#50 ディスオーダー
 月読が折れ、いやいや弥生と共同戦線を組むことに同意した頃。先に口を開いたのは、自らテロリストにくみすることはなかったものの、俺たちよりもはるかに前からテロリストと接触していた弥生だった。
「初めに言っておくわ。テロリストは政界、経済の大御所、海外の有権者とも交流を持っている。一般人の私たちでは太刀打ちできない鉄壁の砦に住まっていると言っても過言ではないわ。血を見ない、平和的なアプローチでは彼らの一人と話をすることすら不可能。その絶望的な格差を埋めて、彼らに接触し、かつ彼らの幻想を打ち砕くには武力行使しかない。けれど……」
 一度言葉を溜めて、俺たちのことをマジマジと見る弥生。目を見るだけで次に言うことが分かる。明らかな不安要素。負けられない勝負で手に溢れた切り札になりえないカードを眺めているようだ。
「あなたたちと彼らには決定的な差がある。それは精神面だけではなく、単純な腕力、技量の問題。あなたたちが束になってかかったところでテロリストは落ちない。これまではあなたたちのホームに彼らが少人数でかかってきただけ。それでも今までの話を聞く限り、かなり辛い戦況だった。一言で言うと、あなたたちは弱過ぎる。戦って勝つなんて冗談にしか聞こえないくらいに」
 辛い告白にも聞こえなくはないそれを聞いて、俺たちは反論できなかった。複数のテロリストを一網打尽にしたレオ。皐月相手に善戦したイルカ。自分も深い傷を負いながらも長月を沈めたうさ。勝っているつもりでいた、少なくともそれほどまでに絶望的な差があるとは思ってなかっただけに、弥生が断言したことに俺を含む陰暦の月を背負う羽目になった四人は落胆した。
「まぁ、戦闘員ではない水無月、文月生徒が活躍したのは予想外ではあれ、僥倖だったと言わざるを得ない。しかし、戦闘員になれるだけのオルタを持った二人。卯月生徒、霜月生徒は正直のところ期待外れだった」
 弥生に続けて厳しい指摘をする月読に、俺はぐっと拳を握る。楽弥を止められなかったのは俺の弱さだ……でも、うさは自分の身を顧みずに戦った。それでなんとか勝ちとった相打ちを期待外れとは、言い過ぎだと喰ってかかりたい気分になる。喉を突く言葉を飲み込ませたのは、俺が請け負うはずだったテロリスト。葉月を前にして憶えた圧倒的な格の違い。同じ人間でありながら、それを信じられないほどの圧倒的な格差。恐らく、今の自分では奴を倒すどころか、指一本触れることも出来ない。
「燦は黙ってな。あんたはいつも悲観的すぎるんだから。ただでさえ絶望しつつある子供たちをこれ以上沈ませてどうすんのよ。私たちがしなきゃいけないのは今までの反省、そしてこれからどうするかでしょ?」
 月読の耳を引っ張って大声で叱る弥生。月読がやられている様子など見たことが無いので新鮮な感じがした。月読はそれをうっとおしそうに払い、講義で使うチョークではなく普通のボールペンで手帳に何か書きこむ。
「分かりきったことを大声で言うな馬鹿者。良いか、お前らは基本的にはそこらの学生と変わらない。ただの人間だ。けれども各自、他の人間よりもはるかに秀でた部分を持っている。それが彼ら”第五の季節”の言葉を借りるならばオルタナティブだ」
 手帳のメモ欄に書き殴ったものを雑に千切り、俺、イルカ、レオの順に配る。俺のページに書かれていたのは二語をドットで区切った漢字四文字。「極限・制御」と書かれている。
「どういう意味だ?」
 紙を配られた三人が三人とも意味がわからず、いぶかしげな視線を月読に向ける。極限……確か、授業中に数学教師がむにゃむにゃ言っていたような気がするが、どういう意味だったかはまるで思い出せない。他の二人はもっと意味深なことが書かれていたらしく、何度も頭をひねっていた。
