静かな森の中、突如始まった激戦は淡い緑風によって幕を閉じた。
諍いの主たちは、既に四散してしまい、そこに本当に存在していたのかどうかすらわからなくなってしまった。もはや、本当に戦いがあったことを証明できるも のは、徐々に原型をなくしていく巨大な氷柱だけである。
森の中に薄く立ち込める霧。
ぼんやりとした風景の中で一人の少女がひざをついていた。そしてその周り…離れているとも近いともいえないような微妙な距離に、二人の人間が佇んでいる。
「……どうして」
少女はうつむいたまま、ほんの少し前まで”敵”のいた場所を凝視していた。
彼女が見ている先には、生い茂った草があるだけで、他にはなにもない。
しかし、そこには確かにいたのだ。だが、それはもはや存在しなくなった。
そう、彼女の「癒し」の力によって。
利き手を血で汚した、銀髪の美女…ユアが、打ちのめされて呆然としているグミへと歩み寄る。
「グミさん…助かりました。でも…その、あれはなんなんですか? まるでモンスターが蒸発したみたいに…」
グミはユアの方へと顔を向けるが、大きな目には光が無く…呼ばれたから反射的に振り向いたといった様子だった。第一、モンスターを一瞬にして枯れさせたグ ミですらも、今の状況を把握できてるはずがない。やろうと思ってやったことではないし、何も知らなかったのだからな。
そして、我ですらも完全に把握できてはいなかった。
アッシュはグミに鋭い視線を送りながらも一歩ずつ、近づいてくる。
どんな言葉をかけるつもりなのか…我は、生きていることを悟られないよう身を潜める。
しばらくして真一文字に結ばれていたアッシュの唇が開かれた。
「驚いた…あそこまで強力なヒールアタックは初めて見た」
「ひーる…あたっく?」
呆然としたままのグミが、アッシュの言葉をそのまま返す。
アッシュは真剣な面持ちのまま、答えた。
「ヒールというのは文字通り、傷を癒す呪文だ。だが、それは生きているものに限る」
グミはまだ上の空であるが、なんとなく意味は飲み込んでいるのかアッシュの顔を見つめて、話を聞いていた。
「生きているもの…ってどういう意味ですか? さっきのモンスターも生きてるから襲ってきたと…」
これはユアの質問だ。アッシュはユアのほうを見て言った。
「これはグミ氏にも聞いておいてもらった方がいいだろうな。さっきのモンスターは、確かに動いて襲い掛かってきたが、実は生きてなどいない。あいつらはい わば死体が動いてるようなものだ」
生命を失って動かなくなったはずの死体が動く。
どう見ても矛盾しているが、現に存在するのだから仕方ない。
何故そのようなモノが存在するのかはわからない。強い想いで死に切れなかったとも、悪魔にあやつられてるだのいろんな説があるが、はっきりしてるのは唯一 つ。
やつらは死してなお、生者の血と肉を求めるのだ。
話に聞き入ってる二人を尻目にアッシュは話を続ける。
「そいつらのことを総称して不死者、もしくはアンデッドと呼んでいる。アンデッドは死なず、死を食らうが、逆に生のエネルギー…クレリックやプリーストと いった聖職者の呪文に弱い。無論ヒールも例外ではない」
「アッシュさん」
茫然自失かと思われたグミが、口を開く。その目は真剣そのもので、まっすぐアッシュを見つめていた。
アッシュは、「なんだ?」とだけ答え、それを聞いたグミが話し始めた。
「…さっきのは私がやったんだよね。アッシュさんが魔法を使ったんでもなく、ユアさんがなにかしたわけでもないんですよね…」
「そうだ。あのモンスター全て、グミ氏のヒールで死滅した。信じられないほどの魔力だ」
アッシュの答え。驚きと羨望からか…アッシュの冷たい風貌も、どこか異なっていた。
ありのままの真実だが、アッシュはグミが何故そんなことを聞くのかを理解していなかった。
「やっぱり、私なんだ…。今まで私の力は誰かを守ったり、回復させるためにしか使ったことはなくて…攻撃魔法使えないから…」
だんだんと声が小さくなっていくが、話は続いていた。
「ユアさんの怪我を直したとき、モンスターが粉々になって消えるのが見えたんだ…。それが、私がまるでモンスターの命を吸い取ってユアさんを治してたみた いな感じがして…だから」
「わたしはそんな…!」
「ユア氏、黙ってくれ」
ユアがグミの感じたことを気のせいだと訂正しようとしたが、何の意図があるのだろうか…
アッシュが手を出して止める。
