#45 ベアトリーチェの鍵
意図的に暗くした室内を無数のモニターだけが照らす。虚実の混ざらない真実だけの情報をメガネに映し、僕はその一つ一つを分かりやすく整理してまとめていく。不必要な情報から意味のある情報だけを拾い、現在の戦況、起こりうるトラブル、最も有効な手を随時判断し実行に移していくのは戦略ゲームのようでありながら、実際は全く違っていた。
レオから雑魚を一掃したと連絡が入ったのには驚いたが、この状況で嘘をつくことは得策ではない。そのことから見ても、これはまず間違いなく正しい情報だと言えるだろう。イルカの情報は入ってこないが、インカムに仕込んだGPSの発信が途切れていないことと、先ほどまで聞こえていたテロリストの声が途絶えたことから判断するに、イルカも勝利したと推測できる。
状況だけ見れば出来過ぎているくらい有利に駒を進められていた。それは俺の奇策に引っかかったテロリストたちの甘さと、非戦闘員だと思っていた二人の予期せぬ活躍があったからに尽きる。だがしかし、俺は今の優勢を見てなお、戦況は不利だと考えていた。
テロリストの駒はもはや二つしか残されていない。しかし、その駒がどのような働きをするのかが全くもって不明なのだ。素性も実力もはっきりしない相手がこの校内に潜んでいる。ひとつだけわかっているのは相手が俺の組んだ暗号をものの数分で解読し、クラックしてきたことくらいだ。それだけでも並の相手ではないことがわかる。
まぁ、それに関しては目には目をでやり返し、見事にご破算に導いてやったのだが、ここから先は真っ暗闇だ。校内に仕掛けたカメラに引っかかるか、遊撃手うさの目に留まるかするまでは援護のしようが無い。
「聖ちゃんがいてくれればな……」
いない友人の名を呼び、一瞬だけモニターから目を離す。その瞬間、廊下に仕掛けていた監視カメラを黒い影がすり抜けていたことに気づくことが出来なかった。
*
間近で行われているイベントに向かう高校生たちを尻目に、私は体育館へと逆行していく。鼻につく平和の匂い。それがいかに貴重で壊れやすいものであるか、私は良く知っている。
私は付近に人がいなくなったのを確認すると、右手の得物を軽く薙いだ。軽金属制のシャフトが唸り、空気を切り裂く。ああ、どうして組織は私に刀を持たせてくれなかったのだろう。こんな愚民ども、考える暇も与えずに殺せるのに。
ぼやいていても仕方ない。今は目標を確保するのが最優先だ。試験体四番、卯月うさは体育館にいる。広く、平らで障害物も無い場所は私にとってうってつけの戦場だ。
「あの」
「……っ!?」
足元から聞こえて来た小さな声に驚き、慌てて振り返る。そこにいたのはとても高校生には見えない少女。私が怖いのかおどおどとした態度で小さくうつむいている。
「私に何か用でも?」
つっけんどんな態度を取ると、少女は怯えた表情で両脇を固めた。けれども、そこから逃げることはなく、何か言いだそうとありったけの勇気を振り絞っているように見える。
そんなあどけない様子。一見すると何でもない子供なのだが、死角に入りこまれて気づかなかったのはこれが初めてだ。ただ者ではない。
「あの、てろりすとさんがどこにいるかしりませんか……?」
「あなた。名前は?」
私は感情をこめないようにして軽くボートのオールを握る。そして、いつでもそれを振りぬけるよう軸足を下げた。私たちのことを知っている……それ即ち、十中八九ルナチルドレンだ。
「わたしはうづき……」
最後まで言い終えるよりも早く、私はボートのオールを薙いでいた。空気抵抗を最小限にし、最短距離を切りつける。たかが高校にしては少し広い廊下だったのだが、向かい合った廊下と廊下の端までを数センチの隙間を除いて刻んでいた。回避不能な距離、にもかかわらず私の手には何の感触も残されていない。
「らくや、わたしいま、こうげきされたよ?」
『うさちゃん、それテロリスト!』
私の背後から聞こえて来た間抜けなやり取り。何時の間に四番は私の後ろに移動した? そんな些細なことよりも今はもっと別のことが脳裏を満たしていた。