 月読はそれを当然の反応と思っていたらしく、視線だけで弥生に説明するように指示を出す。弥生も待ってましたと言わんばかりに、胸ポケットから取り出したメガネをかけておほんとわざとらしく咳をした。
「知ってる? あなたたちの姓にある陰暦の月がどういう理由で付けられているか。それは実に単純で、睦月から始まり睦月の後に生まれた順番で付けられてるだけなの。簡単に言うと、睦月の次に生れたのが如月でその次に生れたのが弥生、その後に卯月、皐月って続く」
 もちろん、生物学的に生まれたというわけじゃなくてねと弥生が付け加え、話の全容をつかみかねている俺たちの顔を見渡す。
「ルナチルドレンには二種類あって、先天性のものと後発性のものがあるんだよね。それを知ってたら、私やあなた達の年齢にばらつきがあるのも納得できると思うんだけど。まぁ、それは些細なことだから割愛して……何を隠そう、私弥生あやめもあなた方と同じチルドレンの一人で、オルタナティブを所持しています。しかも、私に与えられた番号は三月を示す弥生。私は……私だけが私以降に生まれて来たチルドレンに欠けているもの、またそれを補うためのオルタナティブを全て知ってる」
 瞬間、保健室の空気が変わる。それは触れてはならぬ禁忌に弥生が触れようとしているから。そして弥生の行動は同じ空間を介して俺たち全員に伝播する。情報が人を殺すことなどあるはずがないと妄信していた俺だったが、今度ばかりは違う……なんというか、説明できない圧力のようなものを感じていた。
 「じゃあ、言うわね」。何を言うのかはそこにいた全員が把握していた。一度だけ深呼吸し、胸を上下させる弥生。まさにそれを言わんとした瞬間、暗い事実を聞かされ凹んでいたはずのあすかが突然、大声で言った。
「ちょっと待った!」
 緊張感の糸が切れ、視界がふっと緩んだような感覚になる。俺だけかもしれないがあすかお得意の割り込み、大声、説教の流れが見えてしまった。これはしばらくかかりそうだと踏み、静かに目を閉じる。台風は過ぎ去るのを待つのが一番の得策だと今までの経験上わかっているからの素早い反応だった。
「弥生の説明から聞くに、私はあなたよりも数字が若くないだろうか? だが、私は今まで弥生や月読先生が話していたこともちんぷんかんぷんだし、聖たちのオルタナティブだってわからない。これはどういうことなのか、先に説明してもらおう」
「消されたのよ」
 あすかが叩きつけた常識と論理だけで構築された要求を、弥生は静かな一言で返す。それがどんな意味を孕んでいるのか、わずかな動詞だけでどう判断すればいいのか。いや、少し考えればわかることだ。あすかは、いや俺たちは組織によって記憶を消されている。
「あなた達は記憶をいじられた。でも、私は記憶がいじられる前に逃げだした。当然組織は追って来たけれど、しばらく逃げてたら追って来なくなった。代わりに、情報をリークしないように口止め料として今の地位と情報の共有を義務付けて来たのよ。そして、私は今それを破ろうとしている。第五の季節の核心に触れる情報をペラペラとあなた達に喋ろうとしている。喋ってる途中でテロリストの刺客が飛び込んでくるかもしれない。それでも、聞く覚悟はあるかな?」
 弥生の表情から見ても、嘘や冗談で言っているようには見えない。有無を言わせぬ迫力に飲まれ、返答に迷っている俺よりも早く、イルカがスケッチブックで返事した。
『問題ない。続きを』
 力強い筆遣いに迷いはなかった。イルカはもう覚悟を決めている。冷めているが、レオの瞳にも揺るぎない光が宿っているように見えた。あすかに至っては、初めからそのつもりだと全身で語っている。
「弥生、これが全員の返事だ。俺たちの力、教えてくれ」
 弥生は一度だけ肩の力を抜き、小さく息を吸う。その刹那、見せた表情は笑み。
