ついに作戦が始まった。まず先にアッシュさんとユアさんが夜行風呂に近寄り、私がそのあ とを少し遅れてついていく。あ、別に私がドジを踏んだのではなく、作戦のひとつなのだ。
私はこの霧の中でも、まったく緩むことないユアさんのスピードに驚きながらも、なんとかアッシュさんの灰色ローブを追っかける。
さっきの夜行…あんなのがいっぱいいると思うと、最悪全滅もありえる。
走るにつれ段々と湯気と熱気が絡み付いてきて、前髪や服が湿ってくる。温泉が近づいてきているのは間違いなかった。
いやでも緊張が高まる……そして、怖い。しだいに薄くなっていく湯気、広くなる視界が余計に恐怖を煽る。そんな中、無神経にもレフェルが話しかけてきた。
「グミ、あれをやるつもりなのだろう? ちょうどいい機会だから、新しい技を伝授してやろう」
何でこんなときに言い出すのよ…出発前に言えばよかったのに!!
アレっていうのはきっと、諸刃の剣…スマッシュのことだろうけど、止められるのかと思って驚いた。
まぁ、たとえ止められたとしてもやめる気はさらさらなかったけどね。
「そういうことはもっと前に言ってよ! 作戦中に指令なんて聞いたことない」
小声でレフェルに向かって言う。夜行の耳があるかはわからないけど、余計なことして見つかったらごめんじゃすまない。
レフェルは私の考えてることがわかっているのかいないのか、謝ることもなく新技というものを教えてくれる。
「今は怒ってる場合ではないだろう。簡潔に言うぞ……スパイクという技があるな。普段は物理攻撃、スパイクという順で発動するが、それをスマッシュの後に やったらどうなるかわかるか?」
レフェルが言った事は簡単なことだけど、とても大切なことだった。スマッシュは攻撃するときに鉄球を巨大化させて相手を叩き潰す技。単純な打撃だけど、大 きくなった鉄球の威力は普段の何倍、何十倍にもなっているから、大抵の敵は一撃でおせんべいになる。そこから鋭いとげが飛び出したら、さらに威力は上がる に違いない。
レフェルは続けて言った。
「もちろん負担は凄まじい。だが、グミが初めてスマッシュを使ってから、お前はものすごい速度で成長している。だからもう一段階上の連続攻撃を教えてや る」
初めてスマッシュを使ったのは、グリフィンと戦ったとき。ものすごい力で鉄の扉を砕いた後、魂が抜けてしまったように動けなくなってしまった。そして、そ のせいでシュウが死にかけた。
…そういえばあれからいろいろな強敵がいたけど、シュウやユアさんの助けもあって、スマッシュはカッパードレイク以来一度も使ってない。というよりもリス クに怯えて使えなかった。
でも、今は使わなければならない。できればもっと危険な攻撃も。
私の気負いも不安も全て無視して、レフェルは新技を伝授する。
「今から教える技は威力はそんなにない。だが、応用することによって凄まじい威力を持つ。使い方は今までと同じようにある呪文を詠唱するだけだ。その呪文 は……」
レフェルがそこまで言った瞬間、私のポケットからアラームが鳴る。
見ると、ユアさんから一言だけメッセージがあった。
「今から十秒後に二人で氷の最大呪文を使います」
丁寧にして簡潔。ユアさんとアッシュさんは温泉ごと夜行たちを氷漬けにするつもりなのだ。そして、出来上がった夜行アイスを……私が粉々にする。
「10,9,8,7……」
時間に遅れないように口の中で小さくカウントしながら、合図を待つ。
私とレフェルの力だけで、壊せるのだろうか。壊せなかったらどうなるんだろう…。
その前に温泉が凍らなかったら?
私が信じられなくてどうするの……。私は顔を振って、気持ちを切り替える。
レフェルはいつもより口調をきつくして言った。
「今から教えるのは『ドリル』という連続技だ。スマッシュ、スパイク、スパイラルの順にタイミングよく呪文を詠唱しろ!!」
その瞬間、頭の中でのカウントが”0”になる。
霧の中に一人の影。影は温泉のど真ん中に、槍を軸にして飛び込んだ。
槍先が水を刺し殺したと同時に影が叫ぶ。
「グランバースト!!!」
ピキピキという音ともに瞬時に湯気が凍りついて、きらきらと舞う。この世のものとは思えない綺麗な光景に、これまた絶世の美女が逆に生えたツララの中心で 青い槍の上に立っていた。
トパーズの視線と碧眼の視線が交わった直後、ユアさんが跳躍して私の隣へと舞い降りてくる。
すっかり霧の晴れた森の中に、一筋の冷たい風が頬を撫でた。
「氷の世界を支配する女帝よ……忌まわしき魔物を封ずる雹を! アイス…ストライク!!」
アッシュさんの全身から冷気が巻き起こったような感じがして、空中から無数の雹が半ば凍りついた温泉へと降り注ぐ。その凄さは、遠くにいる私の髪や濡れた 服の一部が凍りついたことからも明らかだった。
「グミ氏、今だ!!」
私はアッシュさんに言われる前に、体が既に走り出していた。カチャリと小気味のいい音がして、レフェルの本体が開放される。
気味の悪い銀鏡と化した温泉に向かって、全速力で走る!
