#44 ウェルギリウスの魔術
 それは、皐月が敗れる数分前のこと。私はチルドレンの情報網を掌握し、工作員を用い制圧を計ろうとしていた。最新式の、それも高度な暗号処理の為された無線通信で彼らは連絡を取っていたが、その傍受はとても容易いものだった。
 所詮、高校生の浅知恵。通信環境から見ても、作戦が筒抜けであるどころかそれぞれの位置を把握することさえ容易である。十二番は二階の放送室、七番は校庭、六番は三階の理科室、四番は一階を走り回っている。
 私はそれぞれの位置情報を工作員に知らせ、戦闘力のないチルドレンのいる放送室と理科室にそれぞれ十名ほどを連行させる。携帯武器は電気ロッドとゴム弾と少し心もとないが、これだけの人員を投入すれば十分過ぎる戦力だ。
『こちら、A班。目的地前に到着した。突入する』
『こちら、B班。目的地に到着。制圧します』
 思ったより報告が早い。私は細心の注意を払うように指示し、己の目標である四番の元へと向かう。目標から発せられる電波は電波の悪い場所にいるせいか不十分だが、大体の位置は掴める。騒ぎの起こらない程度に目標を確保できる場所に誘導して、仕留めるのがベターだろう。
 敵の情報を知らせる端末をポケットにしまい、四番の方向を見据える。日々、何も考えず、平穏を貪る平民共。自分がいかに恵まれているかも知らず、それを当たり前のこととして豊かに暮らしている。あまりに不快な笑顔に顔をしかめ、目についた”それ”を手に取った。
「いい趣味してるじゃない」
 軽く微笑み、ボート部と書かれた教室を背にライダースーツの襟を正す。手にした得物もこんなところで手に入れたにしては十分過ぎる性能だ。重さ、長さ、先端の薄くなった部分も好ましい。欲を言うならもう少しリーチが欲しかったが、拾得物に贅沢は言えない。
「狂気の四番は私が狩るわ」
 一人呟き、軽金属制のオールを肩に担ぐ。総て順調に進んでいる計画。そこに走るノイズに我が耳を疑った。
「なっ、どういうこと!?」
 返事はない。突然、大声を出した私に周囲の目が集まる。私の肌のこともあって集まるのは奇異の視線ばかりだ。蹴散らしたい欲求にかられたが、一般人には手出ししないという規則の元、ぐっと自身を律する。
「一杯喰わされたようね」
 二手に分かれて行動していたはずの二班が同じ場所、理科室に誘導されたことを知った私は指示を送るインカムのスイッチを切り、無能な部下に舌打ちした。
*
 あのガラの悪いメガネからの通信があったのはついさっきのこと。二分後に工作員全員が理科室に来るように誘導したから、フルボッコにされろとのことだ。どうやって彼らをここに誘導したのかは知らないが、二分とはまた十分過ぎる時間を提示してくれたものだ。
 僕は鞄の中から二つの容器を取り出し、準備する。片方はさらし粉の入った瓶、もう片方は濃塩酸とラベルに書かれている。誰もが授業で一度はやる実験を大規模にやってやろうという作戦だ。どちらも混ぜれば高速で反応し、一気に有毒ガスをまきちらしてくれるだろう。
「次はこっちか」
 僕は二つの薬剤を水が流れないように蓋をした流し台にセットし、理科室にある二つの扉に細工する。まず、少しだけ扉を開けておき、本来ある扉の鍵穴に接着剤を突っ込んで固めた。窓の鍵にも同じように接着剤を付けて鍵本来の役割を果たせないようにする。
 次に月読先生に口頭で外側から鍵をかけて貰う手はずを整えて貰った。月読先生は自分の研究室をそんな風にするということでかなり嫌な顔をしたが、最後には強固な南京錠を用意してくれた。これはペンチはおろか強力な爆薬でもない限り脱出はできないだろう。
 僕は王の気分で理科室の教卓に腰かけ、楽弥に用意してもらったガスマスクを装着する。メガネがあっては付けづらかったので、仕方なくコンタクトレンズを使うことにした。
「さて、あとは突入を待つだけだな」
 いつでも相手を迎え撃てる環境。両手には念のために用意した秘密兵器を構えている。対霜月用に揃えていた装備だったが、こんなところで役に立つとは。
