#47 地上楽園
 途切れた通信。通信が切られたわけではなく、深刻な事態に息を飲んだ……そんな息遣いだけが聞こえてくる。こちらから楽弥に連絡を取ることは出来ない。押しつぶされるような無音に、鼓動が早まるのを感じていた。
「イルカ……テロリスト二人と雑魚は一掃できた。今から指定の場所に向かってくれ。合流しよう」
 心配していたような言葉は何一つなく、全てが滞りなく進んでいる。言葉の意味だけをとらえればそうだろう。けれども、言葉の端々に混ざる落胆を思わせる呼吸に、不安は加速度的に増していった。
「特別学級の変電設備に来てくれ。鍵は開けてある」
 言われた場所は僕が身を潜めている場所のすぐ近くだ。しかし、楽弥がいるのは放送室ではなかっただろうか。わずかな疑問、しかしそれを確かめるすべも無く、結局僕はそこに向かうしかない。
 肩にとまったアイリスが首を横に振る。行くなという意味だろうか。動物特有の勘で言っているのかもしれないが、僕だけが勝手な行動を取るわけにもいかなかった。狙われた三人が全員無事でそこに集まることが出来ることを祈ること、それだけが僕に許された行動だ。
 陰気な雲は皐月の逃走と共に姿を消し、じりじりと身を焦がすような陽光が降り注いでいる。なのに、この不快感はなんだろう。呪詛の言葉を吐き、敵を滅しようとした。その反動が今になって僕の理性を焼いているのかと考える。皐月を連れ去ったテロリストのことも未だに脳裏に焼き付いて離れなかった。彼は何者で、何故僕を倒そうとしなかったのだろうか。
 疑問ばかりが浮かんでは消え、いつしか目的地にたどり着いていた。厳重に閉じ切られていた鉄網が不用心に開け放たれている。先についているのではないかと思っていた水無月やうさもいない。
「イルカ。入ってすぐ、右下に偽装した出入り口がある。土を払って、ノックしてくれ」
 楽弥からの通信。言われたとおりの場所を足で払うと、地面の中に取っ手付きの鉄板が顔を出した。ノックし、無造作に開けてみると、人一人が入れるくらいの穴がぱっくりと口を開く。
 どこまでも続くような地の底。僕は注意しながら備え付けの梯子を降り、携帯の画面をライト代わりに進む。冒険者にでもなった気分だったが、闇の奥に人工的な光が見えてほっと胸をなでおろす。複数のディスプレイに囲まれ、難しい顔をした楽弥がそこに座っていた。
「おかえり。怪我はないか」
 いつもの彼とは違い、影が差したような表情。スケッチブックをなくした僕は身ぶりで無事を伝え、他の仲間たちはどうしたと携帯のメール画面で伝える。
「レオは理科室に籠城。多分、まだ出られない。月読先生はじきに来ると思う。うさちゃんは……」
 そこまで言いかけて途切れる言葉。嫌な予感というものは当たるもの。聞くのが怖い、そんな間が僕と楽弥の間に生まれる。ゆっくりと楽弥の口が開き、固く強張った頬がふっと緩む。
「もうすぐ来ると思うよ」
 誰か一人でも欠けていてはこんな笑顔は出来ないだろう。そんな笑みを浮かべている楽弥。その一言で、重くのしかかっていた荷が一気に下りた。予想していた最悪の状況は僕の杞憂だったらしい。
 僕は楽弥に勧められた椅子に座り、仲間の到着を待つ。小さなノックと共に降りて来たのは月読先生。楽弥の言っていた通り、水無月は来れないと最初に言われた。
「師走生徒。一つ聞きたいことがある」
「なんだい、先生」
 ディスプレイの画面を注視したまま、答える楽弥。月読先生はそんなことには気も止めず、間髪いれずに言った。
「卯月生徒はどこだ」
「……もうすぐ来るよ」
 先と変わらぬ回答。しかし、その声色だけがさっきと違った。全て、予定通り行っているという自信に溢れた言葉。だが、その語尾には秘められた何かを感じる。色に例えるなら灰色。嘘は言っていないが全てが真実ではないと言った、グレーゾーンの答えだ。
