飛び交うカラスで騒然としていた森が、瞬時に凍りつく。
地面から突き出すように生えてきた無数のツララは、ほとんど全てのカラスを串刺しにし、断末魔の鳴き声を挙げるまもなく、奇怪なオブジェのようにツララの
先で息絶えていた。
私たちの影からも生えているツララは、ひんやりと冷気を放ち、これが夢ではないことを理解させる。
アッシュさんのテレポートの距離がほんの少し足りなかったら。私がマジックシールドの体勢を維持していたら……今頃はカラスと同じ末路をたどっていただろ
う。
今まではただ漠然としていたユアさんの強さも、恐ろしいほどにわかった。え、ユアさん!?
ユアさんはどうなったの!? まさかあの剣山みたいな氷の中で…。
私はありったけの声を出して叫ぶ。
「ユアさーんっ!! 返事してー!!」
私の声は静寂を破り、凍りついた森林に響き渡る。返ってきた返事はユアさんのものではなく、ぴきぴきという氷の悲鳴だった。最初は小さかった氷の悲鳴も、
私の大声のせいか次第に大きさを増して、最後にはぴきっと大きな亀裂が入る。
「危ない!」
アッシュさんは私の胴を掴み、私を氷壁から引き離す。その直後に壁が崩壊し、モンスターの体も細かい霧状に砕け散った。私は巻き起こった冷たい風に目を閉
じる。
「ユアさん…」
アッシュさんに抱きかかえられた私は、思わず呟く。立ち込める霧の中にユアさんの姿を探しても、氷交じりの深い霧には痩身の影すらも移らない。
あんな氷地獄の中にいたユアさんが無事ですむはずない……そんな考えが頭をよぎる。信じたくないけど…それくらい目の前の惨状は酷かった。私はもう一度だ
け、大きな声でユアさんの名前を呼ぶ。
「ユアさん、返事してー!!!」
「はいっ」
私の涙交じりの声に、凛とした返事が返ってくる。目を開けるとそこには傷ひとつないユアさんが立っていた。長い髪にはいくつか氷の粒がくっついていて、木
漏れ日をキラキラと反射させていた。
驚きのあまり一瞬声をなくした私に代わって、アッシュさんが聞く。
「あ、あんた…大丈夫なのか?」
ユアさんは、にっこりと微笑んで言った。
「はい。あのスキルはわたしを中心に発生するんです…だから、なんともないです。驚かせてしまってごめんなさい」
ユアさんはそう言ってぺこりと頭を下げる。私は目のふちについた涙をふいて、言った。
「ユアさんが…ユアさんが私たちを助けるために、犠牲になっちゃったのかと思った…。怖かった…」
ユアさんは金の瞳を大きくして、言った。
「わたし、今までくだものナイフでしかあの技使ったことなくて…その、ゴメンナサイ」
何度も謝るユアさんを見て、私のほうが謝りたくなる。だってユアさんは、私たちのためにあんな大技を使ってくれたんだもの。私は謝りながら言った。
「私のほうこそごめんなさい…ユアさんは何も悪くないのにこんなこと言って」
私の後ろにいたアッシュさんも口を開いていった。
「いや、謝らなきゃならないのはこっちのほうだ。私の読みが浅かったために自分の身だけではなく、君たちまで危険な目に遭わせてしまった…」
アッシュさんはうつむきながら話す。よっぽど責任を感じてるようだ。確かに私のせいでこんなことになったら、泣き出したいくらいつらいと思う。
私は精一杯強がって言った。
「アッシュさんのおかげでここまで来れたんだから、悪くなんてないよ。それよりも助かったことを喜ぼううよ、ね?」
アッシュさんは言った。
「ああ、そうだな。ユア氏のおかげで今ここにいるカラスは全滅した。この先安心して奥に進める」
ユアさんも、タイミングよく言う。
「皆さん無事で何よりです。またモンスターが戻ってこないうちに先を急ぎましょう」
「うん!」
私は元気よく返事する。湿っぽいムードも何とか脱出できたみたいでよかった。後ろからアッシュさんの声が聞こえてくる。
「…グミ氏、悪いがそろそろそこを退いてはくれないだろうか。少し重いんだ」
「え…あ! ご、ごめんなさい」
ずっとアッシュさんのむねによりかかってたことに気づいた私は、慌てて起き上がる。
アッシュさんは笑っていたが、なんだかシュウのバカさがうつったみたいで、ものすごく恥ずかしかった。
*
カラスの巣を急いで抜けだしてからは、たまに大きなキノコが出たりしたけど特に何もなく進んでいった。私たちに何か変化があったとしたら、アッシュさんが
私たちの質問に割と答えてくれるようになったことだ。
最初はなんとなく気まずくて聞きづらかったことも、アッシュさんから話してくれたこともあった。
例えば、そう…フードで顔を隠してた理由が一番印象的だった。
ここからは私たちとアッシュさんの話。
ためらいながらアッシュさんは言った。
「…さっきのことがあるまで、私のことを男だと思っていたか?」
「えっと…顔も見えなかったし、しゃべり方もなんとなく男の人の口調だったから」
アッシュさんは今はもうフードを被っていない。後ろで上手に結い上げた金髪と宝石のような碧眼が美しい顔立ちを、際立たせていた。私の言葉に、アッシュさ
んは答えていった。
「男のつもりで話しているのだからな。男だと思ってくれて、自分の演技に自信が持てたよ」
