暗鬱な曇り空の下、湿った風が吹き抜ける。
修繕されることもなく、ところどころ抉れた外壁。生々しい血痕も消えずに残っている。
なんでもない路地裏……今までも通り道としてしか意識したことの無かったこの場所がにたたずんでいるのには理由があった。
「サイン兄、俺はここに立つ資格があるのかな」
サイン兄は灰色の空を見上げながら、大きな嘆息をつく。
「そんなことは自分の決めることだ」
「そうか…」
答えになっていない答えに納得した俺は、手にした小さい花束を血で黒ずんだ石畳に置く。
花束といっても使ってる花は一種類だけ。ナオが好きだった花……白い菊。
今となってはなぜ、ナオがこの花を好きだったのかはわからない。でも、永遠の別れのときになってようやく意味がわかった気がした。
ナオがこの花を好きだったのは、見た目や色といったものじゃなくて、もっと象徴的な意味だったんだと考える。
「もしかしたらだけど…」
「なんだ?」
俺がこぼした言葉をサイン兄はすかさず、すくい上げる。
「今ここに立っているヤツはナオだったのかもしれない」
強い風が、表情を隠していた前髪を揺らす。もう涙は出なかった。
サイン兄は何も言わずに、消えない人跡を食い入るように見つめている。
今と、つい数時間前とは決定的な違いは言葉にしなくたってわかる。
失ったものは大きい。埋め合わせられるものはない。
だから……その穴も俺の一部として生きる。
俺は落ちていた細長い鉄片を二つ拾い上げる。
「ナオ、俺…お前の分まで生きるから」
力任せに石畳に鉄片を突き立てる。石が割れて、無理に握った手のひらからは血が滲んだ。
俺は滴る血を無視して、もうひとつの鉄片を突き立てたものとは垂直にあてがい、空いた手で拳銃を取り出す。
「クレセント」
ナオを殺めた月が力なく地面に突き刺さる。俺は月を引き抜いて銃口から俺にしか見えないワイヤーを伸ばす。傍から見たらなにをやっているのかわからないだ ろうが、気にすることなく鉄と鉄を組み合わせていく。崩れないようにがっしりと固定して、無骨な十字架が立った。
しかし、そこまで作り終えてひとつの事に気づく。これでは銃を放した瞬間崩れるし、この銃をここにおいていかなきゃいけなくなる。
ナオのためにこの銃を置いていくべきなのだろうか…。そう考えた直後、サイン兄が口を開く。
「そのスキル…使い方間違ってないか? そのワイヤーの伸縮や切断はお前の意思でできるはずだぞ」
「え…?」
なんでサイン兄が俺のスキルのことを知ってるんだ。そう思った頃にはサイン兄の手に俺のスキルブックがあった。どうやらすられたらしい。
「こいつは有用なスキルだな。自分の切りたい場所で切ると念じてみろ」
俺は俺にしか見えてないはずのワイヤーを見て、結び目を作ってもあまる程度の部分を残して……念じる。ボムのときと同じだ。
(ここで切れろッ)
俺がそう念じた瞬間、ナオの力を持ってしても切ることのできなかったワイヤーが溶けるように消える。消えた部分以外はそのまま……俺は何も考えず、ほどけ ないようにとそれだけ考えて何度も何度も結び目を作る。
一度きつく締めるたびに、願いをこめる。
忘れないように、安らかに逝けるように、復讐を果たすことも誓う。
サイン兄は俺の様子を見下ろしながら一言。
「お前の具現化した『絆』はお前にしか見えない。切れない。消すことも出来ない」
「絆…か」
サイン兄は当たり前のことしか言わなかったけど、それはとても大切なことを象徴している気がした。
「俺の絆がまだだったな」
サイン兄はそう一言だけ呟くと、一本のナイフを取り出して目にも留まらぬ速さで、十字架の中心を刺突した。あまりの暴挙に俺はなにか言おうとするが目の前 で起こっている奇跡を目の当たりにして、黙る。