「あなた、卯月うさよね。特別学級に通う生徒の」
「てろりすととはなすことなんてないよ」
先ほどとはうって変わって突き放すような態度。幼すぎる少女は自然体で私のことを見据えている。外見は全く変わっていない、けれども戦い慣れてる者特有の匂いを身体全体で感じていた。そして、同時にこの狭い廊下での戦闘は不利であることにも気付いていた。
「四番、じゃなかった。うささん? 一つ提案があるの。聞いてもらえる?」
小声で頭に付けた大き過ぎるインカムに向けて喋る少女。電波の先にいるあの小癪なオペレーターと話しているのだろう。小声と言えども、話している内容はほぼ筒抜けだった。
「ていあんって、なに?」
「私がここで暴れたら、どうなると思う?」
疑問を疑問で返すと、卯月は困った顔で腕を抱えた。分かりやすいように例えたつもりだったが、四番にはこの返しは難し過ぎたらしい。やはり、失敗作だ。
「あなたがここであばれたら、わたしがかつよ」
ほんの数瞬の間。一般人に気付かれるという回答が欲しかったのだけれど、四番の思考回路で導き出されたぶっ飛んだ回答を返された。しかも、私の敗北を前提に。
「全体的に不正解だわ。正解は『関係ない人間が怪我することになる』よ」
私の回答に卯月の目つきが変わる。不快な物を見る目。純粋無垢な彼女には正義と悪しか存在していないとでも言うようだ。
「だから、提案しようと思ったのよ。ここじゃなくて、広い体育館で話さないかしら? そうしてくれたら、他の人間には危害を加えないと約束するわ。何なら、十二番の彼と相談してくれてもいいわよ」
「たいくかん、いく」
即答だった。恐らくはオペレーターの入れ知恵だろう。民間人には危害を加えないなんてのは名目だ。組織が本気になれば、民間人を全員排除してでもチルドレンを連れ帰ることが出来る。口約束とはいえども、人のいない場所で戦えばその約束は守られることになるのだから。
提案に同意した彼女は、インカムからの指示で先に私が行くように言った。追い打ちの危険性を考慮したのだろう。私はその指示を飲み、先に戦場へと向かう。無論、向こうが約束を反故にしようとした瞬間、葬れるように背後にも十分に気を配る。
「ねえ、どうして私たちが来るって分かったの?」
何気ない質問。敵が逃げないように見張るのも兼ねて目的地に着くまでの数分の間の時間を潰す。
「つくよみせんせいがいってたから」
月読。その言葉が聞こえた刹那、背筋を何かがすり抜ける。ほんのお遊びのつもりだった会話から、予期せぬ黒幕が見えて来た。
「その先生ってどんな髪型してる?」
歩きながら、同時に言葉の探りを入れていく。出来ればこのまま少しでも情報を引き出したかったが、目的地はもう目前だった。
「せんせいのかみはくしゃくしゃってしてる」
「そうなんだ。やっぱり」
体育館の床を踏みながら答える。この短いやり取りの間に、一つの答えが出た。計画の邪魔者の正体。度々私たちの戦略に先手を打ってきた身の程知らず。リーダーはそのことに関して、大したことじゃないと片付けていたけれど、邪魔されている当事者である私からしてみれば、その存在は目障りとしか言いようがなかった。
四番のあと、確実に消さなければならない相手が増えた。月読燦、あの方の指示無しでも私は動く。
「着いたわ」
私は体育館の中心にあるビニールで作られた円まで歩き、四番に語りかける。音がよく響き、自分の声が体育館全体にこだました。四番は、誰も入ってこないように体育館の鍵を閉め、ようやくファイティングポーズを取る。そう思った瞬間には一直線に私に向かって来ていた。
目にも止まらぬ俊足。けれども軌道が見えていれば捌くことなどわけが無い。私を中心に広がる円全体が私の攻撃範囲だ。飛び来る弾丸でさえも払い落して見せる。
「せいッ!」