「グミ氏…クレリックの力は生命を操るものだ。君が何をそんなに心配してるのかわからない」
「もしも…もしも私の力が逆に働いたら、怪我が治るどころかどんどん粉になっていったらと思うと…怖くて、みんなが消えてなくなっちゃうと思うと、いても たってもいられなくなって…」
グミはそんなことを考えていたのか…グミは自分に秘められた力の片鱗を見て、怯えていた。
ドレスに一滴の涙が落ちる。
グミが心配していたのは秘められた自分の力の強大さではなく、仲間を傷つけることだった。
涙ながらに語るグミを、ユアは寄り添うように、アッシュはじっと見つめて聞いていた。
アッシュは言った。
「そんなことを心配していたのか…だが、それは杞憂というものだ。絶対にヒールが反作用することなどない。おかしいのはアンデットのほうだ。やつらは生を 冒涜している」
「そ、そうですよ。グミさんに傷を癒してもらったとき、優しい気持ちしか感じませんでした」
アッシュに続いて、ユアもグミには危険性はないと主張する。だが、グミはうつむいて言った。
「みんな、私のことを怖いって思うと思う…私がみんなの立場なら、怖いもの」
「……」
これにはアッシュも押し黙る。我からもかけてやる言葉が見つからなかった。
それに、適当に慰めたところでグミの力はこれまでとなんら変わることはない。それどころか、これからさらに強くなることだろう。それはもう、この世界で誰 をも凌ぐほどにだ。
グミに跡が残るほど握り締められた我に、白く長い髪がかかる。
「グミさん、誰もそんなこと思いません。そんなこという人がいたら、わたしがやっつけてあげます。みんなグミさんのこと、大好きだから…わたしは、グミさ んになら殺されてもいいから…そんなこと考えないで」
ユアがグミのことを正面から強く抱きしめていた。
「ユアさん…」
感極まったグミの瞳から、ぽろぽろと涙が落ちる。言っている事は間違いだらけだったが、グミにとっては泣きたいほど嬉しい言葉だったに違いない。ユア自体 も泣きそうになりながら、ずっとグミを離さなかった。
その様子をずっと眺めていたアッシュは淡々と語った。
「ユア氏の言う通りだ。グミ氏の力は、我々にとって優良、そしてアンデットにとっては脅威だ。怪我に苦しむものもいれば、アンデットに怯えている人はたく さんいる…その人たちからも必要とされるだろう。そしてさっき襲ってきたモンスターは…まだまだこれからも戦うことになる」
ユアは強く抱きしめていた手を離し、グミは袖で涙を拭く。自分に対する疑心や恐怖も全て、ユアの優しさが洗い流してくれたようだ。
我はアッシュには聞こえぬように、小声でグミに声をかける。
「気は済んだのか」
グミは大きく頷く。その目には一点の曇りもなかった。
「ユアさん、アッシュさん…ありがとう。そしてごめんなさい…」
グミは立ち上がって、まず最初に二人に頭を下げる。
アッシュは脱げたままになっていたフードを浅く被りなおして言った。
「謝る必要はない。それよりも早く問題を解決することが大切だろう?」
ユアは微笑みかけながら言った。
「そうです。ここから先もグミさんのお世話になるんだから、こっちからお礼を言いたいくらいですよ」
グミの顔に笑顔が戻る。グミは再び溢れそうになる涙をこらえて言った。
「うん…ありがとう。温泉に入りたいんだったら、さっさと原因を解明しなきゃね。行こう!」
一時はどん底まで落ちた士気も、何とかもとの活気に戻ったようだった。
それぞれが自分の武器を持って進行方向に視線を送る…かと思いきや、アッシュだけはこちらを向いていた。
「アッシュさん、行かないの?」
グミの質問にアッシュはこう答えた。
「それなんだが、実はさっき襲われたのも予想外のことなんだ。この森は暗くて良くわからないだろうが…もう夜更けが近い」
日差しのないこの森では良くわからないが、きっとそうなのだろう。夜になるとモンスターは凶暴化する…それがこの世界の常識でもあるからな。
アッシュは続けて言った。
「夜になるとモンスターはより強く、凶暴性を増す。だから、今日は野宿して明日の早朝に行ったほうがいいと思うんだが…」
賢明な判断だ。もともとここは視界も悪く、さっきのアンデットを見てわかるように、相手には恐れがない…得策というよりも、それしか方法がない。
グミより先にユアが口を開く。
「それには賛成ですけど、この森は危険なモンスターがいっぱいいます。どこで野宿するつもりですか?」