 皐月と交戦してから、人の細かな反応に混じる雑音を感じる能力が強くなった気がする。些細な違いでさえも大きな違和感に感じる。言葉では説明できない妙な感覚。目の前にいる楽弥が別の人物のように感じてしまうのは何故だろう。
 先生はその言葉を聞くと、それ以上何も云わずにポケットから端末を出した。慣れた手つきでそれを操り、小さな声で言った。
「十二時か」
 僕たちがどんな行動を取っている時でさえ、時間は同じ速度で流れている。時々、そんな風には思えないこともあるけれど、変わりようのない事実だ。僕がそんなことを考えていた頃、二度目のノックがあった。
「イルカ、先生、外に出よう。追いかけっこは終わりだ」
「断る」
 僕が腰を上げた直後、立ったまま携帯端末をいじっていた先生がそう答えた。驚いて、そちらを振り返ると、楽弥が笑い声を押し殺している姿が目に入る。楽弥はくつくつと笑いながら、鞄に手を伸ばし、黒い何かを取り出した。
「先生。そんなこと言わないでくださいよ。子供じゃないんだから、今の状況くらい弁えてください。あなたに断る権利なんて無い。ただ、あなたは僕に言われた通りに外に出る。それだけでいいんです」
 人の悪意を具現化したような武器を向けて笑う楽弥。彼は僕も先生も一瞬で蜂の巣に出来る短機関銃を片手で構え、僕らを促す。明らかに普段の楽弥とは違っていた。
「……文月生徒。出るぞ」
 ぶっきらぼうに両手をポケットに突っ込み、先生が先に出口への通路へ歩きだす。仲間の突然の変貌に困惑する僕をアイリスがつついた。こめかみにジワリと痛みが広がり、胸の奥に毒液を落とされた様な波紋が広がる。
『楽弥……!』
 深く笑う楽弥を見て、直感した。ここにうさは来ないのではないか。そして、楽弥はもう仲間では無いのではないか。
 僕がその残酷な仮定を問いただすことが出来ないまま、銃口に威圧され追われるように地上に出る。楽弥は僕たちが梯子を登り終えるまで短機関銃を向けていた。いつでも殺せるという優越感に浸っているというよりは、ゲームでもやっているという顔をしていたのが瞳の奥に残っている。
「お疲れ様。七番君」
 楽弥の隠し部屋から抜け出すと、陽光に金髪を輝かせた少年が立っていた。彼の言葉に嘘偽りはなく、単に僕のことをねぎらっているという様子だ。自然体でいる彼の様子は何とも不気味で、張り付けたような笑みが余計に僕の不安を煽りたてる。
「君が最後の一人か。葉月煉司」
 先生の言葉には答えず、タバコに火を付ける葉月。紫煙を灰に満たすと、満足そうに言った。
「そうですよ、月読燦さん。今言ってみて思ったけど、月読燦さんって言うと、月なのか太陽なのかわかんなくなるよなぁ」
 余裕に溢れた態度。先生も僕も無言でその動向を見続ける。背後からは楽弥の銃が向けられている。金網に囲まれ、逃げることは既に諦めていた。うさはどこにもいない。僕に出来ることはもう何一つないという絶望が胸を満たしていた。
「葉月」
 無言の僕たちに代わって、口を開いたのは楽弥だった。名前を呼ばれた金髪碧眼の少年は「なんだい」と軽い様子で返す。
「うさちゃんは無事なんだろうな」
「彼女はウチの優秀な医療班、もとい月島総合病院で預かっているよ。危険な状態だったけど、一命は取り留めた」
「なら、いい。交渉を始めよう」
 葉月は紫煙を口からだらしなく溢れ出しながら、首肯する。僕らは完全に蚊帳の外。人質なのかもしれないが、楽弥の人質なのか葉月の人質なのかはわからない。とりあえずは動けない状況であることには変わりないので、おとなしくしているより他ならなかった。
「十二番君。君の要求は四番の開放だったよね。その要求は飲もう。ただし、僕の願いがかなったらね」
「言ってみろ」