軽金属のオールを彼女の軌道上に重ねる。空を裂く手応え。卯月は直前で停止し、跳躍していた。先ほども見せた驚異的な動体視力。振りの大きい私の攻撃を見越した上で、ギリギリの間合いまで接近してきていたのか。
「だが、甘いッ!!」
振り切り、格好の隙に見えるこの攻撃はフェイク。私は半円状に繰り出した斬撃をあえて止めること無く、ボートオールの反対側でさらなる追撃を加える。宙に浮いた彼女の身体は重力に引かれ落ちることしかできない。取っ手の部分が彼女の肩を捉え、鈍い感触と共に少女が床に転がった。
「私は長月アトリ。あなたはこの円に入ることさえ出来ない」
なぜならそこは私の絶対領域であり、死の領域でもあるのだから。
「いたい……でも」
痛む肩をさすり、四番は立ち上がる。激痛でまともに動かせないはずの腕も下がっていない。見た目にそぐわぬタフさだ。立ち上がったのを見るや否や、すぐに私に立ち向かって来ていた。
私はその覚悟を叩き潰す勢いでオールを操り、彼女の足元を薙ぎ払う。反射不可能な速度のそれを彼女は足さばきだけで避け、相変わらず直線距離を駆け抜ける。しかし、先の打撃が残っているのか、速度は格段に落ちていた。私は得物の勢いを殺さず、回転の勢いを増した上で少女の脇腹めがけ、真一文字にオールを振った。
「ぐぁ」
悲鳴を上げる暇も無く、最高速度の金属が彼女を真っ二つに出来るスピードであばら骨を砕く。なすすべも無く吹き飛ばされた四番は何度も地面に打ちつけられながら、体育館の隅まで吹き飛ばされた。
「……くぅう、う」
身体を折り、痛みに身をよじる四番。激痛に歪んだ表情から、爆発するような咳が出た。その飛沫には赤が混じり、危険な状態であることを知らせている。
「まだやるのかしら? 降参した方が良いわよ」
ボートのオールを地面に立て、目標を見降ろす。渾身の一撃、気絶してもおかしくないほどのダメージが小さな体を苛んでいるのが見てわかる。恐らくは肋骨だけでなく、内臓も傷ついているだろう。立ち上がっては危険な状態だ。
「けほっ、やだ」
四番は膝をつき、片腕を杖代わりにしてよろよろと起き上がる。どこにそんな体力が残っているのだろう。
「早く楽になった方が良いわ。安心して、あなたを殺したりしないから」
「いやだ」
その目からはまだ意思が途絶えていない。飛んできたというよりは吹き飛ばされてきたような勢いで再度私に突っ込んでくる。速度も先と変わらない。怪我をしてなお、身体は良く動いていた。
「馬鹿な子」
誰にともなく呟き、片手でボートのオールを振る。今度は吹き飛ばすようにではなく、叩き落とすように。少女の目にオールが映り、跳躍しようとしたところを私は無慈悲に叩き落とした。無理な体勢から落ち、したたか顔面を打ちつける。加えて連撃、両腕で握ったオールの柄の部分で背骨を一直線に殴りつけた。肉の潰れる音、骨を打ちつける音、人の呼吸が止まる音、それらが入り混じって聞こえた後に耳を麻痺させるような静寂が訪れる。
「終わったわね……あら、ショーツ見えてるわ。はしたない」
全身を痙攣させ、うさぎのように床にうずくまる四番の姿を見て、そんな言葉を投げかける。気絶してるとはいえ、せめて身なりくらいは整えてやろうと彼女に近づくと、足元に何かが転がっているのが見えた。彼女の口元、血の混じった吐瀉物の中に混じった異物の姿。
「赤と白のカプセル……?」
半分溶けかかったそれを拾い、開けてみると嗅ぎ慣れた匂いがした。戦争時、兵士たちに手渡される気付け薬、もとい興奮剤に似た匂い。嫌な予感がした。倒れて目を閉じていた彼女の目がいきなり見開かれ、強かに打ちつけた背中のバネだけで起き上がった。
「あおはみっつまで、あかはひとつまで……やくそくやぶっちゃった」
ごめんなさい。私ではない誰かにお辞儀し、顔を伏せる卯月。罪を犯したことを後悔しているというよりも、こらえきれない喜びをなんとか押し殺しているように見えた。
「狂ってる。おいで、化け物」
オールを上げ、挑発する私。卯月の両目は真っ赤に染まり、私の挑発に呼応するかのように、少女には不釣り合いな咆哮を上げた。