「いやだって言っても教えるつもりだったけど、合意の上なら喋りやすいわね。でも、安心して。さっきはああ言ったけど、テロリストは来ないわ。だって、鍵は手に入っているんですもの。私たちが今更多少パワーアップしたところで、彼らの眼中には入らない。じゃあ、言うわよ。まずはイルカ君。君の紙にはなんて書いてる?」
 イルカは月読に渡されたメモ帳に書かれた文字をそのままスケッチブックに写し、俺たち全員に見えるように掲げる。
『魔笛・声』
 弥生はそれを指差し、説明を始める。
「左がオルタナティブ、右がディスオーダーよ。ディスオーダーは障害の意。あなた達に欠けているもののことを組織はそう呼んでいる。イルカ君は生まれつき声帯の異常で声を出すことが出来ない。ディスにしてはかなり軽い方ね。コミュニケーションには困るけど、日常的なことは大抵問題なく出来る。代わりに手に入れた能力と比べても、かなり上位のチルドレンと言える。オルタナティブ『魔笛』は声の代わりに出る超音波で動物のコントロールを得ることが出来る。鍛錬次第で細かい指示も出せるようになるわ」
 イルカはスケッチブックを握りしめ、肩に止まっていたアイリスに何か語りかける。アイリスはわずかな動作で飛翔し、弥生の肩に飛び移った。
「月読から話は聞いてる。あなたはオルタナティブを使って皐月を制したのね。戦いの最中に目覚めるなんてすごいわ。次、レオ君だけど……もしかしたら、知ってたかな」
「ああ」
 一言で答えるレオ。彼のメモに書かれていたのは『抗体・免疫』。弥生の説明を要約するとあらゆる病気に対する免疫が無い代わりに、一度かかった病気や毒に対する抗体が精製され、それ以降はどのような毒も通用しなくなるというものだ。
「最後に聖君だけど。君は私が知っている中で最も強力なオルタとディスの組み合わせを持ってる。あなたの紙にはなんて書いてる?」
 『極限・制御』と書かれた紙を全員に回す。一見すると、能力なのかどうかわからない二語。イルカのものと違って、積極的に戦闘に役立ちそうもないのだが、弥生の評価は高かった。
「『極限』は文字通り、限界まで力を引き出せるオルタナティブ。聖君は普通の人間が出せる力の限界を20%程度と仮定するならば、100%完璧に出し切ることが出来る。ディスオーダーの『制御』は極限と対をなすもの。君は本当ならば、脳が身体に制限をかけて抑えなければならないことを実行することが出来てしまう。例えば、コンクリートの壁を全力で殴ると、どうなるかわかるよね?」
「拳が砕ける」
 正解。俺の回答に端的に弥生が答え、保健室の壁に向かって軽く拳をぶつける。コンという抜けた音が響き、全員がそれに見入った。
「コンクリートの固さと人間の拳の固さ、それを比べても答えは一目瞭然よね。それを脳は本能的に理解しているから、いくらイライラしても拳が完全に砕ける程度に壁を殴るなんてことは絶対にしない。というよりも出来ないように、あらかじめ制限をかけているのよ。自分の身を守るためにね。それと同じようにあらゆる行動、特に身体を使うものは大抵の場合ある一定の制限がかかる。肉体にかかる負荷が限度を超えないように調整する。でも、聖君。君の場合、その自己調整機能が正常ではない。だから、君はコンクリートの壁だろうが鋼鉄の壁だろうが全力で殴ることが出来る」
 俺は自分の拳を見て、軽くそれを握る。手加減が出来ない性格、その程度に感じていたのだが、それが障害だとは考えてもみなかった。制御することが出来ない。それは時と場合によっては便利だとも取れる。特に戦闘において、身体の限界を無視した移動を駆使し、なおかつ全力で相手を叩きのめすことが出来るというのは利点に他ならない。でも、それは……。
「私は聖君を試したわ。そして、予想通りの結果になった。オルタナティブは諸刃の剣。あなたは次に敵対した相手を間違いなく、殺すわ。それも、あなたの意志とは関係なく」