アッシュは当然の質問といった様子で答える。
「実はこの先に、エリニアの大神官が作った結界で守られている小屋がある。そこで夜を越そうと思うのだが」
そんな都合のいいものがあるのか…。だが、これを利用しないわけはない。
グミはすぐに返事した。
「そうだね。そこで少し休もう。温泉はまだお預けだけど、やられちゃったら温泉どころじゃないからね」
アッシュはそれを聞いて相槌を打ち、進行方向とは少し違った方を指差して言った。
「そうか。それじゃ、少し歩くがこっちだ…夜になる前に急ごう」
「うん」「はい」
二人はアッシュの提案に心から同意し、その後をついていった。
この行く先何が起こるかはわからない。
だが、グミたちは残酷なまでに与えられた運命に逆らうことは出来ないのだった。
*
いろいろあったけど、しばらく歩いてやっと言われた小屋に着いた。
見た目はなんの変哲もない木の小屋だけど、四方に結界が張り巡らされていてモンスターたちが中に入ることは出来ないだけではなく、特別な霊石を持つものだ けしか入れないらしい。
まぁその石はアッシュさんが持っていたから、わたしたち全員が入れたんだけどね。
部屋の中は綺麗で少しの調度品と毛布があって、体を休めるだけならそれで十分だった。
「ごちそうさまー」
小さな明かりを囲んで、アッシュさんの持っていた携帯食料を分けてもらって食べる。美味しいとはいえないけど、おなかはいっぱいになった。
アッシュさんは手早く携帯食料を片付けて、言った。
「明日は朝が早いから、そろそろ明かりを消すぞ」
ぱっと部屋が一瞬にして闇色に染まる。私は手探りでユアさんの隣へ移動した。
毛布はあるものの、少し寒い。アッシュさんはそそくさと部屋の隅のほうで眠ってしまったみたいだけど、私とユアさんは寄り添って眠ることにした。
ユアさんの体からやわらかい感触と暖かさが伝わってくる。また危ないところを助けてもらっちゃった。
もう一度お礼を言いたい…そう思ったけど、ユアさんは既にすーすーと寝息を立てているみたいだった。
「ユアさん、眠っちゃった?」
私は小さな声で聞いてみるけども、返事はない。私は少しめくれた毛布を、ユアさんにかけなおす。
少し残念だけど、仕方ない…。
暗闇の中にモンスターの枯れていく顔が映った気がして、とっさに目を閉じる。
もう大丈夫とは言ったものの、大丈夫なわけなかった。緑の光につつまれて粉になっていく様子は、今でも目に焼きついて離れない。しかも、それがこれからも 何度もあるなんて…発狂してしまいそうだった。
「いたっ…」
寝返りを打った瞬間に、ポケットの中の何かが刺さる。急いで取り出してみると、入れっぱなしにしていたギルドライセンスだった。
「あ…」
そういえばシュウはどうなったんだろう。修行してると思うんだけど、さすがにこんな時間まではやってないよね。きっとあいつは私たちは温泉旅館で楽しんで ると思ってるだろうから…一応、報告しておこう。
私は話す相手がシュウだけになってることを確認して、カードのマイク部分に向かって話した。
「しゅう、シュウ…修行は頑張ってる? 私たちね、実は…」
私はそこまで言って言葉を切る。今日はいろいろありすぎてなにから説明したらいいのかわからない。
温泉が出なくて、キツネや狸に襲われて…カラスがいっぱいでて、…怖いことになって。
静かな部屋の中で突然ピロっという音がしてびっくりする。シュウから返事が来たみたいだった。
私は暗闇の中、光る小さな文字をどきどきしながら見る。久しぶりのシュウとの会話。今日はいろいろあって忘れてたけど、今思うと何か物足りない感じがし た。
私は急いで並んだ文字列を読み上げ…言葉を失った。
『悪い…後にしてくれないか…。今、誰とも話したくないんだ…』
私はみんなが眠ってることも忘れて、大きな声で叫ぶ。
「え、どういうこと!? 私、いっぱい話したいことあるのに…」
みんなぐっすりだったみたいで起きなかったけど、帰ってきた返事はさらに酷いものだった。
『雨だ。もう、帰るよ…じゃあな』
シュウの返事はそっけなくて、意味がわからなかった。雨なんて、降ってないし帰るってどこに帰るのよ。私は文句を言ったけど、その後一切シュウは反応して くれなかった。
私は諦めて、枕に顔をうずめる。私の天気予報は、シュウが言ったように大雨になった。
続く
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