ぞくりと背筋に悪寒が走った。
いつの間にかさっきまで和やかだった空気が、冷たくて肌に突き刺さるような空気に変わっていた。
すごく怖い…早く、グミさんを連れて逃げないと。
「グミさん…」
私は右手に武器、左手にグミさんの腕をとる。グミさんはこくこくと迫ってきている気配には、まったく気づいていないみたいだった。でも、わたしのただなら
ぬ様子はわかってくれたみたいで、立ち上がってわたしに寄り添った。わたしははぐれないように、ぎゅっと手を握る。
「おい、どこに行くんだ?」
竜さんがわたしたちのことを呼び止める。さっきわたしが何がくるのか聞いたとき、竜さんは「ボス」が来ると言っていたけど……絶対これは人の気配なんか
じゃない。こんな理不尽な殺気を発してるのは、相手のことを食べ物としか思わない化け物、言い方は悪いけどおおかみにも少し似てる。どうあがいても勝てな
いだろうけど…。
(姉さん、なにしてるのさ。早く逃げなよ!)
おおかみが私のことをせかす。おおかみも全身で身の危険を感じてるみたいだ。わたしはわかってると答えようとして…声が出なくなった。
「なんでここに女がいる」
「え!?」
うそ…わたしが声がしたほうを見ると、誰もいなかった。でも、絶対気のせいじゃないし…どういうことなの?
「親父、早かったな」
竜さんが、誰もいないところに向かって話しかけている。いや、よく見ると違う…気配はわたしの足元からしていたみたい。グミさんは突然現れた気配に向かっ
て平然と言った。
「背、私より小さいね」
……いたー! グミさんよりも小さなおじいさんとまではいかないけど、お年を召した男の人がいた。竜さんとはまた違った伝統的な服を着ている。わたしはグ
ミさんと向かい合ってるその人がおかしくて、くすっと笑ってしまった。
みるみるうちに、ちっちゃい人の顔が赤くなっていく。
「なにがおかしい、おんなぁ!」
小さい人はものすごい大きな声で怒鳴り、しかも腰につっていた拳銃を取り出して天井に向かって何発か撃った。わたしもグミさんも突然のことでものすごく
びっくりした。
竜さんだけが冷静にちっちゃいひとをなだめる。
「そんなに怒るとまた血圧が上がるぞ…。この二人は虎の命の恩人なんだ」
それを聞いた小さい人は、拳銃を下ろして言った。
「命の恩人だと? 虎が普通のやつに劣るはずなかろう」
竜さんはまだ倒れたままの虎さんを指差して言う。
「卑怯な手にやられたんだ。それで虫の息だったところを、彼女らに助けられた」
小さい人は一瞬目を大きくしたが、鼻で笑って言った。
「ふっ、修行が足りんな。ところでお二方…さっきは失礼したな。名は何という?」
先にグミさんが答え、次にわたしが答える。
「グミです」
「ユアといいます。…その、あなたのお名前は?」
いつまでも小さい人と呼ぶのはよくないと思ったので聞き返してみた。
「俺は親分とでも呼んでくれ。それと、虎の危ないところをありがとうな。お礼をしたいんだが…ん、その槍……」
親分さんはそこまで言いかけて、急に黙ってしまう。何かを思い出してるみたいだった。
わたしは自分の持った槍を親分さんに見せて、言った。
「あの、親分さん。これがどうかしたんですか?」
親分さんはわたしの手にした槍をまじまじと見て。懐かしそうに言った。
「うむ…これはもしかすると食人族みたいなやつの槍じゃないか?」
食人族…? わたしはよくわからなかったので、グミさんに聞いてみることにした。
グミさんは、
「うん、食人族みたいなかっこの人からもらったよ。でも、人も猫も食べないって約束してくれたよ」
と言った。普通人も猫も食べないと思うんだけど……そんなに怖い人がいるんだ。
わたしにはよく意味がわからなかったけど、親分さんにはよくわかったらしくて、うんうんとうなづいている。
「懐かしいな…ヤツがそれを託したのも、なにかの縁があってかも知れん。おい、そこの若いの!」
親分さんは奥のほうで縮こまっている一人に声をかけて、声をかけられた人は上ずった声で
「はいぃ!」
と言った。親分さんは返事したのを確認すると、なにかを指示する。
「倉庫からアレを持って来い。軍手を忘れるな」
さっきの坊主頭の男の人は
「は、はい、わかりました〜」
と返事をして、すぐに走っていった。
竜さんが慌てた様子で、親分さんに話しかける。
「おい、アレをどうするつもりだ? あんな失敗作を…」
親分さんは落ち着いて返す。
「失敗作かどうかは持つ者次第だ。俺の愛銃だって反動がバカみたいに強くて、並みのものには扱えないだろう? もしかするとってこともあるだろう」
竜さんは納得いかなかったようだけど、親分さんの言うことを聞くことにしたようだった。
わたしは何のことかわからなかったので聞いてみる。
「あの、アレってなんですか…?」
わたしが話を聞こうとした直後、さっきの坊主頭の人が包帯でぐるぐる巻きになった何かを持ってきていた。
「も、持ってきました! うぅ、さぶ…」
「ごくろう。テーブルの上に置いてくれ」
「はい!」
坊主頭の人は、慎重にそれをテーブルの上に置く。それは包帯でぐるぐるまきだったけど、細くてかなり長かった。親分さんは反射的にさわろうとしたグミさん
の手を止める。