 重くのしかかる弥生の言葉。まだあすかには言っていないが、俺は事実一人の人間を殺しかけている。拳が、ナイフが人間を抉る感覚を覚えてしまっている。
「弥生、俺は」
 声に出してみてから考え、止まる。どうすればいいのか、助けを求めようにも選択肢はそれほど多くない。殺人鬼になってでもテロリストと戦うか、逃げ出すかの二択しかないのだ。そして、俺はその二つからどちらかを選ぶことが出来ない。
 重い沈黙が落ちた。呼びかけた弥生は何も答えない。月読は助け船を出そうともせずに、俺のことを見ている。自分で決めろ。口にせずともその表情が語っていた。
「聖」
 誰もが口を開くことをはばかるような沈黙の中で最初に口を利いたのはあすかだった。
「私がいなかったときに何があったかは知らない。でも、聖が力を制御できないのなら、誰かがお前のリミッターになればいい。行きすぎないようにしてやればいいんじゃないのか?」
 その言葉に突き動かされ、俺は無意識にあすかの顔を凝視する。誰かが。あすかはそんな曖昧な言い方をしたが、俺にとってその役目を果たせる人間は一人しかいなかった。これまでも薄々感じていた感覚。全てを傷つけることでしか自分を表現できなかった俺を変えた、一人の少女。あすかが俺の力が抱えるリスクを軽減、もしくは帳消しにしてくれる存在になってくれるのではないか。
 俺とあすかのやり取りを見ていた弥生は肩の力を抜き、ふうと大きなため息をつく。それが何に対しての失望かは分からない。ただ、その瞳は心底からの軽蔑ではなく、優しく許す母のような瞳だった。
「もう、白兵最強が聞いて呆れるヘタレっぷりね。でも、いいわ。そう、誰かがあなたを止めてあげればいいの。一人じゃどうしようも出来ないことも、二人なら何とか出来ることもあるわ。あなたが仲間を助けて、あなたがどうしようも出来ないときは仲間が支えてやればいい。簡単なことでしょう?」
 弥生はそこまで言い終えると、俺とあすかの肩を両腕で抱き、無理矢理に近づけた。そして、俺たちにだけ聞こえるように悪戯っぽく囁く。
「聖君はあすかちゃんが、あすかちゃんは聖君がいいんだよね。相思相愛ってやつ?」
「なっ……!」
 互いの息使いを感じられるほどの距離。即座に否定しなければならないと思ったが、出来なかった。あすかに至っては反論することも出来ずに何故か顔を赤らめている。そんな二人を間近で楽しんだ後、弥生はやっと俺たちを解放して二枚の地図らしきものを俺たちに渡した。
「ねえ、二人とも。親睦を深めるためにちょっと旅行に行かない? 二人で仲良くなるついでに、テロリストと互角以上に立ちまわれるような実力のつく一石二鳥の場所なんだけど。行くよね?」
「……行く」
 ろくに地図を確認することも無く肯定するあすか。俺は慌てて止めようとするが、あすかは話を聞いていないようだった。確固たる意志で言っているのならばまだいいが、目が完全にイってしまっている。
「はい、決定! 明日から一カ月ほどこの二人は合宿ね。もちろん、他のチルドレン。レオ君、イルカ君、入院中のうさちゃんにも特訓メニューは用意してるからそのつもりで! 大先輩の私が、オルタナティブを使った戦い方をレクチャーしてあげる」
 かくして、トントン拍子で事は運んだ。弥生が吐いた俺たちを試すような発言全てが、この流れに持ってくための布石であったことは疑いようもない。けれど、誰もそれを嫌だとは言わなかった。自分の置かれた宿命に終止符を打つ。
「決戦は大晦日。それまでにあなた達は強くなる」
 そう宣言した弥生。そして、俺たちは逃げずに戦うことを選んだ。
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