#32 アクトレスガール
「不合格よ」
 弥生はそうとだけ言うと、今少女を撃ち殺したばかりの拳銃を俺に向ける。足元で横たわる少女を気にしている様子は無い。その感情に色は無く、ただ結果のみを告げている。そんな感じだ。
 不思議と恐怖は無かった。当たり前のように人が死に、暗く深い銃口からは鉛玉が俺を睨んでいる。弥生がほんの少し人差し指を引けば、俺も少女の後に続くだろう。その程度のことしか考えつかない。大きすぎる衝撃に感覚が麻痺してるのかもしれない。
「どういう意味だ」
 殴られ、切れた口から赤の混じった唾を吐きだす。弥生は答えず、片手で銃を構えていた。俺がおもむろに立ち上がり、拳を固めるのを見ても眉一つ動かさない。
「質問に答えろよ」
 挑発するように一歩進み、もう一度問いかける。銃口はまっすぐに俺の胴体を狙い、微動だにしない。殺すなら殺せとでも言うように、棒立ちで弥生の目を見据える。直後、弥生の口が動いた。
「そのままの意味よ。正直あなたには失望した。期待外れもいいとこ」
 また一歩、足を前に出す。それに合わせて弥生の腕が若干誤差を修正する。その挙動の一つ一つがひどく重く、時の流れが遅くなったようにさえ感じる。
「試験体十一番。白兵戦闘最強の名を欲しいままに出来るはずのそれが、こんな腑抜けじゃ先が思いやられるって言ってるのよ」
「また、それかよ」
 あの傘男も言っていた謎の呼び名。名前というよりは形式上つけられた番号と言った方が正しいかもしれない。まぁ、どちらでもいいことだ。意味がわからなくて不快なのは同じなのだから。
「あなた、本当に何も知らないのね。二番……如月あすかもそうだった。いや、彼女の場合はあなたとは違うわね」
 独り言のように呟き、なぜか拳銃を下ろす弥生。意図が分からず立ち尽くしていると、今度はその拳銃を少女の死体の上に投げ捨てた。圧倒的な優位を自ら放棄するとは、今になって始まったことではないにしろ、意味がわからない。
「手加減のつもりか?」
「別にこんなもの使わなくても、秒殺出来るし。さっき使ったのだって即死させるのが手間だったからよ。ついでに言えば、このまま放っておけばあなた死ぬと思うから」
 弥生が最後まで言い終える前に、俺はコンクリートの床を強く蹴っていた。武器は無いが、弥生の慢心から一歩あれば充分なほどに距離が縮まっている。倒れ込むスピードに加え、上半身のバネを使い、顔面に拳を突き出す。
「浅はかね……」
 心底落胆し、見下した声。取ったと思った瞬間には視界が暗転していた。何をされたのか分からない。気づいた時にはコンクリートの床を舐めさせられていた。
「まだ意識あるんだ」
 輪郭も捉えられないほど歪んだ弥生が、そこだけ感心したとでも言うようにしゃがみ込む。直後、風切り音とともに訪れる首元への軽い衝撃。そこで俺の意識が完璧に途絶えた。

*

 目が覚めた時にはやけに照明の強い部屋で寝かされていた。眩しさに手で視界を遮ろうとするも、右手が動かない。横目で見ると、ベルトのようなものでベッドに固定されていた。それも、右手だけではなく四肢全部を固定されているらしく、身動き一つ取れない。
「う……うー」
 試しに何か喋って見ようとしたが、口にも何かの器具が取り付けられているようで、唸り声のようなものしか出せなかった。今度は首を動かしてみると、喉の奥まで何かを指し込まれているような感触がし、気持ちが悪くなる。
 両目をぐるっと回してみると、色々な研究機材のようなものがたくさん見えた。しかも、同時に見える範囲だけでも相当な数のチューブや電極のようなものが俺の全身に取り付けられていることに気づく。中には怪しげな薬の入った瓶に繋がっているものもあり、身震いした。少なくともここは病院などという生易しい幻想は取って捨てる。
「うー、うう……!」
 両腕を全力で動かしてみても、無数に刺さったチューブや電極のようなものが揺れ動くだけで、拘束は解けそうにない。諦めて、せめて口に付けられた装置だけでも外そうと試みていると、視界の外でドアが開くような音が聞こえて来た。
「あ、やっと起きた? お腹すいたでしょ。何か食べる?」
