
一般人がそこを通ろうとすれば、それなりの対価を支払わされて追い返されるか、もしかしたら憂さ晴らしに二三発殴られるかもしれない。とにかく危ない、危 険、デンジャー…一般人が近寄りたくない場所の中でも常にかなりのランクをキープするほどの危険地域であることは誰もが知っていることだった。
もちろん、俺だって通りたいわけがない。別に顔が恐い兄さんが恐いわけじゃない。余計な騒ぎに巻き込まれるのが嫌なだけだ。
「それじゃ、位置について……」
サイン兄の合図が聞こえる。
両手を地面について、地につけていた片膝を上げる。片足に力をため、いつでも爆発的なダッシュができるようにと備える。行く先はもちろんヤクザ街、自分の 身を守る武器はホルスターと背中にくくりつけられたままだ。
しかも、サイン兄が決めた出発点は……ヤクザ通りのまん前。もちろん相手方からもこちらの様子は丸見えで、ここを通ろうとする目論見もバレバレで、1ミリ でもあの石畳を踏めば仕掛けられた罠が発動するかのように銃弾とかバットの猛襲が来るだろう。
そのことを理解したうえでサイン兄は確認するように俺たちに言う。
「いっとくけど、お前らが誰かに攻撃したら……俺がこのタダ券を攻撃するからな」
サイン兄は俺たちに旅館の券を三枚チラつかせてから、大事そうに懐に戻す。あれがないと、いくらゴールに辿り着いても意味がない。そうか…ヤのつく自営業 の方々を旅館の券だと思えばいいんだな。まぁ、こいつらをシメて持っていっても、旅館には泊まれないが。
サイン兄は手にした小さな玉を持ち上げて、スタートの合図をする。
「それじゃ、よーいどん」
合図とともに振り下ろされた玉は地面にぶつかった瞬間に火もないところから強烈な煙を引き起こした。それにまぎれてサイン兄の姿が掻き消える。恐らく、ナ オと同じようなスキルで身を隠したんだろう。
「うおっ、なんだこの煙は!? 前が見えないぞ!」
ドスの利いた声が煙の奥から聞こえてくる。予想外の攻撃にかなり動揺してるようだ。
もしかしたら、サイン兄からのささやかなプレゼントだったのかもしれない。
「先に行くぞ」
コウが小声で出発を宣言する。煙が晴れる前に不意打ちで正面突破するつもりのようだ。
コウも今は徒手空拳で、自慢の剣は背中の鞘に収まっている。あくまで忠実にサイン兄との約束を守るつもりのようだ。…もっとも俺だってそのつもりだ。
「……」
俺はコウに返事をすることもなくただ大きく首を縦に振り、利き足を押さえつけていた力を開放する。
煙が晴れるまでの間わずか数秒。俺とコウは足のばねを全開にして、銃弾のごとく煙を貫きながら飛び出した。
*
体が重い。傷も痛みもないのに体が動きたがらない。普段の力に満ち溢れたような感覚は全て失われ、全てが緩慢で息が詰まる感じが絶えない。
「アッシュさんよう……あんた、割とタフだね」
あたいは隣を一歩遅れながら歩いてくる魔法使いに声をかける。もはや移動術を使う魔力も残ってないらしいが、あたいと同じ状況で歩けているだけでもかなり 優秀だ。
背中のグミさんが重いと感じたのは初めてだ。いくら眠っていても、重いと感じるには小さすぎる身体……それでも重いと感じるのはあたいの身体が相当参って いる証拠だといえる。
アッシュは荒く息を吐きながらも、皮肉をこめた一言を私に返す。
「ユア氏、いやおおかみ氏には適わんよ。それにしても助かった……白いシーツの中から銀狼が飛び出したときは驚いたがな」
あたいは牙をむき出して笑う。
それはそうだろう。化け物に襲われたのはユア姉さん、現れたのはケダモノじゃ驚かないほうが無理だ。
「驚いたかい? あたいも理由はわからないんだけどね……姉さんの耐えられない状況になったときはあたいの出番なんだよ」
姉さんが耐えられない状況。姉さんは強そうに見えるが、心は非常に繊細で壊れやすい。
最近こそモンスターと戦えるようになったが、今まで生き残るために手を汚したのはほとんどあたいだった。
