走る。ナオの手裏剣を手に、風を裂きながら走る。
ついでにナオへの未練を断ち切りながら、前より速く、速く。
思い出には背中で別れを告げた。振り返ることも戻ることも当分はないだろう。
目的地はサインの小屋、俺は今までより強く両足を踏み込んでいく。
大切な者を失った。だが、それと同時に自分がしなければならないことも理解できた。
いつまでも泣いてるわけにはいかない。
「ただいま!」
俺はドアノブに手をかけるのとほぼ同時にドアを蹴り開ける。早朝からPT屋の中にいたのは二人。サイン兄とコウは俺の荒々しい登場も、いつものことと言わ んばかりに落ち着いており、のんびりコーヒーかなにかを飲んでる。
最初にサインの口から出たのは出迎えの挨拶ではなく、やけに冷めた質問だった。
「別れはもう済んだのか?」
別れは済んだのか。どうやらサイン兄は俺が思い出巡りにでも行ってたんだろうと踏んでいたようだ。
実際似たようなものだったが、ナオの遺した情報を受け取ったのは自分だけだということを改めて認識する。俺は思いを決めて言う。
「ああ、済んだ。だから戻ってきたんだ」
俺はカウンターのひとつに腰掛け、サイン兄がカップを俺の前においてくれる。中身は水だが、走ってきた俺にとっては嬉しい心遣いだった。
コウは冷めた目で俺を見下ろしながら、聞く。
「ナオ君はどうしたんだ?」
そうだ、こいつだけはまだナオがどうなったかを知らないんだった。
ナオがいないことも、何も知らないコウにとってはただの遅刻にも見て取れる。
俺は一瞬正直に言うべきかどうか迷ったが、覚悟を決めてありのままを話すことにした。
「ナオは…」
俺がそこまでいいかけたところで、サイン兄がごほんと咳払いする。
「ナオは突然の用事で旅に出た。そうだよな、シュウ?」
「え…サイン兄? なにをモゴ…」
サイン兄は俺を無理やり黙らせ納得させる。
「えっ!? そうなんですか?」
コウはサイン兄の言うことをハナから信じてるようで、まったく疑いなく聞き返す。多分、俺がナオはもういないと言っても信じないと思う。そもそも俺の発言 にリアリティはまったくない。
サイン兄は白々しくも、こう付け加えた。
「急だったがどうしても行かなければならない用事でな…当分帰ってこられないそうだ」
コウは残念そうに呟き、手にしたカップをカウンターに置いた。
「そうですか…友達になれそうだったのに残念です」
どうやら本気で信じたらしい。俺の葛藤はどうなるんだとつっこみたくなったが、何とか踏みとどまる。
サイン兄はようやく俺の口から手を離し、小さく耳打ちした。
「コウには知らせない方がいい。第一、真相を知ったとして憎しみのターゲットになるのはお前だ」
その覚悟は一応あったが、面倒なことは避けたほうがいいとサイン兄が目で訴えていたので、押し黙ることにした。コウは俺などいないかのように無視して、サ イン兄に質問する。
「サインさん、今日は実戦演習の予定でしたよね?」
サイン兄はうむと頷き、使い終わったカップを片付け始める。
…そういや、もし昨夜なにもなかったらコウと俺、サイン兄とナオが組んで実戦練習する予定だったんだよな。仲の悪い俺とコウのコンビネーションじゃ、下手 したらサインだけ…いやナオだけにでも負けていたかもしれない。
コウは一瞬だけ俺を見て、すぐに目をそらす。いかにも使えないといった感じで…だ。
コウは続けていった。
「ナオ君がいないのでしたら、訓練になりませんよね…?」
そうか、無知ってのはやっぱり罪なんだな。それともコウはそんなに自信があるのだろうか。
少なくとも俺が援助することは無いだろうが…こいつの実力は意外と謎だからな。
サイン兄はコウの自信があるのかないのかわからない疑問にさらっと答える。
「いや、なるよ。お前ら二人ぐらい素手でも十分だけど?」