 忘れもしないあの女の声だ。弥生は動けない俺の顔を覗き込んで、ニヤついている。手にしたトレイの上にはラベルの無いガラス瓶がいくつかと細い注射器。再度、全力で抵抗してみるが、革のベルトが皮膚に食い込むだけだ。
「うーうー言っても弥生さんわからないなぁー。あ、もしかして私を食べたいって? 聖君ってば狼さん!」
 盛大に勘違いし、わざとらしく頬を赤らめる弥生。ふざけたことをほざきながらも、両手は慣れた手つきで動き、注射の準備を始めていた。ガラス瓶の中の液体を針先から吸い取り、注射の縁を叩いて空気を抜く様子は白衣を羽織っているせいもあってか、お世辞ではなく本物の医療関係者に見える。
「注射のお時間ですよー。チクっとするからね」
 楽しそうに俺の不安を煽り、どこからか取り出したガーゼで消毒した左手首に、伏せた注射器を刺し込む。直接血液に注入されるそれを拒否できるわけもない。弥生の腕が良いのか痛みはほとんどなかったが、わけのわからない薬を体内に流し込まれるのは言い知れぬ恐ろしさがあった。
「あ! これのせいで喋れないのか!」
 既に注射針を抜き終わり、傷口にシールのようなものを貼ってから、さも今気づいたかのように俺の口元を覆う装置に手をやる弥生。装置が外れると同時に喉元深くまで伸びていたチューブが抜き出され、軽くむせる。
「ごほっ……、弥生、俺に何を注射した」
 ようやく口が利けるようになり、言いたいことは山ほどあったが、まずは自分の身に起こってることがどうしても気になった。弥生は使い終わった注射器をゴミ箱に放り込み、しれっと言ってのける。
「ただの抗生物質だけど?」
「え?」
 意外な答えに思わず間抜けな声が出る。てっきり、自白剤か麻薬の類かと思っていたが、違うようだった。身体に異常が無いことからしても、嘘ではないらしい。
「あなた死ぬとこだったのよ。それを私が助けてあげたってわけ」
「何で俺が死ぬんだよ。第一、殺そうとしたのはお前だろ!」
 激昂する俺を見て、弥生は肩をすくめる。その後も溜まりに溜まった不満をぶつけてやろうと口開くが、言葉が出るよりも早く弥生が人差し指を俺の唇に当て、目一杯顔を近づけて来た。
「フィアレスの爪には得体の知れない雑菌がうようよしてるのよ。ほっとけばあなたはよくわからない感染症にかかってバタンキューってわけ。マジで焦ったんだから」
 よく見ると全身に付けられたチューブ以外に、フィアレスの少女から貰った傷口が手当てされていた。弥生は白衣のポケットから包帯を取り出し、俺を寝かせたまま腕だけ持ち上げて器用に包帯を交換し始める。
「俺を生かしてどうするつもりだ?」
 弥生は傷口を新しいガーゼで拭い、包帯を巻きながら言った。
「初めから殺すつもりなんかなかったわ。私はあなたを試しただけ。殺すつもりなら17回は殺せてる」
 弥生は包帯がしっかり負けたことを確認すると、指折り何かを数えだす。あっという間に両手の指が全部折りたたまれ、右手の薬指が開いたところで止まった。具体的にどういう方法で殺されていたかは分からないが、今俺がこんな状態にされている時点で、その回数そのものは意味が無いように思う。
「じゃあ、どうしてフィアレスの少女は殺したんだ」
 自分だけ情けをかけられたことに苛立ちを隠さずに言うと、弥生はすっと顔を伏せる。突然見せた沈痛な表情に面食らい、喉まで出かかっていた責め句を飲み込んだ。
「あれ以上苦しませたくなかったから……かな。あの子はあなたに殺されなくても、近い内に死ぬはずだったのよ。ミルクの代わりに麻薬で育てられた憐れな子供。禁断症状でいつ発狂してもおかしくなかった。だから、せめて役割を……生きた意味を与えたかった」
「俺に殺されるってのが生きた意味かよ。ふざけるのも大概にしろ! 血も涙もないテロリストめ!」
 俺の糾弾に押し黙る弥生。何かをぐっとこらえているような様子だった。しばらくじっと目を瞑った後、ようやく決心がついたかのように、そっと小さな声で話し始める。
「どういう風に取ってくれても構わないわ。私が人を殺したという事実は変わらないから。でも、ひとつだけ信じて。私は人殺しだけど、テロリストじゃない」
「テロリストじゃなきゃ何だって言うんだよ」