「包帯越しでもやけどするから、触るのはよしとけ」
グミさんは触るちょっと前に、熱いものに触れたように手を引っ込める。
「つめたいー!」
見ると、さっきわたしが飲んでいたスープが凍り始めていた。なんなんだろう……これ。
「これは俺だからできる技だから、真似するなよ。おら」
親分さんは自分に気合を入れると、なんと素手で包帯をほどき始めた。白い包帯がどんどんつみあがっていって、代わりにその中身が少しずつ見えてくる。
「いっちょあがりだ!」
親分さんは最後に包帯を思いっきり引っ張って、ちょうどいいところで斬った。気のせいか、お屋敷が少し寒くなった気がするけど、ようやく包帯に包まれたも
のの正体が明らかになった。
「これ…なんですか」
わたしはそれを見て呟く。
包帯の中身は一本の槍のようなもの。でも普通の槍みたいに先っぽだけが切れるのではなく、全体が鋭い刃になっていた。刀身は緩やかに波打っていて、何より
目に入ったのは目が覚めるような蒼だった。
親分さんではなく、竜さんが説明してくれる。
「ある鍛冶師に蛇矛という槍を打ってもらうように頼んだんだが、期限をすぎても持ってこないから取りに行かせたんだ」
竜さんに代わって、親分さんが続ける。
「子分に取りに行かせたんだが、そいつから竜に電話がかかってきてな。そいついわく、鍛冶師ごと氷漬けになっていて持っていけなかったらしい。あとで俺た
ちが行って何とか助け出したが、その鍛冶師はその槍については何も覚えてなかったってわけだ」
もう一度改めて、槍を見る。冷たい蒼、ゆらめく刀身…とっても綺麗で触ってみたくなった。
「どうしてそんな危ないもの!」
グミさんが怒って言う。でもわたしはなんだか……なんだろう、この感覚。
竜さんはだからなんだと親分さんに向かって何か言ってるけど、よく聞き取れなかった。
代わりに誰かが呼んでる気がした。
(お前も凍りつきな)
その瞬間、青いもやのようなものが刃先から染み出してきた。
「やばい! 包帯を…うわっ」
親分さんが叫んで、元の包帯を封じ込めようするけど…堰を割ったように溢れ出した青い波動にはばまれて、包帯が凍りついてしまった。青い波動はテーブルを
凍りつかせていく。
それを見た竜さんは呆れたように言った。
「だめだな…こうなったら、ぶっ壊すしかない!」
竜さんは銃口を槍に向ける。とっさにわたしは槍に手を伸ばして、包帯の残った柄を…握った。
「う……」
手のひらがガチガチに凍り付いて、そこから手首、腕と這うように氷が上ってきた。
(氷漬けは楽しいぜ。ヒャッヒャヒャヒャ)
カタカタと震える槍が笑ってるような気がした。親分さんが拳で氷を砕くけれども、穴はすぐに塞がってしまう。
「……あなた、名前はなんていうの?」
わたしが槍に向かって呟く。氷は既に肩まで来ていた。
(名前なんてないぜ! 作ったやつを氷漬けにしちまったからなヒャヒャヒャヒャヒャアアア)
「ユアさんを放して!!!」
グミさんがレフェルさんで思いっきり叩くけれど、さっきよりも硬くなった氷がそれを弾いてしまう。
氷の足はさらに速くなり、わたしの半身までも包んでいた。右半身は動かそうと思っても、まったく動かない。でも、最初から痛みも冷たさもなかった。
わたしはもう一度だけ槍に語りかける。
「どうしてこんなことするの?」
(偶然俺様を作り出したヤツが中途半端だったから、俺に見合うヤツがいなくてつまらないんだよ。だから雑魚を凍らせて強いヤツが来るのを待ってんだ。いわ
ば俺なりのテストってヤツ? 誰も通らないだろうけどな…ヒャヒャヒャヒャヒャひゃ!?)
手にした柄を思いっきり握った。自分の手が痛くなるほど強く握る。
みんなパクパクと口を動かしてるけど、何も聞こえなかった。
「なんだ。わたしと同じ…」
(やめろ、やめてくれ。壊れちまう!)
少しずつ、氷が崩れていく。
「捨てられて、名前もなくて、寂しくて、離れられないように自分ごと縛って…」
ぴきっ。右半身を覆っていた氷に、大きな亀裂が入る。
(………同じなのか)
「わたしと一緒に行こう。わたしが名前付けてあげる」
氷はバリバリと音を立てて割れ、一瞬で溶けて空に舞った。
(俺様の事を楽しませてくれよ…合格だ)
青い槍のまとっていた冷気が消えた。それと同時にみんなの声がよみがえる。
「ユアさん、だいじょうぶ!?」
「怪我はないか!?」
わたしは槍を持ち上げてにっこりと笑う。
「これ、いただいててもいいですか?」
親分さんは無傷のわたしに面食らったようだけど、きちんと返事してくれた。
「それは最初からお前さんのもんだったみたいだ。好きにするがいい。でも、代わりに食人族の槍を置いていってくれないか?」
わたしがグミさんに尋ねると、首を縦に振ってくれた。
「ユアさんが使ってたんだから、好きにしていいよ。それに…その蒼いの気に入ったんでしょ?」
「はい、すごく」
わたしは笑って、食人族の槍に別れを告げる
「いままでどうもありがとう。親分さん、大事にしてくださいね」
親分さんは差し出した槍を受け取り、言った。
「ありがとよ…何か困ったことがあったら大声で叫んでくれ。いつでもどこでも組総勢で助けに行ってやる」
わたしは満面の笑みで大きくうなづく。新しい仲間もわたしの手の中で動いた気がした。
続く