 準備を整えて一分も経たないうちに、理科室全体を取り巻く空気が不穏になってきた。扉のすぐそばに感じる複数の気配。外は異様な光景になっているだろう。何しろ都合二十人以上もの敵が廊下でこちらの様子をうかがっているのだから。
「おい、テロリストども。この水無月麗音覇瑠斗三世様が直々に相手をしてやる。さっさとかかって来い」
 誰がどう聞いてもわかるような挑発。こんな安い挑発に乗るような相手ではないと思っていたのだが、数の優位に油断したのか、二つの扉が全く同じ瞬間に開いた。と、同時に服装も背格好もバラバラな老若男女が地獄のトラップルームに踏み込んで来る。
「我が研究室にようこそ」
 両手を広げ、自分がここにいることをアピールする。テロリストたちは授業よろしくそれぞれの出席番号順に椅子に座ることも無く、教卓を中心として半円状に僕を取り囲む。
 僕は全員が理科室に入ったことを確認すると、右手に持った釘打ち機をあらかじめ準備していた薬瓶に向かい無造作に撃ち込んだ。続けて左手に持った改造水鉄砲を一番近くにいたテロリストに向けて発射する。
「ぐあっ」
 人数の多さもあって避けきれなかった一人のテロリストが顔面を押さえて、倒れる。それを見て、数人のテロリストが倒れた仲間に駆け寄った。それに向けて、僕は更に水鉄砲を浴びせる。激痛にあえぐ一人を中心に二人のテロリストが同じようにして倒れた。
「馬鹿か。冷酷なテロリストが聞いてあきれるな」
 嘲笑われたことに憤慨したテロリストが一斉に襲いかかってきた。僕は一番近い順に両手の武器を一発ずつ発射していく。机や椅子が邪魔になってなかなかこちらに来れないことを利用した狙撃。右手には釘打ち機、左手には改良催涙銃。どちらも通販で簡単に手に入ったものだが、訓練しただけあってその精度はなかなかのものだ。
 仲間の数人が行動不能となり、慌てるテロリストたち。蟻の隊列を木の棒で掻き散らしたときのような気分だった。衛生班らしき男が二人のテロリストを抱え、脱出しようとしているのを僕は無慈悲に射撃する。
「ぐっ」
 釘が背中に刺さり、一度体勢を崩しかけたものの男は倒れなかった。痛みをぐっとこらえ、目の前の出口へと向かう。あと少しでこの地獄から出られる……その直前で月読先生が現れ、害虫でも見降ろすような表情で理科室の鍵を閉めた。見開かれた双眸はゆっくりと白眼を向き、絶望の表情で前のめりに倒れる。
 早くも半数のテロリストが地面に突っ伏すか、リーダーを失って右往左往していた。そろそろ両の扉が閉められ、理科室内に強烈な塩素臭が漂い始めた頃だろう。体の弱そうな女子供は猛烈に咳きこみ、ぐったりしている。
「知ってるか。かの有名なナポレオンは砲撃手だった。だが、僕はその上を行きたいと思う。今の時代、砲撃だけじゃ物足りないだろう?」
 話の途中、僕を狙っていた男に釘を二発浴びせる。また、隣から襲いかかってきた女には催涙銃、それも先端を改造しショットガンのように噴射させた。ゴムの砲弾は照準をずらし、黒板に衝突する。いとも簡単にやられた仲間二人を目の当たりにしたテロリストはじりじりと後ずさりし、僕から距離を取った。
「まだ、話の途中だぞ。いいか、君たちはここから出られない。そして、この釘打ち機について説明しておこう。これはホームセンターや業務用品店に売ってるものの出力を少し強化したものだが、その釘は普通の釘じゃない」
 五センチほどの短い釘。先ほど薬瓶に当たり落ちたものが地面に転がっているが、それは新品とは言い難く、むしろ長い年月雨風に晒されて錆びているように見える。
「その釘は僕が丹精込めて山奥の土壌に放置しといたものさ。その意味がわかるかい? 雑菌だらけの汚い釘を踏んだりしたら、どうなるか。答えは簡単、細菌……たとえば破傷風菌とかが感染するね」
 催涙銃で済んだやつは感謝するがいい。目玉が焼けるような激痛は味わうかもしれないが、それも一時的なものだ。まぁ、あまりに大量に浴びてそのままにすると失明することもあるのだけど。
「卑怯者っ!」
 悲鳴のような怒声がこだまする。パニック状態になり、統率も何もないまま不必要に動き回った結果、既に五人まで数を減らしたテロリストだったが、頑強な男たちはまだ無傷でこちらを睨んでいた。その内の一人が急に頭を揺らし、激しく咳をする。