サイン兄の刺突は金属の悲鳴すらあげさせる前に、心臓を射抜いていた。何の変哲も無いナイフは、鉄と鉄の交差した部分をつなぎとめるように貫通していた。
「これで、何があっても俺たちは離れない。ナオは俺たちの心の中で生きている……なんてな」
サイン兄は歯を見せて笑う。目の淵にたまった涙は雨だと言い張るサイン兄に俺も小さく笑い、立ち上がる。
最後にやらなきゃいけないことを思い出した。
サイン兄は急に立ち上がった俺を見て不思議そうに聞いた。
「どうしたんだ?」
「ナオが死ぬ直前に言ったことがあるんだ。サイン兄は先にアイツと合流しててくれよ」
秘密の場所…俺とナオだけしか知らない場所。サイン兄は「わかった」と一言だけ残し、理由を聞きもせずに風になった。
俺は最後にナオの墓標を一瞥して、背を向ける。次ここに来るのは復讐を果たしたときだ。俺は風に揺れる菊にナオの面影を見て、秘密の場所へ向けて地を蹴っ た。
*
俺は薄汚れた町を駆け抜けながら想う。
子供の頃に作った秘密基地。そんなものを未だにナオが覚えていたことが不思議だった。
場所はカニングシティを抜けてすぐの工事現場。今になって考えれば、どうしてあんな場所に基地を作ったのかは謎だった。
恐らく、剥き出しの鉄骨や弱いもののモンスターも出るというスリルがお気に入りだったのかもしれない。
俺は邪魔だったデンデンを蹴飛ばして、秘密基地の入り口と決めていた木の板を持ち上げる。
そこには雷の手裏剣で留められた一切れの紙だった。俺は丁寧に折りたたまれたそれをそっと取り外し、紙に書かれた内容を確かめる。
最初の一行はナオが自分自身に宛てたようなものだった。
「シュウ、これをお前が読んでるってことは俺はもうこの世にいないのだろう。後れを取ったな……」
ナオの自嘲するような文は震えることもなく、しっかりとした丁寧な字で書かれていた。
迷いの無い文書は俺の頭の中でナオの声に変換される。
「ここに書いてあることはどれも真実だ。アサシンの機密などもあるが、どうせ死んだ俺には関係ない」
アサシンの機密……ナオは初めからこうなることをわかっていたのだろうか。というよりもアサシンの機密なんてものを知ってしまったら、それこそ俺がアサシ ンのターゲットになるんじゃないか…。
いや、でもアサシンは俺の敵だからな。襲ってきたやつを全員黙らせるだけだ。
「まず俺がお前を襲うことになった理由から書く。先に言っておくが、これは命令されたことじゃない。自分で選んで、お前を殺すことを選んだ」
そうか…俺は口の中でつぶやく。命令されてやっていたかどうかは、戦っていた俺が一番わかるはずなのに。
「遅かれ早かれアサシン組織には入るつもりだった。情報を得るには蛇の道が一番近いと思ったからだ。そして案の定、簡単に情報は入った」
ナオは無表情な仮面の下でこんなことを考えていたのか…それに比べて俺は一体何なんだろう。ただ、生きることだけに貪欲に生きていただけだ。
「俺が欲しかった情報は『死んだ者を蘇らせる方法』だった。内心、存在しないのではないかと思っていたが2つだけ方法があることがわかった」
死人を蘇らせる方法…だと? それであいつは一体誰を………そこまで考えて無理やり思考をやめる。ナオの肉親は一人しかいなかった。当然、何に変えても生 きていて欲しかった者も一人だけ。
「ひとつは人を蘇らせるスキルがあるらしいこと…だが、これはあまりに情報が少なすぎた。具体的な情報は皆無、伝説というかほぼ迷信染みたものでしかな かった。だが、もうひとつの情報はかなり具体的なもので、組織の目的のひとつでもあった」
俺は手に汗を握り遺言の続きを読む。書かれていた内容はあまりにも近すぎて…息をすることすら忘れそうになった。
