「グミ氏、そろそろ出かけるぞ」
アッシュさんが耳元でささやく。朝も昼もわからない光の差さない森の中で、小さなランプだけが命のを燃やして、小さな小屋を照らし出していた。私は上半身
を起こして、毛布を畳む。
今何時なんだろう…時計がないから正確な時刻はわからない。でも一つだけはっきりしているのは、少なくとも私が誰にも起こされずに起きられる時間ではない
ということだった。
私はまだ目のふちに付いたままの涙の欠片を袖でぬぐう。
「アッシュさん、おはよう」
アッシュさんは私の挨拶に軽く会釈して、まだぐっすり眠っているユアさんを起こしにかかる。
……どうして私が自分から起きられたのか、その理由は一つだ。それは私が全然眠ってないということ…ウトウトし始めても、生きたまま(死んでるんだけど)
粉にされたモンスターの最後の顔と、シュウに冷たくされたことが思い出されて、目が覚めてしまうのだった。
特にシュウのこと…。今までこんな風にないがしろにされたことはなかったと思うし、何より信じられないことだけど、シュウが起こしに来てくれるから安心し
て眠れていたみたいだった。
思えば、村のときはおじさんに、村を出てからは一晩も一人で眠ることはなくて、シュウが起こしに来てくれていたのだった。
「はぁ…」
自然と大きなため息が出る。なんだか最近嫌な事ばかり起こる…。
今は目も痛いし、とてもモンスターと戦うような気分じゃなかったけど、私一人のわがままでどうにかなることじゃなかった。
「ユア氏、朝だぞ」
アッシュさんが私にしたのと同じように、ユアさんの耳に囁きかける。
私が起きていたからかもしれないけど、アッシュさんの声はまるで魔法のようによく通っていて一瞬にして気づくのだった。
でもユアさんは、枕を抱きながら寝返りを打つ。全然起きていないようだった。
「う〜ん…だめ…もう少し…ムニャムニャ」
ユアさんの寝言…初めて聞いたかもしれない。どんな夢見てるんだろう。
私はユアさんの肩を揺らしながら声をかける。
「ユアさん、もう出かけるよー! 起きようよ」
「う〜ん…あぁ」
ユアさんは枕を抱きしめたまま、全然目を覚まさない。私が目を覚ます頃にはいつもユアさんのほうが先に起きてるから知らなかったけど…眠ってる人を起こす
のってこんなに大変なんだ。
もしかしたらユアさんを起こしてたのもシュウだったのかもしれない…。私も寝起きにシュウのこと叩いたりするけど、ユアさんに同じことされたら怪我するん
じゃないかな。
私がそんな風に想像をめぐらせている間に、アッシュさんはうーんと唸りながらいつもの杖を取り出した。アッシュさんはおもむろにユアさんに杖を向けて言っ
た。
「これは使いたくなかったんだが…しょうがないな。雷の精霊よ…」
え、これもしかして…ユアさんに攻撃しようとしてるの!?
「あ、アッシュさんなにを!!」
私の制止はほんの少し遅く、数秒で練られた魔力がアッシュさんの杖の先からほとばしった。
青いボールのような魔力の塊が、ユアさんめがけて……付け加えるならものすごく遅くて、ちっちゃいボールがユアさんの頭にぶつかって、パチンと大きな音を
立てた。
その瞬間、ユアさんがものすごくびっくりして目を大きく開き、白くて長い髪がぱさっと放射状に広がった。
ユアさんは何が起こったのかわからないといった様子で、辺りをぐるぐると見回してから言った。
「ななな…なんですかこれ。もしかして、て、敵襲…!? ぐ、グミさん大丈夫ですか!?」
「…ぷ、あはははははは。ユアさん…敵はいないよ」
私はユアさんの見た目も言ってることもおかしくて、悪いとは思いつつもこらえきれずに吹き出してしまう。ユアさんはしばらくパニックだったけど、笑ってる
私の姿とアッシュさんの説明でようやく現状を理解したらしい。
「わたしが寝坊しちゃいますとは…」
髪の毛がばさばさになったユアさんは、どうにかそれを直そうと努力しながら言う。
私はおかしくて、まだしばらく笑っていた。
ユアさんはそんな私を見て、微笑みながら言った。
「よかった…グミさん、元気になったんですね。よかった…」
「あっ…!」
私は驚いて自分の口に手を当てる。さっきまであんなに落ち込んでたのに…。
アッシュさんは言った。
「静電気でグミ氏の気分まで直ったか。悪者にだけはしておけんな…それじゃ、出発するぞ」
なんだかよくわからないけど、全員起きたので出発することになったらしい。
私も少し笑ったおかげで、その分元気が出たみたいだった。私は愛用の武器、レフェルをしっかりと握りしめる。この小屋から出て少ししたら、すぐにまたあの
モンスターが現れてもおかしくないのだ。
なんだかこの森には昨日のようなモンスターが多いらしいから、私が活躍しないといけない場面もあるかもしれない。
私が自分に気合を入れていると、ユアさんが申し訳なさそうに呟いた。
「あの…この髪、なんとかなりませんか?」
アッシュさんはポケットから紐のようなものを取り出して、ユアさんへと手渡す。
「しばらくは無理だ。この紐でしばって我慢してくれ…」
「はい…」
*
…小屋を出た、歩き始めてから一時間くらい経っただろうか。
