#55 変則クリケット
 制限する、規制するというような言葉を聞いて、それを良い意味に捉える人間はどれほどいるだろうか。どちらの言葉も自由な何かを閉じ込める檻、あるいは行動を縛る鎖のようなものに聞こえるものが大半ではないだろうか。
 だが、逆に考えて見ると鬱陶しい規制や制限なんてものも多くの場合は起こりうる危険に対する防御壁のような役目をしている。例えば道路交通法なんてものがあるが、もしあの法律がなかったら俺たちの暮らしは極めて危険に満ちたものになるに違いない。
 スピード規制が無ければ暴走車両が激増するだろうし、一通の道を逆走する車も出ないとは限らない。法律や規制は制限することによって間接的に俺たちを守っている。
 それは何も現実のことだけでは無い。仮想の世界で行われるゲームでもあらゆる規制が厳格に守られている。あるいはそれをルールとしてプレイヤーに守らせることによってゲームそのものの面白さとしているくらいだ。
 そう、出来ないことがあるからこそ、出来る範囲で知恵を絞る。それがこの世界でのルールであり、面白さなのだ。
 そのことを最近、身を持って感じる。制限のない身体を持っている……傍から聞けば、とても素晴らしいことのように思えるかもしれないが、止めるべき枠が無いということはどのような事態になるか想定できない。無理を可能にすることはその分、心身に凄まじい負荷をかけることになる。
 制限できないというのは、言わば暴走車両と同じだ。凶暴なスピードで走る車はいずれ大事故を引き起こし、自らの生だけでなく他の命までをも奪う。さながら爆弾のようなものだ。
 たとえ、優秀なドライバーが乗っていたとしても車体は軋み、ガソリンはあっという間に底を尽く。それを俺自身に当てはめて見れば、おのずと俺の末路が見えて来る。制限は必要不可欠である。最低な未来しか待っていない俺が言うんだから、間違いない。
 さて、話を戻そう。先ほどゲームという概念を持って制限が必要であることを強調したが、なぜ制限が必要かという問題には答えていない。というよりも、答える必要など無いほど、ほとんどの人はルールの重要性について理解しているだろうと思う。
 面白いゲームにはまず間違いなく、完成されたルールが備わっている。それは大ヒットしたコンピューターゲームでもそうだし、何百年も前から存在したスポーツにも言えることだ。時にはルールの不具合を見つけ、改変することもある。初めは誰も知らなかったゲームが時を経て、人間に触れて行くにつれルールが変わり、より洗練されていく。
 一度誰かに見せて貰った公式スポーツのルールブックは辞書並の厚さと文量でそのゲームの歴史を物語っていた。
 もちろん逆のパターンもある。いわゆるクソゲーがそれに当たる。ルールが不完全であり過ぎるために、プレイヤーを白けさせてしまったり、プレイできる人間が極少数しかいなかったりと様々だ。制限が曖昧なのがつまらないのは小説や法律にも当てはまることだろう。大事なのはバランス。多少の誤差はあれメリットをデメリットを天秤にかけ、それぞれが釣り合う形は万人に好まれる。それは作り手にとってもプレイヤーにとっても言える。
 さて、話が長くなってしまった。ゲームにとってルールは命である。弥生とかいう異常者もそのことくらいは弁えていると俺は考えている。弥生は山奥で複数の刺客に狙われながら三日間過ごすことをゲームだと言った。ゲームにはプレイヤーが存在し、ある一定のルールを遵守し、互いに競い合って勝利条件を達成することを目的としている。
 つまり、敵は何らかのルールの下、戦っている。そして、その条件の中に俺たちターゲットが深く関わっている。今、俺たちに分かっているルールはまだ一つだけだが、相手側つまりダーツ組のルールを把握することが出来れば、向こうの敗北条件、言いかえればこちらの勝利条件を知ることが出来るだろう。
 こちらの戦況は圧倒的不利。けれど、まだ負けていない。仲間はあすかただ一人、それでもこのゲームを降りるわけにはいかない。俺は、いや俺たちは……。
