目が覚めたらサインの店にいた。闇に慣れた目が灯りを避けて細まる。
「ぐ…あ…」
俺は全身に荒々しく包帯が巻かれ、ソファーに寝かされているようだ。
痛みと疲労でまともに頭が働かない…頭を働かすにしても、一晩にしてここまで最悪なことが重なったことによって、今までに無いほど混乱していた。
まだ鉄の味がする歯をかみ締めてから、自分がしてしまったことと、自分ができなかったことを改めて反芻する。
 まず、ナオに襲われた。この時点で俺はとんでもない間違いを犯してたんだ。
尻尾を巻いて逃げればよかったんだ。でも、俺はそうしなかった。いや、できなかったのかもしれない。
そして俺は敵がナオと知りつつも戦うことを選んだ。二人とも生き延びる方法を探すために。
だが、結果はどうだろう。ナオは死んで、俺はここで寝ている。

結局なにひとつ守れなかった。
「お前が殺したんだ」
頭の中で何度も何度も繰り返されるセリフ。壊れたスピーカーのように同じことだけを繰り返す。
壊れたなら捨ててしまえばいいのに……捨ててしまえば、それを認めることになる気がして怖かった。
俺が死んでいれば、あいつが死ぬことはなかった。
俺とナオ、どちらかが世界に必要とされていたのだろうか……。
俺は眼球だけを動かして、ナオの姿を探す。寂しそうに笑うナオの幻影がそこに立っている気がした。
「シュウ、起きてんだろ。いや、起きてなくてもいい、これは俺の独り言だ」
喋ったのはナオじゃない、兄貴分だ。サイン兄はグラスを傾けながら、誰に話すでもなく呟く。
「ナオが死んだのはお前のせいじゃない。…あいつは運が悪かったんだ」
サインは俺のことを慰めてくれているのだろうか。責任は俺にはないと言われても、頭に染み付いた罪の意識は消えそうにもない。
「ふぅ…お前、自分が死んだら良かったとか思っちゃいないだろうな?」
「………」
サイン兄がため息と一緒に吐き出した言葉が、俺の心臓を抉る。
その質問はあまりに核心を突いていて、動けない俺をさらに硬直させた。
「お前はお前のできるベストを尽くした。それでもナオが助からなかったのは……どちらかといえば俺に責任がある。あいつがそこまで闇に染まっていることを 見抜けなかったのは俺だ」
本当にそうなのだろうか……。見抜けなかったのは俺も同じ、そして唯一助けられたかもしれなかったのは俺だったのに。
「でも、お前は本当にがんばったよ。変わるはずない未来が変わりそうだったんだ。あの、【紅の殺人蜂】さえいなければ…」
ガシャンという音がして、グラスの中の液体がこぼれる。クリムゾンキラービー……ある意味伝説にもなるほどの殺人狂の俗称だった。そう、あのヴァイスと名 乗った男も血色のマントで………え?
「!」
ピースが足りなくてぼやけていた完成図が、唐突にできあがる。驚きと憎悪が入り混じった感情が胸の奥から染み出してくる。
気づけばきつく巻かれていた包帯も取り去り、俺は上半身を起こしていた。
しかし、急激な頭痛と吐き気に襲われ、魂の叫びは吐き出されることなく、残ったのは怨嗟の呻きだけだった。
「うぅぅぅぅぅぅぅうううううう……ああああああああ!」
倒れそうになる体を怨念だけで支え、吐き出しそうになる胃を怒りで鎮める。
俺を支配していたのは圧倒的な破壊衝動だった。
そうだ、あいつは、ナオをためらいなく撃ち殺したあいつは………あいつは、あいつはあああああ!!
浮かび上がる幼い頃の記憶。やっとのことで築きあげてきたものを、すべて奪い去った赤赤赤赤赤!