「グミ、覚えてるか!」
「うん!」
スマッシュ、スパイク、そしてスパイラル。私は胸の中でその順序を反芻しながら、精神を集中していく。徐々に見えてくる見たくない光景。おぞましいほどに 密集した夜行のアイス。
あれだけの氷の攻撃を受けても夜行は動いているようだった。氷に足がつく直前に、右足に力を入れて跳躍した。
不気味なオブジェをほぼ真下に見下ろして、私最大の攻撃技を詠唱する。
「くらえ、スマッシュ!!」
見る見るうちに鉄球が巨大化していく。それに反比例して私の精神力はどんどん削られていく。
でも…でも、あのときほどじゃない。レフェルの言ってた通り、まだいける!
勢いよく振り下ろされた巨大な鉄球は、氷の面を軽く半分は抉る。そこにいた夜行はどうなったのかわからない。
「スパイク!!」
無数の鋭いとげが鉄球から突き出す。温泉のほうにあったとげは動けない夜行を串刺しに、私に向いて突き出したとげは、レフェルの配慮からかあまり伸びてこ なかった。いつもよりも巨大なとげが出た分だけ私の精神力も多めに失われる。もう…かなりつらい。次に詠唱する呪文は……そうだ。
「す、スパイラル!!」
ちょっと噛んでしまったものの、体から失われた魔力からしてちゃんと発動してくれたようだ。
既に温泉を埋め尽くしていた鉄球が、ものすごい勢いで回転し始める。それも横回転だけではなく、360度全方向への乱回転だ。
重い鉄球と鋭いとげが、夜行アイスを夜行ごとカキ氷に変える。白い布も赤い舌もずたずたに引き裂かれ、押しつぶされ、粉々になってしまった。
「…あ」
ふっと体の力が抜け、落下する。意識は保ってられるけど、体はしばらく動かなそうだった。
微細な氷の粒の上に落ちたおかげであまり痛くはなかった。ふと目に入った場所には白い布の切れ端があった。やっつけた、完全に倒したと確信する。さすがに 夜行とはいえ、体がばらばらになってしまっては動けるはずがない。
ユアさんとアッシュさんが小走りで私の元へと駆け寄ってくる。アッシュさんはうれしそうに、ユアさんはいつもみたいに心配そうに走ってきた。
「グミさん、怪我はありませんか!?」
ユアさんが動けない私を両手で抱き上げる。今度は前と違ってなんとか声が出た。
「怪我はないけど、体はちょっと動かないみたい」
ユアさんはほっとしたみたいで、にこりと笑った。少し遅れて来たアッシュさんは言った。
「グミ氏、よくやった! ユア氏の武器といい、素晴らしい物を使っているな。あの猛攻の中でもユア氏の槍は弾かれはしたものの傷ひとつない」
あ、私も目だけを動かしてアッシュさんの方を見る。青い槍は深く岩に突き刺さっていたけど、なんとか無事みたいだった。もしバキバキに折れたりしていたら どうしようかと思った。
ユアさんは私を氷のベッドの上にそっと寝かせて、力任せに槍を引き抜く。槍は青い弧を描きながら、綺麗にユアさんの手に収まった。ユアさんが槍に向かって なんか謝ってたような気もしたけど、今は気にしない。
アッシュさんはその様子を見て、苦笑いしながら言った。
「その槍には名前がないんだったな。私はさっきの技……グランバーストと言ったかな。それを見て最初に思いついたのが地獄だ。だから、ニフルヘイムはどう だろう? 古えの言葉で霧と氷の地獄と言う意味なんだが…」
ユアさんは最初はきょとんとしていたけど、少しして大きく頭を振った。
「にふるへいむ……この槍も気に入ってくれたみたいです。長いから愛称はにふらね」
そう言って微笑んだユアさんはとっても綺麗だった。
アッシュさんは、続けて私に言った。
「グミ氏、あれほどの攻撃をするには相当な魔力が必要だったことだろう。ヒールといい、マジックシールドといい…見事だ。魔法使い二次試験はこれで合 格……ん?」
アッシュさんはそこまで言って、後ろのほうを見る。なんだろう…倒れたままじゃ、アッシュさんの影に隠れて何も見えない。
「うそ…」
ユアさんも思わず口に手を当ててしまう。
「いったい、何が起こってるの? ねぇ、二人とも!!」
私は口を閉ざしてしまった二人に問いかける。むしろどっちかっていうと問い詰めた。
アッシュさんは言った。
「……おとりだったんだ。ここにいた夜行全て」
「それって…どういうこと?」
今度はユアさんが言った。
「夜行に…取り囲まれています。それもさっきの倍はいます…」
アッシュさんは杖を構えて言った。
「作戦は失敗だ。グミ氏を連れてここから逃げる…つもりだが、無理かもしれない。そのときは…全滅だ」
「グミさんはわたしが背負います。絶対に逃げ切って見せるから…」
逃れられない現実を突きつけられた私は、ただうなづくことしかできなかった。
続く
12章最終話 ぐみ6に戻る