低い声で話すアッシュさんはユアさんとは違った感じのかっこよさで、少なからず憧れた。
私の隣を歩くユアさんが言う。
「どうして男の人のフリなんてしてたんですか? アッシュさん、とってもお美しいのに…」
アッシュさんは苦笑いして言った。
「ユア氏のほうがずっと綺麗だよ。霧の中から現れたときは息を呑んだ…。私が男のフリをしている理由だったな…それには私の生まれから話さなければならな
い」
そこから、私たちはアッシュさんの語りに聞き入った。
「私の家は代々エリニアで特殊な仕事を請け負ってきた。その職はわが家系でしか許されず、しかもその長男がその職を継ぐことになっていた」
アッシュさんは長男と言う部分だけを強調する。
「私が男であれば何の問題もなかった。だが私は神のいたずらか…女だった。両親は私のことなど見向きもせずに、いつか生まれるであろう弟に賭けた。だが…
私を産み落とした母は、すでに子を生める体ではなかった…胸を病んでいてな。私が物心つく前に亡くなったそうだ」
アッシュさんは自分の過去を淡々と話す。
「父は焦った。世継ぎがいなくなることを…血が絶えることを恐れた。そして、そこで初めて私に名前をつけた…『ファルシア』と」
アッシュさんの本名はファルシアということがここで初めてわかった。アッシュさんは、そのまま続ける。
「なるほど私は偽りの子だった。その後は私の素顔が知られぬように灰のローブを着せ、男として英才教育を受けた。家の中以外ではアッシュと名乗ることを教
え込まれた」
「それから十数年が過ぎ、父が亡くなった。その頃私は、優秀な男魔術師として名を馳せていたが、父の仕事を継ぐことになった……しまった、話しすぎたな。
退屈な話を聞かせてしまってすまなかった」
私はすぐに言った。
「退屈なんかじゃないです。女だからって差別するなんて…許せない。こんなに綺麗な人なのに…」
ユアさんも続けて言った。
「本当に…信じられないことです」
アッシュさんは苦笑しながら言った。
「だが、別に私は後悔していない。このことを知ってるのもエリニアの高官と君たちだけだからな。仕事も私の家系だけが継ぐとあって、実にやりがいがある
よ。それよりも…私にも君たちにいくつか聞きたいことがあるんだが…」
私はすぐにこたえて言った。
「何でも聞いてください!」
ユアさんも小さく頷く。
アッシュさんは突然立ち止まって言った。
「君たちは…何者だ」
「え…」
驚き立ち止まった私たちに、アッシュさんは更なる質問を投げかける。
「ユア氏の異常なまでの戦闘能力。グミ氏の底知れぬ魔力…どちらも常識を逸している。そして一番不可解なのは…グミ氏がそれだけの魔力を持ちながら、攻撃
呪文を一度も使わなかったと言うことだ。それほどの魔力だ。既にホーリーアローのひとつも覚えているだろう?」
アッシュさんは鋭いまなざしで私を凝視してる。どうしよう…攻撃魔法が使えないなんていったらなんて言われるかな。でもウソつくわけにもいかないし…正直
言うしかない。
「えっと、実は私…攻撃魔法使えないんです。その…エネルギーボルトも使えなくて…」
アッシュさんは一度唖然として、そのあと私に詰め寄って言った。
「そんなはずなかろう! 少しスキルブックを見せてくれ!!」
やっぱりウソついてると思われてる!?
私はウソをついていないことを証明するために、かばんの中からスキルブックを取り出す。本に刻まれた数字はいつの間にか30に変わっていた。
アッシュさんは、本を1ページずつ眺めながら言った。
「信じられん…攻撃魔法の記述がどこにもないどころか、飛び級だとは……疑ってすまなかった」
「いえいえ…」
信じてもらえてよかった…。アッシュさんは未だに信じられないといった様子で、目をこすりながら本をもう一度見直してから私に返した。
ユアさんは後ろから申し訳なさそうに言う。
「私の力のことですけど…詳しいことはよくわかんないです。グランバーストで氷の槍が生えてきたのは、多分この槍のせいだと思います。くだものナイフで
使ったときは、切り株がリンゴの皮みたいに剥けちゃったんで…」
リンゴって…想像するとなんか怖かった。
アッシュさんは、
「見たことない槍だな…名は何ていうんだ?」
と聞いて、槍に触れようとしたけど、ユアさんは慌ててとめた。
「あ、素手で触るとやけどします!」
触れようとしていたアッシュさんの手が止まる。そのあとすまなそうにいった。
「興味本位で触れようとして悪かった。武器は戦士の命だものな」
アッシュさんは少し誤解してたみたいだけど…ユアさんはいった。
「大きな声出してごめんなさい…触るとほんとに火傷するんです。名前はまだないんですけど……」
アッシュさんは手を引っ込めていった。
「呪われた装備かなにかだろうか…いずれにしても名前は必要だな。そのうち私がつけてやろう。それと……グミ氏」
「はい?」
アッシュさんの呼びかけにとっさに答えたけど、なんだろう。
アッシュさんは、ごほんと咳払いしていった。
「私の職業は…調査隊だけではない。家から継いだ仕事は『魔法使い二次転職官』なんだ」
「ええ〜!?」
続く