私たちがアッシュさんと出会ってからと言うものの、アッシュさんはいろんなことを聞いて きた。
どうして旅をしてるのか。ユアさんとはどういう関係か。ギルドには所属しているのか…とかそんな感じで。私たちはそのつど聞かれたことを答えたけど、アッ シュさんは私たちがなにを質問しても話をはぐらかしたり、歩みを速めたりして答えてくれないことが多かった。
答えてくれたのは仕事を引き受けた理由とこれからどこに向かってるかだけだった。
仕事を引き受けた理由はアッシュさんの言葉を借りると、
「休暇で温泉に入りに来たのに、お湯が出ないと言われたからだ」
で、どこに行くかの答えは、
「巣」
だった。何の巣かは教えてくれない…。
私は肝心なことには答えてくれないアッシュさんを不思議に思いながらも、置いていかれないように早足で歩いた。
アッシュさんは歩きながら、未だに深く被ったままのフードの奥から声を出す。
「源泉は森の奥だと聞いているが、今はモンスターが多くて素人は近寄れないそうだ」
さっきの狐や狸以外は特にモンスターに出会うこともなく、ただピクニックのような気分で歩いてたけど…ここから先は大変になるんだろうか。
アッシュさんは続けて言う。
「確かこの辺に…看板みたいなものがあったはずだが」
「看板?」
私はとっさに聞き返す。何で看板なんて探してるんだろう…私たちは温泉の源泉に向かってるんじゃなかったっけ?
アッシュさんは木々の合間をのぞいたり、茂った葉っぱを掻き分けながら言った。
「看板の奥に抜け道があるんだ。あった」
アッシュさんが掻き分けた木の枝の後ろには、大きな赤いバツ印のついた看板があった……って、これってどう見ても立ち入り禁止のマークだ。
「あの、これって…行ったら危ないって意味ですよね…」
ユアさんが聞く。アッシュさんはさも当然のように言った。
「"素人"が行ったら危ないな。怪我するだろうし、下手したら死ぬかもしれない。だが、私は素人ではない。帰りたいなら今だぞ」
アッシュさんは、そのまま私たちのほうを振り向かずに獣道へ入っていく。私は言った。
「私たち、しろーとじゃないから…ね?」
「はい。例えドレイクが襲ってこようと、グミさんはわたしが守ります」
アッシュさんは、立ち止まって言った。
「ドレイクでも大丈夫なら多分大丈夫だ。ただ、最初の難関は質よりも量だがな」
どういう意味だろう…。フード越しに聞こえる声は、どれも意味が通じないものばかりだった。
私は戸惑いながらも、アッシュさんのあとに続いた。ユアさんも私の後ろに続く。
人の通らない足場の悪い道をしばらく黙々と歩いたところで、アッシュさんが足を止め、同じく止まるように私たちにも合図した。私たちは足を止め、アッシュ さんの言うことに耳を傾ける。
「……見ろ。あそこに見えるのがカラスの巣だ。巣を攻撃するものはもちろん、ただ通ろうとした者も大量のカラスが攻撃を仕掛けてくる」
アッシュさんがフードの奥から合図した先には、大きなかごのようなものがあって、その周りを数匹のカラスが目を光らせながら飛んでいた。確か旅館につく前 にカラスにからかわれたっけ…小さくてすばしっこい嫌な敵だ。それがあのかごの中にいっぱいに詰まってるらしい。
カラスたちに気づかれないよう、姿勢を低くして、小声で質問する。
「…気づかれないようにどうやって通るんですか?」
「私だけならテレポートで高速移動してやり過ごす。だが、これは魔法使いの二次職のスキルだから君たちには無理だろう…。だから、スローの呪文で相手の動 きを一時的に止めるか、雷でなぎ払いながら全力疾走する」
ユアさんが言った。
「もし失敗したらどうしますか?」
「逃げる。相手に出来る数じゃない」
一匹一匹は怖くないカラスでも、数でこられるとウィザードのアッシュさんでも逃げるしか手がないらしい。あのかごみたいな巣の中には一体何匹のカラスがい るんだろう…想像するだけで気持ち悪い。
私たちの質問が終わったのを確認すると、アッシュんさんは言った。
「それじゃあ行くぞ。襲われた場合は無理に迎撃せずに、走ることだけに専念しろ…それじゃあ行くぞ!」
それを言い終えたアッシュさんは、重たそうなローブを見にまとってるとは思えないような素早さで走り出した。私も半歩遅れて走り出す。
「カー!! カー!!」
目を吊り上げたカラスが私たちをにらみながら、カラスなりの警報を鳴らす。
その瞬間、一匹、また一匹と途切れることなく真っ黒な鳥がかごから飛び出してきて……空の一部を黒く染めたカラスの群れが私たち目掛けて一斉に襲い掛かっ てきた!