サイン兄が当たり前に言い放った言葉に、さすがのコウも黙る。だったら最初から三対一って言えばいいのに、なんなんだこいつは…。
「まぁ、どっちにしても今日の訓練はどうするんだ? まだ二日目だが、もう無意味な狩りとか嫌だぞ」
俺も精一杯主張する。ナオがいなくなった今、訓練なんてものはすべて無駄に感じられるとも言えるが、さすがにそれは言わなかった。
サイン兄は俺たちの主張を受け止めるでも受け流すでもなく保留し、こう切り出した。
「まぁ、そうだな。どっちにしても、実戦練習をやる気はない。意味がなくなったからな……そこで、特別な訓練を行いたいと思う」
特別な訓練…サイン兄が特別だとか、すごいだとか程度を表す形容詞を使った場合、ろくなことがない。しかも多くの場合、逃げられなくなってから切り出すの だ。
サイン兄はポケットに手を突っ込み、三枚の紙切れを取り出し、俺たちに見せる。
ジパング風な色合いの紙には控えめにこう書かれていた。
【無料宿泊券】
俺はかなり興奮しながら、コウはいつも通り冷めた態度で感想を漏らす。
「これは……!?」
「なんですか、これ?」
サイン兄は天井を見ながら、嬉しそうに言った。
「偶然手に入ったんだが、これまた偶然にもグミちゃんたちが泊まってる旅館なんだよね。うん」
俺は歓喜のあまり我を忘れてはしゃぐ。
「よっしゃああ! さすが兄貴、わかってるう!」
サイン兄は俺のはしゃぎっぷりを見てうんうんと頷いている。考えていたことはほぼ一緒なのだろう。
温泉旅館、グミとユアがそこにいる。イコール導き出される答えはもうひとつしかなかった。
いや、他にもいくらでも答えはあるだろうが、俺にはひとつしか思い浮かばなかったんだ。
「サインさん、これが修行となにか関係が……」
空気の読めないコウが、サイン兄に質問する。もはや修行などどうでもいいだろうが!
サイン兄はコウを納得させるために用意していた答えを言う。
「もちろん、ただ旅館に遊びにいくだけじゃないぞ。旅館に行く途中にはヤのつく自営業の方々がいっぱいいるんだ」
なぜかサイン兄は伏せたが、当然ヤクザのことだ。下っ端はたいしたことないが、幹部クラスになると正直やばい。…でも、旅館にいくためならば……そんな障 害など無いに等しい!
「サイン兄! もういい、行こう。全員ぶっ殺せばいいじゃないか!」
サイン兄は立てた人差し指を左右に振りながら、言う。
「ぶっ殺しちゃ修行にならないだろう。しかも俺らは完全に顔を覚えられてるから、下っ端だって本気で殺しに来る。そこで…だ」
サイン兄はそこで一度言葉を切り、にやりと笑う。明らかに黒猫と並ぶ不吉の象徴だった。
「俺たちはヤの付く人たちに一度も攻撃せずに、全力ダッシュで駆け抜けようかと思う。ああ、もちろんヘイストで高速移動したりはしないから安心してくれ」
コウは少し考えた様子を見せるが、なんとか納得したらしい。
「わかりました、相手の攻撃はすべて避けきる覚悟で行くんですね!」
サイン兄は本当に一瞬だけ難しい表情をして言う。
「そうだ。基本体力と精神面での戦いになる……だが、ゴールには!!!」
「温泉! 温泉! 温泉!!」
悪乗りした俺が兄貴分に続く。いざとなったらルール無視で全員ぶっ潰してでも行く。
ナオ…お前の分まで見届けてきてやるからな…!
サイン兄は、今までに見せたことの無いほどの力強さで立ち上がり、言った。
「そう、のぞ…げふんげふん、温泉だ。いくぞ、お前ら!」
俺たち(というより主に俺)も力強く立ち上がり、サイン兄の叫びに呼応する。
「はい」
「うおおおおお!!」
そして俺たちはそれぞれの準備を高速で整え、小屋を出た。サイン兄が戸締りを確認したとほぼ同時に駆け出す。
雲ひとつ無い青空に、必死に笑いをこらえるナオが見えた気がした。
続く
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