「聖、さっきから何をぶつぶつ言ってるのだ?」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をしてた」
「むぅ……」
 不満そうな顔をするあすか。これ以上置いてけぼりにしたら、怒り狂うか拗ねるに違いない。ルールの話はまた今度にしよう。
 俺はその辺に落ちていた木の枝を拾い、あすかにも見えるように大きめの円を描く。その中に一回り小さい円を描き、その中心に二重丸、加えてその円を線で二十等分した。
「随分、汚い落書きだな」
 あすかがしれっと突き刺さる感想を言う。確かに美術の成績は2だったが、別にこれは試験でも何でもないしフリーハンドなんだから仕方ないだろう。
「うるさいな。いいか、これがいわゆるダーツの的だ。正式には蜘蛛の巣みたいに見えるからスパイダーという」
 俺はまず的の一部分を指し、続けて内側に引いた中くらいの円、最後に中心の二重丸に木の枝を刺した。
「的の部分にはそれぞれ得点が決まっている。何でもない部分にはそれぞれ的の周りにある数字の1〜20までの得点、円の外周、内側の円はそれぞれ得点の二倍、三倍。中心の二重丸の外側は25点、ど真ん中は50点だ。ちなみに真ん中の円はブル。中でも中心の円はダブルブルという」
「やけに詳しいな。聖の部屋にダーツボードはなかったと思うが」
「良く覚えてるな」
 あすかが俺の部屋まで来たのは一回きりだ。大抵はリビングだけで、部屋までは来なかった。彼女らしい自己防衛意識だと思う。
 一瞬だけ星空を仰ぎ、昔を思い出す。本当の両親では無かったと言われても、育ての親であることには違いない。あの頃の俺は彼らにとって監視対象、もしくは実験対象に過ぎなかったのだろうか。
「……父親の部屋にあるんだ。俺専用のダーツも六本持ってる。ルールも父親から教わった小学生くらいまではよく一緒にやったよ」
 目を合わせず言った俺にあすかは少し気をつかったらしく、申し訳なさそうに謝る。別に気になどしていない。俺は俺と生活していたあの男のことを父親だと思っている。だからこそ、ためらうことなく父親だと言えた。それにあすかだって、本当の父親はいない。
「お互い様だ。大切なのは過去じゃなくて、今何をするかだろう。退屈かもしれないが、もう少し続けるぞ」
 俺は地面に刺した木の枝を抜きとり、スパイダーの下にアルファベットと数字を記入する。ラウンド制を示すR、1Rごとの投数の3。プレイヤーの数……ちなみに今の段階では不確定なのでXと書いた。
「ダーツはラウンド制で行われる。1Rごとに一人三投、それを誰かの勝利条件が満たされるまで続ける。ゲームによってはラウンド数が決まっていて、最終ラウンドでの得点を競うものもある」
「ふむ。どんなゲームがあるのだ?」
 あすかはダーツについてほとんど何も知らないようだ。まぁ、最近ダーツバーやらなにやらで人気のようだが、もともと日本人になじみの薄いゲームだし、自分たちは高校生という身分なのだから当然と言えば当然だろう。
「一般的なのは01ゲーム(ゼロワン)、カウントアップかな。ダーツをやろうと言うと大体この二つになる。前者は持ち点が決まっていて、そこから的に当たった得点分引いていって、先にぴったりゼロになった方が勝ちという減点方式、後者は8Rで獲得した得点が多い方が勝ちの加点方式だ。分かりやすいだろう」
 あすかを見ると、元より頭の良い部類に入るあすかはこの二つのゲームを早々に理解したらしく、次はとせっつかんばかりに地面の図を見ている。俺は地面に描いたばかりの二つの単語にバッテンを付けて話を続ける。
「まぁ、この二つはどうでもいいんだ。このゲームはルール上あり得ないからな。ちなみに俺はその二つともやったことがない」
 楽しみにしていたものを台無しにされたことで、あすかは抗議の眼差しを送っているが俺は知らん顔で次のゲームを説明する。
「いや、実際にはやってみたかったんだよ。ゼロワンは最後の点数調整がだるいし、正確に的を狙うコントロールも無かったからあれだけど、カウントアップはやってみたかった。でも、父親とやるときは決まってこのゲームだった」
 “クリケット”とアルファベットで七文字書き、説明を続ける。