森の中は時が止まったかのように同じような風景が続いていて、いつまでたっても同じように薄暗い。
多分、普通の場所では今頃は太陽も顔を出して、多少は明るくなってくるだろうと思う。
「ふぁーあ…」
こらえようと思っても大きなあくびが出てしまう。すぐそこにモンスターが身を潜めているのかもわからないのに、いくら自分に言い聞かせてもあくびが出てき
た。
私自体もともと早起きは苦手な上に、昨日はいろいろあってろくに眠れなかったから、歩いて疲れたこともあって、とにかく眠たかった。ユアさんもアッシュさ
んも全然眠そうな顔はしてないんだけど…二人とも今まで一人で頑張ってきただけあって、あまり長くない眠りでも体力を回復させることができたらしい。
「ふぁ〜〜あ」
さっきよりも長いあくび。あくびをかみ殺しても、かみ殺しても…全然きりがなかった。
私は歩きながら三度目の大きなあくびをかみ殺そうと努力する。しかし、その努力は無駄なものになった。
「ギュギャアアアアアアアアアアアアア」
けたたましい叫び声に一気に目が覚める。草陰から性懲りもなく現れたのは紫の尾をもった狐三匹だった。どれも考えなしに正面から襲ってきている。
ユアさんが叫ぶようにして言った。
「グミさん、無理にヒールは使わなくていいですよ。私とアッシュさんで何とかします!」
「ああ…少し惜しいが、そのメイスで援護してくれればそれでいい」
私は二人の優しい言葉に感謝して、とりあえず二人が狙わなかった一匹に向かって本体を開放したレフェルを繰り出す。
私たち三人の放った攻撃はそれぞれ相手の急所に食らい付き、体の大部分を破壊した。
だけど、モンスターたちはまだまだ動いていて少しでも隙があれば襲い掛かろうとしている。
レフェルがどさくさにまぎれて大声で叫ぶ。
「止めを…スパイクだ!」
「スパイク!」
私がそう叫ぶと、黒い鉄の球から鋭いトゲが飛び出してモンスターをずたずたに引き裂いた。体を粉々にされて行き場を失ったモンスターの破片は、しばらく体
液を撒き散らしながら動いていたけど、次第に動かなくなって粉になってしまった。
ユアさんも私と同じように何度も突いたり、斬ったりして狐をさばき、アッシュさんは氷の塊で地面につなぎとめたモンスターに電気を浴びせて、黒焦げにして
倒した。
吐きそうになるほど辺りに散乱していたモンスターの残骸は粉になってしまった。
ほんの数秒のことだったけれども、額から汗が流れてくる…。
「大丈夫か?」
アッシュさんの声。まず間違いなく私に言ってるんだと思う。私は今の正直な気持ちを打ち明けた。
「大丈夫じゃない…だけど、回復の力でモンスターが溶けるんじゃないからまだ楽です…」
今まで相手にしてきたモンスターと違って、狐はすごくリアルでしかも怖かったけど、ヒールで溶けてしまう姿よりはよかった。生気を奪われて死んでいくよう
な姿は…ものすごく怖い。何よりも自分の力…生き物の生死をコントロールできてしまうような自分が怖くてたまらなかった。
私が少し考え事をしていた刹那、肩に何かが乗っかる。
「う、うわわわわあああ!」
驚いて後ろを振り返るとユアさんの手だった。色白だから一瞬お化けか何かに見えて怖かった。
私の変な声にユアさんも驚いたみたいで、すぐに手をどけて、
「びっくりさせちゃったみたいでごめんなさい!」
と深くお辞儀して謝ってしまった。
私はすぐにユアさんに頭をあげてもらって言った。
「急に肩に何か乗っかったから怖くて叫んじゃった…ユアさんこそ大丈夫?」
ユアさんは何も言わずに笑みで返してくれる。全然気にしてないみたいでよかった…。
アッシュさんはフードを調節しながら言った。
「今のは三匹しかいなかったから、三人で十分相手にできたが…これから数十体で一斉にかかってくることも考えられる。そのときは…多分グミ氏の力を借りる
ことになるだろう…」
アッシュさんはうつむいて、表情は見えないけれど苦しい様子で語る。
いくらユアさんやアッシュさんが強いといっても、さっきみたいな恐れ知らずのモンスターが束になってかかってきた様子を想像すると敵いそうもなかった。
でも、私の力なら何とかすることができるらしい…。この癒しの力で。
「昨日の様子、さっきヒールを使わなかったことを見ると、やはりヒールは使いたくないと思う。だがどうしても使わなければならないときもあるんだ」
まさにその通りだ…。私一人のわがままで全滅なんて絶対にいやだ。
アッシュさんはひとさし指を立てていった。
「そこでひとつ良い方法がある。これは本来魔法使いの一次試験を通ったものが通る試練というか、障害なのだが…。自分からあふれてくる力によって他者の生
命を奪うことはやはり苦痛なのだ。だから、モンスターを倒すことができない魔術師に教えるひとつの簡単な方法がある」
「いったいどうやるんですか!?」
私はアッシュさんがすべて言い終える前に質問する。
アッシュさんは言った。
「モンスターが死ぬ瞬間に目と耳を閉じることだ。そうすればモンスターはいつの間にか消えてなくなっている」
その後私はあまりに簡単というか、稚拙な手段にあいた口がふさがらなかった。
続く