「クリスタルと呼ばれる霊石を五種類集めた者は己のもっとも大切な者を蘇らせることができる。そう、どういうわけか知らんがお前も持っている。赤は力、紫 は知恵、緑は敏捷、桃色は幸運の特性を持つ。お前が人間とは思えないほどしぶといのも、体のの傷がありえない速度で回復するのも力のクリスタルの力のひと つ だ」
そうだったのか…俺はまだ鈍く痛む背中の傷に触れる。傷はもう完全にふさがり、治癒するのもそう遠くは無いだろう。普通の人間なら失血でとっくにジ・エン ドだったかもしれないのに……クリスタルには感謝しなければならないな。
「もうひとつのクリスタルは何色か、どんな特性があるのかも知られてない。どこにあるかなど誰も知らない究極の謎だ。だから俺は手に入れやすいものから集 めることにした。そして、アサシン組織に入るのには難しいテストがあった」
ここで一枚目の紙が終わる。紙はもう一枚、もはや遺言というよりも暴露に見えてきた。
「アサシンになるために、自分が今最も大切だと思う人間を一人殺して来い。これがテストだった。冷酷な人殺しになるために最も手っ取り早い方法だそうだ」
こんなテストがありえていいのだろうか。平然とテストを受けるナオの様子が目に浮かぶ。いや、受けたのか…既に。
「それにしても不思議だな。俺は負けるつもりも殺されるつもりも毛頭無いのに、負けることを前提にこの遺言を書いている。でもそれもしょうがないのかもし れないな。今最も大切だと思う人と言われて真っ先に浮かんだのはお前だ」
「………」
親友。そんな言葉が脳裏に映って消える。ナオはこれを書きながら何を思ったのだろうか。
「当然死ぬほど葛藤があった。でも、最終的にお前を殺すことは俺の目的のひとつとして、確かに存在していたんだ。そして、心のどこかではお前のことを恨ん でいた。否定はしない」
俺には兄弟も肉親もいない。だが、妹を見殺しにされたというのは殺意すら抱くのに十分な理由になると思う。俺がナオの立場なら、俺を絶対に許さない。
「でも、お前と一緒に修行をしてるうちに、俺の決心は揺らいでいった。だから、今夜……俺の中の決定的な何かが崩れる前に、お前という存在を消すことにし た…どうやら失敗に終わったみたいだが」
本当にこれは俺を殺しにいく前に書いたものなんだろうか…冗談にしか思えない。
「恐らく俺は跡形もなく消されているんだろう。でも、命を奪ったのがシュウ…お前なら本望だ。幽霊になって祟ったりはしないと誓う」
…何馬鹿なこと言ってんだよ。いつもお前はまじめな顔して冗談を言うんだ。つっこむ俺の身にもなってみろよ…。
「だが、最後にいくつかお願いがある。俺を殺した証として、これを刺すのに使った雷を持って帰って欲しい。売るなよ」
「売らねえよ」
俺は近づく別れに乗じてあふれてきたものをごまかすために、遺言にベタな突込みを入れる。
残り数行を食い入るように見つめる。
「大切な者は命を懸けて守れ。守れたところでその当人が死んだら、それは深い傷になる」
「ああ、わかった。死んでも生きる」
どこからか落ちた雫で文面が滲む。最後の一行には一言だけ、こう書かれていた。
「今までありがとう。本当に楽しかった。先に地獄で待ってる」
最後だけは走り書きだった。俺は手紙を握り締めて、手裏剣と一緒にポケットに放り込む。
そしてどうやら俺の地獄落ちを願ってるナオに向かって叫んだ。
「俺がお前を天国まで引きずり込んでやるからな! あの世で妹に会わせてやるよ! だから、だから……それまで少しだけ待ってくれ!! 約束だぞ、ナ オー!!」
俺の震えた叫びは地獄にまで届いただろうか。俺の想いはお前に通じたのだろうか。
それがわかるのは俺に最悪な運命を押し付けた神だけだった。
続く
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