そうだ、あいつは俺の親父を殺したんだ。それもただのゲーム感覚で。
「この町で一番強い人間は誰だい?」
あいつは、あの時もニヤニヤと笑いながら現れて、俺に聞いたんだ。
俺は迷わず親父と答えた。実際はダークロードとかいう町の支配者だったのかもしれないが、それほどに俺は親父を誇りに思っていたし、町の連中からも一目置 かれていた。
そいつは俺の答えを聞いて去っていったが、次の日の真昼に小屋を訪れて言った。
「我輩と命を賭けた決闘をしよう」
当時も意味がわからなかったが、今考えても意味がわからない。当然親父は断ったが、キラービーは残酷に笑って言った。
「ならば、町の人間は皆殺しにしよう。君が我輩と戦ってくれるというのなら、君が死んだとしても町の人々には手を出さないと誓うが、どうかね?」
脅しだった。親父はその勝負を受けた。それは多分、俺も『町の人間』に含まれていたからだ。
…そして、親父は殺された。あいつが狂った笑顔でもう動かない親父に向かって、
「蜂の巣、蜂の巣ゥ!!」
とわめいていたのが記憶に刻み込まれていて、消せなかった。
だから、俺は復讐を誓った。親父を奪ったあいつを殺すと。だが、現実はどうだ?
俺が復讐しようとしていた敵が、すぐ近くにいたのに俺は………。
「シュウ、落ち着け」
「うわああああああああああああああああああああ」
サイン兄の声も耳に入らないほどの自己嫌悪、そして衝動。
抑えきれない怒りが行き場を失って、声にならない声になる。
何もかも奪われた。俺があいつになにをしたっていうんだ。親父だけじゃ足りないのか?
なぁ、なぁ、答えてくれよ、なぁ!
「シュウ!! お前の気持ちはわかる、だが少し黙れ!」
サイン兄は呻き続ける俺の口を塞ぎ、そのまま頭をソファーへと押し付ける。
俺は抵抗しようとするが、体がいうことを聞いてくれなかった。
サイン兄はいつもとは違って、痛いほどに感情を剥き出しにして言った。
「つらいのは俺だって一緒なんだよ! 叫んだってわめいたって何にも変わりはしない!」
「う、あ…」
そんなことはわかっている。でも、どうしようもないんだ。叫ばないと頭がどうかしてしまいそうなんだ。
サイン兄は俺を抑える力はまったく緩めずに、激しい口調で俺に言う。
「お前は死ぬこともないし、責任を感じる必要もない。お前にはガルスさんとナオの分まで生きる責任があるんだ!! そんなこともわからないのか!」
「……!」
サイン兄の言葉がまたも心の琴線に触れる。俺が生きている理由、大切なものを失っても自ら命を絶たなかった理由。そうだ、俺は……。
「シュウ、お前は死なない。死ぬことなんて許されない。お前は今まで通り、ヤツを追って……消せ。それがお前に課せられた義務だ」
「親父…ナオ…」
俺の口から勝手に、俺のために亡くなっていった人の名が零れ落ちる。
俺は復讐のために情報を集めてきた。だが、ある一時からやつに対する情報は途絶えた。
やつはアサシン組織を隠れ蓑にしていたんだ。でも、ついに見つけた。
そうだ、俺は……俺はやらなければならないことがある。そのためにはもっと強く、そしてこの手を血に染める恐怖を克服しなければならない。
「俺は……」
わかった…俺は亡くなった人によって気づかされていたんだ。そして、背中を押してもらっていた。
俺の存在意義は、復讐。死ぬことでも狂うことでもない。
そこまで気づいて、サイン兄の手から力が抜ける。
「気づいたようだな……。今日はもう眠れ。明日はナオの葬式に行こう……あいつに身寄りは俺たちしかいないんだ」
サイン兄はそこまで言い終えて、黙る。サイン兄の震える肩が目に付いて、俺の頬に一滴のしずくが落ちた。それに続いて二、三滴、温かいものが頬を伝う。
大きなものを失ったのは、何も俺だけじゃなかった。
サイン兄は無残に殺されたナオを、土に埋めたんだ。
無残な骸をさらさないように、ナオのために。
「秘密の基地…」
ナオが死ぬ直前に言った言葉を胸に秘めて、俺は深い眠りに落ちた。
続く
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