 背後で短機関銃を構える楽弥。僕たちと同じく、葉月も同時に殺傷出来るだけの武力が彼にはある。そうであるのに、何故彼は交渉なんて言葉を持ちだしたのだろうか。
 葉月は自分の命が危険に晒されているなんて様相は微塵も見せず、ゆっくりと聞き取りやすい声で要求の内容を口にする。
「僕たちが欲しいのは鍵のチルドレンだけだ。ちなみに四番は鍵ではなかった。もし、彼女が鍵だったら、開放なんて出来ないんだけどさ。ついでに言うと七番も鍵じゃない。言うまでも無く、零音やアトリ、僕も鍵では無い」
「そりゃそうだ。鍵を既に持っているのに鍵を探す必要なんてない。となると、消去法で大分数は絞れるだろう?」
 楽弥の言葉に葉月は笑い、小さく拍手する。それでも小馬鹿にした様子はなく、単に褒めているような感じがするから不思議だ。
「ご名答。今回のことで六番と七番のオルタナティヴがはっきりした。”第五の季節”が探している鍵は抗体でも魔笛でもない。二番、十番、十一番、十二番のどれかが鍵だ」
 さっきから言われているその数字は何なのだろう。確か、僕のことは七番。うさのことは四番と言っていた。何のことか分からず、状況が飲み込めない僕に月読先生がそっと耳打ちをする。
「陰暦の姓」
 陰暦っていうのは古文とかで使われる古い月の呼び名だ。睦月から始まり、師走で終わる月の名前。僕は文月、うさは卯月だ。つまり、僕たちは彼らには名前ではなく番号で判別されているということか。となると、二番は如月、十番は神無月、十一番は霜月、十二番は師走になる。
「大体理解した。お前達が探しているオルタナティヴは何なんだ?」
 僕たちを全く無視した会話が続く。葉月は一瞬考え、まだ大分残ったタバコの火を金網に押し当てて消す。
「隠すことも無いか。僕らは”操作”のオルタナティヴを探している。それがボス、睦月様のオルタと合わされば、”第五の季節”はこの国を、果ては世界を支配できる」
「”操作”か。なら、十一番と二番は違うな」
 何を持ってそれを判断しているのか、葉月と楽弥の間にだけ知覚できる空間があるように感じる。月読先生は事の成り行きを見守っているが、その実、表情は無力さに苦虫を噛み潰しているようだった。
「十二番……いや、師走楽弥君。君はなかなか賢いな。こちらからも情報をあげよう。十番、神無月は既に死んでいる。いや、厳密には死んでいないが死んだも同じ状況だ。君の言う消去法が正しければ、答えは出たみたいだねぇ」
「お前達の探す鍵は十二番。つまり……」
 楽弥が最後まで言い終える前に、太陽が何かに遮られた。大音量と共に巻き上げられる粉塵。空を旋回する黒い影。鳥ではない何かが僕たちを見降ろしていた。軍事用ヘリ、ブラックホークが低空飛行している。それを見た葉月が頭を抱えた。
「三番か。いいとこだったのになぁ……」
 葉月のぼやきはプロペラ音に掻き消され、ほとんど何も聞こえない。その直後、突然彼のいた位置がぶれ、地面にペンキのようなものがぶちまけられた。それに続けて葉月の影を縫うように鉄製の小刀が立て続けに三本突きささる。
「遅すぎるぞ。馬鹿者共!」
 天に向かって叫ぶ、月読先生。それに答えるようにプロペラ音にも負けない大声が上空から聞こえて来た。
『弥生様、助けに来てくれてありがとうでしょ!?』
 妙齢の女性がヘリから半身を出してメガホン越しに叫んでいる。それに続き、その女性の影から二人の黒服がパラシュートで降りて来た。ひとりはタキシード、もう一人はタキシードに抱きかかえられながら、ふわふわのメイド服のスカートを必死に抑え込んでいる。
「楽弥! イルカ!」
 懐かしい声。聖と如月さんが救世主の如く空から降ってきた。


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