アッシュは杖を本来の使い方に変えながら、足を引きずるように歩く。あたいと同じく生気を奪われたのだろう。やつらの中で見えた、血まみれの手はしばらく 網膜に焼き付いて離れなかった。
夜行に養分とされたものの一部分なのかもしれないが、そいつのおかげであたいを表に出すことが出来たのだから、感謝しなければならない。
アッシュは苦しそうに会話を続ける。
「ああ、本当に君達とあってからは驚かされることばかりだ……おおかみ氏といい、グミ氏といい、どうしてこんなにも異色のメンバーが集まったのだろうな」
「あんた、やっぱりあたいに負ぶさるかい…? 喋るのもつらそうじゃないか」
アッシュは首を横に振って、苦笑いする。
「喋ってる方が楽なんだ…。いろいろ聞かせてくれ」
そういうならあたいも無理に乗せるわけには行かない。ま、倒れたらあたいが背負えばいいんだ。
「あたいも新参者だけどねぇ……もう一人の連れ、いやグミさんの連れは面白いやつだよ。頭は悪いみたいだけど、それなりに強いしね」
「他にも仲間がいたのか……。二人はどこで知り合ったんだ?」
そういえば、姉さんが助けられた頃から既に二人は一緒にいたんだよな。
「知らないねぇ……あんたも意外と噂話好きだね。あたいも人のこと言えないけどさ」
アッシュは自嘲しながらも、質問を続ける。
「そういうところは女らしいのかもしれないな。…あと、さっきのことで聴きたいことがあるんだが」
「なんだい?」
アッシュは少し難しい顔をして立ち止まる。それに気づいたあたいも足を止めた。
アッシュはためらったあと、ついに口火を切る。
「グミ氏は一体何者なんだ……あの巨大夜行を一瞬で浄化した。おおかみ氏にも助けられたが、本当に我らを助けたのはグミ氏だ」
そうだ、あたいはグミさんを助けるためにあがいただけで、結果的にやつを倒したのはグミさんだ。
でも、あたいはこの質問に答えることが出来ない。あたいにだって、あたいの背中でよだれをたらしてる子があんなことをできるのかはまったくわからないん だ。
「あたいは何も知らないよ。あたいが得意なのは魔法じゃなくて、爪と牙で相手をぶっ殺すことだからね。ほら、宿が見えてきたよ」
アッシュは一瞬無表情になって、あたいを見るがすぐに目線を前に戻して言った。
「…本人もわからないのだろうな。ところで、宿など全然見えないが……」
あたいはアッシュを大きな声で笑い飛ばして言う。
「あたいには見えるんだよ。あと数時間も歩けば着くさ。乗っかるかい?」
アッシュは、苦笑して言う。
「あと数時間くらい歩けるさ。昼食までには着こう」
「朝もはよから大変だねえ」
「お互い様だな」
あたいはまたも声を出して笑う。そうさ、昼飯までには帰らないとな。美味しい飯と温泉で姉さんの身体とグミさんを癒してやらないとならない。
「あんた、走れるか?」
あたいは無理を承知で聞く。アッシュの答えはこうだ。
「無理だな。だが、魔力は回復してきた」
あたいはククと笑い、アッシュにひとつ提案する。
「なぁ、ただ歩いてても面白くないから、ひとつ賭けをしようじゃないか。今からどっちが早く宿に辿り着けるか競争だよ!」
「望むところだ。で、負けたほうはどうなるんだ?」
「あたいが勝ってから考えるよ! スタートだ」
あたいは重い体に鞭打って走り出す。一瞬でトップスピードまで加速することはなくグミさんを振り落とさないですむギリギリのスピードを維持しながら走り続 ける。
それを追う空間移動の術式も付かず離れずを維持しながら移動し続ける。
疲れた身体に風が心地よく吹いた。宿はまだ遠い。あの青髪は何してるんだろななどと考えながら、あたいともう一人は風になった。一方で命がけのレースが始 まったことなど知ることもなく。
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