「あと、言い忘れてたけど、最初に打った釘は外したわけじゃないよ。流し台にぶちまけたさらし粉と塩酸が反応したらどうなるか知ってるかな。アルカリ性のさらし粉に酸性の塩酸が入ると中和反応が起き、大量の塩素が発生する。この閉め切られた室内でそれが何を意味するのか……馬鹿な高校生でもわかる簡単な問題だよ」
 咳きこんでいた男が膝をつき、そのままの体勢で顔面から床に倒れ込む。塩素中毒、有毒ガスを散々吸い続けた結果だ。残り三人は仲間の痛ましい姿を見るや、思い出したように鼻と口を片手で覆う。
「あと一分もすれば君たち三人も他の十数人と同じ状態になるよ。おとなしく、床に伏せて命乞いしたら、通報だけで済ませてあげても良いぜ」
 三人の目つきが変わる。仲間が倒れて動きやすくなったこともあり、三人同時に行動を起こした。一人は換気扇へダッシュ、もう一人は僕に向かって射撃、もう一人は脱出するためにドアを蹴り破ろうと必死だった。
 僕はドア側のを無視し、教卓を盾代わりに使い、換気扇に向かった男へ両手の銃撃を浴びせる。優先順位的にはそちらが上だったからそうしたまでなのだが、換気扇のスイッチに手を伸ばした男が倒れるのと同時に、屈強な男に胸倉を掴まれてしまった。
「はぁ、はぁ……捕まえたぞ」
 塩素にやられ目を真っ赤にした男が僕を睨む。完全に狂信者の顔だ。男はドア側にいた男を呼びだし、僕がしていたガスマスクを外させようとする。僕は掴まれたまま釘打ち機と催涙銃で抵抗したが、照準が定まらない上に無駄撃ちしたせいでリロードが間に合っていなかった。
「てめえも、地獄を見ろ。我は”第五の季節”の使徒なり!」
 耳元で反響する男の言葉。中毒症状に泡を吹きながらも僕の胸倉をつかむ力は衰えない。ついにはガスマスクが外され、僕の武器も奪われた。元のひ弱な高校生に戻った僕に、釘が数本突き刺さり、クロロアセトフェノンが浴びせかけられる。
「わははははははははは! やったぞ。これで幹部昇進間違いなしだ。おい、長月様に伝えろ。六番を拘束……っえ」
「汚らわしいテロリストの分際で僕に触れるなッ!」
 僕を捕まえていた男に渾身の右ストレートが突き刺さる。釘が刺さった部分がひどく傷んだが、幸いにも刺さった部分は腹だった。
 既に限界を超えて弱っていた狂信者は白眼を向いて仰向けに倒れる。それを僕は無傷の方の足で何度も踏みつけてやった。
「なぜ……お前は、平気なんだ」
 目の前で行われた凶行に腰を抜かし、尻もちをついたテロリストの男。塩素で血走った瞳は赤く染まり、何とか意識をつなぎとめてると言った様子だろう。僕が何故高濃度の塩素を吸い、催涙銃を食らい、黴菌だらけの釘を食らってもこう平然としていられるのか、答えてやる必要はないように思えたが冥土の土産に話してやることにした。
「僕は毒とか薬とかが効かない体質なんでね。あらゆる抗体を持つ、いわゆる帝王の血ってやつだよ。釘を食らった時は失神するほど痛かったけどな」
 話し終える前に、男は気を失っていた。こんな身体だと気付いたのは母さんのおかげだ。僕の大好物が出る日。食べた直後、またはその日の夜、あるいは翌日に僕は体調を崩していた。母は幼い僕をあらゆる実験台として使用していたことに気付いたのは中学生の時に奇しくも理科室で起こった事件からだった。
 塩素中毒で皆が倒れ病院に運ばれた時、僕だけはなぜか平気だった。運が良かったでは説明がつかない。何しろ教員が倒れ、救出に来た他の先生も体調を崩したのだ。僕は母に愛され、あらゆる毒が効かない体質を手に入れたのだ。
 僕は僕以外誰も意識を保てない地獄の中で、インカムにこう囁きかける。
「師走。敵を殲滅した。あと、大至急救急車と警察を呼んでくれ」
「……了解。魔法でも使ったのか?」
 僕は師走の不思議そうな言葉を聞くよりも先に元の教卓の上に腰かけ、積み重なる屍の山を見降ろして悦に浸っていた。


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