アッシュさんは走りながら精神を研ぎ澄まし、黒の群れに杖を振りかざして言った。
「スロー!」
バサバサとうるさい音を立てて飛んでいたカラスたちの動きが止まる。
今のうちにここを走り抜けなくちゃ。私は宙にとどまったままのカラスたちをくぐって走る…つもりだった。
「ウソ…」
私は大きな石に足を引っ掛けて、バランスを崩す。視界が硬い地面にどんどん近づいていく…なんでこんなときに限って…。私は顔から転ぶのだけは避けようと 思って、無意識に手を突き出し、目をつぶる。手のひらにちょっと怪我するかもしれないけど、すぐに起きて走り出せばカラスたちから逃げ切ることが出来るは ずだから。
「……!」
あれ、何でいつまでたっても落ちないんだろう。手をすりむくどころか、なんだかずっと浮いてるみたい。
まぶたの向こうから声がした。
「グミさん、大丈夫ですか!? 急いでるからこのまま走りますよ!」
恐る恐る目を開けると、私はユアさんの左手だけで抱きかかえられていた。どうやらユアさんが、とっさに私のことを抱きかかえてくれたみたい。
ユアさんは目の前に飛んでくるカラスを、手にした槍で正確に一刀両断して言った。
「キリがないですね…あの巣の中には何匹のカラスがいるんでしょう」
「わからないけど…とにかく急がなきゃ! ユアさん、助けてくれてありがとう。でも、悪いから私自分で走るよ」
ユアさんは優しく私のことをおろしてくれる。私が両足を地面につけた直後にもう一匹のカラスが私の胸元目掛けて飛んできていた。私はレフェルでガードしよ うとするけど、一瞬間に合わない。
攻撃されるのを覚悟した瞬間、ユアさんが後ろ手で放った槍先がカラスを突き刺していた。
私は走りながらユアさんに感謝し、その裏で自分の使えなさに自己嫌悪する。
あぁ…なんでこんなに私って足手まといなんだろう。私がいなかったらもっとスムーズにここを突破できたかもしれないのに。
雷の呪文を駆使しながら、私の前を順調に走り抜けていたアッシュさんの足が止まる。
アッシュさんは振り返りながら叫んだ。
「まずい、こいつらこんなところにも巣を……君たち、ここから離れろ!」
「え!? アッシュさん、どうかしたの…!?」
私がそこまで言ったところで、アッシュさんの後ろに不吉な黒い影がよぎる。
さっきの倍以上のカラスが行く先に待ち伏せしていたのだ。
「スロー!」
アッシュさんは杖を振り上げ、必死に呪文を詠唱するけれど、いかんせん数が多い。難を逃れたカラスたちは容赦なくアッシュさんに襲い掛かった。
「ギャギャガヤアア!」
私の目の前で灰色のローブが、鋭いくちばしで切り裂かれる。両腕、わき腹、そしてフードがから鮮血が飛び散った。目が覚めるような赤と一緒に、長い金髪が 飛び出した。
「くっ…」
アッシュさんはカラスの強襲にバランスを崩し、その場にひざをついてしまう。それを見たカラス全部が手負いのアッシュさん目掛けて飛び掛った。私とユアさ んは逃げろと言われたことも忘れて、アッシュさんに駆け寄ろうとするけど、空を滑るように飛ぶカラスたちのほうが若干早かった。
「マジック…ぐっ」
アッシュさんは防御魔法を唱えようとして、腕の痛みに顔を歪めた。
このままじゃヤバイ。そう思った私は、ユアさんにお願いした。
「ユアさん、私を放り投げて!」
ユアさんは私の突然のお願いにびっくりしながらも、私を信じてものすごいスピードで放り投げた。
私はレフェルを放さないようにしっかりと抱きかかえながら、空中に投げ出される。
ユアさんの力で投げられた私はから明日よりも一足早く、怪我したアッシュさんの前にしりもちをつき、痛みをこらえながら全力で十八番の魔法を唱えた。
「マジックシールド!」
体から力が抜ていく感触とともに、強力な光の盾が私を中心に展開される。襲い掛かってきていたカラスは全て、きりもみ回転しながら弾き飛ばされた。
私はシールドを維持したまま、怪我したアッシュさんの腕とおなかにヒールをかける。傷口はみるみるうちにふさがっていった。私はなにが起こったのかわから ないといった様子のアッシュさんの、頭の傷を治療するためにフードを取った。
「お、女のひと!?」
私は驚きのあまり、盾にこめた精神力が一瞬薄くなる。でも、フードのしたに隠れていた顔は、金髪、碧眼の美女だった。
アッシュさんは目を丸くして言った。
「戦士…ではなかったのか」
「ヒール!」
私はアッシュさんの質問に答えることよりも傷を癒すことを優先する。綺麗な顔についた傷は一瞬にして消え去った。私は残る魔力を全てシールドの維持にまわ す。
ついさっき弾き飛ばされたカラスたちはさっきよりも数を増して、四方八方から攻撃を仕掛けてきていた。強さはドレイクのほうが数十倍も上だけど、一度に削 られる精神力はカラスの群れのほうが遥かに大きかった。
「…ぅ」
私は削られる精神力の大きさに、すぐの体がぐらついてきた。私はレフェルを杖にして体を支えるけど、もう数分もしないうちに限界が来るのは考えなくてもわ かる。
自分が守られたことに気づいたアッシュさんは、マジックシールドの中からスローの呪文を唱えてくれる。ほんの少しだけ、体が負担が軽くなったけど…それで も消耗は激しかった。
体に重くのしかかる負担に耐える中、盾の外側で奮闘してるユアさんが叫んだ。
「グミさん! アッシュさん! わたしが合図したら、グミさんはシールドを解いて、アッシュさんはグミさんを連れて、テレポートでその場から遠く逃げてください!」
私に代わってアッシュさんが聞き返す。
「ユア、なにをするつもりだ!?」
ユアさんは、鬼気迫る声で言った。
「この辺り全域を…カラスもろとも殲滅します。合図行きますよ…離れて!!」
ユアさんの声が聞こえた瞬間、私は力を抜いてシールドを消し去り、アッシュさんのテレポートでなんとかカラスたちの攻撃を回避する。急に敵が消えたカラス たちは勢いが止まらずに空中でひとつの塊になった。私はテレポートで移動しながらも、ユアさんの動きをじっと見る。
ユアさんは、目標がいなくなって怒り狂ったカラスたちを見据えながら、地面に青い槍を突き刺して叫んだ。
「恨みはありません…せめて一撃で。グランバースト!!」
その瞬間、視界全てが地面から突き出した氷の槍に埋め尽くされた。
続く
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