「クリケットと言う、スパイダー上で行う陣取りゲームだ。何より嫌だったのが、ルールが複雑でしかも20とブルの計21もマスがあるのに、クリケットでは15から20、そしてブルの7種類しか得点に関係しないってことだ。関係ないマスに飛ばすと点数は入らないし、自分のダーツは無駄にするしで良いことが全然ない。しかも、15〜20のマスはそれぞれ全然関係のない場所にあるから狙わないと当たらないんだ」
「それは良かったな。それでどうなるんだ?」
 昔の嫌な思い出話に付き合う気はないらしく、俺がこれからしようと思っていた父親の陰険さの話は無下にされる。大した話じゃないから、別に構わないのだがそれでもあんまりだと思った。
 俺は気を取り直して、クリケット用のスコアカードを書く。15〜20にブルを示すBを加えた7マス、そして左右にプレイヤー名を書いた簡単な物だ。
「このスコアカードを使って得点を競う。決まった数字のマスに入ると一本斜線を加え、得点を得る。二本入ると”×”の形になり、三本目でバツを丸で囲う。これをクローズと言う。ダブルは二本分、トリプルは三本分と計算する。それにプレイヤー全員、この図の場合二人だから二人ともクローズ状態になったらその陣地は無効になり、いくら投げいれても得点は出来ない。これをキルという。これが全部のマスがキル状態になるまで続けるか、20ラウンドやって点が多い方が勝ちとなる」
 早口で全部言い終えた頃には覚えきれず困惑するあすかが泣きそうな顔をしているだろうと思っていたが、あすかは澄ました顔で図を指差し言った。
「クローズした後、同じ場所に矢が刺さるとどうなるのだ?」
 俺でさえ覚えるのに数か月もの時間を要したのに、この余裕。どうやら根本的に俺とは頭の出来が違うようだ。
「それはプッシュと言ってクローズした後も得点になる。ダブルブルや20のトリプルに連続ヒットされた時は目も当てられないな。それを防ぐためにプレイヤーはそこをキルする必要がある。もっとも、よほどダーツの実力が無いと難しいが」
「ふむ。なかなか奥が深そうだな。ぜひ一度対戦したいものだ。ところで話の腰を折るようで悪いが、ダーツゲームの説明に何の意味があるのかそろそろ教えて欲しいのだが」
 少しずつ勢いを弱めつつあるたき火に俺が使っていた木の枝を放り込むあすか。置いてけぼりにしないつもりが、遥か彼方まで置いてけぼりにしていたらしい。すっかり拗ねたあすかはそっぽを向いて炭になったキノコで遊んでいる。
「基本的な知識は必要だと思ったんだが……まぁいい。まとめて言うと、敵は俺たちをただ追い詰めて殺そうとしているとばかり思ってたんだが、弥生からのメールでこれはゲームだと言うことに気がついた」
 俺は携帯を開き、弥生から来たふざけたメールを見せる。あすかも一瞬眉間にしわを寄せたが、核心までは至らなかったらしく、俺の考察を待つ。
「敵はその気になれば俺たちをハリネズミにすることなんて簡単だ。持っている矢をありったけ使い、こっちがくたばるまで投げ続ければいい。もっと簡単に言うなら針の先端に猛毒でも塗ればいいし、最悪ダーツなんて使わないで最初から銃を使えばいい。なのに、敵はそうしない。なぜか?」
「……ルール違反だから?」
 半信半疑で答えるあすかだったが、その解答はダーツらしく的を射ていた。ダブルブルだ。
「ちっ、正解だ。敵は何らかのルールを持ってこちらを攻撃してきている。敵が投げて来たダーツの数、俺とあすかを狙った時の時間差。そして、今。攻撃してこない時間帯。その全てを総合すると、ぼんやりとだがルールが見えて来る」
「クリケット、陣取りゲームか? ということは……」
 あすかの顔に不安の影が差す。そりゃそうだ。普通はこんなゲームを考えついても実行しない。口にしただけでも異常者扱いされるだろう。そんなことが出来るのは非人道的なことを平気で行える奴だけだ。
「1時間に1ラウンド。三日で計20ラウンド。プレイヤー、もとい刺客は二人。ターゲットはつまり的は俺たち二人だ」

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