 あすかを攫い、俺を何度も騙し、俺の目の前で無抵抗の少女を撃ち殺しておいて、信じろだと。冗談も休み休み言ってくれ。もう、騙されるのはたくさんだ。目を閉じ、全てを拒否した俺を嘲るように、無防備な耳に向けて弥生が囁く。
「ただの殺し屋よ」
「……!」
 戦慄。自ら殺人犯を名乗る女を前にして、相変わらず身動きが取れない俺は絶句することくらいしかできない。全身から噴き出る冷や汗。断じて弥生の見姿が変わったわけではないが、潜在的な恐怖が弥生の身体から溢れ出しているように感じていた。
 もう何でもいいから見逃してくれ。そんな俺の欲求を無視し、弥生の独白は続く。
「旧姓、霧隠きりがくれ。古来より続く、殺し屋稼業の末裔。それが私。……両手の指じゃ数え切れないくらい殺した。私にとっては人殺しも日常の一つだったのよ。あなたは知らないと思うけど、依頼には事欠かなかった。私の両親がいた時は特にね」
「両親は……どうなったんだ?」
「組織に消されたわ」
 重い沈黙。日常とはかけ離れた弥生の話だったが、その言葉一つ一つに妙な現実味があった。目に見える恐怖ではなく、漠然とした見えない恐怖。誰が加害者で、誰が被害者なのか分からなくなる。
 だがしかし、この時点で俺の意思は半分以上弥生の方に傾いてしまっていた。俺の中にわずかに残っていた良心が、信じてもいいんじゃないかと言っている。それくらいに弥生の表情や口振りは見事なものだった。もしも、これを口から出まかせで言っているのだとしたら、余裕で主演女優賞に輝けるのではないかと思えるほどに。
「あ、時間だわ。湿っぽい話はおしまい。本当はあなたに昔話を聞かせてあげようと思ったんだけど、続きは社会見学しながら話してあげるわ」
 緊張の糸が途切れた音がし、弥生のオンオフが切り替わる。弥生は時計を目をやると急に話を打ち切り、俺につけられていた電極やチューブを手早く外し始める。一体、どれだけの数があるのか、何のための代物だったのかと疑問には思うが、弥生が話を終えたくらいには不思議と敵意を感じなくなっていた。身の上話に同情したのだろうか、それとも逆らっても仕方ないと内心諦めてしまっているのか、自分でもはっきりしない。
 手際よく作業を進めていた弥生は、最後に四肢を縛るベルトに手をかけ、一度手を止めた。
「一応言っとくけど、動けるようになったからって後ろから襲ったりしないでね。前からもダメだからね」
「誰が襲うか!」
 弥生は声に出して笑い、一つずつベルトを外し始める。まず両腕のベルトが外れ、自由になったと同時に腕をついて上半身を起こした。倦怠感はあったが、動けないほどではない。最後に両足のベルトが外され、自力でベッドから降りる。
「呆れたタフさね。夜の方もそうなのかしら」
「さっさと行くぞ。言っとくが信用したわけじゃないからな」
 くだらない下ネタは無視して、弥生が持っていた俺のシャツを奪い、袖に手を通す。いつの間にやら戦闘で破れた部分は修繕されていて、洗濯もされていた。付着した血液こそ落ちないものの、酷い死臭ではなくせっけんの匂いがする。
「もう、照れちゃって。立派なモノ持ってるんだから、自信持っていいのよ?」
 あすかが聞いたら卒倒しそうなセリフを吐き、ニシシと笑う弥生。やはりこいつは襲った方が良いのかとも思ったが、逆に喜びそうなので止めておいた。
「あすかは無事なんだろうな?」
「無事よ。しかも全裸」
「今すぐ服を着せろ。俺が殺される」
 敵とも味方ともわからないこの女は、上機嫌でカードキーを操作しながら言う。
「大丈夫よ。あすかちゃんは意識ないし、一応ニップレスとガムテープで大事なとこ隠しといたから」
「そういう問題じゃないだろ!」
 あすかに負けず劣らず的確な突っ込みが俺の口から飛び出し、それを受けて満足そうに微笑む弥生。ついさっきまで敵だった女の、今もって味方かどうかわからないのだが、後ろに続いて歩いていく。この女は何者で、何が目的なのか……何も分からないが、敵の牙城で丸腰の俺は、結局そこのボスに黙って従うより他なかった。

 
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